「ジェ、ジェントルー……!?」
「やあ、おはようユージ。今日もいい朝だな」
ジェントルーは爽やかな笑顔で挨拶をした。
「あ、ああ……おはよう」
ユージは冷や汗を流しながらも、なんとか返事をする。
ジェントルーは黒を基調とした怪盗衣装にマント、シルクハットを身につけた格好だ。目元はアイマスクで隠されている。
「どうやって入ったんだ? ここのセキュリティは……」
「男と女が同じベッドで寝て、セキュリティも何もあるものか。君は少し危機管理能力に欠けるのではないか?」
「い、いやまあ……それはそうなんだけど……」
国家元首が住んでいるのだから、警備も機械的セキュリティも万全なはずだ。それにも関わらず侵入を許してしまうとは。彼女と寝ている間に生体データを読み取られて、部屋の鍵を開けられたのだろうか。
「ところで、パンツくらい履いたらどうだ? 裸のままだと風邪を引くかもしれないぞ」
「えっ……?」
言われて初めて気づいた。ユージは全裸だった。
「あー……そうだな。うん、ありがとう」
「それとも、私にソレを咥えさせたいのかな。私は構わないが」
ちろりと舌なめずりする仕草は、まさに妖艶という言葉が相応しいものだった。シャロンよりも背が低く、体つきも華奢な分、かえって色っぽく見える気がする。
ユージは慌てて服を身に着けた。
黙っていたシャロンが口を開く。
「夫がお恥ずかしいところをお見せして申し訳ありません、泥棒さん。彼はわたくしに夢中で、あなたの事が目に入らなかったのです」
シャロンはユージの腰に手を回し、しなだれかかるような姿勢になった。
ジェントルーは鼻を鳴らして言う。
「だろうね。先程までの君たちの情事は見せてもらったよ。いや……凄まじいな。セックスとは、あんなにも激しく情熱的なものなのか」
ユージの顔が熱くなる。やはり、シャロンとの行為の一部始終を見られていたようだ。
一方、シャロンの方は涼しい顔をしていた。
「まぁ、見ていらしたんですか。ふふっ、お粗末なものをお見せしてしまいました。でも、旦那様の情熱的な愛を感じていただけたのでしたら幸いです」
「ああ、ユージはとても情熱的だよ。女好きで、ついでに浮気性だからな。なにしろ……」
そう言って、銀髪の少女は自らの未成熟な肢体に手を這わせた。その動作一つ一つがいやらしく見えるのはなぜだろう。
「こんな幼い身体でも、情熱的に求めてくれるんだ。まったく、困ったものだよ」
「それはあなたが魅力的過ぎるからですよ、ミス・ジェントルー。きっと世界中の男性が放っておきません。ユージさんでなくともね」
シャロンとジェントルーは和やかに話しているが、ユージはバチバチと火花が散る幻覚を見た。
「ところで泥棒さん、どういったご用件ですか? まさか、わたくしと旦那様の情事を覗き見に来られたのですか? それとも、何か用事でも? もしそうなら、お茶でも用意致しましょう」
「ああ、これは申し訳ない。名前も名乗らず失礼をした」
そう言うと、ジェントルーはシルクハットを脱ぎ、床に跪いて恭しく一礼した。
「お初にお目にかかる、シャンティア連合共和国の女王陛下。我は怪盗ジェントルー。あなたの夫であるユージに心を狙われている者だ」
シャロンは身体にシーツを巻き付け、ユージに寄り添いながらジェントルーに向き直る。
「ご丁寧な挨拶、痛み入ります。わたくしはシャンティア連合共和国の女王にして総統ユージの妻、シャロンと申します」
シャロンはユージの腕を抱き締めて、身体を密着させる。
(また挑発して……)
ユージは内心ため息をつきつつ、ジェントルーの出方を窺った。
「さすがはユージの伴侶だ。肝の座り方が違う。気に入ったよ」
「ありがとうございます。あなたこそ、なかなか素敵な方ではありませんか。その目隠しの下は、きっと美しい顔立ちなのでしょうね」
二人は社交辞令的な会話を交わすが、視線はぶつかり合ったままだった。
「それで、何の御用でしょう? まさか、わたくしたちの夫婦生活を邪魔するために来たわけではないですよね?」
「もちろんだとも。ユージへの報告がてら、女王陛下に怪盗としての私をアピールしようと思ってな」
「アピール……? わたくしに?」
「ああ。さきほど君が彼のモノを扱きながら聞き出していたように……」
「強調しないでくれ!」
ユージは悲鳴のような声を上げた。あの情けない姿を見られていたかと思えば、顔が赤くなる。
「……聞き出していたように、ユージのお陰で私は裏切り者だ。言うなれば、そう……就職活動のようなものだな」
「就職って……生活に不自由はさせてないつもりだけど……」
「確かにそうだが、いつまでも君の囲い女に甘んじているわけにはいかないだろう」
「囲い女……!?」
囲い女とは、こっそり別宅などに住まわせておく情婦、あるいはお妾さんだ。
「俺はそんなつもりじゃ……」
「いいや、事実だ。今の私はユージに飼われているようなもの。……そこでだ、まずは手始めに……」
そう言って、ジェントルーは懐に手を入れた。そして、何かを取り出す。
「これだ」
彼女が取り出したものを見て、ユージは思わず目を丸くしてしまった。
「そ、それ……!」
「そう、君の、君たちの結婚指輪だ」
それは、間違いなくユージたちが結婚式の時に交換した指輪だった。
ユージとシャロンは、慌てて左手の薬指を確かめた。
「に、偽物……! いつの間に……!」
「ジェントルー……なんでこんな事を……!」
ユージは怒りを込めて言った。シャロンはよほどショックだったのか、目を潤ませながら震えている。
「指輪……幸せを祈って贈る指輪を、こんな簡単に……! 信じられない……!」
「ハハハ……ユージが私を罠に嵌めた罰だよ。夫婦ならば、卑劣さの報いも共有すべきだ」
そう言って、ジェントルーは楽しげに笑っている。ユージは拳を握りしめながら、彼女を睨みつけた。
「ジェントルー、冗談で済むことと済まないことがあるぞ!」
「ほう? 私を騙して裏切りまでさせたのは、冗談で済むことだったのか? ユージはひどい男だな」
「ぐっ……!」
スパッと切り捨てられて、ユージは言葉に詰まる。ジェントルーの言う通りだ。彼女の気持ちを弄ぶようなことをしたのは事実だ。
「怪盗ジェントルーと化かし合いをしたいなら、この程度のことは笑って許せる度量が必要だぞ。……それとも。もし君が私を家族にしたいと言うならば、ケジメはつけなければならないと思うが?」
「……わかった。俺の負けだ。謝らせてくれ」
ユージは深呼吸をして、心を落ち着かせた。
「シャンティア連合共和国の総統としても、ただのユージとしても謝罪する。……すまなかった、ジェントルー。俺は君の好意を利用した。君が怒るのは当然だ」
「謝罪を受け入れよう。私もシャンティアの人々を傷つけ、今また女王陛下を傷つけた。これでおあいこだ」
そう言いながらも、ジェントルーは満足げな表情を浮かべていた。
「ユージ。君は国を盗み、今また私の心を狙う大泥棒だ。常にそういう気構えを持ってくれたまえ。……でなければ、私も盗まれがいがないよ」
ちょっと頬を染めて目を逸らしたジェントルーは、指輪をユージに差し出す。
「返すよ、ユージ。女王陛下にも迷惑をかけた」
ユージは一瞬迷ったが、結局受け取ることにした。ジェントルーの目を見つめながら答える。
「ありがとう、ジェントルー……。いや、これからもよろしく頼む」
「ああ、こちらこそ。怪盗と総統の戦いは、これで最後にしよう」
ユージはジェントルーの手から指輪を受け取り、シャロンに渡した。シャロンは両手で受け取り、胸に抱きしめるようにして涙を流す。
「ああ……よかった……本当に……うぅ……っ」
「ごめんな、シャロン」
「いいえ……ユージさんが悪いわけじゃ……申し訳ありません、わたくしが付いていながら……」
「気にすることはないよ。君は悪くない」
ユージはシャロンを慰め、左手の薬指に指輪を戻してやった。シャロンの宝石のような赤い瞳からは、後から後から止めどなく雫が溢れてくる。
「うっ……くっ……。ああ……っ」
「あの……その、シャロン陛下……すまない、あなたがそんなに悲しむとは思わなかったんだ」
ジェントルーは少し焦り気味にシャロンに話しかけるが、彼女は泣き止まない。
「ごめんなさい……ごめんなさい、ユージさん……わたくし、守れなくて……わたくしは強いのに、力があるのに、指輪さえ守れなくて……ごめんなさい、ごめんなさぃ……」
「シャロン、もう大丈夫だから。ほら、落ち着いて」
ユージはシャロンの背中を優しく撫で、子供をあやすように言う。シャロンに泣き止んで欲しくて、何度も繰り返して囁いた。
「大丈夫、大丈夫。君が泣く必要なんてないんだ。悪いのは俺とジェントルーなんだから」
「違うんです……違うんです……」
ユージは途方に暮れた。何が違うのか分からないが、とにかく彼女は泣いている。どうすればいいのだろう。助けを求めるようにジェントルーを見ると、彼女は軽く咳払いして言った。
「勝手な推測だが……陛下は恐らく、君を守りたいんだろう。何しろ君たちは世界中を敵に回しているからね。世界征服を志すということは、そういうことだ」
「俺を……そうか」
シャロンは、ギードラの化身としての自分に過剰なほど自信を持っている。自分は無敵だ、世界とも戦える、そう信じているらしい。
だからこそ、今回の出来事は堪えているのだろう。どんな敵が来てもユージを守ってみせる。そう思っていたが、ジェントルーには容易く指輪を盗まれてしまった。指輪がどうこうと言うより、盗まれた事実そのものがショックなのだ。
ユージはシャロンを抱きしめ、頭をぽんぽんと叩いてやる。
「ありがとう、シャロン。でも、君一人がそんなに頑張る必要はないんだ。俺だって男だし、イース様も、これからはジェントルーも俺を守ってくれる」
そうだろ、と目配せすると、ジェントルーはニヤリと笑って応えてくれた。
「任せてもらおう。私はユージに借りを作ったままではいられないのでね」
「……そうですか。わかりました」
ようやく落ち着きを取り戻したのか、シャロンはゆっくりと顔を上げた。
泣きはらした目でユージを見上げ、微笑む。
「わたくしも、もっと強くならなければいけませんね」
「いや、無理しなくても……」
「いいえ。ユージさんの伴侶として、シャンティアの後継者として、わたくしには力が必要なのです。もっと強い力が」
「うん……」
ユージはひとまず胸を撫で下ろした。何か引っかかるが、今はとりあえず置いておくことにしよう。
「シャロン陛下、改めて謝罪させて欲しい。私の浅慮のせいで、貴女を泣かせてしまった。本当に申し訳ない」
「いえ、もう気にしないでください。夫の咎を背負うのも、確かに妻の務めですから」
シャロンは少し恥ずかしそうな顔で言った。
「それで、ユージさんへの報告とは? 先程の様子だと、何か大事な事があったのでしょう?」
「ああ、実はね……」
ユージとジェントルーは互いに顔を見合わせ、同時に口を開いた。
「「レシピッピの再生方法について」」
見事にハモったのを聞いて、シャロンがくすくすを笑う。
「仲がよろしいのですね。わたくしも安心しました」
「フフ、恐縮です、女王陛下。……さて、本題に入る前に……」
ジェントルーは恥ずかしそうにしながら、ほっそりしたお腹に手を当てた。
「ユージ、悪いが朝食の準備を頼むよ。実は、昨夜から何も食べていないんだ……」
◆◆◆
「ぷいきゅあ? なによ、それ」
「プリキュアだよ、イース。それがレシピッピを再生する鍵……らしい」
「このクリスタルが? これが、ねぇ……」
イースは台座に固定された赤いクリスタルを見上げながら呟いた。
再建された旧ラビリンス本部にある、シャンティア中央研究所。そこにある研究室で、ユージとジェントルーはイースと落ち合った。
「あの、イース様」
「なんでしょうか、総統閣下」
ユージが話しかけると、軍服姿のイースはぷいと視線を逸らす。
今日のイースは、なんだか機嫌が悪かった。朝からずっと不貞腐れていて、ユージともほとんど口をきかない。私は怒ってるのよとアピールする態度だが、原因ははっきりしていた。
「イース、君の態度は感心しないな。いくら私がいるからといって、ユージをないがしろにするのはよくない」
イースが不機嫌なのは、ユージに寄り添うように立つジェントルーのせいだろう。
「フン、うるさいわね。だいたい、何よ、その格好は」
ジェントルーはいつもの黒いマントとシルクハットではなく、何故かメイド服に身を包んでいた。
華奢な身体は、膝丈のスカートとエプロンに包まれている。銀色の髪は高い位置でゴールデン・ポニーテールにまとめ、カチューシャを乗せていた。アイマスクを外して軽くメイクを施した彼女は、どこから見ても完璧な美少女メイドだ。
「世を忍ぶ仮の姿というところだ。似合っているだろう? ユージに選んでもらったのだ」
「へぇ……総統閣下が選んだってことは、アンタにぴったりのサイズだったのよねぇ? きっと身体の隅々まで知ってもらってるのよね?」
「外側はね。内側は、まあこれから知ってもらう予定だ」
「なっ……!」
イースが顔を真っ赤にして絶句するのを見て、ジェントルーは呆れたように言った。
「何を今更。私を誘惑するよう、君がユージに命令したのは知っているぞ」
「なっ……何を言う。私が総統閣下に命令するなどあり得ない」
イースは周りを見回しながら言う。研究員たちには聞こえてないはずだが、それでも気になるのだろう。
「下手な誤魔化しは止すがいい。自分が蒔いた種が実をつけたからと言って、ユージをないがしろにするのはお門違いだ」
「私がいつ総統閣下をないがしろにしたっていうの?」
「そうやって尊大な態度で本音を隠そうとするのは、君の良くない癖だぞ」
「偉そうに……。あんたが私に説教できる立場だと思ってるの? この犯罪者が」
ジェントルーは肩をすくめた。メイド服姿の彼女は、どこか優雅な雰囲気すら漂わせている。
「生憎だが、総統閣下のご判断で、私の罪は全て無かったことになった。私はブンドル団に潜入したスパイだったのだよ」
「へぇー、そぉ。安い作り話ね。誰が信じると思うの? 」
「信じようと信じまいと関係ない。ユージがそう決めたのだ。シャンティアが独裁国家である以上、彼の決定は絶対だ」
「かれぇ?」
イースはますます顔をしかめる。
ユージは二人の間に割って入った。二人の会話は平行線を辿るばかりで、このまま放っておけばいつまでも終わりそうにない。
「やめて下さい、イース様」
「総統閣下、イースとお呼び下さい。他のものに示しがつきません」
イースは、相変わらずツンとした口調で言う。ユージはため息をついた。
「……イース、君の言う通りだ。『例の件』について議論したいから、後で執務室に来るように」
そう言って、ユージは自分の耳を叩く。これは、イースに誘いをかける時のサインだ。
「……はい。総統閣下のご命令のままに」
イースはポッと赤くなって、少しだけ嬉しそうに答えた。
「露骨だな。そんなだから愛人という評判が立つのではないか?」
ジェントルーが皮肉っぽく言った。
(続く)