煉獄槇寿郎の恋人
斗和が列車任務から目覚め、およそ一ヶ月経った頃のことだ。
斗和は警備に行く前、新しい足袋を買う為に町を歩いていた。
「蓬萊さぁーん!こんにちはー!」
振り返ると、蜜璃がぶんぶん手を降り駆けて来る。
斗和は、相変わらずこぼれ落ちそうな胸だと思った。
どうしても自らの胸と比べてしまい、羨むのも何度目なのか。
気兼ねなく動きたいという理由から、斗和は隊服の下はサラシである。
「蓬萊さん、元気になってよかったわ!蝶屋敷で会って以来ね、任務に復帰したんでしょう?」
「はい、いろいろとお世話になり本当にありがとうございます。この通り完全に復活しましたので大丈夫です。あ、そういえば聞きたいことがあるんですが…」
斗和は蜜璃を見てあることを思い出した。
蝶屋敷にいる間の警備を、誰が請け負ってくれていたのかということだ。
杏寿郎としのぶと斗和、三人の警備は七人の柱で手分けして行っていた。
一ヶ月も任せきりだったので、斗和はその人に礼をと思っていた。
「蓬萊さんの警備区域なら、不死川さんが請け負っていたはずよ?あの時すぐに緊急柱合会議が開かれてね。その時に隣だからやるって言っていたわ。冨岡さんも隣合ってるから分担するって言ったんだけど、いいって聞かなくて。不死川さんお見舞いに来たでしょう?聞いてないかしら?」
蜜璃は顎に人差し指を当て「あらぁ?」と首を傾げている。
斗和は当然聞いてないので、相当に驚いた。
なぜ言ってくれないのかと、もやもやした気持ちになる。
「…全然知らなかったです。甘露寺さんに聞いておいてよかった。任務もみなさんに負担させてしまいました。本当にありがとうございます」
「助け合うのはお互い様よ!そういえば、煉獄さんとは会ったかしら?私、数日前に会ったんだけれど、もう相当動けるみたいよ。さすがだわぁ!今後のことは、近いうちにお館様に相談しに行くって言っていたの」
杏寿郎と斗和は、退院以来会っていなかった。
告白され返事をし、翌日朝に挨拶をしてそれきりだった。
杏寿郎は大怪我を負うも、既に鍛錬するまでになっている。
改めて杏寿郎は素晴らしいと、斗和は感心した。
手合わせしようと言われているので、近いうちに行ってみることにした。
「私が退院して以来、まだ会っていないんです。鍛錬して体を戻すのに必死で…。任務も復帰したら、あっという間に時間が経っちゃいました」
「そうよね…あっ!そうだ煉獄さんといえばね、私見たのよ…!」
蜜璃は口の横に手を当て、こっそり教えるような格好をする。
これは内緒話だなと、斗和は耳を傾けた。
「煉獄さんのお父さん、いい人がいるみたい!」
「えっ!?」
斗和は思わず耳を疑った。
杏寿郎の父親とは槇寿郎のことである。
その槇寿郎にいい人、つまり恋人がいるのは初耳だった。
いつの間にそんな人ができたのかと、斗和は目を見開き驚愕している。
「驚くわよねえ」と、蜜璃は腕を組み頷く。
「一ヶ月くらい前かしら?煉獄さんの家がある隣町の蕎麦屋の前で見たわ。お父さんと着物の女性が話していたのよ!女の人は後ろ向きで顔が分からなかったんだけど、お父さんはばっちり見えたわ!ほらだって目立つじゃない?ちょっと離れていたから、最初は煉獄さんかと思ったの。そしたら伊黒さんがあれはお父さんだって言うからピンと来たわ!!ずっと臥せっていたけど立ち直ったじゃない?そこにあの女性と知り合って恋仲になったのよ!きゃーっ素敵だわぁ!苦しんでいたお父さんに寄り添って、立ち直らせたかもしれないわよね!?きっと亡くなった煉獄さんのお母さんに似た方じゃないかしら?亡くなった奥さんの面影がある方で、その姿に葛藤しているんだわ!ああっ大人の恋だわっ、私には刺激が強すぎて困っちゃう…」
一人芝居さながら捲し立てた蜜璃は、きゃーっと両手で顔を覆い身悶えている。
呆気にとられた斗和は、口をぽかんと開けたまま記憶を巡らせる。
(一ヶ月程前、着物姿、蕎麦屋の前…それはまさか私!?)
斗和はカッと目を見開いた。
槇寿郎から謝罪された日は、着物姿で蕎麦屋の二階で会った。
下で去り際に、また家に行くなど少しばかり話しをした。
女は大抵着物姿なので、別人の可能性はある。
だが斗和は、あの槇寿郎に恋人というのは考えられなかった。
そして同時に思ったのは、蜜璃は小芭内と頻繁に会っているということだ。
二人は既に恋人なのではと、疑いたくなった。
「あのー甘露寺さん、それは勘違いじゃないですか?道を聞かれたとか、その程度なんじゃ…」
「あらだって蕎麦屋の前でよ!?きっとそれまで二階にいたのよ、間違いないわ!それに楽しそうに会話していた気がするもの。だからこの話は煉獄さんの耳にも入れておいた方がいいと思って、言っておいたわ。…あらっ大分話し込んでしまったわね、任務頑張りましょう!じゃあまた!」
蜜璃は勝手に捲し立て、勝手に去って行った。
(えええ、煉獄さんに言っちゃったの!?)
斗和は顔が引き攣った。
蜜璃の行動力には驚かされる。
ただの勘違いというのが濃厚なのに、さすが恋柱である。
斗和は、とにかく近いうちに杏寿郎に文を出すことにした。
槇寿郎の恋人は多少気になるが、まずは杏寿郎の今後のことを知っておきたかった。
その後斗和は足袋を買い、警備へと向かった。
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斗和が蜜璃と出会う数日前のことだ。
杏寿郎は手合わせが終わってすぐ、父・槇寿郎の顔をじっと見た。
杏寿郎は午前中に蝶屋敷へ行った帰り、元継子で同じ柱の甘露寺蜜璃と会った。
蝶屋敷にいるうちは何度か見舞いに訪れていたが、退院後に会うのは初めてだ。
体のことや今後のことを一通り話していると、蜜璃の様子に落ち着きがない。
やけにちらちらと杏寿郎を窺い、何かを言いたげにそわそわしている。
何か言い難い話しでもあるのかと、遠慮なく話せと言うと驚くことを口にした。
『あっ、あのぅ…煉獄さんのお父様は恋人がいらっしゃるんですかっ?これは言っていいかしら…でも…実は…』
一ヶ月程前に、蕎麦屋の前で槇寿郎が女性と親しげに会話していた。
蜜璃がしばらく見ていると、互いに小さく頭を下げ和やかに別れた。
女性は終始、後ろ姿しか見えなかった。
蜜璃はそれを見て、槇寿郎は蕎麦屋の二階で誰かと逢瀬をしていたのでは?と思った。
つまりはこういうことである。
説明の途中途中で蜜璃の擬音満載の反応が入るも、杏寿郎はしかと全容を聞いた。
寝耳に水である。
一人捲し立てた蜜璃と別れた杏寿郎は、しばし思考が停止し我に返った。
(父上が蕎麦屋の二階で女性と…?いつの間にそのような人ができたんだ!?)
杏寿郎は悶々と考える。
帰り際に人目も憚らず親しげに話す女性、つまり別れが名残惜しい程の相手ということだ。
妻を失いかなりの年月が経つ。
だが、あの父にまさかと思った。
こうなると気になって仕方がない。
杏寿郎は脇目も振らず自宅を目指した。
杏寿郎が勢いよく帰宅すると、槇寿郎は千寿郎に稽古をつけていた。
帰ってきた杏寿郎を見て、手合わせを持ち掛けてきた。
「ついでだ、手合わせするか?」
「はい!」
杏寿郎は応じるも、脳内は例の恋人が気になりどうにも身が入らない。
"手合わせ中に他のことを考えるのはよくない"
これは以前、斗和に対し言った言葉だ。
まさにだと思った。
結局、杏寿郎は負けてしまった。
鍛錬など、かなりの年数をしていなかったはずの槇寿郎。
だが立ち直ってからは、まるで現役の頃を彷彿とさせる。
杏寿郎が負けたのは今日に限ったことではない。
隻眼の感覚を掴むまでは、父を相手に鍛錬を詰まなければと思った。
しかし…と、杏寿郎は大いに訝しむ。
立ち直ってからの現役さながらの動きは、活力に溢れている。
(活力…活力!?まさか、やはりそうなのか!父上は蕎麦屋の二階でその女性と…!)
「杏寿郎!さっきから何だ!?言いたいことがあるなら言え。これからは真摯に向き合うと告げただろう…!」
杏寿郎の無言の圧に気付いていた槇寿郎が、耐えきれず口火を切った。
傍にいた千寿郎は、心配そうに2人を交互に見遣る。
「父上…」
「何だ」
「単刀直入に聞きます!意中の相手がいるというのは本当ですか!?」
「!?」
「兄上!?」
三者三様の表情で、しばし無言になる三人。
「…甘露寺が見たというのです。一ヶ月程前に、父上が蕎麦屋の前で女性と会っていたと。…随分と親しげだったそうですね?一体どちらの女性なんですか!?」
杏寿郎が問い詰めると、槇寿郎は少々たじろいだが反論する。
「それは…たまたま道を聞かれただけだ!目的の場所が説明し難いから、少しばかり話しが長くなっただけのこと。親しいなど…おそらく場所が場所だから勘違いしたのだろう。意中の者などいるわけがない!」
「そうですか!変なことを言いました。すみません父上」
場所が場所?と首を傾げる千寿郎は、どうも二人が怪しいのを感じていた。
父の顔はほんの少しだけ赤い。
兄の声色は疑いを含んでいる。
兄が生死を彷徨ってから立ち直った父に、意中の相手?
考え難いが、この様子では兄はまだ疑っている。
もし本当にそのような相手がいたとしたら、父は母への想いが薄れたのだろうか。
千寿郎は悲しくなった。
(危なかった…!)
槇寿郎は、自室で盛大にため息を吐いた。
蝶屋敷から帰宅した杏寿郎から妙な視線を感じていたが、まさかあんなことを言われるなど思わなかった。
一ヶ月程前に蕎麦屋の前と言えば、謝罪の為に隣町に赴いたあの時しかない。
蓬萊斗和と二人きりで会える場所が無く、苦肉の策で蕎麦屋の二階というのは仕方がないと思った。
だから知り合いに会わないよう、あちらも気を遣い隣町を指定したのだ。
だが鬼殺隊の隊士や関係者は至る所にいる。
鉢合わせなくとも、見られていることはある。
(まずかったか…)
それでも斗和の顔を見られていないのは、不幸中の幸いだった。
万が一見られていたら、言い訳の仕様がない。
もうあんなところで会うものではないなと、槇寿郎はつくづく思うのであった。