「おはよう、ジェントルー」
「う……ユージか……」
ジェントルーはゆっくりと目を開いた。そろそろ見慣れてきた天井と、ユージの姿が見える。
「身体の調子はどうだ? 昨日はだいぶしつこく追われたみたいだけど」
「……問題ない。そこらのコソ泥と一緒にしないでくれたまえ」
そう言って、彼女はベッドの上で起き上がった。だが、その動きは緩慢で、どこか辛そうだ。
「あまり無理するなよ」
「君に言われたくはない」
ユージはいつも通りだ。弱っているというわけでもないが、どことなく疲れた顔をしている。
首都〈ローザシャーン〉の外れにある、合成人間の住む居住区。そこでユージと出会ってから一ヶ月が経った。
合成人間とは、遺伝子改造によって生まれた人工生命体だ。ジェントルーの知る限り、彼らは安価な労働力か、あるいは戦闘用の兵器として扱われ、必要が無くなれば廃棄されていた。少し前までは。
「君はどうなんだ。働き過ぎではないのか」
「俺くらいは普通だよ。俺たちは合成人間だから、普通の人より頑丈だし」
彼は合成人間の中でも地位が高いらしく、この住居も他の者に比べて立派だ。反面多忙で、朝早くから夜遅くまで働いている。それでいて自分を匿って寝床や毎日の食事を用意してくれている。そのことにジェントルーは感謝していた。
「そういうことじゃない。君も自分を大切にしろという事だ」
「自分? うーん……」
ユージは自分のことを話さない。「ユージ」というのもありふれた名前で、どんな境遇で育ったのかわからない。ただ、生まれた時からこの居住区で暮らしていたことは教えてくれた。
「まあ、別にいいじゃないか。それより、顔を洗ってきなよ。朝飯できてるぞ」
「わかった」
ユージに促されて、彼女は着替えを持って浴室に向かった。
じっと、鏡を覗き込む。
「我は、怪盗ジェントルー」
鏡の中には、銀髪の少女が映っていた。長い髪を三つ編みのツインテールにして、アイマスクを外した目はワインのような紫色だ。首から下は
「ふん……」
彼女は自分の顔を見るのが嫌いだった。〈怪盗〉とは思えないほど上品で整った顔立ち。それを意識すると、なぜか無性に腹が立つのだ。
「ほら、ご飯冷めるから早く」
「ああ、今行く」
◆◆◆
ユージが作ってくれる食事は、合成食や保存食品の類ではなく、味も栄養もしっかりと考慮されている。とはいえ、問題がない訳でもない。
「今日のメニューは何だい?」
「今日はハンバーグだ!」
そう言いながら、ユージは大きな皿をテーブルの上に置いた。その上に乗っかっているのは、綺麗な楕円形をした肉塊だった。その周辺にはライ麦のパンがいくつも積まれている。
「今日は? 今日も、の間違いじゃないのか」
「ははは。バレたか」
ユージは余程ハンバーグが好きらしく、朝でも昼でも夜でも関係なく作る。幸いにもきちんとしたレシピと材料があるので、味は悪くない。
「さぁ、食べてくれ」
そう言って、ユージがステーキナイフでハンバーグを切り分け、パンの上に載せて差し出してくる。それを受け取って口に入れる。
「んんっ、うぅん……」
(うまい……)
ジェントルーは目を閉じて、舌に広がる旨みを堪能した。
「どうだ? 美味いか?」
「ああ。昨日も同じメニューだったことを除けば、何も文句はないよ」
ユージが苦笑した。
「ごめんな。明日は違うものを作るよ」
「別に謝ることなどない。君の笑顔を見れば、この食事が素晴らしい物であることは分かる」
そう言って、ジェントルーは目を細めた。彼女の目には、ハンバーグとユージが〈幸せのエネルギー〉でほのかに光っていることが分かる。
ハンバーグの上には、小さな妖精の姿が浮き上がっていた。レシピッピと呼ばれる、料理の妖精だ。彼らは、人が食事に感じる幸せ、それが生む〈幸せのエネルギー〉に反応して現れる。
そしてレシピッピは、ジェントルーをこの国に送り込んだ〈ブンドル団〉が狙う獲物でもある。目の前のレシピッピを奪えば、ユージは二度と美味しいハンバーグを作れなくなるだろう。
(盗めば、この笑顔は失われる)
「このソースはどうだ? 最近手に入れた香味油を使ってみたんだけど」
ユージがニコニコと笑いかけてくる。
「…………ふむ、そうだな。とても良い出来だと思うよ」
ジェントルーはハンバーグとパンをもう一度口に運んだ。
「……………………うまい」
その味わいは格別だった。自然と微笑んでしまうのが、自分でも分かった。
◆◆◆
「ブンブンドルドル、ブンドル〜!」
その日の夕刻、ジェントルーが盗み出したのは、最近シャンティアで流通しだした、新しいお菓子のレシピッピだった。
彼女が手にした弁当箱のような捕獲装置にレシピッピが捕らえられ、逃げられないように拘束される。
『ピー! ピー!!』
「暴れても無駄だ。大人しくするんだな」
そう言ったジェントルーは、シルクハットにアイマスク、黒マントにサイハイブーツといった怪盗の正装に身を包み、屋根の上で身を潜めていた。
「これで任務完了だ」
そう言って、彼女は小さく息を吐く。そして、ゆっくりと眼下を見下ろした。
お菓子を台無しにされた子どもたちが、泣き喚いている。その中心にいる少女が、大声で泣き叫んでいる。
「……ふん」
小さく鼻を鳴らして、彼女はその場を離れようとした。
はっ、としたのは、自分の周囲が影で暗くなっていたからだ。空を見上げる。
『ナァケワメェケェェェ!』
巨大な怪物が、上空から降ってきたところだった。
「……ッ!?」
間一髪のところで横に跳ぶ。屋根の上を転がって受け身を取り、すぐに立ち上がる。
(失態だ……もう嗅ぎ付けられたか)
猛烈な風に巻き上がる髪を抑えながら、ジェントルーは唇を噛んだ。
見上げた先に滞空しているのは、巨大な怪鳥のような戦闘兵器、ナケワメーケだ。その身体は金属でできており、翼にはホバリング用のローターが組み込まれている。
「出たな、イースめ……!」
その背から降り立ったのは、シャンティア総統の側近である少女、イースだった。ブンドル団の団員を次々に捕らえた強敵だ。くすんだ銀髪に、ボンテージのような黒い軍服を身に着けている。
「出たなはこちらのセリフだ、ジェントルー。毎度毎度、新商品を台無しにしてくれて……」
イースが不機嫌そうに言った。その背後では、ナケワメーケが大きな翼を畳んでいる。まるで、少女を守る騎士のように。
「だが貴様さえ捕らえれば、私の任務も終わりだ。いい加減に観念するがいい」
そう凄んでくるイースに、ジェントルーは不敵に笑った。盗み以外で彼女が得意なものは、皮肉である。
「ふ……菓子一つに汲々として、まるで子供のようじゃあないか。そんな程度だから、合成人間を酷使しないと国家体制が維持できないんだよ」
イースの顔が引きつった。彼女は唇の端をヒクヒクとさせながら言う。
「……総統閣下を侮辱する気か?」
「まさか。新しい総統は、合成人間に優しいと聞いている。むしろ部下である君たちの怠慢ではないのかい」
そう言ってから、彼女は腕を組んで首を傾げた。
「それともあれかな……愛人の君が、夜な夜な仕事の邪魔をしているのかい?」
「な……な……!」
イースは、顔を真っ赤にした。怒りと羞恥で言葉が出なくなっている。その顔を見て、ジェントルーは内心でほくそえんでいた。感情的になった人間ほど扱いやすい相手はいない。
「おや、図星だったか? これは失礼」
「こ、殺す! 殺してやるぞ、ジェントルー!」
そう叫んで、イースは手を振り上げた。その動きに合わせて、威嚇するようにナケワメーケが大きな翼を広げる。
「やれるものならやってみるがいい」
そう言って、ジェントルーは懐から取り出した閃光弾を投げつけた。眩い光が炸裂する。
「待て……!」
「待たない」
そう言い捨てて、ジェントルーは屋根から飛び降りた。その勢いのまま地面を転がり、近くの廃ビルに飛び込む。
「……ふう」
ひとまず息を潜めて、ジェントルーは息をついた。
イースは馬鹿ではないが、やや直情径行のきらいがある。彼女もそれを自覚しているのか、尊大な態度を作って冷静さを保とうとはする。だが、それはあくまで見せかけにすぎない。彼女の本性は、激情家だ。
「……」
建物の中は薄暗かった。埃っぽく、壁の塗装も剥げている。長い間放置されていたようだ。
割れた窓から、ナケワメーケが覗き込んでいた。
「なっ────―」
『ナケワメェーケ!』
咄嵯に、彼女は床に転がっていた廃材を手に取った。
直後、窓の外から何かが飛び込んできた。それは、廃材にぶつかると同時に爆発した。爆風が吹き荒れる。
「あぅっ……」
衝撃で壁に叩きつけられ、思わず声が漏れる。痛みを堪えて顔を上げる。
そこにいたのは、街灯に似た姿の新しいナケワメーケ。そして、イースだった。
「ふん。あの程度で私の足止めができると思ったのかしら?」
「……!」
ナケワメーケから、強烈なサーチライトが照射される。目がくらんで、視界が白く染まる。
「ハハハ……閃光弾のお返しよ。さぁ、ナケワメーケよ。最後のブンドル団を捕まえるのだ!」
『ナァケワメェケ〜』
イースの指示に従って、ナケワメーケはジェントルーに迫る。その手が彼女の肩をかすめた。
よろめきながら後退する。
「この……ッ。何故簡単に隠れ場所を見破ったのだ!」
「ノーコメントだ。どうした? 例のアレを使えばいい。そうすれば逃げ切れるかもしれないわよ」
挑発するようなイースの言葉。ジェントルーは歯を食いしばった。
確かに、この狭い空間で、あの眩しく光るナケワメーケからは逃げ切れまい。
(この際、致し方ない……!)
ジェントルーは、ポケットの中からあるものを取り出した。それは、ユージの家からくすねたステーキナイフ。そして、レシピッピの捕獲装置だった。
「出でよ、ウバウゾー!」
彼女の呼びかけに応えて、黒いエネルギーが放たれた。
それは、投げつけたステーキナイフに寄生し、巨大化しながら実体化していく。現れたのは、銀色の巨人だった。全身に棘が生え、頭部からは二本の角が伸びている。身長は3メートルほどで、手足の指先は鋭いナイフになっていた。
『ウバウゾー!』
ジェントルーの忠実な下僕、ウバウゾーだ。
「行け、ウバウゾー! あのサーチライトを叩き割ってやれ!」
「ナケワメーケ、ウバウゾーを引き裂け。そしてジェントルーを捕らえるのだ」
命令を受けた二体の兵器が、轟音と共に激突する。その衝撃波で建物が揺れ、イースがよろめいた。
「好機!」
その隙をついて、ジェントルーは窓から飛び出した。
◆◆◆
「うう……イースめ……!」
街の暗がりにうずくまり、ジェントルーは悔しげに呟いた。
逃亡には成功したが、これでは意味がないのだ。ウバウゾーは、レシピッピのエネルギーを消費して召喚する。つまり、レシピッピを盗むのにレシピッピを消費している。
加えてジェントル―は、シャンティアで孤立していた。シャンティア側は、どうやったのか不思議な力で、別次元にあるブンドル団アジトへの道を閉ざしてしまったのだ。
敵地でたった一人、盗んだ端から穴の空いたカゴに放り込むような毎日。ジェントル―は、袋小路に陥っていた。
(くそ……くそくそ……このままでは……)
徒労感に、ジェントルーの心は乱れていた。
「……帰ろう。帰って、体力を回復せねば……」
壁に手をつきながら、ジェントルーは立ち上がった。今の彼女に、帰る所は一つしか無い。
「帰ろう、ユージのところに……」
疲労したジェントルーは、難しいことを考えられなくなっていた。ただユージの笑顔を思い浮かべ、その温もりに包まれたいと思っていた。
ユージは、いつも笑顔で出迎えてくれる。笑顔を見ながら料理を食べると、疲れが癒える。それに、料理を作るユージの姿を見ていれば、幸せを感じることができる。
ユージの笑顔が好きだ。
「早く、ユージに会いたい……」
「あーっ!!」
突然、大きな声が聞こえてきた。振り向くと、何人かの少年たちがこちらに向かって走ってくる。
「おいお前、さっき俺たちのお菓子を台無しにしたヤツだろ!」
「……ちっ」
先頭を走る少年が、怒ったように言ってきた。
背を向けて駆け出す。
「待てーっ! 逃げるなーっ!」
「総統閣下が用意してくれたお菓子を台無しにしておいて、ただで帰れると思うなよぉっ!」
「待てよ、このクソ野郎!」
思わず言い返す。
「私は女だ! ……あうっ!」
石が飛んできて、額に当たった。
「うるさい! 男も女も関係ない! 俺のお菓子を返せよーっ!」
「うぐっ! 痛い、やめろ!」
さらに数発の石が飛んできた。
「うるさい! 女の子だろうと関係ない! 俺の『妹』だって、お前にお菓子を壊されて泣いてるんだ!」
子供と思って油断した。一人の子どもに物凄い力で胸ぐらを掴まれ、地面に引き倒される。
(なんという馬鹿力……合成人間の子供か)
ジェントルーとて並の人間よりは腕力が上なのだが、それも精神状態によりけりだ。あっと言う間に集団で押さえつけられ、口々に罵りの言葉を浴びせかけられる。
「どうしてくれるんだ、このバカ女ぁっ!」
「この国で一番偉い人に謝れっ!」
「ごめんなさいって言ったら許してやるよ!」
ジェントルーは、何も言わなかった。黙って子どもたちを見上げている。
「……ふっ」
不意に、彼女は笑った。その瞬間、彼女の中で、何かが崩れていく音がした。それは、積み上げたものが一瞬で崩れ落ちる音。自分が今までしてきたことが、ひどく滑稽な事に思えた。
(……なんだ、こんなものなのか。怪盗ジェントルーは、私の人生とは、この程度のものだったのか……)
「なんだよ、黙ってるのかよ」
「やっぱり悪いと思ってるんじゃん」
「お仕置きが必要だな」
子どもたちがニヤリと笑う。
「……何をするつもりだ」
「決まってるだろ」
「裸にひん剥いて、みんなの前で踊らせるんだよ」
「えっ、そんなことしたら総統閣下に叱られるぞ」
「バレなきゃいいんだよ」
そう言って、子供たちの一人が彼女の上に馬乗りになる。その時、聞き慣れた声がした。
「おい、何やってんだ!」
「あ……ユージ……!」
子どもたちが振り返った先に、ユージがいた。
「ゆ、ユージ兄ちゃん……!」
「こいつが悪いんだよ、こいつが……!」
子どもたちが慌てふためく。しかし、ユージはズンズンと近づいてくると、一人にゲンコツを落とした。
「いでっ!?」
「やめろ。男の子が寄ってたかって、恥ずかしくないのか?」
「で、でも、こいつ泥棒で……」
「そうだよ、ユージさん! こいつ、『妹』のお菓子を台無しにして泣かせたんだ!」
ユージはため息をつく。
「じゃあ、お前は『妹』ちゃんを泣かせた事がないって言うのか?」
「そ、それは……」
ユージに諭されて、子どもは渋々といった様子で離れた。他の子たちも、彼には逆らえないようで、押し黙ってしまった。
ユージは彼らの頭を一人ずつ撫でてやりながら言う。
「ほら、もう行くんだ。遅くなると『先生』が心配するだろ? この娘は俺にまかせてくれ」
「うん……」
「行こうぜ」
まだ納得していない子もいたようだったが、周りに手を引かれて走り去っていった。
子どもたちの姿が見えなくなるのを待って、彼はこちらに向き直った。
「大丈夫か、ジェントルー」
「あ、ああ……ありがとう」
差し出された手を取って立ち上がる。目まいがして、ふらついてしまった。それを、彼が支えてくれた。
「まだ休んでた方がいいんじゃないか?」
心配そうな顔で尋ねられ、彼女は首を振った。
「問題ないとも。心配をかけてすまないね」
そう言うと、彼女は彼の手から離れた。そして、自分の足でしっかりと立つ。
「そうか。なら良かった」
そう言って、彼は微笑んだ。その笑顔を見て、ジェントルーの胸に温かいものが広がっていく。
(ああ……)
その気持ちが涙となって溢れそうになった時、彼が言った。
「それじゃ、帰ろうか。今日は何が食べたい?」
「……なんでも」
「何でも、か。それが一番困るんだけどな。俺、料理のバリエーションがないし……」
ユージが苦笑した。
その顔を見て、ジェントルーは思わず言ってしまった。
「……君さえいれば、他には何も要らないさ」
「え?」
「な、なんでもない! 忘れたまえ!」
慌てて誤魔化すが、すでに遅い。ユージはキョトンとした顔をしている。
「えっと……とりあえず、家に帰ろうか」
「そ、そうしよう。早く帰って夕食にしようではないか! ……ハ、ハンバーグとか、食べたいな……」
「了解。美味しいの作るから、期待してくれ」
そう言って、ユージは歩き出した。ジェントルーはその後に続く。
(……)
少しだけ、後ろを気にした。先ほどまで自分を罵倒していた子供たちは、とっくに立ち去ったようだ。安心したように、小さく吐息を漏らす。
「あいつらの事、軽蔑しないでやってくれ。合成人間も家族が持てるようになって、みんな舞い上がってるんだ。『家族を守る自分』っていうのに憧れて、必死になってるだけなんだ」
「私は怪盗だ。憎まれるのは仕方ないさ」
この時のジェントルーは、心身ともに疲弊していた。だから考えることもできなかった。
なぜ、総統の側近であるイースが、的確に自分の犯行を妨害できるのか。
なぜ、イースは自分の居場所を簡単に見抜いたのか。
なぜ、ユージがこの場に都合よく現れたのか。
なぜ、ジェントルーを庇ってくれるのか。
その答えは、既に明らかなのだが。
(続く)