昼下がりの、穏やかな風が流れる蕎麦屋の二階。
斗和は道行く人を眺めていた。
槇寿郎からの文は、快復したら会って欲しいとのことだった。
斗和は思いがけない出来事に驚愕した。
"どうか会って欲しい"と書いており、無視はできなかった。
しかし会うと言っても、煉獄家に行くのは千寿郎がいて無理だ。
だからといって斗和の家は、万が一出入りを隠や隊士に見られてはまずい。
そうなるとまた河原かと、斗和は考えた。
だが殴られたことを思い出すと、またそうなったらと怖じ気づいてしまった。
その為、苦肉の策で蕎麦屋の二階を指定した。
大正時代の蕎麦屋の二階と言えば、逢い引きなどに使われている。
目的は勿論逢い引きではなく、会って話すだけだ。
しかし場所が場所なので、野良着姿はどうかと思い斗和は着物である。
斗和が数年前に柱の打診を受けた時に購入したもので、薄い黄緑に椿が散りばめられた着物だ。
袖を通すのは二度目で、きちんと仕立てただけあり、それは斗和によく似合っていた。
髪を着物に合うよう纏め玉簪を挿し、一緒に購入した化粧品を顔に塗り紅を引く。
仕上げに襟巻きで傷のある左側を隠す。
いくら白粉を塗っても決して消えない二本の傷だが、それでもかなり薄くはなっていた。
(槇寿郎さん遅いな…)
斗和は先程から下を見ているが、目立つ髪色は通らない。
もしかしたら反対側から来るのだろうか。
座って待つと足が痺れるので、斗和は立って待っている。
話しを聞く時は、当然座らなくてはならない。
斗和は着物は本当に動き難いと思った。
槇寿郎は斗和に何の話しがあるのか。
斗和は槇寿郎の罵声は慣れているが、殴られるのはさすがに勘弁して欲しいと思った。
斗和があれこれ考えしばらく待っていると、襖が叩かれた。
振り返ると、驚愕した表情の槇寿郎と目が合う。
「!?」
「……」
すると、失礼した!と勢いよく襖が閉められる。
(え!何で?あれ?今の槇寿郎さんだよね?)
斗和は慌てて襖を開け、別の部屋に行こうと廊下を歩く背中に声を掛けた。
「槇寿郎様!こちらで大丈夫ですよ」
「!…蓬萊斗和…なのか?」
「はい、そうです」
斗和は、訝しむ槇寿郎を促し部屋に入れる。
一体誰だと思ったのか。
不思議に思い首を傾げる斗和だが、槇寿郎は本当に部屋を間違ったと思っていた。
斗和の化粧に着物姿は初めて見たので、別人にしか見えなかったのだ。
それ程までに斗和は化粧映えする女だった。
そちらへ座って下さいと、斗和は座布団を勧める。
だが槇寿郎は、不要だと畳に正座した。
槇寿郎が座布団を使わないので、斗和も畳に正座する。
(座布団に座らないのは煉獄家の作法なのかな?足、痺れませんように…)
斗和は、足が痺れないかだけを気にしていた。
「………」
「………」
二人は向かい合い、しばしの沈黙が流れる。
槇寿郎の視線はあっちにこっちに忙しない。
斗和はそんな槇寿郎をくまなく見て、雰囲気が変わったような気がしていた。
何が違うのか考えていると、無精髭が無かった。
袴姿も初めて見る。
「あの…」
斗和は沈黙に耐え切れず口を開いた。
「すまなかった!!」
(えっ!?)
槇寿郎が斗和に土下座をした。
目の前の光景が信じられず、斗和はただただ呆気にとられていた。
「ちょっと槇寿郎様!?何をなさってるんですか、顔を上げて下さい!」
我に返った斗和は立ち上がり、土下座をする槇寿郎を起き上がらせようとした。
するとゆっくり頭を上げた槇寿郎は、斗和に目を向ける。
「いや、ちゃんと謝罪させてくれ!…今まで君につらく当たって申し訳なかった…!俺は…杏寿郎が任務で瀕死の重傷を負っても、大した才能がないからそんなことになるんだと…。だが同じ任務に就いた隊士から、杏寿郎が遺したという言葉を聞いて気付かされた。そして君が何度も訴えてくれたことを!杏寿郎は生きて目覚めてくれた…俺は本当に大馬鹿者だ…!今まで本当に申し訳なかった!!」
再び土下座して謝る槇寿郎に、斗和は衝撃を受けた。
確かにこれまでの振る舞いを考えれば、この謝罪は頷ける。
だが、このまま槇寿郎に土下座をさせておくことはできない。
斗和は傍に寄り体を起こす。
「あの、分かりました。槇寿郎様のお気持ちはよく分かりましたから、もう顔を上げて下さい」
槇寿郎はゆっくりと顔を上げ、斗和を見る。
悲痛なまでに顔を歪めた。
「…頰、痛かっただろう?大の男が女を押さえつけ挙げ句殴るなど…相当に怖い思いをさせた。どんなに詫びても許されないことだ。相応の罰は受ける、本当にすまない!」
槇寿郎が肩を震わせる姿は、とても小さく見えた。
斗和は可哀想になり、その背に手を置いた。
今までつらく当たったこと、殴ったことを謝ってくれたのだ。
槇寿郎は自分は間違っていたのだと気付いた。
それは大きな進歩だ。
杏寿郎の想いが、炭治郎の訴えが槇寿郎を変えた。
斗和は、これからは親子で歩み寄り仲良く生きて貰いたいと思った。
(本当によかった…!ああなんだかほっとして涙が出てきた)
「頰は平気です!痛かったのは確かですが、左手だったし手加減したのは分かりますよ。それに罰なら私だってクソじじいって言っちゃったし、おあいこです。…もしかして、耳飾りの隊士にも言われたんじゃないですか?」
「なぜそれを!?」
槇寿郎は驚いた。
杏寿郎が瀕死だと伝えられた際、すぐに竈門炭治郎が家に来た。
そこで確かに"糞爺"と言われたのだ。
槇寿郎は、日の呼吸の劣化でしかない派生呼吸では、限界があるのを知っていた。
隊士でいる限り、いつか命を落とすことも分かっていた。
だからこそ突き放し、鬼殺隊から遠ざけようとした。
何をしようと無駄なことだと思った。
それ見たことかと。
あれだけ突き放し、散々酷い態度を取ってきたのだ。
杏寿郎は恨んでいるのだと思っていた。
だがそうではなかった。
杏寿郎は母の教えに従い、命を賭し多くの人間を守り抜いたのだ。
最後までろくでもない父を心配していた。
その時、槇寿郎はやっと気付いた。
妻を失い、自分が囚われていたことに。
何もかも否定して生きてきたことを反省した。
必死で訴えてきた竈門炭治郎には感謝している。
槇寿郎は、斗和がなぜそれを知っているのかと思った。
だがそれには斗和は答えない。
「槇寿郎様は、杏寿郎様を危険に晒したくなかったんですよね…。様々なことが重なり、とても不安だったでしょう。やり方は間違っていますが、あなたはあなたなりに杏寿郎様を守ろうとしたんだと…私はそう思います」
斗和はそっと微笑んだ。
そしてしんみりした空気を変えるように、明るく振る舞う。
「杏寿郎様は、快復が早いようで本当によかったですね。やっぱり柱は違います!私なんてこの目の横しか斬られていないのに、三週間も眠っていて恥ずかしいです」
「恥ずかしいなど、何を言うんだ。杏寿郎達と同じ列車に乗っていたんだろう?理由がどうであれ、君がいなきゃ息子は死んでいた。恩に着る、本当にありがとう…!」
槇寿郎は改めて斗和に感謝した。
その後二人は、茶を飲みながら様々な話しをした。
槇寿郎は、毎年さつまいもが家に置いてあったのは知っていた。
しかし誰からなのかは分からなかった。
それが斗和だと知り驚いた。
「そうか、あの時からずっと届けてくれていたのか」
「はい。あの時あなたが助けてくれなければ、私は死んでいました。本当に感謝しています。私があげられるのはさつまいもだけですが、杏寿郎様の好物だと知り嬉しかったです。あ、実は私も一番好きなんです!槇寿郎様は何がお好きですか?」
斗和はあれこれ槇寿郎に聞く。
「俺は…」
「あ、お酒以外ですよ!フフッ」
最初はどう接したらいいか戸惑っていた槇寿郎だが、いつの間にか自然に会話をしていた。
「君は痛い所を突くな…。好物という好物は特にない。…妻の料理をもう一度食せたらと思う。叶わぬ夢だがな」
そっと目を伏せる姿に、斗和は胸が痛くなる。
若くして亡くした最愛の妻・瑠火を、槇寿郎は常に想い続けてきた。
唯一の支えだったのだ、失うつらさは計り知れない。
斗和は以前、そのことで心無い言葉を口にしてしまった。
一応は詫びたが、ここで改めて詫びようと姿勢を正す。
「あの、私は以前…その…奥様のことを天国で泣いていますよと…槇寿郎様の気持ちを考えずに、勝手なことを言いました。本当に申し訳ございません…!」
斗和は手を着き深々と謝罪した。
愛する者を失うつらさを、その時の斗和は分かっていなかった。
継子の館坂佳成が死に、初めてつらさを知った。
共に暮らし稽古をした大切な存在が突然いなくなる。
その感情を斗和は身を持って知ったのだ。
槇寿郎は目を見開き驚いたが、慌てて斗和を起き上がらせた。
「やめてくれ。もう気にしていない。それに、君は一度謝罪しただろう。俺に頭を下げるなどしなくていい」
「ですが…」
俯く斗和に対し、槇寿郎は苦笑いする。
「杏寿郎が君に惹かれる理由が分かった気がする」
「槇寿郎様、それは…」
槇寿郎は、息子の想いに気付いていた。
目覚めてからの杏寿郎は、斗和を気に掛けてばかりだった。
同僚として心配している他に、別の気持ちがあるのに気付いた。
息子には幸せになって貰いたい。
愛する者がいるならば、添い遂げて欲しいと槇寿郎は思った。
杏寿郎は斗和に告げたのか、斗和は杏寿郎をどう思っているのか。
それは槇寿郎には分からない。
ただ、斗和が杏寿郎の嫁ならば幸せなのだろうと思った。
話しをしている間は二階の窓は開けていた。
その縁に鴉の令和が止まっていたが、槇寿郎は令和を見て知っていると言う。
「えっ!令和のことを知ってるんですか?」
「ああ。十年程前まで本部付きだった。主に柱への伝令に使われていたはずだ」
(だからか…!)
斗和は合点がいく。
何年も前に煉獄家を探し歩いていた時だ。
それまで黙っていた令和が、突然教えた理由が分かったのだ。
本部付きならば、柱の屋敷を熟知しているのは当然だった。
長年の謎が解けた斗和は、"本当に何も言わないんだから!"と令和を睨んだ。
令和は当然のようにそっぽを向いた。
◇
槇寿郎は別れ際に、杏寿郎が退院したらまた家に来てくれと言った。
斗和は、まさか槇寿郎が稽古をつけてくれるのかと聞くと、そのまさかだった。
もう行くことはないと思っていた場所に行けるのは嬉しかった。
斗和は是非行きますと答え、和やかに別れ帰路についた。
槇寿郎は、斗和が何かを知っていることに気付いている。
斗和は今日の話しでそう思った。
何も言われはしなかったが、いつか聞かれるかもしれない。
あらゆる手段を使い、斗和は目的を達成した。
杏寿郎を救い、槇寿郎を立ち直らせることができた。
斗和は改めて本当に良かったと、槇寿郎の後ろ姿を見つめ思った。