斗和は、結局湯治はせず山を降り藤の家へ向かった。
血鬼術の薔薇の棘が無数に腕や首に刺さり、更に蹴られた左上腕部が痛む。
真っ直ぐ帰るのは気が引けた。
鴉の令和の案内で藤の家へ入ると、斗和はどっと疲れが出た。
それでも湯を貰い傷に注意して体を洗えば、至極さっぱりと清々しい気分になった。
全身汗だくで戦った為、下着も隊服も酷い汗と血で汚れていた。
あまりに濡れて汚いので、洗って貰うのは申し訳なかった。
そこで斗和は自分で洗おうとするも、部屋に閉じ込められてしまう。
充分に休めと言われ、呼んでもらった医者から手当てを受けしばし眠ることにした。
斗和が夢をみるのは久しぶりだった。
やけに人混みの中、薄暗い独特の空間。
皆が手に冊子のようなものを持っている。
人混みの中、"斗和"は何かを一心に見つめている。
とたん頭が殴られたように痛み、斗和は目を開けた。
「ハァハァハァ……」
見慣れない天井と、痛む左腕をさすりながら起き上がる。
斗和は額に手をかざすと、汗をかいているのに気付いた。
妙な夢だった。
あの人混みは、どこかで見たような気がする。
そう思い記憶を呼び起こす。
(そうだ、初めての任務で井戸の鬼と対峙した時だ)
初任務で古井戸に巣食う鬼を退治した時に、同じような場面が脳内に蘇った。
斗和は夢の中のあれは映画館だろうかと思うも、なぜその夢を見たのか分からなかった。
斗和は令和という時代を生きた記憶はあるが、それは断片的なものだった。
以前の名前、家族、住んでいた場所、仕事も分からないのだ。
ただ、年齢は二十九歳であること。
そして大流行していた、鬼滅の刃という漫画を読んだことしか覚えていなかったのだ。
十二歳で記憶を戻してから、斗和はたまにこの不思議な夢を見ていた。
前世の記憶なのかもしれないが、いつも同じ夢だった。
なぜなのかと幾度も考えたが、結局分からず仕舞いだ。
斗和は目を瞑り、深呼吸した。
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──────
斗和が身支度を整え藤の家を出た時は、既に夕暮れが迫っていた。
洗った野良着は僅か数刻で乾き、到着した時とはまるで正反対の清潔な姿で帰路に着くことができた。
斗和にとって失敗と反省だらけの共同任務だったが、大きな収穫があった。
鬼殺隊に入って二年以上経過し、ついに時系列が判明したのだ。
宇髄天元は現在十七歳。
つまり斗和の二歳上で、最終選別の時は十五歳だった。そうなると、物語内で天元と同じ二十三歳だった産屋敷耀哉も十七歳である。
既にあまねと結婚し、五つ子に恵まれているはずだ。
これを踏まえると、様々見えてくる。
物語の大半は天元が二十三歳、斗和が二十一歳の時の話になる。
今から約六年後だ。
そしてこの間に、年号も明治から大正に変わる。
明治はあと数年ということだ。
斗和はあの物語に於いて曖昧な部分もあるが、人物の年齢だけはしっかり覚えていた。
斗和は水柱・冨岡義勇、風柱・不死川実弥、蛇柱・伊黒小芭内の三人と同い年ということになる。
煉獄杏寿郎は一歳下だ。
今の時点で、主要の三人組はまだ九歳か十歳。
そして問題はこれからだ。
斗和は眉間に皺を寄せる。
今後、花柱・胡蝶カナエが上弦ノ弐と遭遇し亡くなる。
実弥の兄弟子・粂野匡近が下弦ノ壱との戦いで亡くなる。
竈門家が無惨に襲われ、二人を残して皆亡くなる。
時透兄弟が鬼に襲われ、兄が亡くなる。
我妻善逸の兄弟子・獪岳が上弦ノ壱と遭遇し鬼になる。
斗和が把握している大まかな出来事はこれらだった。
竈門家と獪岳は物語が始まってからだが、カナエと匡近と時透兄弟は過去の出来事だ。
過去だが、今から起こることである。
(あれ…?時透さんは何歳で襲われるんだっけ?刀鍛冶の里の話しがよく思い出せない…読んだはずなのに…)
時系列が判明し、斗和が考えることはただ一つ。
彼らを救うことができるか───
斗和は、この物語の記憶を持っているだけの女だ。
そんな斗和にどれだけの力があるのか。
正直なところ、斗和は不安が勝っている。
誰かを助けようなど、おこがましい考えだと思った。
現実的に、今の時点で誰を救えるかである。
胡蝶カナエを襲う上弦ノ弐は倒せない。
竈門家を襲う無惨も当然ながら倒せない。
獪岳が遭遇する上弦ノ壱も倒せない。
斗和がなんとか対峙できそうなのは、時透兄弟を襲う鬼と実弥と匡近が戦う下弦ノ壱だけだ。
しかし、ここで問題だ。
倒せるかもしれないと仮定して、いつそうなるのか。
いつこれらが起こるのか。
それを予想して動けるのか。見事に回避できるのか。
斗和の中で答えは出ていた。
不可能であるという答えが。
諦めだ、逃げだと思うだろうが、できないものはできない。
そして何より、斗和はまだ死ぬわけにはいかないのである。
斗和が絶対に助けたいのは煉獄杏寿郎だ。
その時が来るまでただひたすらに強くなる、そう決めている。
これもまたおこがましい考えだと思ったが、それでもこれだけはどうしても諦めたくなかったのだ。
斗和は下唇を噛み空を見上げた。
先を知っていても救えない命ばかりだ。
斗和がこの世界に生まれた理由は、果たしてあるのだろうか。
(何もしていないのに苦しむなんて、私はどこまでおこがましいんだか…)
その顔には焦りと不安が滲み出ていた。