けもケット11の、インテレオン受けアンソロジーに寄稿した作品の冒頭になります。

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アンソロの詳細はこちら。
https://twitter.com/sisikem/status/1510611967341658115


水滴石穿

 雨音が静かに響いている。

 人とポケモンが相違なく暮らす石造りの街中、日が暮れて暫くの夜。

 弱々しく点滅する街灯が寂しく外を照らしていた。外を歩く者は殆ど居らず、しかし家々の窓からは柔らかい光が漏れ出している。

 夜の石畳にさらさらと落ちる雨粒は、そんな家からの喧騒を打ち消していた。

 ラジオの音と共に聞こえる子供の笑い、それからコトコトと何かを煮込んでいるような温かな料理の音。

 そんな雨の中をひっそりと歩く誰かの水飛沫から、扉を開けて水をぽたぽたと垂らしながらアパートの中を歩く音まで。

 キィ、と蝶番が僅かに軋む。

 その体の手足は細枝のように細く、ふとした事で折れてしまいそうな程だ。

 頭からはヒレが、背中からは皮膜がマントのように生えている。また、手足より数倍も太い尻尾を持つその生き物は人ではなく、ポケモン。

 必要最低限と言うような細身の肉体を持つそのポケモンの種族名は、インテレオンと言った。

 また彼女は、この国のポケモンではなかった。この頃、際立って関係が悪化している隣国の出身であった。

「ふぅ……」

 雑然としたその自室。

 スン、と一度臭いを嗅いだ。

「……」

 何かに気付くが、そのまま提げていた袋、食料が入っているそれを下ろす。それから悠長に皺の寄ったタオルを手に取り体を拭った。如何に水タイプと言えど、びしょ濡れなまま屋内で過ごすのは流石に不都合だった。

 拭い終えると、それをハンガーに掛ける。同じようなタオルがもう幾枚も干されており、少しばかり臭い始めている。

 ……そろそろ洗わないと。

 衣服というものを基本必要としない種族であるが、このように洗濯物は少なからず出る。休日の予定は決まったな、と思いながらリビング兼寝室の扉を開けると、その自らのベッドにポケモンがだらしない格好で寝ていた。

 

*

 

 仰向けに、ここが我が家だと言うのように緩み切った表情で、体を大にして。身の丈程に長い舌をだらりと伸ばして眠っているそのポケモンはゲッコウガ。この国のポケモンであり、インテレオンとは親しい仲であった。

 それを見てインテレオンは、はぁと溜息を吐いてから呟いた。

「……今日の夕食はタンシチューかな」

 そう言ってキッチンから包丁を取りに行こうとすれば。

「うそうそ、起きてるって」

 ゲッコウガは跳び起きて、そう返した。

「ベッドにその涎まみれな舌を置かないでって何度言ってるか覚えてる?」

「今日で丁度300回だな」

「…………」

 妙なところで几帳面なゲッコウガが言うそれは、きっと事実だろう。自分好みな詫びの品を時々送ってくる事もあって、インテレオンはその行為をそれ以上強く咎める事もしていなかった。

「冷蔵庫にお前がほら、先日一緒に買い物に行った時に買い渋っていたヤツ、入ってるぞ」

「え、何だろう」

 開けてみれば、既に氷を入れ替えられたばかりのしっかりと冷たい空気が吐き出された。ゲッコウガが冷凍ビームで氷を作り直したのだろう。

 ゲッコウガの職業はそれだった。氷タイプではないが冷凍ビームを覚えている事、そして覚えられる種族としては素早く動き回れる事で、ヒメリの実や、それと同等の効果を発揮する薬を数多に忍ばせながら、日に日に幾多の家庭に氷を提供しているのだった。

 そして紙箱の中には、そのヒメリの実をアクセントにしたケーキともう一つ、ゲッコウガの好物であるカシブの実をふんだんに使ったケーキが入っていた。

 ケーキ屋の前を通った時に二度見した程度だったが、細かいところまで良く気付くものだ。

 ……本当に、ね。

 一瞬目を細める。

「俺がヒメリを避けているからって言って、そんな気にしなくて良いのに」

 ゲッコウガから声を掛けられてすぐに戻す。

「いや、私、あの時の事結構覚えているから……。別れられるかとも思ったもの」

 数え切れない程の家から店にまで氷を提供するゲッコウガは、働く日には幾つものヒメリの実を食べて食べて、ほぼそれだけで腹を満たしている。

 だから、ヒメリの実イコール仕事中と言う認識で、休みの時は極力見るのも避けていると言う。

 それを聞かなかった頃にヒメリの実をたっぷりと使った料理を出した時は、隠しきれない嫌悪の顔と共に、苦言を呈されたものだった。

「まあ、言わなかった俺も悪いからさ」

 嫌いなものや苦手なものを殆ど口に出す事のないゲッコウガは、強がりというよりかは、それを言う事が基本、場の空気を悪くする事を知っているようだった。

 ただ、ヒメリの実の料理のように、それが災いして遅過ぎる事もあったりするのだが。

「で、今日は何を作るんだ?」

「辛いもの」

 端的に答えると、ゲッコウガは提げていた買い物袋の中に入っていた食材をじっと眺めて、聞いてきた。

「煮込みか? 今からだと時間掛からないか?」

「だって貴方、来るって言ってなかったもの。私、明日休みだから好きに作ろうって思ってたのよ。

 でも、手早く済ませられるものにするわ」

「済まないな」

「まあ、良いわ。そういうの考えるのも料理の楽しみだから」

 インテレオンは指先に顎を乗せて少し考えてから、葉物を選んでざくざくと切り始めた。

 買ってきた煮込み用の肉ではなく、冷蔵庫から腸詰を取り出す。油を引いて香辛料の香りを弱火で引き出してから、その葉物と腸詰を一気に強火で炒め始める。

「良い匂いだな」

「ありがと」

 がたりと立ち上がる音がしたと思えば、ゲッコウガが買い物袋の中から勝手にパンを取り出すのが、冷蔵庫に吊るしてある鏡越しに見えた。

「俺もこれ、少し貰って良いか?」

「どうぞ」

 休日分を纏めて買っておいたのだけれど、という言葉は飲み込んだ。

 一緒に食べられるなら、些細な事だ。

 パンナイフを取りに隣にやってきたゲッコウガが、フライパンの中を一回じっと見てから戻っていく。

 後ろから、ガリガリと音が聞こえ始めた。

 

*

 

 食事は程なくして出来上がり、テーブルで向かい合って食べる。

「お、美味い」

「どういたしまして」

 しゃくしゃく。もぐもぐ。

 互いに無言になって、ゆっくりと料理を口に運ぶ。前を向けば、口を動かしながら糸目になっているゲッコウガ。

 美味いものを食べる時は決まってそうなっているのを見るのは、自分の手と口を止めてしまう程に好きだった。

 出会ってから少なくない時間を共に過ごしてきたし、時々肉体も交える間柄。

 前回はいつだったっけ、と思い返すと、まだ肌寒い時、数ヶ月も前の事だった。

「何考えてるんだ?」

 自分の手が止まっているのを見て、ゲッコウガが聞いてくる。

 だからと言って、関係が冷めている訳ではない。いや、肉体関係を持っていても熱は元からそこまで強くない、緩い関係であると言った方が正しいか。

「久々に……しない?」

 少しばかりの沈黙。それからゲッコウガは料理に目を落とした。

「何か入れたのか?」

 半ば冗談なその言葉。

「いや。そういう作用があるかどうかも知らないけど。単純に、気分」

「……まあ、今日は良い天気だしな」

 窓の方を見れば、柔らかい雨音に混じって、ぱつ、ぱつと窓を叩く音が絶え間なく響いてくる。

 水タイプ同士、雨が好きな天気である事は共通していた。

 食事に戻る。パンを千切って口に運ぶ。まだ焼かれてからそう時間の経っていないそのパンは、香り高く柔らかかった。

 そんなパンを食べるゲッコウガは、やはりまた糸目になっていた。

 

*

 

 食事を終えると、ケーキを小皿に、それ用の小さなフォークと共に出す。

 一口一口を小さく切り分けて丁寧に食べるインテレオンに対して、ゲッコウガは数口であっさりと食べて終えてしまう。

 こういうものは多少勿体なかろうが口の中を一杯にして食べるのが、ゲッコウガにとって最も至高なのだとか。

 そうして先に食べ終えたゲッコウガは、立ち上がると皿を重ね始める。

「皿は俺が洗っておくよ」

「ありがとうね」

 インテレオンが食べているケーキの小皿以外をシンクに持って行き、洗い始めた。

 泡立つ洗剤、流れる水の音。

 磨かれたシンク越しに、ゲッコウガの顔が僅かに見える。それはゲッコウガからしても同じだ。

 自分が料理をしていた時も同じように視界に入るようになっていた。

 そしてそれを、互いが口に出した事はなかった。

 −−写真立ての螺子。オルゴールの歯車とハンドル。工具箱の中の金具。ボードゲームの駒の一つ。

 他にもこの部屋にある様々なものを少しずつ取って組み立てると、インテレオンの本国との通信機になる。

 インテレオンはスパイだった。

 十年以上も前から、この国の市井に翻訳家として潜り込みながら数多の情報を収集し、それらを本国にひっそりと送っている。

 通信機は送信専用。本国から新たに命令が来る事もなければ、スパイ活動をする事に対して直接会うような同志も居ない。誰から褒められる事も貶される事もない。

 そんな木端ではあるが、歴としたスパイだった。

 そしてゲッコウガの事は、この国における秘密警察のようなものではないかと疑っていた。初めて会った時から、そして今となってはほぼ確信している。

 毎日のように家々を巡り歩くその職業も、実は国民の監視を兼ねたものであるのではないか。その細かいところに良く気付く性格も秘密警察としてはうってつけだ。そして自分と付き合っているのも、自分がスパイであると疑っているからではないか。

 こうして自らの家に好きに出入りさせるようになってからも、このアパートに散らばっている通信機の事はばれていないにしても、インテレオンはそう考えていた。

 それを確かめる方法は簡単だ。フォークと皿に触れている指先を、ゲッコウガに向けてみれば良い。この指先から発射される水鉄砲は、数メートルの距離ならば胴体をも容易く貫く。

 もし本当にゲッコウガが秘密警察ならば、皿洗いをしている最中でも即座に反応するだろう。

 けれど、そんな事は付き合って五年以上が経つと言うのに一度もしなかった。

 それは無駄な行動を起こさないに越した事はないと言う理由もあった。通信機の事が現状ばれる気配がないという理由もあった。

 しかしそれらよりも何よりも、インテレオンがゲッコウガの事を好いてしまっているという理由が最も強かった。この関係を終わらせたくなかった。




これの続きはいつか書こうと思ってる。

けもケット11

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