深夜。
その夜は遅くまでパーティーが続いた。ようやく解放されたユージは、執務室でひとりシャロンへの手紙を書いていた。内容は今日のパーティーについてである。参列者の中で特に印象に残った人物は誰かといったこと、ココが自分の前に膝をついたこと、そして彼から贈り物を受け取ったことなどを書いていく。
「ふあ~あ……」
さすがに疲れたのだろう、少し眠気を感じていた。時計を見ると午前0時を指し示している。小腹が空いたな……と思った時、ドアがノックされた。
どうぞ、と言うと入ってきたのはジェントルーだった。手に持ったお盆には、湯気を立てるカップとお菓子が載っている。コーヒーの香りだ。
「どうだ、手紙は書けたか? まだなら私とコーヒータイムでも楽しまないか?」
彼女はまだ燕尾服のままだ。きっと自分のために着替えずに来たのだろう。それが嬉しくもあり、申し訳なくもあった。
「ありがとう、いただくよ」
受け取ったコーヒーを啜りながら、しばし歓談の時間を過ごす。ソファで寄り添って座り、他愛もない話をしながら互いの体を撫で回したりしているうちに、次第に気分が高揚してきた。
「ジェントルー……キスしてくれないか」
「さて、どうしようかな……ふふ、まあいいだろう」
口を開くと、可愛い女執事は嬉々として口付けてきた。熱心にリップ音を奏でながら何度も唇を重ねてくる。それを受け入れていると、徐々に理性が薄れていくようだ。銀の髪にそっと指を通しながら、その柔らかい感触を楽しむ。
「んむ……ちゅぷ……♡ 手、震えているぞ? ふふっ、可愛い奴だ」
こうして間近に見ると、本当に整った顔立ちをしている。今日は脇役として目立たないメイクをしているが、長い睫毛に、大きな瞳、そして薄い唇と、一つ一つのパーツが芸術品のように美しく配置されている。眉毛が少し太めなのもチャームポイントだ。
「ほら、舌を出してみろ」
言われるままに差し出すと、優しく舐め取られる。そのまま唇を塞がれると同時に舌を入れられ、口内を舐め尽くされる。
「んっ……くちゅっ……じゅるっ……♡ れろぉ……♡」
手袋を外した両手は、その細さと裏腹に力強かった。ぎゅっと抱きしめられたまま舌を絡め取られ、唾液を流し込まれる。飲み込めなかった分が口の端から溢れるが、お構いなしに貪られ続ける。
「はっ、はぁーっ♡ ふぅーッ♡ んむっ♡」
鼻息荒くキスを続けること10分ほどだろうか。彼女の目は蕩けきっており、どこか焦点が定まっていないようにさえ見える。
まるでユージという存在を求めるかのように縋り付いてくる。
「ぷは、ジェントルー……熱が入りすぎだよ。やっぱり嫉妬してるのか。俺とイース様の婚約パーティー」
「悪いか? 友人の幸せを願うのと、君を抱きしめたくなることは矛盾しないと思うが」
うそぶいて、ユージの胸に顔を埋めて頬ずりしてくる。その表情は見えないが、耳まで真っ赤になっているのが分かった。それを見てユージは思わずニヤけてしまう。ジェントルーほどの美しさを持つ少女が、自分に夢中になっているのだと思うとたまらなかった。
「ジェントルー、好きだよ」
「……うん」
素直に頷く彼女が可愛くてたまらない。そっと顎を持ち上げると、潤んだ瞳で見つめ返してきた。その瞳の奥に潜む愛情を引き出したくなる。
「なあ、俺は君の心を盗めたかな。俺だけのものにできたかな?」
「……その質問の答えは、もう少し引き伸ばしたい」
目を伏せて呟く彼女をソファに押し倒し、抗議の意思を込めて見つめる。すると観念したのか、小さな声で告白した。
「あ……き、君が私を好んでくれているのは分かってる……好きだと、愛してると何度も言ってもらった……私の気持ちも、きっと君に伝わっていると信じている……でも……」
その先は言葉にならなかったらしい。再び俯いてしまった彼女を安心させるべく肩を抱くと、そっと抱き返される。しばらく沈黙が流れた後、不意に耳元で囁かれた。
「怖いんだ、言葉にするのは……嘘に変わってしまいそうだから……だから、私が『私』を、自分のものにするまでは……どうか、待ってほしい……」
「分かった。ごめん、ワガママ言って……」
そう言いながら、ユージは彼女の頬に軽くキスをした。するとジェントルーもそっと目を閉じて応える。お互いの実在を確かめるかのような行為に、胸の高鳴りと、少しの虚しさを感じてしまう。
惹かれ合っているのは間違いないのだ。だが作られた人間同士、どこか自分自身を信じられないのかも知れない。自分が相手を受け止められると信じられない。イースやシャロンが当たり前に持っている、人間としての『核』のようなものがない。
「ん……キス、もっとしてくれ……♡」
しかし今はこれでいい。互いを思う気持ちが確かならば、それでいいではないか──ユージはそう自分に言い聞かせるのだった。
◆◆◆
ジェントルーを帰らせた後、ユージはまた筆を走らせ始めた。報告は終わり、シャロンへの愛を綴るのだ。
──シャロン、俺は幸せだよ。何もかも君のおかげだ。イース様と結ばれたのも、それを皆が祝福してくれるのも。もちろん、ジェントルーやドリームの事だってそうだ。何もかも君が俺を選んでくれたおかげなんだ。ありがとう、愛してる。
そこまで書いて、少し躊躇う。だが思い切って続きを書いた。
──でも、俺は不安なんだ。どうか無事に帰ってきてほしい。君が無敵の力を持っていることは知っているけど、それでも心配してしまうんだ。負けてもいい。どうか、無事に帰ってきてくれ。どんなに幸福でも、君なしで生きる人生なんて考えられない。俺が俺でいられるのは、君と共にあるからだ。愛しているよ、シャロン──
書き終えて筆を置く。午前2時だ。
大きく息を吐き、背もたれに体を預けた。窓の外に目をやれば、星1つ無い真っ暗な空が広がっている。明日は雨になるかもしれないなと思いながら目を閉じる。
ふと、部屋の隅に気配を感じた。慌てて振り向く。
そこにはイースが立っていた。婚約者の姿を見た途端、顔が赤くなるのを感じる。今の今まで手紙に気をとられ、全く気づかなかったのだ。
「い、いつからそこに……」
「ついさっきよ」
それだけ言って近づいてくる。
イースはゆっくりと歩み寄ってくる。茨をイメージしたドレスに身を包んだその姿は美しく蠱惑的だったが、ユージはどこか違和感のようなものを感じていた。疲れているのかと思い、目をこすってみるが違和感は消えない。やがてイースが目の前に来たかと思うと、ふわりと抱きついてきた。そして囁くように問いかける。
「どうしたの? 浮かない顔ね」
「あ、いや別に……」
「嘘ばっかり」
そう言って笑う彼女から、得も言われぬ良い香りが漂ってくる。その香りのせいか頭がクラクラしてきた気がした。何か、おかしいような気がする。いや、確実に変だ。そうは思うものの、何が変なのか分からない。ユージは混乱したまま問いかけた。
「イース様、先に帰ったんじゃ? なんでまだ官邸に?」
「……待ってたのよ、あなたを」
耳元で囁かれる声は甘く、まるで毒のように耳を犯していく。何かがおかしいと思う一方で、脳味噌が痺れるような快美感を覚えてもいた。それが余計に疑念を強めるが、思考が上手くまとまらない。
「ねぇ……ココ陛下からの贈り物を見せてくれない?」
「……? 『キュアモ』ですか?」
「そう、それよ」
言われるままに、ポケットからその機械を取り出す。その外見はやはりレトロなもので、とても神秘的な力を持つようには見えない。蝶と薔薇のレリーフが施されたそれは掌サイズで、全体的に丸みを帯びていた。操作面には大きなボタンが3つ付いているだけである。
「これがどうしたんです?」
「見せて」
促されるまま、起動スイッチと思しきボタンを押して見せる。だが何も起きない。
「ココ陛下はこれを、あなたに送ったのよね」
「ええ、まあ……」
その通りだが、正確にはドリームのためだった。ダークプリキュアによって恐怖を植え付けられた彼女は、戦えなくなってしまった。普段は明るく振る舞っているが、戦いを意識すると震えだし動けなくなってしまう。変身すらできなくなるのだ。
「ふうん……」
「このキュアモは、あの子のオリジナルが使っていた変身アイテムだから、何かの役に立てばと……何も起こらなかったんですけど」
ドリーム自身は、このキュアモについて知らないと言っていた。彼女がコピーされた時、オリジナルは『ピンキーキャッチュ』というブレスレット型の変身アイテムを使っていたらしい。
『……私、もう一度変身したい。私はあの子のコピーなんだから、みんなの夢を守らなきゃ。でも、何も起きない。私には何も出来ないんだ……』
カチカチと何度もスイッチを押し込みながら、ドリームは泣いていた。気まずそうなココの顔を思い出すと申し訳ない気持ちになる。
(ダークプリキュアは今何をしてるんだろう)
直接ドリームに暴行したのはダークプリキュアだが、その責任はユージにある。ユージがダークプリキュアの心を雁字搦めに縛り、いいように使役した結果が彼女の暴走だ。事実はともかく、ユージはそのように認識していた。
ヴーッ、ヴーッ。
ユージの手の中で、キュアモが振動した。誰かからの着信を知らせるように鳴動している。
「ふうん。じゃあ、ドリームは変身できないのね。
「えっ……」
不意にそう言ったイースを、ユージは思わず見つめた。その顔は笑っていたが、目が笑っていないことに気がつく。ぶわりと甘い匂いが強くなったような気がした。頭の奥がじんとしびれたような感覚に襲われる。
「お前がダークプリキュアを追い詰めたせいで、あの子は変身できなくなったんでしょ? なのにお前はのうのうと、幸せに暮らしてる。本当にそれでいいと思ってるの?」
「そ、それは……」
嬲るように言葉を紡ぎながら、ゆっくりと顔を近づけてくるイース。匂いが鼻腔をくすぐるたびに、意識が遠のいていくような感覚を覚える。心臓が早鐘を打ち始めた。鼓動の音が鼓膜に響くほどの音量で鳴り始める。
「本当はお前も分かってるんでしょう? 自分のしていることが間違ってるって。
「そんな……」
否定しようとしても言葉が出ない。喉からは掠れたような息しか漏れない。思考能力が低下しているのか、頭に靄がかかったようにぼんやりとしてくる。
「お前さえいなければ、ラビリンスの国民はずっと幸せに生きられた! メビウス様に正しく支配され、永遠の幸せを手に入れられた! それを潰したお前に──」
イースの糾弾は続く。正気なら一笑に付すような内容も、今は妙に真実味を帯びているように聞こえるから不思議だ。いや、もしかしたら実際にそうなのかもしれない。
(俺は……俺は──)
「さあ、それを、渡せ。そうすれば楽になれるわ」
甘い言葉が耳朶を打つ。イースの糾弾は、いつの間にか甘い誘惑に変わっていた。心の底まで蕩かされそうになる。それでもユージは必死で抗った。
「嫌だ……俺は、正しい事をしたんだ……!」
ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ。
キュアモの振動が強くなる。早く出ろと言わんばかりに、激しく震えている。
「そう? そうだと言うなら、もうこの国はお前のモノ。ドリームも、その変身アイテムもお前のモノ。なら、婚約者である私がどうしようと勝手でしょ? 私の自由だわ」
「…………………………!!!」
その言葉は、イースという一人の人間に対する侮辱だった。
ユージは激怒した。声も出ないほど激昂し、我を忘れた。本能に従ってキュアモを開くと、その表面にある薔薇のマークを押し込む。すると画面が輝き、そこから無数の花弁が溢れ出した!
「……ッ!?」
驚いたような声をあげるイース。薔薇の強烈な匂いが鼻孔を満たし、ユージの思考をクリアにする。同時に、イースの肌が徐々に干からびていくのが見えた。
「あ……あああああ……ッ」
「お前は誰だ! イース様の姿を真似た化け物め!」
思い切りイースを殴りつける。ガツッと鈍い音がした。人間を殴った感触ではなかった。
「イース様は、そんな事言わない……! 俺やみんなの幸せを願ってくれる人なんだ。他人の幸せを奪おうとする、薄汚い怪物なんかじゃないっ!」
「──ッ、我が名はイース。それを渡せ! ──わがなはイース。それ、わたせ!! ────ワガナハイース! ソレ、ワターセ!!!」
イースを名乗る女──否、イースの姿をした何か──は叫ぶと同時に破裂した。
肌が枯れ木のように裂け、中から3メートル大の怪物が現れる。植物の球根と葉を組み合わせたような胴体に黒一色の亀裂が走り、赤い一つ目が輝いている。
亀裂の下部、つまり股間にあたる部分から、イースの顔が生えていた。
「まさかのソレワターセか……イース様の顔を、そんな事に使いやがって……っ!」
『ソレワターセー!!』
イースの声で絶叫しながら、植物の化け物──ソレワターセは襲いかかってきた。反射的に横に飛び退いてかわす。さらに繰り出された追撃を、体をひねって床に転がる事で回避した。背後で床が崩れる音を聞きながら素早く立ち上がる。
とにかく今は逃げるしかない。 ユージとて、元はイースに仕えた潜入工作員。ましてここは総統の執務室だ。逃げる手段は備えてある。
「開け!」
叫ぶと同時、声紋認証で床の一部が開いた。
『ソレワターセー!!』
振り下ろされるパンチをダイブして避け、そのまま穴の中に転がり込んで扉を閉める。直後、凄まじい衝撃と共に扉がひしゃげた。扉越しに感じる圧力だけでも分かる。あんなものを受けたらひとたまりもない。
「くそぉッ」
イースの顔を付けた化け物を放置するなんて、ひどい屈辱だ。だが今の自分にはどうしようもない。悪態を吐きつつ、脱出用のシューターに飛び込む。
この官邸は高さ200メートルの高層建造物で、執務室はその中層にある。そこからシューターに飛び込んだのだ。
ユージを待っていたのは落差100メートル、恐怖のすべり台だ。
「うわああああぁぁぁぁぁっ!?」
情けない悲鳴を上げながら滑り落ちていく。落下速度が速いせいか時間が引き伸ばされたように感じられる。
体感的には永遠にも思える時間が過ぎ去った頃、ようやく地面にたどり着いた。
「も、もっとゆっくり降りられるようにしないとダメだな……」
恐怖を誤魔化そうと独り言ちながら周囲を見渡す。そこは官邸周縁の警備エリアだった。月も星もない夜空が広がり、侵入を防ぐための塀からまばらな照明が地面を照らしている。
どうやら無事逃げおおせたらしい。幸いにも人影はない。文字通り人っ子一人いない。
(……なんで人がいないんだ?)
この官邸は、国家の中心と言っていい場所だ。夜間でも人の出入りは少なくない。それに厳重な警備が敷かれ、常に何十人もの軍人が配置されているはず。だというのに人の気配が全くしないというのは奇妙だった。
ユージは腕時計型の暗号通信機からアンテナを伸ばし、周波数を合わせて通信を試みる。
「おい、誰かいないのか! 返事をしろ!」
『…………』
「通信局! 誰でもいいから応答してくれ! こちらユージ! 頼む、誰か……!」
『…………』
何度呼びかけても返事はない。ノイズすら返ってこない始末だ。
完全な異常事態である。自分が襲撃されたのは、まだいい。イースに化けられるのなら、自分に接近するのは難しくないからだ。だが官邸が無人化し、通信局すら反応しない。こんな事があるだろうか?
(これは攻撃だ)
しかも、恐ろしく展開が早い。シャンティアの内情をよく知る誰かが関わっているに違いない。
そして、そいつはソレワターセを使う。製法が非人道的すぎるため、ユージの命令で全て破棄されたはずの生物兵器、ソレワターセを。
真っ先に浮かんだのは、最も思い出したくない女の顔だった。
(
暗闇から、コツンと物音がする。
「ぐっ……」
何とか悲鳴は飲み込んだが、ユージは脱兎のごとく駆け出した。あの女が来ているなら、絶対に捕まってはいけない! 捕まったら最後、二度と逃げ出すことは叶わないだろう。それだけは絶対に嫌だ!
恐怖に駆り立てられるまま芝生を走り抜け、正面ゲートまで一気に走る。ユージを検知したゲートが自動的に開き、そこから街へ飛び出した瞬間──ユージは絶望的な光景を目にした。
「嘘だろ……」
思わず呆然と立ちすくむ。そこには見慣れた街並みはなかった。ビルも街灯も看板も何もかもがツタで覆われ、廃墟そのものといった有様になっている。まるで文明が滅亡した後の世界のようだ。
そして人は、誰も彼もが『絶望のオリ』に閉じ込められていた。かつてイースを閉じ込めたのと同じものだ。みな目を閉じて、死んだように眠っている。
どこからか、あの女の笑い声が聞こえるような気がする。幻聴だと分かっていても背筋が凍る思いがした。
「……ッ! くそおっ!」
ユージは駆け出した。ただ、ここにいてはいけないという本能に従って足を動かす。
走っても走っても、無事な人間は一人も見つからなかった。
(続く)