時を同じくして、大学の校舎外・帰宅していく在校生徒達がぽつぽつと正面門をくぐる中、1台の黒いバイクがゆるりと敷地内に滑り込む。
ヘルメットを脱いでハンドルに掛けると、
「ちと遅くなっちまったなー」
もちろんまたしても
「さすがに連絡しとくか…」
望み薄のまま待機する訳にもいかず、レザージャケットからスマホを引き抜いて短く文言を打ち込み、胸ポケットへ戻しかけたところで横から声がかかる。
「――エイト先輩!」
振り向くと、下校途中とみられる
「おー。…ええと、名前なんだっけ?」
「
「おう。…あ、鱗さぁ、蒼矢まだ学校内にいるかどうか知らねぇ? 学年違うからわかんねぇかな…」
「
「そっか、そうだよなー」
返答を聞き、影斗が少し気落ちしたように息を吐き出すと、麟は可愛らしく小首を傾げながら顔を覗き込んできた。
「ごめんなさい、がっかりさせちゃいましたか…?」
「ちょびっとだけな。…じゃあ、謝りついでにちょっと慰めてくれねぇ?」
少し冗談めかしに言ってのけた影斗だったが、麟は口元に笑みを浮かべつつ、自然な所作で影斗へ距離を詰める。
「――よしよし」
そして少しつま先立ちになりながら腕を伸ばし、影斗の頭を撫でた。
「……」
影斗は、にこりと笑う鱗をぽかんとした面持ちで見やる。想定外の返しに呆気に取られてしまったがすぐに表情は切り替わり、今度は大きくため息をついた。
「! …どうかしましたか?」
「あぁ、…なんでもねぇ。…」
鱗から心配そうに見守られ、誤魔化したもののつい内情がポロリと口からこぼれた。
「…いや…お前の反応がめちゃ新鮮ってか…、やっぱそういうのが欲しいよなってさ」
「好きな人から、ですか?」
ぼやきにも似た胸の内への的を射た切り返しに、影斗は今度は焦った風に頬を紅潮させる。
「お前…なんかすげぇな。さっきっから、俺の意表バシバシ突いてくるじゃん」
「そうですか?」
幾分か興奮している彼へ、鱗は丸い目をきょとんとさせながら小首を傾げると、ついで口元に笑みを浮かべ、影斗へ一歩歩み寄る。
「なんとなくですけど…僕わかります。エイト先輩が誰かに恋してるって。でも…きっと振り向いてもらえないんですね」
「…!」
「ちょっとくじけかけてる。でも、諦めきれない。…そんな気持ちがさっきのため息から伝わってきました」
「……」
影斗は、まっすぐに見つめてくる大きな黒い瞳を一時見返していたが、視線を外して軽く息をついた。
「そうだなー…大体合ってるよ」
なんとなく長くなりそうだと察し、影斗はそばにあったベンチへ鱗を誘導していった。
ベンチにふたり並んで座り、鱗からゆっくりと問いかけていった。
「もう何年も、ですか?」
「…うん、まぁ」
「その人には伝えたんですか?」
「伝えたつもり。や…つもりなだけで、相手には受け流されちまってるかもしれねぇ」
「じゃあ、ずっと片想いのままなんですね…」
少し慮るように声のトーンを下げた鱗に、影斗は少しおどけるように笑ってみせた。
「あぁ。押しが弱いと思うだろ? 俺も自分でそう思ってる。…情けねぇよなー」
「いえ、そんなこと…」
「いや。実際動けてねぇのよ、何年も前に言ったっきりでさ。あっちが俺に気が向かないことに、仕方ねぇよなって、俺自身も納得してて。平行線のまま付き合いが続いてる現状に満足しちまってるんだよな…」
「……」
「一歩でも踏み込めれば、無理やりにでも自分のものにしたいと思ってる。でも、今の色んな関係を壊したくねぇんだよな。…恋愛事で"怖い"なんて思うの、後にも先にもきっとあいつだけだ」
影斗は今まで誰にも明かしたことがなかった胸中を、まだ数度しか会いまみえてない目の前の男子に対して、ここまですらすらと語ってしまう自分に内心驚いていた。同時に、こうも簡単に吐露できるほど、蒼矢への想いが己の中でくすぶってしまっていたことを再認識していた。
おそらく鱗が自分と近しい立場にいて、きっと共感してもらえるとなんとなく期待しているからだろうとも、頭の片隅で自分の思考回路を分析していた。
少し沈黙が降りた後、気持ちを切り替えた影斗は下向き加減に気恥ずかしそうに笑う。
「ありがとな、話聞いてくれて。ここまで話せる相手ってなかなかいねぇからさ…お前ならいっかって思っちまった」
「――先輩」
影斗が話を終えようとしたところで、静かに聞いていた鱗が彼へ見上げ、小さく口を開いた。
「ん?」
「エイト先輩の傍にいるのが…僕じゃ、だめですか?」
急な
「きっと、今の先輩の気持ちを一番理解できるのは僕だと思います。先輩がこうして、心の中にしまっておいた気持ちを話すことができたのが、何よりの証拠じゃないですか…?」
「…!」
「僕は、エイト先輩の想いを受け流すような…ないがしろにするようなことはしません。先輩が下さるのと同じくらい、僕も想いを伝えます。…先輩が欲しいと思ってる要求にも、すべて応えてみせます」
ふくよかな紅い口元が、彼へ向けて艶やかに形を変える。表情を固めたまま注視する影斗の眼前で、鱗は静かな口調の中に力強さを滲ませ、言葉を紡ぐ。
「…思いの通わない相手じゃなくて…僕にしておきませんか?」
鱗はゆっくりと小首を傾げながら、影斗へ上目遣いに視線を送った。
2人は、一時黙って見合っていた。
「――…悪い」
しばしの沈黙の後、影斗は低く声を漏らす。
「お前の気持ちには応えられない。お前としちゃ、まだ何も始まってねぇのにって思うかもしれねぇけど…、俺が駄目なんだよ」
そう呟くように言うと、依然見つめてくる鱗へはっきりと視線を返す。
「俺の気持ちが、動く気がしねぇんだ。俺が誰から言い寄られても、…逆にあっちが俺以外の誰かと付き合うことがあったとしても、今までもこれから先も、多分変わらねぇ。…これが、今の煮え切らねぇ関係を
抑揚を抑えた、しかしどこか柔らかなトーンで、影斗の言葉は鱗へ向けて一つひとつ重ねられていった。
「……」
影斗の言葉を、鱗は時が止まったように表情を固まらせたまま、無言で受け止めていた。
「…ごめんなさい、突然」
やがて鱗の固まっていた口元が動き、瞬きもしなかった目がゆっくりと三日月形に緩んだ。
「先輩のお話を聞いて…僕も自分の想いを伝えたくなっただけなんです。さっきも言った通り、エイト先輩のお気持ちは僕にもよくわかります。だから…その寂しさを、僕が代わりに少しでも埋められたらって、思っちゃったんです」
「…鱗…」
「先輩の負担になるだけでしたよね…、伝えられただけで満足です」
「…俺の方こそ…悪かった、色々愚痴ぐち言っちまって。お前の気持ちは嬉しかったよ。…ありがとな」
頬を染め、恥ずかしげに笑う鱗に、影斗も表情を和らげてみせた。
「お前なら女でも男でも、すぐいい相手見つけられるぜ。この俺が少し動揺したくらいだからな」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
彼の言葉に満足気に息をつくと、影斗はその黒髪をくしゃっと撫でてやった。そしてスマホを手に取り、蒼矢からの反応が無いことを確認してから胸ポケットへ戻して立ち上がる。
「――じゃ…俺そろそろ行くな」
「また会えますか?」
「おー。俺
「嬉しいです…あっ」
シートに腰かけてエンジンをふかし、ヘルメットを被りかけた影斗へ、何事か思いついた鱗は走り寄る。
「? どした?」
「あのっ…失恋の思い出に、バイクのタンデムに乗せてくれませんか?」
「!」
頬を染め、無垢な笑みを浮かべながらふいに所望してきた鱗へ、影斗は少し目を見開いたが、すぐに済まなそうな面差しに変わる。
「…悪い。バイクには心に決めた奴しか乗せねぇって、買った時から通してんだ」
「…そうですか…」
簡単に断られた鱗は、徐々に素の表情に戻していくが、少し尖らせた唇がぷくりと動く。
「――じゃあ、なんで髙城先輩は乗れるんですか?」
「…!」
その当然の質問に、影斗は顔を固まらせそうになったがすぐに内情を抑え込み、にやりと笑った。
「ああ…あいつはなんていうか、例外だよ。もう
「…そう、なんですね」
「おう。じゃ、またな。今度なんか奢ってやるよ」
ぽつりとした鱗の返しを聞くと、影斗はさらりと話を切り上げて手早くヘルメットを被り、颯爽と正面門から走り去っていった。
「……」
バイクがいなくなった空間を、鱗はその場からしばらく眺めていた。
能面のような表情から、下瞼が長い睫毛を押し上げるように歪む。紅い口元がぴくりと動き、僅かに覗いた歯が、下唇を巻き込むように潰す。
「……」