「もしかしたら青木殿は、結構な腕っこきなんじゃないか。確かに、
「なるほど……青木様は、瓦版の出所を疑っているわけね。そうね、そういうことなら、ちょっと調べてみる価値はあるかも。私、青木様に詳しい話を聞いてくるわ」
ジェニファーが立ち上がると、太一郎も煙草の灰を叩いて立ち上がった。
「おれは仲間の所に行ってくる。お英ちゃんは寝ておきな。明日は早いぜ」
◆◆◆
お英が目を覚ました時、太陽はもう夕日に変わっていた。
喉の渇きを覚えて台所で水を飲んでいると、ふと声に気付いた。
「…………! …………っ! …………♡」
「………………? …………。…………」
太一郎とジェニファーの声である。帰ってきたのか、とお英は思った。
二人が何を話しているのかまでは聞こえなかったが、ずいぶん騒がしい。それに、何やら猫が交尾するような声もする。
お英は好奇心に駆られ、ジェニファーの寝室に近付いた。そっと扉を開き、中の様子を伺う。思わず、息を呑んだ。
(えっ……)
二人は寝台の上に寄り添って寝転び、全裸の肉体をお互いに弄り合って、睦言を交わしていたのだ。
太一郎の指先は、ジェニファーの乳房を揉みしだき、乳首を摘まんで、自在に形を変えさせている。お英の何倍もあるジェニファーの豊満な乳房は、まるで粘土細工のようにぐにゃりと歪み、柔らかそうに揺れているではないか。そして、その先端には、親指の先ほどの大きさをした紅色の小粒がある。それが太一郎の手の中で何度も弾け、ひしゃげて、また膨らんでは元の形に戻ろうとしていた。
一方、太一郎の顔つきは真剣だった。彼の視線は、ジェニファーの全身にくまなく注がれていて、一箇所たりとも見逃すまいとしているようだ。
対して、ジェニファーのほうは、どこか陶酔しきった表情を浮かべている。彼女の声は甘く蕩けて、言葉にならない母音ばかりを吐き出している。
その白い肌が桜の色に染まっているのを見て、お英は気づいた。
(
自分の顔に熱が集まっていくのを感じた。心臓が激しく鼓動を打ち鳴らし、胸の奥から、何か熱いものがせり上がってきたような気がした。今すぐこの場を離れたかった。しかし、足が動かない。
ジェニファーの甘い吐息と、太一郎の荒い呼吸音。それから、二人の間で交わされる濡れた音が、お英の耳を犯していく。
太一郎の指先が、不意に、ジェニファーの乳首を強く捻った。瞬間、ジェニファーの身体が大きく跳ねて、甲高い悲鳴が上がった。
「ああっ!! ああぁあ…………!!」
ジェニファーは背中を反らせながら、天を仰いだ。
お英は、その姿に釘付けになった。ジェニファーはどんな気分だろう、と思う。あの大きな胸を、あんなふうに乱暴に扱われて、痛くはないのだろうか。それなのに、どうしてそんなに嬉しそうな顔をするのだろう。自分には理解できない感覚だ。
お英は目を背けたくなった。だが、目が離せない。
「んふぅ……タイチロウ……」
ジェニファーの声が切なげに響いた。見れば、彼女の股間からは透明な液体が滴っていた。太腿の内側を伝い、敷き布にまで染みが広がっている。
「タイチロウ……♡」
「どうした? 気持ちいいのか?」
「えぇ、とっても……タイチロウ……お願い……」
「わかったよ。じゃあ、次はこっちだな」
太一郎がジェニファーの膝裏に手をかけると、大きく左右に開かせた。
「タイチロウ……やめて……恥ずかしいわァ……」
「大丈夫だよ。ほら、もっとよく見せてくれ」
ジェニファーのそこは、お英には見慣れないものになっていた。薄紅色の粘膜はぐっしょりと濡れそぼっていて、まるで生き物のように脈打ち、時折、ヒクつくように震えていた。
(うわ……)
そこに、太一郎の指が添えられた。ゆっくりと沈んでいき、根元まで埋まると、また引き抜かれて、さらに奥へと進んでいく。
そして、何度か抽送を繰り返してから、二本目の指が挿入されていった。一本よりも太い二本目も、難なく飲み込んでしまう。すると、ジェニファーは眉をハの字にして低い喘ぎ声を上げた。頬が上気して赤くなり、口元が緩んで、瞳は潤んでいた。太一郎は、中を探るようにして、丹念にそこを解していく。彼の動きに合わせて、ジェニファーは腰を動かしていた。
やがて、三本の指が入り込むようになると、今度は抜き差しを始める。出し入れされる度に、水っぽい音が響くようになった。
「あ゛、あぁッ、タイチロウ……お豆の裏が気持ちいィのォ」
「分かってるよ、ここだろ?」
「そう、そこ、そこなの。タイチロウ、ねぇ、タイチロウ……」
お英は、自分の下半身に熱が集まっていくのを感じた。彼女は生まれて初めて、自分に性的な感覚があることを知った。
それは、今まで経験してきた〈おいしい〉とか〈すっきりした〉とか、そのような気持ちよさとは少し違っているような気がした。ただただ、目の前にある光景が衝撃的で、それがもたらす興奮に、全身の血流が激しくなるのを感じていた。
「タイチロウ……おねがい、舌でお豆ちゃんをペロペロして欲しいの」
「あぁ、任せてくれ」
太一郎が屈み込んだ。彼は、ジェニファーの陰核を口に含むと、飴玉でも舐めるかのように転がし始めた。
「タイチロウ! だめよタイチロウ!! お豆さんを甘噛みしちゃダメェ!!」
お英は、自分が生唾を飲み込んでいることに気がついた。自分の喉が鳴る音が大きく聞こえた。
〈なんなのこれ……ジェニファーさん、なんなの? こんなの知らない……〉
お英は、自分の心臓がうるさいくらい激しく鼓動しているのを感じながら、目の前で行われている行為に、釘付けになっていた。彼女が知っている獣の交尾とは、まったく違うものだった。いやらしいというよりも、神聖な儀式を見ているかのような気分だった。
お英は、自分の中で何かが変わるのを予感していた。
(ああ、これが、女って事なんだ)
お英は、身体の奥から湧き上がってくる衝動に身を任せることにした。お英は自分の乳房に恐る恐る手を伸ばしてみた。自分でも驚くほど敏感になっていて、服越しにほんの僅かに触れるだけで、電流が流れたような刺激に襲われた。
「あん……」
自分の口からこんな声が漏れるなんて。
乳首は既に固く勃起していて、指先で摘むとコリっとした感触があった。それをそっと押し潰すと、じんわりとした快感が広がるのと同時に、頭の芯が痺れていくのを感じる。
「ふぅん……」
お英は目を閉じて、その感覚に身をゆだねる。
お英は、これまで自慰というものをしたことがなかった。それは、お英にとっては必要のない行為であり、また、興味を持つこともなかったからだ。しかし、今は違った。彼女は、もっと強い快楽を求めて、本能的に指を動かし始めていた。
「ん……はぁ……」
胸全体を撫でるように揉み始めると、指先が乳首を掠めていき、それだけで声が出そうになる。
「んん……」
下腹部に意識を向けると、へその下あたりがキュンと切なくなる感じがする。
「あっ……」
お英は、寝間着の前を開いて、陰部に直接触れた。そこは、すでに濡れていて、ヌルリとしていた。
「んっ、んっ……」
(おいら、こんな……うそ、うそ……)
最初は、割れ目に指を押し当て、円を描くように動かすだけだった。次第に、指の動きは速くなっていく。指先は、肉芽にも触れるようになっていた。声を立てないように注意しながら、そこを刺激し続ける。
「……くっ……ふっ……」
(すごい……すごい……)
指が動く度に、クチュクチュという音が聞こえてくる。やがて、その音は大きくなっていき、お英は夢中で指を動かし続ける。
「ふーっ、んっ、ふぅーっ」
息が荒くなる。
視線の先では、とうとう太一郎とジェニファーが一つに繋がり合っていた。仰向けになったジェニファーが、これも仰向けになった太一郎の上に寝そべって、剛直で貫かれている。二人はゆらゆらと揺れながら、お互いの唇を求め合っている。そして、二人の結合部はぶちゅぶちゅという卑猥な音を響かせている。
お英はその光景を食い入るように見つめながら、自分の秘所をまさぐる。
(ああ、おいら、何やってるんだろう……でも、気持ちいい……)
太一郎の手はジェニファーの乳房を抱えるようにしていて、時折先端を弄っているようだった。
その動きに合わせて、お英も左手で自分の乳首をクリクリと捻り上げる。そうすると、まるで太一郎に触られているような気分になってしまってくる。
「ん──あっ、あ、ぁ……っ」
お英の口から、甘い吐息が漏れ始めた。もう、彼女の手は自分の意志とは関係なく動いている。右手は膣口を、左手は乳首を刺激するのに夢中になっている。お英の顔には汗が流れ始めており、額に前髪が張り付いていた。
「んっ! んんー!」
お英は身体を大きく反らせた。全身に電流が流れたかのような感覚を覚えて、一瞬、目の前に白い光が瞬いたように見えた。
(いったい、なにこれ……?)
お英は、目を閉じて呼吸を整えた。
太一郎とジェニファーの交合を見ながら、絶頂を迎えてしまったのだ。
お英は呆然としながらも、二人の様子をつぶさに観察した。
太一郎は、まだ達していないようで、激しく腰を打ち付けていた。一方で、ジェニファーはすっかり蕩けきった表情になっていた。彼女は、両手をだらりと下げたまま、口の端からは唾液が垂れてしまっている。どうやら、失神してしまったようだ。
お英は、そんな彼女をしばらく眺めていたが、ゆっくりと立ち上がると、そのまま充てがわれた部屋に戻った。
寝台に身を投げて枕に顔をうずめると、先程の光景が脳裏に蘇ってくる。
ジェニファーは、本当に幸せそうな顔で、快感に浸っていた。太一郎の方も、初めて見る優しい笑顔を浮かべていて、あの二人が愛し合っているということがよくわかった。
(ああ、それにしても気持ちが良かったなぁ……)
お英は、さっきまでの興奮を思い返していた。高ぶりが、想像の中から這い出てきて、少しずつ身体の中に広がっていくのを感じる。それと同時に、下半身に疼きを感じ始める。
お英は、そっと股間に手を伸ばした。くちゅり、という音が聞こえてくる。自分の指先が濡れていることを確認して、思わず赤面してしまう。
「はあ……」
お英は、大きくため息をついた。そして、もう一度、自分の秘所に手を伸ばすと、今度は恐る恐る中に挿入していく。
「んん……」
爪が立つと痛いので、指の腹を使って、優しくかき混ぜていく。ゆっくりと、しかし確実に、少女は快楽を引き出す方法を覚えていく。
「あっ……んっ……」
お英の性器は持ち主の感情に呼応するようにして、ひくついてしまう。
「……っ、……んっ……♡」
お英は、中に入れたままの指先を曲げたり、小刻みに動かしたりする。
「ふぅっ……」
やがて、お英の指先は、一点に触れるようになった。そこは、小さな突起のような部分である。お英は、そこに指を当てたまま、上下左右に揺らすように刺激する。
「……んっ……はぁっ……」
お英は、少しだけ強く押し込むようにしたり、円を描くようにしてみたりする。
「ふぁぁ……♡」
お英は蕩けるような表情になりながら、指の動きを止めない。次第に、お英の中で欲望が高まってくる。
「んっ、あーっ、あぁ……っ」
お英の声が大きくなる。
(また、さっきみたいにビリっときて、目の前に白い光がちかちかするのが欲しい。早く、早く……)
お英の頭の中では、再び絶頂を迎えるための手段を模索している。
「んっ! んんっ!」
お英は、必死で身体をよじらせる。今は一人だから、大胆な姿勢を取ることができる。右手の中指を膣に突っ込んだ状態で、左手を胸に添える。そして、乳房全体を強く揉みながら、乳首を摘まみ上げる。
その瞬間、お英の全身に強い衝撃が走った。
(きた……これ……)
大丈夫、大丈夫、今は一人だから、思いっきりできるんだから…… お英は、一気に上り詰めることにした。
「あひっ……あんッ……あーッ」
お英の喘ぎ声が激しくなっていく。
「ひっ♡ あっ、あぁぁぁっ♡」
お英は、背中を大きく反らせた。
「あぁ……ぁ……っ」
お英は、脱力して天井を見つめた。膣内からは、大量の愛液が流れ出ていた。肩で息をしながら、呼吸を整える。
「はぁー……。凄かったぁ……」
お英は、寝台の上で仰向けになったまま動けなかった。
「でも、もうちょっと……何か違った……」
一人で気兼ねなく迎える絶頂は素晴らしく大きかったが、同時にどこか浅いものでもあった。どうしたら、もっと深い絶頂を得ることができるのか? お英は、そんなことを考えながら、くりくり、かりかりと乳首を刺激し続けた。
快感は少しずつ鈍くなっていって、いつしかお英は眠りへと落ちていった。
◆◆◆
三日後、このような瓦版が江戸に出回った。
『鼠小僧囚わる 市中引き回しの上
◆◆◆
青木源造は何とも合点がいかぬ顔つきだった。
源造は北町奉行所の定町廻り同心である。顔は四角く眼光鋭い、いかにも謹厳実直な役人といった風貌の男であった。
そんな彼もやはり、この報には驚いた。
鼠小僧が、北町奉行所に出頭してきたのだ。しかも、奉行の屋敷まで足を運んできたという。いや、それはいい。義賊と呼ばれる鼠小僧なら、そういうこともあるだろう。
奇っ怪なのは、お裁きが速すぎることであった。与力も同心も、誰も取り調べをしていないうちに、もう刑が決まったらしい。それも打首獄門、つまり首を斬って殺し、その首を晒すということだ。
これは異例中の異例のことである。
捕まったからといって、いきなり打首というのは、あまりにも乱暴すぎた。当然、与力や同心からさえ異論があがった。
「いくら何でも早すぎます」
「もう少し調べてからでも遅くはないでしょう」
源造も抗議に加わった。
「鼠小僧はまだ子供! それに畜生働きは濡れ衣かも知れぬのです! せめて、牢で取調べるくらいはせねばなりませぬ!」
しかし、北町奉行・中山
「いや、これでよい。これ以上の手緩さは必要ない。わしの命令だ! すぐに刑を執行する!」
こうなると、もはや源造にも誰にもどうすることもできない。出頭の二日後、お裁きの翌日には、鼠小僧は市中引き回しに処せられていた。
「うわあ……」
その様子を眺めながら、源造は思わず声をあげた。
異様な光景であった。人、人、人。人の山だ。通りに、暖簾の下に、二階に、屋根に。人々が鈴なりになって、遠巻きにして見ているのだ。
この当時、市中引き回しは一種の見世物であった。
源造は隣の岡っ引きに尋ねた。
「おい、この人の山は一体どこまで続くんだ?」
「へい、この伝馬町牢屋敷から、日本橋を超えて京橋までだと聞いておりやす」
「げぇ!?」
源造は仰天した。それはおよそ半里(約2km)の長さだ。
「それだけの人間が鼠小僧を見物に来たってのか……こんな大騒ぎになるとは、くそ、胸糞が悪いぜ」
「それが、いつもの
確かにその通りで、鼠小僧が出頭したのは一昨日のことである。
今は昼過ぎとは言え……
「……それだけ急で、なんでこんなに人が大勢集まる? ……おい、甘酒屋までいるじゃねえか。何だってんだよ」
「なんでも、昨日の夕方には瓦版が出回ったとかでして。『鼠小僧囚わる 市中引き回しの上 骨ヶ原にて打首獄門』とか」
「はあっ!?」
源造の叫び声を聞いた岡っ引は飛び上がった。
「なんです青木様! いきなり叫ばねえでくだせえよ! 声でけえんだから!」
「おめえ、それを早く言ってくれよ!!」
源造は慌てて鼠小僧の方を見た。鼠小僧は後ろ手に縄を掛けられて、馬の背に乗せられている。
「化粧までしてやがる……くそっ、こりゃどうも、一杯食わされたか……!?」
源造の目に映る鼠小僧は、美しい着物と髪を隠す頭巾を身に付け、薄化粧をして口紅まで差していた。いくら市中引き回しが見世物だと言え、限度というものがある。
「おのれ鼠小僧! 偽物と同じく、瓦版を使って江戸の庶民を操ったな! 許せん!! 」
源造はそう叫んだが、群衆が口々に上げる声にかき消されてしまう。
「ねずみさまー! 逃げてくだせえ!」
「ねずみ小僧、がんばれ!」
「ねずみ小僧、おらの女房を返してくれ!」
「おらの娘を嫁に貰ってくんろ!」
「ねずみ小僧、今度こそ年貢の納め時だぞ!」
「ねずみ小僧、死ぬなよ!」
「誰かねずみさまを救っておくれ!」
「おら、鼠小僧さんに一生付いて行くべ!」
「おらは鼠小僧の味方だど!」
「おらを弟子にしてけろ!」
「ねずみさまーッ!!!」
群集の声はますます大きくなっていく。
鼠小僧は馬上で首を巡らせ、嬉しげに微笑んだ。
「みんな、ありがとう」
その時、群衆の中から一人の女が進み出た。手には、位牌を持っている。
「鼠小僧! あたしは小石川の春日町、長崎屋の女房だよ! これはあんたに殺された娘の位牌だ! よく見ておくれ!」
その声に、鼠小僧は目を見開いた。
そして馬上から身を乗り出し、その位牌に触れようとする。当然、縛られているために手が届かない。それでも必死に手を伸ばそうとする。
群衆は静まり返っていた。
「そうだ! 鼠小僧は人殺しだよ!!」
静寂を破り、とんでもない大音声が響いた。声のした方に振り向いた源造が見たのは、整った顔立ちの美しい少女であった。蕎麦屋か何かの女中といった風体である。
しかし、その表情は厳しい。
「あんたが殺したのは、この娘だけじゃない。他にもたくさん殺しているじゃないか。小石川、神田、浅草、本所、深川、千住、上野……江戸中の金持ち宅に押し入って、罪もない子供まで殺した! しかも、それが自分の為だというから、なお悪い! 」
静まり返っていた群衆が、少しずつざわつき始めた。
「そ、そうだ……儂のせがれも、あの夜、鼠小僧に殺されちまった……」
「うちの子だってそうだ……! 『鼠参上』なんてふざけた書き置きをして……!」
「俺は……俺の家だって……」
「で、でも貧乏人を助けるためだったんでしょう? だから、仕方ないんじゃ……」
「……いやぁ、疫病神って奴かもしれねえなあ……?」
「……なんにせよ、お上に捕まっちまって、もう終わりだろうなあ」
「そうだ、終わりだ!」
「牢屋にぶち込まれる前に、こいつを殺してやる……!」
「おら、鼠小僧なんか怖かねえ!!」
「いいや、みんな間違っている! 鼠小僧は人殺しじゃあない!」
また、大音声が響いた。今度は男の声だ。声の主は若い男で、どこか〈洒落者〉の雰囲気が漂っていた。
「いいか、鼠小僧は、人殺しじゃあない! 殺さず、犯さず、貧しきからは盗らず! そうしておれ達貧乏人を救ってくれたんだ。これが本当の義賊なんだ。義賊の鼠小僧だ!」
群衆は再び静かになったが、やはりまた少しずつ声が上がりだす。
「そうだ、鼠様は米と味噌まで恵んでくださった……おかげで俺は病気が治った」
「おらにも、銭をくれたべ」
「おらにゃ、鼠小僧は神様みたいに見えるべ」
「あたい、鼠小僧さんのお嫁になるわ」
「おらもお嫁にもらってくんろ!」
「おらが鼠小僧さんの婿になってあげるけんね」
「うち、鼠小僧んお妾になりてえ」
「な、なんだってんだ……! コロコロ、コロコロ……!」
源造は、同心として確固たる信念を持つ男だ。だから右に左に揺れ動く
そこで、先程の蕎麦屋の女中が進み出て反論した。
「鼠小僧は人殺しじゃあない! だとお! だったら長崎屋の娘を殺したのは誰だってんでい! おめえの言うとおりなら、娘はなんで死んだんだよ! ええ! どこの誰のせいなんだよ! 言えるもんなら言ってみやがれ!」
「おいらじゃない!」
ついに、鼠小僧本人が叫んだ。
「おいらは誰も殺していない! これからも殺さない! 殺したのは〈にせ鼠小僧〉だ! 」
悲しいほど美しく、そして澄み上がった声音に、群衆がしん……と静まり返る。
源造は、鼠小僧の顔を見た。鼠小僧は美しかった。〈女……?〉とさえ思ったほどだ。
「偽物だと!」
「そうだ、あいつらはおいらの名を騙り、悪事を働いてきた。そのうえ瓦版屋と組んで、おいらの影に隠れて畜生働きを繰り返したんだ!」
ざわっと、群衆に動揺が広がる。
「瓦版屋と……? そりゃ一体どういう意味でい! 分かるように説明しやがれ!」
「何が言いたいのか分からねえぞ!」
「そうだそうだ!」
たまらず、源造が叫んだ。
「えーい、待て待て! 俺は北町奉行所の青木源造だ! お前らおかしいと思わんのか!」
源造にヤジが飛ぶ。
「なんだよ青木の旦那、何がおかしいんだ!」
「そうだそうだ!」
「ちったあ自分で考えろと言っておるのだ! 鼠小僧が盗みに入った次の朝には瓦版が出て飛ぶように売れる。なのに鼠小僧が殺しをした事は、瓦版どころか噂も流れない! どういう事か分からんのか!」
蕎麦屋の女中が負けじと言い返す。
「分っかんねえよ! どういうことだってのさ!」
「こんのウスラトンカチが! いいか、耳の穴かっぽじって良っく聞きゃあがれ!」
源造は大声で怒鳴った。
「
蕎麦屋の女中は、あっそうかと手を叩いて、納得いった様子を見せる。
「なるほどね、そういうことかい。あんた、頭良いじゃないか! おーいみんな、聞いたか! お侍様が言ってることが正しい! 悪いのは〈にせ鼠小僧〉と瓦版屋で、本物のねずみ様はずっと人助けをしてたってわけさ!」
それを聞いた群衆は、一斉にうおおおお!! という雄叫びを上げた。
「そうだ、鼠様は人殺しじゃない!」
「人殺しは偽物だ!」
「ネズミ様は正義の味方だ!!」
「そうだ、そうだ!」
「鼠様を助けろ!」
「鼠様に続けえ!」
「「「鼠小僧万歳!!」」」
「「「鼠小僧、鼠小僧!!」」」
「「「ねーずーみ! ねーずーみ!」」」
「「「ねーずーみ! ねーずーみ! ねーずーみ!」」」
群衆の叫びは、波紋のように伝馬町から日本橋を超えて京橋まで伝わり、地鳴りのように江戸を揺らす。
(こ、こいつら正気か……?)
源造は今度こそ、心の底から恐怖した。その場その場でコロコロ意見を変え、挙げ句の果てに盗人を正義の味方と呼んで神格化していく
源造は、ふと思った。自分はこれまで、何をしてきた? 定町廻り同心として町人の暮らしを守ってきた。しかし、守っているつもりでいただけだったのではないか。
こいつらの矛先が自分や、
そして、もし万一、自分が悪人で、〈殺してもいいやつ〉で、抵抗すら〈悪〉だと指を指されたら……。
◆◆◆
源造はつゆ知らぬことだが、その恐怖を共有するもの達がこの場にいた。すなわち、〈にせ鼠小僧〉たちである。金品を盗み、五歳の少女を集団で撲殺し、その罪を本物の鼠小僧に着せようとした、悪鬼の如き男たち。
彼らは、進退極まっていた。本物の鼠小僧がばら撒いた瓦版のせいで、
もはや、彼らに残された道は一つしかない。
(畜生、仕方ねえ、やるしかねえ!)
(ああ、鼠小僧をさらって、俺たちの操り人形にするしかねえ!)
(それか、本物に成り代わるかだ!)
(どっちにせよ、今だ、今やるしかねえ!)
(ああ、このままじゃ本物が町人どもに助けられちまう!)
悪漢たちは駆け出した。群衆をかき分け、邪魔な町人は殴り、蹴り飛ばし、突き飛ばす。
「なんだ手前ら!」
立ちはだかった青木という同心を一人が引き付け、他の二人が鼠小僧を抱えて走り出す。
「…………っ!」
「黙ってろ! 黙らないと殺すぞ!」
「逃げろ逃げろ!」
一目散に悪漢共は逃げる。恐ろしい群衆共は、今だけは味方だ。鼠様をお救いすると叫べばするすると道を開けてくれる。
鼠小僧の運命や
必死で逃げる悪漢共の背中を、見つめる二つの影があった。
「よっしゃ、行こうぜ太一郎兄貴!」
「気取られるなよ。熱くなりすぎるのがお雪ちゃんの欠点だ」
◆◆◆
江戸城、本丸にて。
「ふむ……」
本多左門守忠興は、目を細めて、じっくりと城下を眺めていた。
群衆たちの〈ねずみ様を守れ〉という声が、
「左門守殿、いかがなされた?」
聞いてきた別の旗本に、忠興はなあに、大したことはないと答え、内心ではこう呟いた。
(上手くやったな、太一郎。左衛門尉殿に頭を下げた甲斐があった)
それから、小声で唱えだす。
「隠密同心、心得之条……我が命我が物と思わず、武門之儀 飽くまで陰にて、己の器量を伏し、御下命 如何にても果す可し……尚、死して屍拾う者無し。死して屍拾う者無し。死して屍、拾う者無し……」
(続く)