斗和は杏寿郎の病室前で、扉を叩くことができずにいた。
しのぶから杏寿郎は生きていると言われ、会いに行った時も同じように扉の前で躊躇った。
だが明らかに前回と今とでは違う。
吊り橋効果とはいえ、あの憧れていた煉獄杏寿郎から好きだと告げられた。
それに対し返事をしなければならない。
このようなことは、斗和がこの世界でおよそ二十一年間生きてきて初めてのことだった。
いざ返事をしようとすれば、足が進まない。
斗和は、大事な時に怖じ気付き、躊躇い、勇気が出ない。
今に始まったことではないが、どうしていいか分からなくなるのだ。
失礼にならないだろうか、気を悪くしないだろうか、気まずくならないだろうか。
考えればきりがないが、斗和はあらゆることを考えてしまう。
(しっかりして!)
斗和はこんなことではだめだと、自らに喝を入れた。
意を決して扉を軽く二回叩く。
すると幾分か抑えた声でどうぞと言われ、そろそろと静かに入る。
窓から外を眺めていた杏寿郎は、笑顔で斗和を迎えた。
やはりこの笑顔は癒されると斗和は思った。
杏寿郎の近くまで歩みを進め、立ち止まる。
「…あの、煉獄さん。私を好きだと言っていただき、本当にありがとうございます。憧れ尊敬している人から思いがけない言葉を貰って、夢みたいです。…傷があろうとなかろうと美しいと言ってくれて、とても嬉しかったです」
斗和はうまい言葉選びもできないなと思いながら、それでも絞り出す。
杏寿郎は黙って聞いていた。
「煉獄さんの気持ちは本当に…とてもありがたいです。…でも私は…気持ちには答えられません。すみません、本当にすみません…!」
頭を下げれば、堪えてきたものが溢れそうだった。
斗和はそれでも部屋を出るまではと、ぐっと耐える。
ちらりと見た杏寿郎の顔は、何かを思案している表情だった。
普段は見せない顔をしている。
「…そうか。…では聞くが、誰か他に好いた男がいるのか?」
「………!」
斗和は一瞬躊躇い、視線が定まらない。
すぐに左右に首を振り否定した。
「いません…」
杏寿郎が窓際を離れ、斗和に近付く。
「いない…?君は嘘が下手だな」
杏寿郎は普段見せない顔を斗和に向けた。
月明かりが妖しい陰影を映し出し、杏寿郎を知らない男に変えていた。
「煉獄さん…?あの、」
斗和は思わず一歩後ずさる。
「先の任務で突然君が現れ驚いた。どんな経緯で来たのかは敢えて聞かない。俺の為に戦ってくれたことは、本当に感謝している。…生きているはずの君が目覚めないことに、俺がどれだけ案じていたか」
片方だけになった大きな隻眼が、まっすぐに斗和を見つめる。
もう一歩と近付く杏寿郎は、斗和が手を伸ばせば触れられる位置にいた。
「…俺は今日、君の育手に嫉妬した。君が顔をほころばせ、気さくに手を振る姿は初めて見た。それに共同鍛錬場で会った時もだ。前髪を分けた隊士と楽しそうに握り飯を食べる姿を見て、苛立ちを覚えた」
杏寿郎は一歩近付き、斗和の間近に迫る。
「だがそれよりも、不死川との手合わせを聞いた時の君の顔が忘れられない。仲がいいと思っていたと言えば、否定したあの表情…」
(私の表情…?どういうこと?)
「好いた男がいないのならば、君を諦めるつもりはない。好きだ斗和…」
更に近付いた杏寿郎は、斗和の頰に手を添える。
大きな隻眼が間近に迫る。
口唇が触れ合う直前、斗和は顔を覆った。
「…ごめん、なさい…!ごめんなさいっ…!私は、私はあの人が…あの人のことが…!」
「…不死川か?」
斗和は杏寿郎の顔が見られず、目を瞑り無言で小さく頷いた。
ボロボロと零れ落ちる涙を、そっと指で拭った杏寿郎は笑う。
「斗和殿に泣く程想われる不死川に嫉妬するぞ!」
杏寿郎はそれまでの妖艶な雰囲気をがらりと変え、いつもの明朗快活さに戻る。
「全く、君も素直じゃないな。否定したり認めたり泣いたり、俺は短期間で斗和殿の新たな一面ばかり見ている!」
「煉獄さん、私…」
戸惑う斗和に、杏寿郎は少しだけ切なそうに笑う。
「君が誰を想っているかは分かっていた。気に病むことはない。俺は黙っていられる性分じゃないからな。気持ちを伝えたかっただけだ」
「煉獄さん…ありがとうございます…」
斗和は、改めて杏寿郎を尊敬した。
底抜けに明るく、燃えるような闘志と強さと優しさ。
感謝しかなかった。
斗和は明日退院することを告げると、復帰したらまた手合わせしようと二人は握手をした。
いつか杏寿郎が素敵な女性と巡り会えますようにと、斗和は心から願った。