彼は焦がれていた。焦がれてしまった。
決して主人を裏切らず、愚かしいまでも命令に忠実で、その意志を体現したような白銀の騎士に心を奪われてしまったのだ。
始まりは豪雪地帯での戦い。彼は部下を率いて騎士とその主と戦い、主人を捕虜にすることに成功したのだ。
けれど、彼の瞳は主人にではなく騎士の方へと向いていた。遠く遠く、彼の視力では豆粒のような大きさではあったが、彼にはすぐ騎士であることはわかった。
だって騎士は主人を奪われたのだ。
今すぐにでも奪い返さんと彼らのことを伺っていたに違いない。騎士は伺う以上のことはしてこなかった出来なかった。
騎士は彼らの戦いで傷を負い、自分の足で立っているのだって精一杯だったのだから。
騎士はきっと主人を奪われた悔しさに歯噛みし、主人を奪った彼のことを睨みつけていたに違いない。
遠く遠くに微かに見える影のように小さな騎士から民間人が向けられたら卒倒するような殺意を向けられたことは、先程のように思い出せる。
遠くから感じる獰猛で悔恨を滲ませた殺意。愚直なまでに気高く主に忠を尽くす騎士が、彼の姿を認めた瞬間なのだから。
仕方ないだろう。そうなってしまうだらう。これは運命であると錯覚してしまうだろう。
だから、彼は傷ついた身体を抱きしめ、獰猛な肉食獣の様な睨みを効かせる哀れで美しく可憐な騎士に向かって頬を綻ばせて見せたのだ。
「僕達の仲間になってくれないかな?」
部屋の中には無骨な机と長時間座すと身体を痛めてしまいそうな簡易椅子。
粗末な椅子に座すのはグリフィン基地には戦術人形の指揮を担当する役職者である指揮官だ。
彼は柔和な笑みを対面へと向ける。困った様な、けれど心の底からそう望むことを悟らせる暖かい表情を。
「ふざけるな!!」
悲しいかな明るい表情を浮かべる指揮官の誘いは、首筋を噛みちぎらんとばかりの怒声で拒絶されてしまった。
彼の対面にいるのは息を荒げ、手足につけられた金属製の拘束具を破ろうとけたたましく鳴らす勇猛な銀髪の女性。
思わず立ち止まって見入ってしまいたくなる様な整った相貌、くっきりと谷間の影が浮かぶ胸部や引き締まった脚部、肉付きがありながらもだらしなさを感じさせない臀部の露出が多い衣装、けれもそれ以上に目を引くのは左頬に刻まれたバーコードだろう。
手足に錠をはめられた状態で座らされ、圧倒的な不利な状況でも諦めていないと言わんばかりに爛々と輝く瞳も彼女の持つ意志の強さを感じさせる。
彼女の名はゲーガー。
創造主である人類に反旗を翻した鉄血工廠にて作られたエリート機に分類される存在。
指揮官達のグリフィンとは敵対関係にあったのは間違いない。少し前までは。
ある戦いで鉄血達は主人格を失い統率が崩壊したのだ。
今の鉄血達は帰る場所もなく、いつか無くなるバッテリーの残量に怯え、無残に朽ちるのを待つだけ。
かつてはグリフィンの人形達をゴミと一蹴し圧倒した彼女達も有限の中で生きる存在。補給基を断たれれた先にあるのは緩やかな滅びであった。
だが、酔狂なことに彼女達に手を差し伸べた組織がいた。
それこそが、鉄血にとって一番の厄介者であったグリフィンだ。
グリフィンは人形を積極的に採用した民間軍事組織。戦闘用人形に関するノウハウなら、他社に売りつけて資金源に出来るほど持ち合わせている。
そのグリフィンがとある組織への対抗策と協力者であるIOPからの要請を受け鉄血の人形達を鹵獲、彼女達に安定した物資の供給と生活を引き換えにグリフィンの戦力になって欲しいと入念に交渉しているのだ。
そう、交渉。これはグリフィンの仲間であるなら自分達はグリフィンの保護下で対等であると言う、認識させる儀式とも言えるが、最後は『同意』している。
勿論これは交渉であり、相手からの同意がなければ決裂となる。今回のゲーガーの様に。
その場合は日を跨いで交渉を続け、根負けを狙う。
話がわかる鉄血エリートならば数日間の交渉と仔細の確認、最後はグリフィンと合意して仲間となってくれる。
だが、ゲーガーはそのケースからも溢れる。
彼女を鹵獲してから数日が経ち、何度も何度も粘り強く交渉を試みているのだが、意固地な彼女は決して首を縦に振らず、そっぽを向いて来たりこちらを睨みつけるばかりだ。
何日交渉してもダメな場合はどうなるのか?
そこから先は各指揮官の裁量に任されている。
粘り強く交渉を続けるもよし、解析した鉄血技術を用いて無理矢理仲間に迎えるのもよし、更にはーー。
基本的には鹵獲した鉄血人形を解放することは無く許されてもない。
緩やかな滅びを迎えつつあるとはいえ一度は人間達に牙を剥いた存在達だ。残念ながら再び自由を与えられることはまず無いのだ。
鹵獲し手に負えないと判断された鉄血人形がどうなるかは想像に任せよう。
ただゲーガーの目の前に座し困った様に頬を掻いている指揮官に関して言えることがある。
彼は鹵獲した鉄血機体達は全て仲間として迎え入れている。
それも、彼女達の命令系統を外部装置で無理矢理書き換える様な野蛮な行いはせず、彼女達の意思による同意を得ている。
暴虐の尋問官として恐れられたアルケミストも、無慈悲な鉄槌を下していたジャッジも、悪辣な策でグリフィンを弄んだドリーマーも、果てには鉄血の主に忠義を尽くしていたエージェントも。
ゲーガー以外の全ての鉄血エリートは彼と共にある。
「いい加減、私とアーキテクトを解放しろ!」
机を大きく叩きながら立ち上がり豊かな肢体を揺らしながら指揮官に迫るゲーガー。
急な接近に指揮官の視線は方々に泳ぐ。
「解放しろと言ってもねぇ…」
指揮官は困った様に眉を寄せる。
アーキテクトはゲーガーより上位の機体であり、彼女の上司とも主人とも言える存在。
そのアーキテクトはとある作戦にて自分からグリフィンに降ったグリフィン初の鉄血の捕虜一号であるのだが、ゲーガーはグリフィンが無理矢理捕らえたと思っているらしい。
ゲーガーはアーキテクトをグリフィンから解放させるために様々な策を練り何度もグリフィンと衝突したのは、つい最近までのこと。
「彼女は鉄血の存在じゃなくて、自分の道を模索し歩んでいるんだ。彼女は彼女の意思でここにいるんだよ」
「つまらない事を」
「いやぁ、確かに面白くは無いかも知れないけどね」
「嘘をつくなと言っているんだ!!」
ゲーガーは今にも首筋に食らいつかんとばかりに顔を寄せ怒号を飛ばす。
そのまま指揮官の襟を掴まなかっただけでも、まだ話を聞く気があるという事だろうか?
アーキテクトと行動を共にしていた頃の彼女なら、不快な事を口にした指揮官の襟を掴んで投げ飛ばし、首の骨を折るなどしてくるだろう。
話を聞く気があるのはありがとう、ただ話に納得する気は今のところは見られない。
アーキテクトは一見すると愚かで不可解な振る舞いが多いが、先見の明がある。
機械らしからぬ直感的に考えている様に見えて彼女なりの思惑で動くことが多く、その事を誰にも伝えないから愚かに思われるのだ。
その彼女はこの世に後悔を残した亡霊として過去に従うのではなく、自分のやりたいことをやれる未来を自ら選んだのだ。
問題は彼女の真意は彼女の腹心であったゲーガーですら計り知れないので、この考えももしかしたら違うかもしれないこと。
少なくともアーキテクトは『鉄血』としてグリフィンと敵対する意志は無いので、そこだけは間違っていないと信じたい。
アーキテクトの未来の考え方を目の前にいるゲーガーは直接聞かされた筈なのだが、頑固な彼女はまだその選択肢を選ぶことが出来ない様子だ。
グリフィンへの加入を拒否し続けるゲーガーをどうするか?ここから解放し、再びグリフィンと敵対することを寛大な心で許すのか?
答えはもちろん否だ。
緩やかな滅びを迎えている最中と言えど、かつては強大な敵対関係であった存在を簡単に解放することなどあり得ない。
「参ったなぁ……」
困ったように頬を掻く指揮官。
このまま話が平衡になり進まなかった場合の対処は幾つかある。
一つは鉄血人形の命令系統を無理矢理書き換えること。アーキテクトの協力や、ウロボロスの残骸を解析した結果可能となった方法だ。
ただ、この方法は欠点があり、書き換えを受けた人形が命令系統に違和感を覚えた場合、脱走や反逆の危険性があることだと。
他は鉄血機体を解体し完全に無力化する方法。
この場合のデメリットは強力な戦力となる鉄血機体が味方とならないことか。
「お前達の仲間になる気はない。仲間になるくらいなら解体された方がマシだ」
目を細め、指揮官を睨み付ける凛々しいゲーガー。
その姿に指揮官は思わず唾を飲み込む。
彼女の持つエメラルドグリーンの瞳には抵抗をやめないと言う炎のような煌めきと、隙を見つければ殺してやると語りかけてくる漆黒の殺意が宿っていたからだ。それだけではない、諦めない者が持ち合わせている清廉さすら秘められている。
指揮官は決して彼女の表面に浮き出た害意に怯んだわけではない。彼女の秘められた清廉さに感動を覚えたのだ。
ーー彼の飲み込んだ唾液は、極上の御馳走を前にして溢れ出そうになったそれを飲み込む時と変わらないそれだった。
指揮官は一度俯き、大きく息を吐き出す。
「……はぁ」
ーーそれは身体中を駆け巡る倦怠感を排出するための行為ではなく、空腹の肉食獣が極上の捕食相手を見つけた時のような身体を慣らすための準備の仕草。
指揮官は顔を上げる。
その顔は相変わらず困った様に固まっていのだが、彼と目を合わせてしまったゲーガーは得体の知れない怖気に思わず顔が強張る。
目の前にいるのは数日かけて説得しようとし、こちらが怒鳴る度に困った様子で頬を掻く弱気な指揮官の筈。
その筈が今覚えた恐怖感は何なのだろうか?
彼女の肌に埋め込まれたセンサーが感じ取ったのは、戦闘時に感じ取る様な相手の力量を監視また訳では無い。
感じ取ったのは、戦いの為に作られた鉄血人形には必要とされていない、この場では本来感じ取る筈のない、生理的な恐怖。
「鉄血人形を仲間にする方法はいくつかある」
ゲーガーが気づかない内に背後に回っていた指揮官が、彼女の肩に手を置く。
労うように置かれた親しみを感じさせる大きな指揮官の手。
優しい筈のその手からは何故かねっとりと湿った熱気をゲーガーの肌に感じ取らせたのだ。
「君たちの命令系統を書き換えるやり方とか」
「そんなことをしないと、お前たちは仲間を増やせないのか?」
嘲笑するようなゲーガーのセリフ。
しかし、その声は微かに震えているのが、彼女の柔らかな肩を指先で触れている指揮官にはわかっている。
「それでもダメなら解体とか」
「お前たちの仲間になるくらいならゴミクズになった方がマシに決まっている!」
背後を振り向き、肩越しに指揮官を睨みつけるゲーガー。相手を目にして威嚇するように細められた目蓋は指揮官を認識して微かに驚愕に緩む。
そこにいたのは指揮官で変わりはない。
だが、一睨みされただけで、声をあげていた指揮官と同じとは思えないからだ。
彼の顔には影が差していた。
口元はどこか力なく緩み、瞳からは輝きが失せていた。
張り付いたような無機質な表情。けれどそれは、確かな意思、敢えて言うならば背徳というものに近いそれをゲーガーの思考回路に浮かび上がらせる。
「僕は、そんな野蛮な真似はしないよ。君達の意思で仲間になって欲しいからね」
ゲーガーの強がりを一蹴するように指揮官の声が弾む。
彼女の肩をなぞり、弾力を感じながら。
指揮官の表情こそ笑っているのだが、彼が纏う雰囲気は明らかに朗らかなものではない。
指揮官が軽くゲーガーの肩を指で揉み込んでみる。
指を弾く弾力が面白いのか、指揮官は「ほぉっ」と関心の吐息を漏らす。
彼の手つきは武器を隠し持ってないか、或いはゲーガーの動きを抑え込もうとする牽制の動きではない。
ゲーガーは何故生理的な嫌悪を感じ取ったのか、彼の手つきから薄々理解せざるを得なかった。
「君達、鉄血の人形が、僕たちグリフィンに加わるまでの間、どんなものとして扱われるか知っているかな?」
肩をなぞっていた指揮官の手が首に回る。ゲーガーの命は自分の手の中にあると訴えかけるように。
しかし、その手は彼女の首を絞めることはなく骨格を確かめるように肌に押し込まれるだけであった。
「鹵獲された君達は捕虜として扱われていないんだ」
楽しむような、弄ぶような声色。
ゲーガーのセンサーは温度は変わってないと伝えているが、スイッチが入ったように切り替わった指揮官の態度に、体感温度が下がったような誤作動を起こしている。
相手に隙にされているというのに、ただ指揮官に注目することしかできない。発声装置が錆びついてしまったように、掠れた声を漏らすことしかゲーガーにはできない。
「人間に敵対し鹵獲された君達が受ける扱いは、『モノ』でしかなんだ」
指揮官は淡々とゲーガーに説明する。
人間に敵対した人形を破壊せずに残しておくなど余りにもリスクが過ぎる。
だから、鉄血の人形達は本来なら鹵獲すらされず破壊されるのが道理であるのだと。
それを鹵獲しようとするのは、ゲーガーの主たるアーキテクトと同じように友好的な鉄血がいる可能性があることを考慮していること、敵対する謎の組織である対パラデウスの戦力を整えたいこと、グリフィンの提携組織が鉄血の技術を欲していることにある。
最悪、鉄血の技術の解析が出来ればウロボロスのデータを内蔵するM1887のように流用が出来るのだ。
戦力の増強はそれだけでもいいのだが、鉄血達を説得、権限の書き換えで仲間とし、彼女たちの生活を保障しているのはあくまでグリフィンの温情の面が大きい。
だから、鹵獲され『仲間』となる前の鉄血人形達は『モノ』として扱われる。
人間にとって危険で破棄され破壊されるべき『モノ』なのだ。
「君達は『モノ』。だから、僕達からどんな扱いをされても、どんなに声を上げようともその声は誰にも届くことはない。君達を作った鉄血はもう壊滅しているからね」
指揮官の手が指先が、ゲーガーの純白のデコルテをなぞり下降していく。
「だけど、グリフィンは出来る事なら鹵獲した鉄血の人形を仲間にしたいんだ。どんな手段を使ってもね」
何度も傷つき修復を繰り返した筈のゲーガーの肌だが、修復の痕跡はなく手触りは文句なしに滑らかだ。
縫い目の凹凸感を感じさせない上質な布地に触れたような感動を指揮官は覚える。
彼女の柔らかく温かく、緊張感のためか若干汗ばんだ肌を指が伝い、最後にたどり着いたのは豊かな胸部の上辺部分。
彼女が普段から露わにしている何とも魅力的な谷間だ。
指先で軽く押し込むと指揮官の指を拒絶するような弾力が出迎える。
胸を刺激されて驚いたらしく、彼女の体はピクッと可愛らしい反応を見せた。
「だから、僕なりの方法で、君の意思でグリフィンの『仲間』になってもらおうと思うんだ」
指揮官が微笑む。好青年が浮かべるような屈託のない爽やかな微笑みからは程遠い、真っ黒い影を纏った欲望に塗りつぶされた邪悪さすら覚える微笑み。
「これは、君達が『モノ』から『仲間』にすんなりとなれるチャンスなんだ。今なら何もされずにグリフィンに加われるよ」
胸を覆うように手を置く指揮官の真意を察し、ゲーガーは歯嚙みする。
鉄血達に自分たちの立場を思い知らせ、淫らな行為で自分達を辱めて堕とし、その副産物としてグリフィンに加入させる。
それがこの指揮官の本性なのだろう。
「アルケミストは皆のミルクサーバーを経験してもらった。ドリーマーにはグリフィンの家具となって貰って皆から可愛がって貰ったかな。ジャッジは色んな人がくすぐって彼女の正義感を再定義してもらったよ。エージェントは鉄血のみんなの前で自分の立場をわからせたのが一番効いたかな?」
自分の功績を自慢するように、錚々たるメンツに施した悍ましい行為を口にする指揮官に嫌悪とある種の恐怖を覚えるゲーガー。
だが、それ以上に彼女の議事感情モジュールは怒りを放出している。
自分の仲間達、果てはアーキテクトまでこの指揮官の毒牙に掛かったのかと思うと悔しくて仕方がないのだ。
自分の主であるアーキテクトを守れなかった自分と、アーキテクトをも毒牙の餌食にしたであろう目の前の人物に。
「ふん」
彼女の侮蔑の一声には若干の震えが混じっていたが、指揮官を射殺さんとする緑色の瞳には力強さだけが込められていた。
「やってみろ。私はお前たちの仲間になんてなったりしない!!」
指揮官から目を逸らさずに威勢よく啖呵を切ったゲーガー。
彼女の宣戦布告を受けた指揮官は邪悪で欲望に溢れた笑みを深め、彼女の胸に添えていた指先で彼女の胸の柔らかさと弾力を味わい始めた――
指揮官は焦がれていた。
主に最後まで追従しようとした忠義の騎士に。
それは恋に近い清純な感情なのかもしれない。
だが、それだけではないと指揮官は自覚していた。
自分は清廉潔白からは程遠い感情を持ち合わせた人間ではないとわかっていたから。
そう、彼があの騎士――ゲーガーの姿を一目見て抱いた感情は黒の比率が多かった。
だから、指揮官は密かに決意したのだ。
いつかあの騎士と相対することが出来たのなら、どこまでも清廉で気高いゲーガーと直接会えた時は――彼女を自分の色に真っ黒に染めたい、と。