わたくしはトワイライト。
幸福という毒に囚われたシャンティア総統、ユージの心を取り戻そうとしている一人の娘、ただのトワイライト。
犬小屋で性行為を記録したノートを読んでいた時、コンコンと壁をノックする音がした。
「お入りになって」
わたくしは座り直して、客人を迎える。全裸に首輪姿でも、高貴な振る舞いを心がけねばならない。
扉から顔を出したのはセクレトルーだった。
「犬小屋をノックするだなんて、貴方も変わった趣味をお持ちね」
「ここは犬小屋ではなく、あなたの部屋です。ならノックをするのは当然でしょう」
いつもの赤いジャケットに、黒のタイトスカート。あのジェントルーとよく似たアイマスク。
何か関係があるのかもしれないが、詳しくは聞いていない。
立てるほどの高さがないので、彼女は入り口に膝をついて話しかけてくる。
「食事と、新しいトイレです。きちんと食べてください」
「感謝いたしますわ。最近は求めずとも持ってきて下さるわね」
「アレは、調教の一貫です。今のあなたには必要ないでしょう」
「そうね。わたくし、すっかり従順な飼い犬になりましたもの」
「…………」
「あら、怖い顔。そのように睨んでは、丁寧なメイクが台無しですわよ」
「あなたのポーカーフェイスには感心します」
「ふふ。お褒めに預かり光栄ですわ」
そう言うと、彼女は諦めたようにため息をついた。
本心が別のところにあると、感づいている。だが決め手がなく、総統に奉仕している以上は咎めることもできない。そんなところか。
わたくしは食事に手を付ける。見た目は犬の餌だが、一応人間が食べるものの味はするのだ。
「いただきます」
今のわたくしに、祈る神はない。だからこれは、セクレトルーへの挨拶だ。
右手の指を閉じてスプーンのような形にし、ひと口分を4本の指にのせる。顔に近づけ、親指でシュッと押し出すようにしながら、手首のスナップだけで口に運んでゆく。
手を使って食事をする国での正式なマナーだ。最初は慣れなかったが、今では意識せずとも出来るようになった。
…………ふむ。
「セクレトルー」
「なんです」
「塩をあと0.1%ほど足すよう、シェフに伝えていただけるかしら。浸透圧が不足していて、スープが具材に染み込んでいません」
全て食べきって注文をつけると、セクレトルーは呆れた声をため息に乗せた。
「…………いいでしょう。てゆーか、神経の太い女」
明後日の方向に視線を向けるのは、彼女が嫌味を言う時の癖。
相手から目線を逸らしてしまうのは、目下の不満を受け止めることに慣れていない証拠。
「犬扱いで飼われながら、まるで学生か何かのようにセックスの勉強に励んで」
「性行為は簡潔で根源的な愛の表現ですもの」
「毎日三食しっかり食べて、しかも味付けにまで文句をつけるなんて。どんな神経なのかしら」
「わたくしは彼に愛されようというのですから、肉体も精神も美しく整えるべきと思わなくて?」
右手を、体に這わせる。ほんの一月だというのに、高カロリーな食事と連日の性行為で体つきは丸みを増していた。
視覚を楽しませる乳房の盛り上がり、
総統の身体を受け止める臀部の皮下脂肪、
脚で彼を縫い留めるための内転筋、
そして彼を受け入れるための陰唇──
それら全てが少しずつ膨らんでいて、男を誘うカタチへと変化している。
「変わりましたね、トワイライト」
「そうね」
そう、わたくしは変わった。情熱のままに噛みつくだけの小娘から、密やかに牙を研ぐ愛の狩人へと。
その切っ掛けは、あの時聞いたバイオリンの音色だったろう。
咲き誇る花のように美しい旋律が心に響き渡り、どこかへ飛んでいきそうだった心をエイヤッと抱きしめて、オリャッと力ずくで身体へと放り込んだ。
そうして再び立ち上がるチャンスをくれたのだ。
「あれは、誰……」
「トワイライト?」
「あら、失礼。少し考え事をしていましたわ」
「構いません。ところで」
パラパラと自らの手帳をめくり、女秘書は言った。
「あなたの生誕日は明日でしたね。13歳おめでとう、トワイライト」
「生誕日…………そうでしたの」
記憶はない。『トワイライト』になった時、消されてしまったからだ。
「支配者様より特別な恩寵がありますので、明日は街に出ることが許されます」
「…………街? 念のため、お聞きしますけれど」
服は着られるのでしょうね、と聞くと、セクレトルーは無表情に答えた。
「まさか。あなたという犬の姿を、支配者様が全世界に広めてくださるのです」
光栄に思いなさい、と言われて、わたくしは乾いた笑いを抑えられなかった。
◆◆◆
翌日の朝。
わたくしは全裸に首輪というあられもない姿で、街中を四つんばいで歩かされていた。
リードを持つのはセクレトルーだ。
ここはパルミエ王国のノーブルタウン。ホープキングダムとの貿易拠点として大いに栄え、世界有数の優雅さと美しさを誇る街だ。
建物は全て白い石材で造られており、朝日を浴びて内側からキラキラと輝きを放っている。
真っすぐに続く白い石畳の道には赤いカーペットが何百メートルにも渡って敷かれており、その先には総統が待っていると言う。
道の脇には観衆が立ち並び、わたくしの無様な姿を見物していた。外見も服装も様々だが、表情だけはみな同じだ。
「彼らの顔が見えますか、トワイライト」
「いいえ」
「みな、これから総統の犬としてお披露目される貴方を祝福していますよ」
「ああ、そう」
誰も彼も洗脳され、操られている。総統の幸福に奉仕することが人生の全てとなり、その一員となるわたくしを心から祝福しているという。
心の奥底がぞわりと疼く。わたくしは全身に血管が浮き上がるほどの怒りをこらえながら、屈辱を押し殺して歩を進めるしかない。
「今度という今度こそ、あなたは心まで愛玩動物に変わってしまうでしょう」
「尊厳を剥ぎ取り、多くの前で辱めて、心まで屈服させたいのね」
「その通りです。覚悟を決めて下さい」
ふう、と。セクレトルーは平静を装いながらも小さくため息をつく。
──あら。
このひと月で、数少ないよかったことの一つが、今も起こったようだ。
それはセクレトルーの心を知れたこと。この人は、案外素直で純粋なところがある。
「貴方も少し変わったようですわね。わたくしに同情していらっしゃるの?」
「…………いいえ。わたくしは支配者様のお望みを叶えるだけの女。同情など」
「もしそうなら、わたくしは嬉しいわ」
「……………………」
セクレトルーの足が止まる。
見上げると、彼女は何かを言おうとして、言葉を飲み込んだようだった。代わりに何かを言おうとしては、また口をつぐむことを何度か繰り返す。
「遠慮せずに、おっしゃいなさいな」
「私は……いえ。…………トワイライト」
「ええ」
「トワイライト、あなたは……支配者様があなたを愛して下さると、本当に思っているのですか? あの方は……」
「思います。彼はわたくしという炎に恋焦がれ、そして愛するようになる」
わたくしは断言し、二本の足で立ち上がった。鎖がじゃらんと音を立てる。
「覚悟するのは貴方よ、セクレトルー」
忠実な女秘書は一瞬目をむいたが、結局何も言わず視線を落とした。
「どうして言い切れるのです……あの方の心には、愛など」
「言い切れますわ。だって」
だって、この目で見たのだから。
世界の支配者ではない、一人の人間である彼は。
総統でも合成人間でもない、ただのユージは。
「彼は、愛を知る人だから。愛のために、自らの命を投げ出せる人だから」
そう、だから。
わたくしは青空を睨んだ。天には薄ぼんやりと月の影が残り、その隣に金色の星が輝いている。
だから、彼から記憶を奪い、世界を歪めてしまった何者かにも向け、もう一度言おう。
「冷たい檻に閉ざされた愛、返していただきますわ。 お覚悟……決めなさい」
太陽よりも大きく見える妖しい星は、瞬かずただじっとこちらを見つめていた。
◆◆◆
トワイライトが決意を発した、その時。
遥か遠い月面で。
妖星ギードラを呼び寄せるための装置にされ、骨と皮ばかりになったシャロンが、ギリィと歯ぎしりをした。
◆◆◆
「もうっ、シャロンのバカ!」
少女の名はローラ・ラメール。
今の世界では数少ない、ユージを世界の支配者だと思っていない人間だ。
冷蔵庫から紅茶のボトルを取り出して、蓋を開けるとすぐさまラッパ飲み。
「ぷはぁーっ! 何が世界の支配者よ、旦那さんをあんな頭おかしい怪物に変えちゃって!」
もうだいぶ長いこと、シャロンが元通り復元したノーブルタウンの自宅で引きこもっている。
魔法学校にも行けないし、友達とも遊べない。
誰も彼も記憶を書き換えられて、シャロンの夫を世界の支配者と讃えている。
女の子の話題は「いつ支配者様に抱いてもらえるか」とか、「メイドに志願すれば順番待ち無しだって!」とかそういうものばかりだ。とても同じ空間にいたくない。
「あーもう! 外に出たい! コスメ買いたい! ビーチでみんなとトロピカりた~い!!」
ソファの上でじたばた暴れる。ふと見た姿見にはスウェットにすっぴんの自分が映っていて、お洒落さの欠片もない。やる気パワーがぐんぐん下がるのを感じた。
「うーっ、ううう……」
みんなって、誰だっけ。最近本気でそう思う。
シャロンが好き放題時間を巻き戻しまくるせいで、自分が何歳で誰と仲良かったかも曖昧になってきた。
「あ~~~ッ!! こんなの私のキャラじゃなーいっ! ストレスメーターがマッハなんですけどー!?」
振り回した足が、テーブルからテレビのリモコンを弾き飛ばす。電源の入ったテレビ画面からは、朝のニュースが流れ出した。
『それでは次のニュースです。偉大なる世界の支配者さまが新しいワンちゃんをお迎えになります』
『お名前はトワイライトちゃん。今日で13歳とのこと』
『お誕生日記念にペットにしていただけたそうです。とってもラッキーですね』
画面には美しい銀髪の少女が映っていた。
彼女は全裸にされて犬用の首輪をはめられ、四つん這いのポーズを取らされている。
「……すごい目」
だというのに、紅い両目に光を湛えて、カメラを睨みつけていた。
真夏の太陽みたいにギラギラと暑苦しく、希望の火が燃えているような力強い眼光。
それは獲物を狙う獣にも似て、しかしどこか超然的な気高さを漂わせている。
『ノーブルタウンの中央広場にてパレードが行われ、支配者様が直々にお披露目セックスをご披露されるそうです』
狂ったニュースだ。でも、もう見慣れてしまった光景でもある。
『なんて羨ましい…………こほん。本日のノーブルタウンは晴れ、一日中暖かい日差しが降り注ぐでしょう』
『支配者様が自らお選びになったワンちゃんですから、きっと聡明な子でしょうね』
『賢い子は良い雌犬に……』
『支配者様が最高のセックスを……』
『私達民衆も、精一杯お祈りしないと……』
プツン。スイッチを切ったローラはソファに座り直そうとした。
諦めに沈みそうになって、でもグッと、奥歯を噛みしめる。
歩みは自然とクローゼットへ向かっていた。
みんな狂ってる。ひょっとしたら自分も。
でも、あのトワイライトだけは違う。
「……もうっ。やっぱり、こんなの私のキャラじゃないわ」
バァーンとクローゼットを開け、ずらり並んだ洋服を吟味する。
ヒラヒラしたのは駄目だ。これから自分は街を走って、群衆をかき分けて、あのトワイライトを助けに行くのだから。
「ええ、やってやるわ! いい加減飽き飽きよ! 私だってトロピカってやるわ!」
トロピカる。
今この時しか存在しない、今一番大事なことに挑む時、胸の奥からブワーッと、真夏の太陽みたいな熱い気持ちが沸き上がってくること。
そう、トワイライトという少女の目を見て、ローラは思ったのだ。
あの子すっごくトロピカってる、と。
「なにがトロピカるよっ、ヘンな言葉!」
聡明で美しいローラ様のキャラじゃないと思うけど、記憶にこびりついて時々口に出してしまう。
一体誰が、こんなアタマ悪そうな謎ワードを自分に吹き込んだのだろう。
「誰だか知らないけど、きっとバカそうな顔でアホ丸出しなノリ抜群の、考えなしに人を助けて私に迷惑をかけまくるタイプに違いないわ!」
パルミエの女王さまを目指す私にこんな言葉を教えたアホ、許すまじ。
……でもその子は、誰よりも強く優しく、いつでも真夏の太陽みたいに輝いていたような気がする。
さっき見た、トワイライトのように。
「これこれ! 真っ白でキュッと締まったレギンスに、へそ出しの水色ブラウス! 履き馴れたサンダルを合わせて……」
バッチリのコーディネートに合わせた、気分のアガるメイクとネイル。特に足の指は念入りに磨き上げた。
「うん、完璧! これこそローラ・ラメール様なんだから!」
鏡に映る自分……うそ、プリティでキュアキュアすぎ……?
やる気パワーがグングン上がってきちゃう。
「待ってなさいクソ総統にバカシャロン! すまし顔を引きつらせてやるわ!」
そうよ、絶対大丈夫。
なんたって私はシャロンの友達で、あの暑苦しい誰かさんの相棒だったんだから。
(続く)