これは、ユージとシャロンの出会いの話。
時間は少し遡り、ユージとイースが崩落に巻き込まれた直後のことだ。
「うぅ……ここは一体……?」
目を覚ましたユージは、ゆっくりと体を起こした。手が冷たい何かに沈み込んで、バランスを崩しかける。ユージの落下を受け止めたのは、雪だった。
「め、迷宮の中に雪……? そんな馬鹿な……」
ユージは混乱しながら立ち上がる。そこは、迷宮の地下に造られた巨大な空洞だった。
「そうだ、確か俺達は……」
ユージは思い出したように自分の体をまさぐり始めた。落下の衝撃でどこか怪我をしていないか確認するためだった。
しかし、体に異常はない。
「よかった……どこも壊れていない。まだ、イース様のお役に立てる」
ほっと胸を撫で下ろし、周囲を観察してみる。
空間を照らす光は、天井ではなく床から発せられていた。数キロ四方はありそうな、広大な空洞である。
地面や壁面は凍りついて、ところどころに氷柱が突き出ている。ユージを受け止めた雪は、氷柱から剥がれ落ちたものだったようだ。
「あれは……」
ふと目を凝らせば、大空洞の中心に、うず高く雪が積もっている。
もしや、イースもあの雪に受け止められたのかもしれない。そう思って近づいて行くが、イースは見当たらない。
代わりに、雪に包まれた何かがあった。それはまるで……。
「でかい棺桶か?」
その棺桶のようなものは、よく見ると横倒しになった直方体であり、上蓋にあたる部分が開いている。
中を覗き込んでみると、そこには一人の少女が眠っていた。
「いや、これは……」
眠っているのではない。死んでいる。
死因はおそらく凍死だろう。呼吸は完全に止まっており、遺体の表面は霜で覆われ、あちこちの皮膚が裂け出血していた。
「まさか、シャンティアの王女なのか。1万2千年前に、この迷宮に閉じ込められたっていう……」
ユージは遺体を検めた。少女は全裸だった。何本ものケーブルが取付けられている。
察するに、この棺桶は生命維持装置のような物らしい。だが、何かの拍子に機能が停止して少女は凍死し、そのまま棺桶となってしまったようであった。
背丈よりも長い毛髪が、最後の防寒具だったのだろうか。雪のように白い髪をかき抱きながら、棺桶の中に横たわっていた。
恐ろしい死に方だと思った。だがそれ以上に、哀れみの気持ちを感じていた。
「一人ぼっちで死ぬなんて……王女に生まれても、結局は俺のような人間モドキと同じ運命だったんだな。かわいそうだ……」
ユージはそっと膝をつき、彼女の安らぎを願った。
◆◆◆
ふと見ると、少女の枕元には一冊のノートがあった。
「これは、上の壁画と同じ……」
地球と、迫りくる巨大な金色の星、ギードラ。
だがもっと細かく、写実的に描かれている。
ギードラの上には、無数の怪物たちがいる。
最も大きいのは、翼を拡げた竜のような怪物。
ような、というのは、そいつには首が三つあったからだ。
まるで地球を捕食するかのように、三つの首を持つ巨大生物が迫る様子が描かれている。
そして、金色の星に立ち向かう、六人の戦士たち。それぞれの顔は水滴でも落ちてきたのか、にじんで判別できなかった。
(ええと、プ………ア? キュ…………ム?)
ユージも知る文字で、恐らくは戦士の名前が記されている。だが書体が古すぎて、所々が読めなかった。
戦士たちは胸にバラ、背中に蝶々の羽を持っており、それぞれの色を輝かせながら戦っている。
桃、赤、黄、緑、青、そして紫。
そんな戦士たちを包み込むように、白い翼を広げた4人の天使の姿もある。
桃、青、黄、そして紫。
「……かっこいい」
にじんだ絵が、なぜか芸術には疎いユージの心を揺り動かした。
少女が描いたと思しき戦士たちを見ていると、なぜだか、勇気づけられるような気持ちになるのだ。
ユージは突き動かされるように周囲を観察し始めた。
寒い。体の芯まで冷え切ってしまいそうだが、自分の事など今はどうでもいい。
イースも一緒に落ちたはずなのだから。
(放っておけば、イース様も、この王女様みたいに凍死してしまう)
助けなければならない。イースは、ユージにとって最も大切な存在だ。命をかけてでも守るべき女性だ。
「イース様……!」
ユージは叫ぶように名前を呼んだ。返事はない。
「イース様!! どこにいらっしゃいますか!?」
もう一度呼びかけてみるが、やはり返答はなかった。代わりに、ユージの背後から声がした。
『……静かにしていただけませんか』
「イース様ァ!」
『お黙りなさい!』
「はい、申し訳ございませ……?」
はっ、とユージは振り向いた。そこには、先程の棺桶がある。
『……やっと気がつきましたか』
棺桶が、話しかけてくる。棺桶にしては、可憐な女の子の声だった。
「こ、この棺桶が喋っている……?」
『棺桶ではなく、生命維持装置ですが……ええ、そうです。その通り。わたくしはシャロンと申します』
ユージは口を開けたまま固まってしまった。シャロンと言えば、生命維持装置の中で凍死しているシャンティアの王女ではないか。
「し、しゃ、シャ、シャロン様ですか? まさか、雪の王国シャンティアの王女、シャロン様? 生きておられたのですか?!」
『そうです。今や、脳だけですが……。わたくしをご存知であるからには、この迷宮に妖星ギードラの欠片を狙って来られたのでしょう?』
「ギードラの、欠片……」
ユージはごくりと唾を飲み込んだ。それは、イースが探し求めているものだ。
「シャロン様……は、その在処をご存じなんですね?」
『もちろんです。この迷宮に運び込まれたギードラの欠片は、全てわたくしが回収致しましたから』
「えっ……?」
ユージは驚いて言葉を失う。
「で、では、宝物庫には……!」
『ありません。全て、わたくしの体内に埋め込まれています』
「なっ……!」
ユージは絶句した。それでは、イースがメビウスの命令を果たせない。
「な、なぜそのような事を!?」
『自ら望んだ事です。ギードラの化身となり、いつの日か、シャンティア王国を復興させるために』
「そんな……」
ユージは、がっくりとうなだれた。しかしすぐに顔を上げ、食い下がるように言う。
「シャロン様……私の主、イース様は、我らが〈ラビリンス〉の偉大なる総統、メビウス様のご命令により、ここに参られました。どうか、我ら〈ラビリンス〉にお力をお貸しください」
『ラビリンス……メビウス様のご命令……それはつまり、わたくしをここから連れ出し、わたくしを利用したい、ということでしょうか』
シャロンの声に、軽蔑の響きが混じった。
「は、はい。おっしゃる通りで……」
『わたくしは、メビウスなどという男を知りません。わたくしは、メビウスなる男の道具ではありません。わたくしはわたくしの意思で行動します。あなたやイースなる者のような操り人形とは違います」
ユージは頭に血が上るのを感じた。聞き捨てならない言葉があった。
「イース様は操り人形なんかじゃない!!」
『そうですか。なら、これは何ですか』
シャロンの声は、まさに氷のようだった。
装置が金色に光ったかと思うと、次の瞬間、目の前にイースが現れた。
「イース様?!」
力なく倒れるイースを、咄嗟にユージが抱き留める。と、イースの首があらぬ方向にぷらんと揺れた。
「あ……え……イース様……?」
ユージは、イースの顔を見た。眼球はぐるりと裏返り、唇は紫を通り越して白くなり、端からあぶくが漏れ出していた。
どう見ても、死んでいた。
『あなたと共にこの大空洞に落下し、首の骨を折ったのです。即死でしたよ』
「あ……あ……イース様? ……イース様……イース様ぁああああああ! うああああああ!!!」
ユージは絶叫した。
『メビウスとやらの命令で動かされ、何故死ぬのかも分からず、看取る者もなく死んだ。これが操り人形でなくて何なのです』
「うううううう」
涙が溢れ出す。悲しみのあまり、嗚咽が止まらない。
「うううう……ううううううううう」
ユージの叫びが大空洞に反響する。亡骸にすがり、死の冷たさを感じながら、ユージは泣き続けた。
『……泣くのですか。あなたは、涙を流せるのですか。あなたの体は、人間のそれではないはずなのに……』
「うう……俺は……」
ユージは答えられなかった。確かに、ユージは純粋な人間ではない。だが、彼は既に、イースへの愛を知ってしまった。その気持ちだけは、誰にも否定できない。
『……あなたは先程、わたくしのために膝を折って、祈ってくれましたね。操り人形などと、言うべきではありませんでした。ご無礼を謝罪いたします』
シャロンは、落ち着いた声で言った。
『お名前を聞かせていただけますか。あなたが何者か、わたくしは知りたいのです』
「ううっ……う………………俺の名は、ユージ。ラビリンスの美しき幹部、イース様のしもべ……」
ユージの声は震えていた。
「国民番号はGOP-9362061ですが、ユージ……それが俺の名です。ユージと呼んで下さい……」
『ユージ……。ユージさん……。ふふ……♪ 人の名前を聞いたのは、1万2千年振りです。まるで、シャンティアに帰ってきたかのよう……♪』
感情が籠もったシャロンの声は、音楽のようにすべすべとした美しい声音だった。ユージは涙を流したまま、彼女の声に聞き入っていた。
『1万2千年……ふふふ……♪ このまま、一人で死んでいくのだと思っていましたが……。わたくしの心にも、まだ希望という花が残っていたのですね……♪』
ユージは、何も言えないまま、イースの亡骸を抱いていた。シャロンの声が、歌うように囁いてくる。
『ユージさん。もし、
「……え?」
ユージは耳を疑った。
「ほ、本当ですか? イース様を、蘇らせてくれるんですか?」
『はい』
「で、できるのか……本当に……」
『もちろん。妖星ギードラの力ならば、彼女の傷を癒やし、魂を引き戻すも容易いことです』
「な、ならば、お願い……お願いします! 俺の命と引き換えにしてもいい……!」
ユージはそう叫んだが、すぐにシャロンが煽るように言う。
『本当でしょうか? イースとかいう、その死骸を蘇生させるのに、本当に命を差し出せるのですか? 無理ですよね? わたくしを連れて戻れば、ラビリンスでの栄達は思いのまま。イースより美しく、あなたを愛してくれる妻を迎えることだって……』
「うるさい! 黙れ!!」
ユージは、シャロンの装置を殴りつけた。表面にヒビが入り、ランプがチカチカと点滅する。
『痛いです……。ユージさん、暴力はいけません』
「黙ってろ! 俺の命が欲しいならさっさと持っていけ! それとも嘘なのか!! イース様の死を弄んだのなら、絶対に許さないぞ!!!」
喉が裂けるくらいの大音量だった。しかしシャロンは全く動じていないようだ。声に、慈しみの気配が混ざる。
『ふふふ……絶対に許さない、だなんて。その人のために怒っているのですね。ユージさんの想いが、痛いほど伝わってきます……♪』
「当たり前だ……ラビリンスも栄達も知ったことか! この世で一番大切なのはイース様だ!」
『そうですか。ならば、この装置の中へいらして下さい。そこで、あなたの魂をわたくしに捧げるのです』
イースの亡骸に、ユージは自分の外套をかけた。
「待っていて下さい、イース様」
言われた通り装置の中に潜り込み、シャロンの死骸と対面する。脳だけは生きていると言っていたが、どう見ても凍死体だ。
「どうすればいい」
『簡単です。装置の電源を入れ、わたくしに口づけをしてください。そして、わたくしの胎内にあなたの精液を流し込むのです』
「せいえき……!?」
ユージは動揺した。合成人間であるユージは、性行為などしたことはない。もちろん、自慰行為もだ。
『そうです。あなたの生命エネルギーを含んだ体液を、わたくしの子宮に送り込んでください。そうすれば、わたくしの中にあるギードラの欠片は活性化し、イースとやらを蘇生させることができましょう』
「い、命を捧げるんじゃなかったのか?」
『命を差し出せなんて、
「こ、このクソ女……!」
『お褒めの言葉、ありがとうございます』
ユージは怒ったが、シャロンはどこ吹く風といった様子だ。
『ユージさん、わたくしが欲しいのは、あなたの魂。イースを愛するあなたが、イースのために、わたくしのような凍死体に精液を注ぐのです。イースを愛する心さえも、わたくしに捧げて下さい。イース以外の全てを、わたくしに捧げて欲しいのです。できますか? それとも、できませんか?』
「……やる」
ユージは呟くと、シャロンの冷たい唇に、自分の唇を重ねた。
(続く)