一之瀬と再会してから二週間が過ぎた。
サークルもすぐに辞めて、親しい友人もいない俺は大学の講義を終えると、スーパーで夕食を買ってから帰宅する。
今日も俺の生活は変わらない。
ただ一つ、変わったところと言えば……
『仕事終わった♡ 今から帰るね♡』
一之瀬とLINEのやり取りをするようになったことだ。
結局、俺は悩みに悩んだ末に一之瀬と繋がりを持つことを選んだ。
彼女と関係を持てば面倒なことになる。
俺は面倒ごとが嫌いだ。
それでも一之瀬と繋がりを求めたのには、いくつかの理由がある。
メンヘラだけど見た目がタイプなこと。
あわよくばプライベートで肉体関係を持てるかもしれない、という下心。
結果的にDクラス堕ちの責任を彼女一人に押しつけてしまったことへの贖罪。
そして、一番の理由は、彼女を独りにしたままだと破滅しそうな予感がしたことだ。
一之瀬は一人暮らしだ。妹が高度育成に進学したので再会できるまで二年半もかかる。
いつから自傷行為をしているかわからないが、恐らく妹と離れてからではないかと俺は予想している。
高度育成高校の生徒は卒業するまで、家族だろうと外部との連絡を一切禁じられている。
一之瀬の生活から妹がいなくなったことで、彼女の心は壊れかけてしまったのだろう。
今の仕事を辞めれば自傷行為をしなくてもすむようになるかもしれないが、彼女には借金返済と妹の進学費用を貯めるという目的がある。
二つの目的を達成するには高収入を得る必要がある。
高卒二年目の若さでそれを達成するには、自分の身体を商売道具にするのが一番手っ取り早いので、一之瀬が風俗の仕事を辞めることはないだろう。
妹の代わりと大それたことは言えないが、話し相手や遊び相手になって彼女のストレスが少しでも減ればと思い、俺は彼女と関わることを決めた。
『お疲れ様。気をつけて帰れよ』
一之瀬と連絡を取り合うようになってから二週間。
最初の一週間はメッセージのやり取りのみだったが、最近は電話で話すようになった。
彼女は仕事が終わると必ずメッセージを送ってくるので帰宅するまで相手をして、就寝する前に電話をするのが日課になっている。
『ありがとう♡ 鈴木くんはもう夕食済ませた?』
一之瀬の返信はとにかく早い。
長めのメッセージでも必ず1分以内に返信が来る。
それとやたらと♡マークを使う。
元カノの麻子やセフレのあいつもよく♡マークを使うのだが、一之瀬が♡マークを使うイメージがなかったので、最初は違和感しかなかった。
『とっくに食べたよ。一之瀬は今日も総菜か?』
時刻は20時半過ぎ。一之瀬は20時までの勤務だが、部屋の後片付けや精算などするとお店を出るのは大体20時半を過ぎるらしい。
彼女とのやり取りで、ソープ嬢の一日の流れは大体わかってきた。
『うん。今日も料理する気力ありません泣』
それでも休日は自炊してるんだから偉いと思う。
俺も料理できなくはないが、休日でもやる気が起きず、常に宅配冷凍弁当をストックしている。
『だいぶお疲れのようだな。無理せず寝てもいいんだぞ』
ソープのお仕事は俺が思っているより体力を消耗するようで、電車で居眠りすることがあると一之瀬が言っていた。
それを聞いた俺は、とりあえず痴漢には気をつけろと彼女に忠告したのだが、すでに彼女は痴漢の被害に遭っていたようだ。
以前は9時から18時まで勤務していたようで、朝の通勤電車で頻繁に痴漢の被害に遭っていたらしい。
それが嫌で勤務時間を変えようとしたが、妹に転職したことをばれたくなかったので、妹が家を出ていくまで我慢していたとのことだった。
一之瀬には悪いが、あんなグラマラスな美女が電車にいたら、痴漢の餌食になってしまうのは自然の摂理だと思う。
『やだ! 鈴木くんとトークしてたいもん♡』
嬉しいことを言ってくれる。
これが彼女ではなく、二週間前に再会したばかりのクラスメイトなのだから驚きである。
『そっか。それじゃ居眠りせず俺の相手してくれよ』
俺はバラエティを見ながら、彼女が帰宅するまでLINEの相手をし続けた。
その日の0時過ぎ。
就寝前のルーティンとなっている、一之瀬との電話タイムだ。
『明日は16時に〇〇駅の改札口でいいんだよね?』
『そうだ。遅い時間で悪いな』
そう。明日は一之瀬と外出することになっている。
彼女の方から一緒に遊びたいと申し出があったので、二人の予定を合わせて、明日の夕方に待ち合わせすることになったのだ。
『ううん。大学があるから仕方ないよ』
『ありがとう。一之瀬は休みなんだよな?』
『だよ。でもやることあるからなんだかんだで夕方になっちゃうかな』
俺は土日休みで、一之瀬は平日休みなので、15時に講義が終わる金曜しか都合がつけられなかった。
『そっか。確かに一之瀬は休日も忙しくしてそうだよな』
『にゃはは。私ってそんなイメージ?』
『ああ。高校の頃もいつも予定入ってただろ?』
高校の頃。休日に麻子とショッピングモールに行くと、高確率で一之瀬と遭遇した。
面子はクラスメイトだったり、生徒会だったり、白波と二人だったりと、様々だった。
麻子は二人と仲良かったが、俺はそうでもなかったので、いつも気まずい思いをしたものだ。
『だねぇ……。でも今は基本引き籠ってるよ』
『撮り溜めしたアニメでも見てるのか?』
一之瀬は高校を卒業してから、妹の影響でアニメを観るようになったらしい。
3年ぶりに会った妹がガチのアニオタになってて、ちょっと引いてしまったとぼやいていた。
『うん。お金がかからないいい趣味でしょ?』
『だな。でも映画もアニメでよかったのか?』
明日は一緒に映画を観ることになっている。
映画館に行くのは2年ぶりなので、少しだけワクワクしているのは内緒である。
『もちろん! 鈴木くんも観てるアニメでしょ?』
『おう。全話観てたぞ』
俺もアニオタってほどじゃないが、アニメはそこそこ見ている。
一之瀬も言っていたが見るだけなら無料だ。
ただで面白いものが観れるのだから、観なきゃ損である。……映画はお金かかるけどな。
『私なんて妹に付き合わされて二周も見たよ』
『マジか。2クールを二周ってきついな……』
『でしょ。そのころ新社会人だったからけっこうきつかった……』
その後も30分ほど俺たちは、どうでもいいようなくだらない話をし続けた。
『あ、もうこんな時間っ!? そろそろ寝よっか』
『そうだな。それじゃおやすみ』
『おやすみ。……明日楽しみにしてるね』
『俺も楽しみにしてる。明日な』
『うん』
いつもは寂しそうな声でおやすみと言う一之瀬だったが、今晩は今にも歌いだしそうな弾んだ声だった気がした。
***
翌日。大学の講義を終えた俺はまっすぐ待ち合わせ場所に向かった。
予定より一本早い電車に乗れたおかげで、約束の時間の20分前に到着することが出来た。
音楽でも聴きながら時間を潰そうと思ったが、改札口に一之瀬がいることがわかった。
「あ、鈴木くん! お疲れ様」
俺に気づいた一之瀬が手を振ってくる。
直後に、彼女の近くにいた大学生らしき集団が離れていった。
恐らく一之瀬をナンパしようとしたところ、待ち人が来たのがわかって退散したのだろう。
「悪い。待たせたか?」
「ううん。私もさっき来たところだよ」
「そっか。変な男に声掛けられなかったか?」
もしかするとすでにナンパされていたかもしれない。
「え……? なんでわかったの?」
そりゃわかるよ。
こんだけ可愛い子が一人でいたら、ナンパされるに決まっている。
「……なんとなく」
「えー……」
俺の回答に不満なようで、一之瀬はちょっぴり恨めしい顔だ。
「ちゃんと理由言ってほしい」
「……言わないと駄目か?」
「だめ!」
「……まぁ、一之瀬みたいな可愛い子が一人でいたらナンパされるかと思って」
面と向かって女子に可愛いと言うのは、来るものがある。
「ありがとう。嬉しい!」
「事実だから」
「あともう一つ聞いてもいいかな?」
「なんだ?」
「今日の服、どうかな?」
一之瀬が両手を広げて服を見せつけてくる。
そんな彼女は、フリルのついたシアーグレーのトップスとブラックのホットパンツを合わせた夏らしいコーディネートだ。
スラリと伸びた脚が長くて美しく、スタイルの良さが強調されている。
髪形も普段と違い、後ろ髪を束ねて結び、肩の前に垂らしており、なんかエロイ感じがする。
「いいと思います」
「よかったぁ……。暑いから髪も結んでみたんだ」
「高校でも見たことない髪形だな」
「だって初めてだもん。髪も変じゃない?」
「変じゃない。似合ってる」
「ありがと。鈴木くんもかっこいいよ」
「……どうも」
白いTシャツにチノパンとありきたりなコーデだが、一之瀬は無難な格好が好きなのかもしれないな。
「それじゃいこっか」
「だな」
「でもまだ時間あるからお茶してから行く?」
「そうしよう」
俺たちは、喫茶店に寄りアイスコーヒーで身体を冷やしてから、映画館に向かった。
映画館は平日の16時だからか座席予約しなくても好きな席に座れるほどがらがらに空いていた。
俺は一之瀬を席に残し、ポップコーンと飲み物を購入した。
映画を観終わった後は居酒屋を予約しているので、ポップコーンはシェアすることにした。
120分ほどの作品だが、あっという間に時間が過ぎてしまった。
一之瀬も同じことを思っていたようで、映画館を出ると興奮しながら感想を述べてきた。
作品の面白さは熱く語るが、そこまでオタクじゃない俺たちはグッズを買うこともなく、そのまま居酒屋へ向かった。
***
入店して名前を告げると店員がすぐに個室に案内してくれた。
俺が予約したお店は全国展開している居酒屋のチェーン店だ。
「一之瀬はなに飲む?」
「うーん、とりあえずカルピスでいいかなー」
「お酒は飲まないのか?」
「まだ未成年だもん」
「そうだっけ?」
「そうだよ。もうすぐで20歳になるけどね」
「誕生日いつだ?」
「今月の20日だよ」
「もうすぐじゃん」
「うん」
あと二週間で誕生日なのか。
再会したばかりなので誕生日プレゼントを用意したほうがいいのか難しいところだ。
「じゃあ20歳になったら一緒にお酒飲むか?」
「……いいの?」
「ああ」
「約束だよ?」
「あいよ。それよりさっさと注文しようぜ」
「うん!」
俺はレモンサワーを注文し、料理は彼女に見繕ってもらった。
一之瀬は居酒屋に来店するのが初めてだったようで、注文システムに苦戦していたのが面白かった。
平日で空いているからか、飲み物も料理も注文してすぐに届けられた。
俺たちは他愛もない話で盛り上がり、楽しいひと時を過ごした。
気づくと入店してから二時間以上経っており、店員がラストオーダーを告げに来たことにより、もうすぐ楽しい時間が終わることに気づいた。
「鈴木くん、今日は本当にありがとうね!」
「こっちこそ」
「高校を卒業してから家族以外の人と外食するなんて初めてだったから……凄く楽しかった!」
「そっか」
お酒も飲んでいないのに一之瀬は俺よりハイテンションだ。
「あの、さっ」
「どうした?」
「あの、これ言うと鈴木くんに失礼だと思うんだけど……」
「別に怒らないから言ってみ?」
「……うん。あのね、鈴木くんが私と会ってくれるかどうか、半信半疑だったんだよね……」
申し訳なさそうに告白する一之瀬。
俺の機嫌が損なっていないか不安なようで、ちらちらと俺を見てくる。
「なんでそう思った?」
「言わなくても鈴木くんならわかってるでしょ」
そう言いながら、一之瀬は左手首を見せつけてきた。
「自傷癖がある風俗嬢なんて、完全に地雷でしょ? だから会ってくれるか不安で……」
「でも毎日やり取りしてただろ?」
「うん。でもブロックされたらそれでおしまいだし……」
「そっか」
「ごめんね。怒った?」
「ぜんぜん。それくらいで怒らないって」
「……本当に?」
「本当だよ。一之瀬がそう考えるのも仕方ないと思うし」
「ありがと。鈴木くんは本当に優しいね」
一之瀬は頬を紅潮させ、テーブルの上に置いていた俺の右手を、両手で優しく包み込んだ。
「あの……よかったら、私の話聞いてもらえるかな……?」
元からそのつもりだった。
一之瀬のことだからリストカットについて、打ち明けてくれると予想はしていた。
「ああ。聞くよ」
「えっと、何から話せばいいかな……。私がソープに勤めた理由は前に話したもんね」
「ゆっくりでいいぞ。でもゆっくりし過ぎると退店させられちゃうから気をつけてくれよ」
「もうっ……! 真面目な話なんだから茶化さないでよぉ……」
「悪い悪い」
「それじゃ話すね。私が――――――――――――――」
一之瀬はゆっくりと語り始めた。
彼女の心のバランスが崩れたのは風俗嬢に転職してから二ヶ月後のことだった。
いつも通り出勤するため部屋を出ようとした瞬間、ドアノブを握ったまま動けなくなってしまった。
その日は5分ほどで身体の自由が戻ったようだが、翌日からも異変は続いた。
家を出ようとすると頭痛がしたり、吐き気を催す。
幸い妹は一之瀬より早く家を出るので、気づかれることはなかった。
症状がさらに悪化したのは一週間後。
妹が予備校の合宿で三日ほど家を空けたタイミングだった。
今までの人生で感じたことがない、負の衝動が彼女を襲った。
恐らく慣れない仕事によるストレスが蓄積して彼女の心を蝕み、妹と離れてしまった状況も相まって、限界が来てしまったのだろう。
悲しさ。寂しさ。むなしさ。孤独感。無力感。絶望感。
すべての負の感情が彼女を追い込んだ。
その日は布団に包まって一日中過ごしたようだ。
とても仕事に行ける状態ではなく、妹が帰ってくるまで仕事を休み続けた。
人並みに空腹を感じられるようになり、一之瀬は二日ぶりに料理をした。
だがそれがきっかけで、彼女は自傷行為に走ってしまうことになる。
虚ろな状態だったからか、一之瀬は誤って包丁で指を切ってしまう。
普段はしないはずのミスをしてしまい、さらに気分が落ち込むかと思ったが、そんなことはなかった。
指から垂れる赤い血。
いつもならすぐに水で洗い流すのに、一之瀬はそれに見惚れてしまった。
そして気づいた。
自分の心が平穏を取り戻したことに。
訳がわからなかったが、一之瀬は安堵した。
これで普通に戻れる。
妹に頼りにされる一之瀬帆波に戻れるんだと。
しかし、負の衝動は不定期に襲い続けた。
自分が自傷行為に走るなんてありえない。
妹も亡くなった母親を悲しませてしまう。
一之瀬はなんとか踏みとどまろうとしたが――――――すでに手遅れだった。
彼女は知ってしまった。
負の衝動がいくら一之瀬を襲おうと、赤い血を見れば心の平穏を取り戻せることに。
一之瀬は中毒者のように、手首を切り続けた。
さらに妹が家を出て行ってしまい、負の衝動に襲われる回数が増えたことで、彼女の手首の傷跡は一日たりとも消えることはなくなった。
「……以上だよ。ごめんね、重たかったよね?」
重たかったし、これは居酒屋で話していい内容ではないな。
もう少し落ち着ける場所で話してもらえばよかった。……もう遅いけど。
「まあ、ある程度予想はしてたから」
「う、うん……。で、でもねっ、今は症状よくなってるんだよ?」
「病院でも通いだしたのか?」
「うん。同僚の子に勧められたメンタルクリニックに通ってるの」
「同僚の子?」
「……風俗って私みたいな子が多いから。あはは……」
確かに風俗嬢はメンヘラが多いと聞いたことがあるが本当だったんだな。
「じゃあ抗うつ剤でも飲んでるのか?」
「うん。一日一回飲んでるよ」
そう言いながら、一之瀬は鞄から薬を取り出した。
飲み忘れしないようにケースに入れている。
「効果ってあるのか?」
「多分あると思う。でもたまに切っちゃうこともあるから……」
「そっか」
薬を飲んだからと言ってすぐに治るわけではないのか。
一之瀬と付き合うにあたり、メンヘラについてはネットで色々と調べたけど、抗うつ剤についても調べたほうがよさそうだな。
「鈴木くんはリスカをやめろとか言わないの?」
「え? 言ったらやめてくれるのか?」
「それはわからないけど……」
「まあ、リスカはしないほうがいいと思うけど、それをしないともっと大変なことになるんだろ?」
「……うん」
「なら一之瀬の身体なんだし、一之瀬の好きにしていいと思う」
「…………え?」
「だって死にたいから切ってるわけじゃないだろ」
「……っ」
一之瀬は妹を残して自殺するほど馬鹿ではない。
借金返済や妹の進学費用を貯めるため、そのためにソープの仕事を続けられるよう、心のバランスを崩しても生きているのだ。
「……うん。私、死にたくないっ……死にたくないの……っ」
一之瀬は両手で顔を覆い、嗚咽を漏らす。
俺は彼女が泣き止むまで、頭を撫で続けた。
***
一之瀬が泣き止んだのは退店する5分前だった。
彼女がトイレでメイク直ししている間に会計を済ませた。
「やっぱり私も払うよ」
「いいって」
「でも……」
「一応俺も男なのでカッコつけさせてもらえると助かる」
「……わかった」
ようやくお札をお財布にしまってくれた。
「もう21時半か。そろそろ帰るか」
「……もう帰っちゃうの?」
俺のシャツを摘まみ、上目遣いで一之瀬が問う。
「だって一之瀬は明日仕事だろ?」
「明日は14時出勤にしてもらったよ」
一之瀬はお店の前だと言うのに、大きな果実を押しつけるように抱き着いてきた。
そして潤んだ瞳で、小さくて可愛らしい唇を動かして告げた。
「私、今日は帰りたくない」
次回はラブホでがっつりエッチ回です!