※斗和視点
会社のデスク、パソコンの音。
気付けば夕暮れになっていて、誰かが私に声を掛ける。
『斗和、もう就業時間は終わったんだから帰るぞ。これから式の打ち合わせがあるの、忘れたのか?』
振り返ると、スーツを着た眼鏡の男性が呆れた表情で立っていた。
ドクドクドク…!
心臓が激しく動き始める。
『忘れてないよ。これだけやればキリがいいの。だから少し待って…あ!』
男性は私の手を掴み、無理やり椅子から立たせた。
掴まれた腕が痛い。
『いいか、お前が残業なんてすれば同じ部署の俺の立場がないんだよ。俺はお前の先輩で婚約者なんだぞ?少しは俺を立てろ!』
鋭く睨まれ、萎縮した。
『…はい…ごめんなさい』
私は怖くて謝った。
高圧的な態度のその人は、誰かが入って来たのを見て掴んだ手を緩めた。
『あれー?二人して今帰り?あー蓬萊さんがもうすぐ結婚するなんて、俺まだ信じられないよ。いいなあ先輩!奥さんになる人が美人でスタイル良くて仕事もできるんだよ?羨ましいったら!』
人懐こそうな男性は、私に笑顔を向ける。
『どんなに羨ましがってもお前にはやらないからな。斗和は俺の奥さんになるんだから』
『分かってますよー!だけど蓬萊さんは上からすごく評価されてるし、気に入られてるから部長達泣いてますよ。俺トイレで聞きましたもん。蓬萊さんが辞めちゃうの、嘆いてましたよ』
私は作り笑いをしながら、その男性がいなくなるのを待つ。
先程からひしひしと感じる不穏な空気に、震えまで起き始める。
眼鏡の男性は急ぐからと私の手を引き、会社を出た。
掴んだ手を決して離そうとしない。
しばらく行き路地裏に入ると、男性は乱暴に私の手を解いた。
『あんな奴に笑いかけるな!俺が隣にいて他の男に笑いかけるなんて、とんでもない女だな!?』
『ごめんなさい、そんなつもりじゃ…』
『口答えするな!斗和、お前は黙って俺に従えばいいんだよ!』
男性が私に向ける目は、酷く冷たくて鋭い。
なぜ私は言いなりになっているのか、分からなかった。
───────
場面が変わった。
目の前には、私を組み敷いている男性の顔があった。
情事の最中だ。
私は苦痛で顔を逸らし耐えた。
嫌、嫌と内心で訴えても、当然聞き入れて貰えるわけがない。
口に出したらどうなるのか、どうなったのか"私"は知っていた。
つらくて悲しくて、涙が流れた。
─────────
また場面が変わる。
私は一人、静かな部屋で外を眺めている。
窓ガラスに写る私はとても悲しそうだ。
そろそろ買い物にと家を出て、なんとなく本屋に寄った。
普段は漫画は読まないのに、吸い寄せられるようにある場所へ向かう。
鬼を滅する刃
純粋にその響きに惹かれた。
目に見えるものだけじゃなく、人の内部に巣喰うものも鬼だと思っていた。
貼り付けた笑顔で、言葉巧みに恐ろしいことを言う人間はたくさんいる。
そっちの方がよっぽど鬼だと思う。
読みたいな…
手に取った一冊、同時にじわじわと思い出していく記憶。
私には家族がいなかった。
施設で育ち、何でも一人でやってきた。
あの時の私は二十八歳で、会社の先輩の強い押しで交際し結婚した。
怖いと思っていた人だったから、最初は断った。
だけど彼はしつこくて、諦めなかった。
全てはあの人の見栄だった。
そこに私の意思はなかった。
それでも最初は、家族ができるんだと期待していた。
だけど彼は異常に束縛が酷く、私は結婚後会社を辞め知り合い全て連絡先を消された。
毎日怯え逃げ出したい日々の中、あの物語に出会った。
一年経つ頃。
大人気となり煉獄さんの勇姿を映画でやると知って、必ず観に行こうと思った。
その頃彼は私を疎ましく思うようになり、まるで存在しないかのように扱われた。
何をしても否定され、認めてくれなかった。
それでも私には唯一の家族だった。
だけど…
『もうお前には飽きた、他の女がいい。うんざりするんだよ。別れて欲しい。早く出て行け』
そう言われ、あっさり捨てられた。
泣き崩れる私に、彼は離婚届を無理やり書かせた。
それでも私は、最後にたった一つでも思い出を作りたくてあの映画に誘った。
だけど拒否され一人で行ったら…あの人と可愛らしい女が楽しそうに笑っていた。
映画を観ずに泣いて帰宅し、本を腕に抱いたら胸がものすごく苦しくなって…
気付いたらこの世界にいた。