――浮遊島王城、玉座の間――
あいも変わらず玉座に主の姿は無い。さらには、その傍らにグローザムが控え、メフィラスが落ち着き無く歩き回っているのも同じである。
『そろそろ投入出来そうだな』
『ええ、実戦には耐えるでしょう。及第点とは言えるでしょうが、もう少し調整はしておきたいですねぇ』
ゾーリンデンではゼットンの慣らしに失敗したので、メフィラスはその後も手頃な都市に彼を伴って赴き、暴れさせていた。
ただし、初回の教訓から傅役であるメフィラスは余計な“遊び”を控えており、鎧の力に慣れさせる事に注力している。
『それにしても予想外だったのは、ゼットン君が洗脳に抵抗出来るほど強情だった事ですよ。
まさか、あんなにひねくれているとは思いもよりませんでした。おかげで余計な手間と時間がかかりましたよ』
メフィラスはうんざりした様子で吐き捨てた。
ゼットンは順調に鎧の妖力に侵されていったが、それには想定の数倍近い時間がかかっている。理由は単純、ゼットンの自我が想像よりも遥かに強固だったせいである。
そのおかげで洗脳に反抗して、思い通りに動かない事が多々あった。操られておきながら、生意気にも抵抗してきたのだ。
この事は大いにメフィラスを苛立たせたが、対策を取る前に鎧との相性が彼等の望むレベルに一応達したため、結局対策は取られなかった。
『お前の術をかけられて反抗出来るとは相当だな』
『まぁ、もう終わった事です。しかし、最後の仕上げは残っています』
『ああ、そうだったな。儀式のためにも、もっと絶望してもらわねばならんか』
『その通りです。趣向としては――』
メフィラスはそこまで言いかけたところで、地下への階段の方を見やった。
『――――大切な存在をその手にかけてもらうのは如何ですかね?』
ゼットンが拉致されてから一ヶ月が経った。
一向に彼は戻ってこないため、クレアは寂しさのあまり寝込んでしまい、主から精を与えられないためにエリカも衰弱して寝込んでしまった。そのため一人残ったリリーが屋敷を支えている。
「はぁ……」
今日の分の掃除を終えて台所にある椅子に腰掛けたリリーは、心底疲れた様子で溜息をついた。
尻尾も猫耳も力無く垂れてしまっており、勝手気ままなワーキャットとは思えないほど憂鬱な表情をしている。
「旦那様は一体どこに行ってしまわれたのニャ……」
主人が犯してくれなくなって久しいため、リリーは寂しさを感じていた。
(また前のように奥様の目を盗みながら、後背位で犯して欲しいニャー)
情事を繰り広げる二人は興奮し過ぎて周囲に気づかないほどだったが、その傍らには大概クレアがいて、二人の情事をしっかり観察している。
そして、終わると共にゼットンへ折檻を加えていたが、彼は『好きな女ほど意地悪したくなる』という事で、全くやめる気配が無かった。
一方のリリーも彼の濃厚な精の味が忘れられず、暇が出来る度に彼を誘うように尻尾を振り、主人もそれに応じてはメイドを物陰に引っ張り込んでいたのだ。
しかし、クレアという恐ろしい存在が近くにいるため、リリーは通常のワーキャットにありがちな万年発情期にはならないでおり、絶妙な関係を維持していたのだ。
(でも、このまま帰ってこニャいと、この屋敷は破綻してしまうニャ)
クレアが倒れた当初は、ベッドで夫の名をうわ言のように呟くばかりだった。しかも「ゼットンの精以外食べたくない」と言い張って食事を取らず、大食漢であるベルゼブブの体質も相まって数日で痩せ細ってしまった。
今はホルスタウロスミルクを主成分にした点滴を打ってどうにか健康を維持しているが、精神的にはまだ不安定である。
(――――やっぱり、あんな物に頼ったのが間違いだったんだニャ……)
ゼットンがクレアに勝てない事をコンプレックスにしていたのは、リリーもよく知っている。だからこそ彼の焦る気持ちは理解出来たし、恐らく正規の手段ではクレアに絶対勝てないであろう事も分かっていた。
皮肉にも、つがいになった相手が悪すぎたのだ。妻は魔物娘の中でも闘いのトップエリート“ディーヴァ”であり、インキュバス化して体躯が大きくなろうとも、その差は覆しようがないほど大きい。
魔法は使えず、武術の腕も良くて上の下と言ったところ。その程度の実力で、音速を超える速さで飛ぶ蝿女に敵うはずがない。
だからこそ、彼は正当でない手段に頼った。肉体も技術も成長の限界にきた以上、自分の伸び代はほぼ無い。
故に彼は“道具”に頼ったのだが、それが悲劇的な事態を招く破目になるとは夢にも思わなかっただろう。
(止めておけば、こんな事にニャらニャかったニャ。あんな物に関わったせいで、旦那様は攫われてしまったのニャ)
そんな折、ゼットンは自分の故郷に隠されていた物の存在を知る。
それは持ち主に絶大な力を与えてくれるというが、同時に呪いを与える代物だという。だが、故郷にあるという点に何かしらの運命を感じ、使う気になった。
そしてタイミング良くかつての故郷に魔王軍の一隊が侵攻し、制圧した。村人は散り散りとなったが、同時に無人となり、彼の邪魔をする者はいなくなった。
好機が到来した彼は、故郷の地下にあるダンジョンから呪われているという『鎧と槍』を手に入れたのだ。
(いくら凄い力があっても、持ち主が不幸にニャるニャら、無い方がマシニャ)
ゼットンが攫われたという事実を思い出す度、リリーは嫌になる。
いくら凄まじい力を籠めた品を得ようと、結局は使う暇も無くグローザムとかいう賊に敗れ、行方不明となった。しかもそれの在処を吐かせるために攫われたのだから、結果はクレアに勝つどころか余計な不幸を呼び込んだだけである。
そして、主があんな物に頼ろうとするのを止めなかった自分にも責任がある。主人を諌め、そのような手段に頼るべきでないと説得すれば、こんな事にならなかっただろう。
「……何か肌寒いニャ?」
季節は夏だが、陰気な事を考えていたせいか肌寒く感じる。
「寒いニャー」
急に冷えたせいか手がかじかんだので、リリーは両手に吐息を当てて温めた。
「こんな時に御主人様がいてくれれば、抱いて温めてくれたのにニャ~」
リリーはかつて主人と行なった激しい性交を思い出し、身悶えした。そのせいで淫靡な感覚を思い出し、ついついショーツの上から冷たい右手で股間を触ったが、途端に虚しい気持ちになったのでやめてしまった。
伴侶を得た魔物娘は、最早一人遊びでは満足出来ないのだ。
「はぁ、さむ……ん? 何か聞こえるニャ?」
虚しさを抱えたリリーは暫くの間ぼーっとしていたが、やがて錆びた金属同士が擦れるような音が耳に入り、我に返った。
外から聞こえる金属音は一定の間隔で鳴っており、しかも段々と屋敷に近づいてきている。そして、リリーはこの音をどこかで聞いたような気がするが、どうにも思い出せない。
「………………」
やがて、金属音は屋敷の正面扉の前で止んだ。リリーは台所から耳を澄ませて様子を窺っていたが、いきなり扉がバラバラになって吹き飛んだせいで、驚いて腰を抜かしてしまった。
「ニャアッ!」
『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛……ン』
扉が無くなり、煙の舞う入り口から重い足音を轟かせながら悠然と入る侵入者がいた。
リリーは椅子から転げ落ちたものの素早く起き上がり、まな板の上に置いてあった刺身包丁を取ると賊へ走り寄り、その前に立ちはだかった。
「何者だ!? ここを偉大なるディーヴァ、クレア様の屋敷と知っての狼藉……!?」
『………………』
「え……? だ、旦那様……?」
狼藉者を普段からは考えられないほど毅然とした態度で迎え討つリリー。だが、煙の晴れたところであらわになったその顔を見て、彼女は動揺を隠せなかった。
なにせ、この賊の顔は彼女が仕え、そして夫となった男にそっくりである。そして着込んだ黒い鎧も手に持つ双刃槍も件の品であり、これらの証拠より目の前の男はゼットン青年であるとしか言いようがない。
『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛……ン』
「………………!」
しかし、リリーの知る彼とはあまりにも違い過ぎていた。
爛々と光る瞳は血のように赤く、頬や首の所々には赤黒い痣が走り、美形とは言えないが愛嬌のある面構えも凶相となってしまっている。
そして、着込んだ鎧の関節が擦れることで時折軋む音が鳴る。リリーにはそれが彼のうめき声のように聞こえ、自分に助けを求めているようにさえ思えた。
「だ…旦那様……」
『………………』
変わり果てた主人を見て戸惑うリリー。しかし、ゼットンはそんな彼女の感情など慮る事無く槍を振りかぶり、このワーキャット目がけて振り下ろした。
「!!」
放たれた一撃自体はそこまで素早くなく、身のこなしの軽いワーキャットにとって避ける事は造作も無かった。
しかし、躱されてめり込んだ槍は一瞬衝撃を起こしたのち、木の床に大きな亀裂を作り、それが広間一帯に走った。それを見て、リリーは驚きを隠せない。
「……!」
リリーはゼットンが鍛錬を行なっているところをよく見ており、クレアとの勝負にもいつも付き添っていたため、主人の実力はよく知っている。
それ故、如何に腕力が自慢であっても、所詮は常人レベルでしかなかった以前の彼とは段違いの力に驚愕した。
「……下がってなよ」
「クレア様!?」
騒ぎを聞きつけてか、いつの間にかクレアがベッドから抜け出し、リリーの隣に現れていた。
病床の身故に顔は若干青白いが、可憐な容姿も戦士らしい凛々しさもまだ失ってはいない。
「アンタは裏口から逃げなさい。それと守備隊に念のため街の連中を避難させるように伝えて」
「で…でも……」
「巻き添えで死にたくないなら早くしなさい」
「……分かりましたニャ。奥様、どうか御無事で……」
リリーは指示に従い、台所の裏口へと走っていった。それを見届けたクレアは、変わり果てた夫の方へ向き直る。
「何かされたみたいだね……」
クレアはそう悲しそうに呟くと、大粒の涙を零した。攫われたと分かってから夫を思わぬ日は無く、流す涙は生きて再会出来た安堵と彼の身に起きた不幸など何も知らずに過ごした自分への憤りが混じった複雑なものであった。
『ク………レ………ア……』
ただ立ちすくみ、涙を流し続けるベルゼブブ。それを見たせいか、ゼットンはたどたどしいものの妻の名を口にした。
「!」
一ヶ月ぶりに聞く夫の声。嬉しさのあまりクレアはつい反応してしまい、安堵の笑みを浮かべてしまった。
『クレアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!』
しかし、彼が爛々と輝く赤い目を見開きながら放ったのは悲鳴、怨嗟の声、そして助けを求めているとも思えるような絶叫。
再会の喜びでなく、負の感情の爆発であった。
『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!』
「!!!!」
狂気じみた奇声をあげながら、ゼットンは槍を持ってクレアに襲いかかった。
(……速い!)
初撃は躱したが、それからも次々と繰り出される刺突や薙ぎ払いは出鱈目な速さで、且つ槍筋が正確であった。
それに加え階段や壁にかすっただけで抉る取るほどの威力、そして両端に刃を持つが故に倍危険で扱いの難しい双刃槍を苦も無く操る様は、クレアを驚嘆させた。
そして長槍による間合いの長さに阻まれ、病身では攻撃を加えるどころか避けるのが精一杯である。クレアが音速を超える速さで飛べると言っても、それは比較的広い空間でだけなのだ。
この広間の広さはせいぜい十二畳、そんな速さで動けば小回りなど利かず、壁や天井に自分を叩きつける破目になるだけである。
(強い……! 前とは比べ物になんない!)
ゼットンが強くなるのは妻として喜ばしい事だ。彼女は「自分より強い男を夫にしなさい」と両親と約束し、夫と会うまで忠実に守ってきた。
結局約束を破る事になってしまったが、彼を鍛える事で自分に届かないまでも強くしていく事を新しい目標として見出し、確実に強くなっていく彼を見てクレアは満足していた。
しかし、この『新しい目標』、単純だが深刻な問題があった。設定した到達点が夫婦それぞれで違っていたのである。クレアは『ゼットンの強さを出来る限り自分に近づける』のを目指していたのだ。
それに対し、ゼットンは『クレアと正面から闘い、打倒する』のを目指していた。
ゼットンの目標はほぼ実現不可能なレベルであったが、彼は実現に固執し、今の悲劇に繋がってしまったのだ。
「しょうがないなぁ。夫が外道に走ったら引き戻すのも妻の役目だし、やるしかないか」
クレアは両爪を突き合わせて金属音を鳴らし、首を数度左右に傾けてコキコキ鳴らした。夫婦故か、彼が何をしたいのか、そして彼に何をしてやれば良いのか悟ったのである。
「今日はちょっと本気出しちゃうよぉ。さぁゼットン、気が済むまでかかってきなよ」
「ニャ……何ニャのニャ、この有様は……」
屋敷の外に出たリリーは、目の前に広がる信じ難い光景に心を奪われ、歩みを止めてしまっていた。
これが主人の帰ってきた事に関係しているかは分からない。だが、連なる家々も、行き交う街の人々も北極の冬の猛吹雪の中にでも放り込まれたかのように凍りついて、一面の銀世界が広がっていたのである。
しばらくして我に返ったリリーが必死に街中を駆けずり回ったが、生者の姿は無い。リリーだけは吐く息が白くなり、肌寒いだけで済んでいるが、他は人間も魔物娘も皆氷の彫像と化して、凍った街路の上に飾られている。
ただ例外として、自分の暮らしていた屋敷のみが前と同じ姿を保っており、それが異様だった。
『ん? お前は凍っていないな?』
「!」
後ろから声が聞こえたが、この声を聞いた途端、リリーは心の奥底から怒りが沸いた。主を嘲った金属音を含んだ低い声は、忘れたくとも忘れようがない。
『何だ、その面は? 畜生風情が随分と生意気な態度を取るではないか。貴様も他の奴等のように凍らせてやってもいいのだぞ?』
声の方向に向き直ったリリーは、怒りによって毛が逆立ち、尻尾も耳もピンと張り詰めている。声の主はそれを不快に感じ、声に怒気が宿っている。
「グローザム……!」
『ほう、俺の名を知っているのか? 何故俺の事を知っているのかは分からんが、その態度は度し難いな!』
主人を攫った鎧の騎士グローザム。主人の仇である彼が15mほど先の十字路の中央に姿を現し、リリーを怒りの籠った視線で見据えている。
「よ、よくも旦那様をっ!!」
『旦那様?……成程、貴様が凍っていない事にようやく合点がいった。貴様はあの屋敷の使用人だな? 道理で無傷でいるわけだ』
「……!」
街一つ丸ごと凍結させておきながら、淡々と語るグローザム。魔物娘やインキュバスの命に対する認識は、彼女等を憎む教団ともまた違うようであった。
「何でこんな残酷な事を平然と出来るんだ! 街の皆が一体お前に何をしたっていうんだ!」
『クククク、それについては心配するな。適切な温度で温めれば、街も住人も無事元に戻るし、凍っている間は意識も苦痛も無い。
…もっとも、それも時間の問題だがな』
彼の言葉を信じるなら、ただ凍結させただけではないらしい。しかしながら、あまり時間もないようである。
『それともう一つの質問に答えてやろう。
確かにこの街の奴等は俺や仲間に何かしたわけでもない。それどころか俺達の存在すら知らないからな』
「だったらなんで……!」
『目の前に魔物がいる。そして魔物に魂を売り、共に暮らしている男達もいる。
これを断罪せぬ道理は無いだろう?』
「な……!?」
『罪人たる貴様等を野放しにはしておけん。よって俺が処刑したのだ!』
グローザムはそこまで告げると、リリー目がけて口から猛烈な冷気を吐いた。彼女は素早い身のこなしでそれを躱すと、一目散に逃げ出した。
『フン、見た目よりはすばしっこいようだな』
必死で逃げるリリーだが、グローザムは追いかけなかった。
『どちらにせよ、この街からは逃げられん』
「そうは問屋が卸さないよ」
『ぬっ!』
『こちらメフィラス。ゼットン君は細君と交戦中。思ったより押されてますねぇ』
グローザム同様、メフィラスもアイギアルムの街を訪れていた。グローザムが街の制圧を行なったのに対し、こちらはゼットン夫妻の闘いの監視の役目を担っている。
『グローザムよ、そちらの首尾は――――むっ、どうしたグローザム!?』
「賊は一人だけかと思ったが、もう一人いたとはのう。一石二鳥って奴じゃな」
「君の予想が当たったね」
『ほう、これはこれは……!』
備考:浮遊島
正式名称は『ネオヴァルハラ』。メフィラス達が拠点とする島長200km近い巨大な空の要塞。南極圏暗黒海域の上空約10000m、対流圏上層に存在する。
何故このような場所に造ったのかというと、自分達の存在を魔物娘達に発見されるのを恐れたからで、実際ブラックハーピーやワイバーンですら到達不可能。
島全体が極めて強力な防御フィールドで覆われており、ありとあらゆる攻撃や魔術的干渉を防いでいる。また、酸素の流出や有害な紫外線の吸収などの機能も備えており、これほどの高度にありながら地上と同様の環境を保っている。
島の中央には巨大な王城が聳え、ここに制御機能が集中する。地下には牢獄、そして動力炉を持ち、ここから生み出される魔力により島全体に浮遊魔術が掛かる仕組みとなっている。