正面に座る男は、苦虫を噛み潰したような顔をして牛蒡を咀嚼している。
「…硬え。これ生だろ?いつまでたっても飯作りが安定しねえなあ!」
その言葉に、斗和はがっくりと項垂れるしかなかった。
また失敗だと落胆する。
一年前、元・岩柱だという育手を探すため東根山を登った。
会えたその男は意中の人物だった。
元・岩柱で岩の呼吸の育手・
現役の頃に片目を負傷し隻眼となり、柱を引退し以降は育手をしている。
顔には髭、背も非常に高く体格もいい。
熊とまではいかないが、かなり迫力のある風貌である。
四十五歳、紛れもない中年親父だ。
斗和は修行中、あまりにも腹が立った時は、内心でおっさんやクソおやじと呼んでいた。
その師の元、斗和は日々鍛錬を積んでいた。
基礎体力作りから始まり呼吸の訓練をしたが、死にそうになる程のきつさだった。
斗和は何度も死にかけた。
来る日も来る日も泣いて吐瀉物にまみれ、意識を無くし何度も挫け一度は逃げた。
だが斗和は戻ってきた。
なぜなら、師は追いかけて来なかったからだ。
追いかけて来ない、つまり必要とされていない好きにしろという意味である。
それが堪らなく悔しかったのだ。
あの物語に斗和は存在しなかった。
だが今こうしてその世界で生きているのは、紛れもない事実である。
故に絶対に諦めることはできなかったのだ。
踏ん張り藻掻き、少しずつ失神しなくなった。
呼吸というものを会得できたんじゃないかと思ってきた頃のことだ。
師がほんの少しだけ本気の目をし、斗和にかかってきた。
すると当然ながら見事なまでに叩きのめされたわけだが、別の意味でも叩きのめされた。
「言わなきゃならねえことだから言っておく。お前には岩の呼吸は使いこなせない。お前が十二歳にしては恐ろしく力が強く、足腰も丈夫なことは分かる。体力も腕力も同年代と比べても抜きん出ている。いずれ鬼殺隊の男と肩を並べる実力者になるだろう」
師は一旦切ると、斗和を真っ直ぐに見据える。
「…だがそれも、あくまで女としてはだ。岩の呼吸は全身を使った力が全てだ。今まで、相当な体躯に恵まれた男しか会得できていない。その力に耐える為、日輪刀も特殊で重い斧や鉄球だ。それを常時持ち、戦うことができるか?女が岩の型を使うには、圧倒的に力が足りない。鬼殺隊に入りたいという熱意に負けて教えたが、やはり自分に合った呼吸でなければ鬼の頸を斬ることはできん。だから今からでも別の育手の元で修行しろ。自分に合った呼吸を見つけるんだ」
斗和の脳裏には、師の存在を教えてくれた隊士の言葉が浮かんだ。
去り際にこう言った。
『岩の呼吸は、体躯に恵まれた男じゃないと使えないらしい』
そんなはずないだろうと、斗和は敢えて聞かなかったふりをして去った。
まさか本当にそうだったのかと、ハッと思わず自嘲のため息が漏れる。
強くなりたい一心で岩の呼吸を選んだが、女では力が圧倒的に足りないという事実。
斗和は師の顔を見られなかった。
どうしようもなく悔しく、ギリギリと奥歯を噛み締めた。
できていると思った矢先に叩きつけられる現実は酷だ。
なまじ希望が見えてきた時だからこそ、奈落に突き落とされた。
他の呼吸ならと切り替えなどできず、斗和は茫然自失で布団に入った。
翌朝。
斗和は畑を耕す為に鍬を担ぐ。
何も考える気にならず、一心不乱に鍬を振り下ろした。
畑仕事は苦にならない。
斗和はここに来てからも合間にずっとしてきたことであり、土が好きだった。
着飾るより畑仕事が好きというのは、根っからの農民だなと自嘲し鍬を振るう。
(今日でこの畑を耕すのも最後か……。最初はここで作物泥棒だと思われたんだっけ)
湧き上がる悔しさに、斗和は涙が零れ落ちそうだった。
女にはどう足掻いても無理なのか、男ならよかったのだ。
なぜ男に生まれ変わらなかったのか。
などとぼんやり考えていると、そのうちにザクッザクッと鍬を立てる音が遠くに聞こえていた。
(師匠や悲鳴嶼さんのように、岩の呼吸を使えたらどんなにいいだろう。そしたらあの人を助けられるかも…ううん!絶対助けられるのに!別の呼吸…何ができるの?もし他の呼吸がどれもできなかったら?私は何もできないまま?じゃあ私ができることは?……農作業だけしかない…)
気付くと後ろ足が腰掛けにしていた岩に躓き、斗和は盛大にひっくり返った。
ああもう馬鹿だなと、起き上がった斗和は唖然とした。
今耕してきたはずの場所が左右に大きく、何ヶ所も深く裂かれたように抉れているではないか。
(ちょっとー!!何これ!?畑がめちゃくちゃじゃないの!)
一心に耕していたはずが、いつの間にこんなことになったのか。
斗和は頭を抱えた。
これでは畑を破壊したようなものである。
(まずいまずいまずいー!師匠に見つかる前に元通りにしないと!)
慌てて抉れたところに鍬を立てようとすると、背後から声がした。
「今のもう一度やってみろ!…これでな!」
ビクッと盛大に背筋が伸び、斗和は恐る恐る振り返る。
いつの間にか師が後ろにおり、自らの日輪刀を差し出してきた。
鍛錬で使っている一般的な日輪刀とは違い、西盛の日輪刀は大鉈だ。
普通の鉈より柄も刃も長く異常に大きい。
斗和は持つのは初めてだが、相当に重い。
(これを振り下ろすなんてできるの?それに、今のをやれと言われても、鍬で耕していただけだよ)
この巨大鉈を鍬のように持てというのか。
斗和は、どうしたものかとちらりと師を窺う。
だが何も言わずじっと斗和を見ている。
無言の圧である。
こうなればもう、やるしかない。
斗和は巨大な鉈を鍬のように持ち上げた。
(お、重いっ!!)
ザクッと音がし、鉈が土に斜めに刺さる。
もう一度振り上げ下ろす。
(重いーっ!!)
更にもう一度、もう一度、もう一度、もう一度……
師は未だ口を開かず黙って斗和を見ていた。
鉈で畑を耕すなんて正気なのかと、斗和は沸々と怒りが込み上げていた。
巨大鉈はかなり重く、鍬のように何度も振り下ろせるわけがないのである。
ましてや斗和は、まだ十三にもならぬ少女だ。
普通の同じ歳の娘ならば、持ち上げることさえできない。
(これだけやらせて何も言わないの!?ねえ!重い!重い!重い!重い……重てえんだじゃ!このやろう!このクソおやじが!)
「声に出てるぞほっかむり娘!」
えっと思った瞬間、振り上げようとした鉈を手から取り上げられた。
斗和は腕が痛くて疲れ果てしばし唖然としていると、師はなぜか笑っている。
その鉈で指された場所を見れば、左右に深く抉られた跡がある。
先程より抉られた範囲も長く深い。
畑は見るも無惨な状態だった。
「今の呼吸はお前だけのものだ。言うなれば土の呼吸、か?あとは更に鍛錬して型をつくって行くんだな。」
「は……?えっ?土の呼吸!?」
結局斗和は、岩の呼吸は会得できなかった。
代わりに、悔しくて耕していた畑を破壊した結果、土の呼吸を派生させたのだった。
鍛錬で型を編み出すには、師の大鉈はあまりにも重く、日本刀形状の日輪刀を使った。
しかし今度は呼吸も型も出せるが、威力が足りないのかしっくりこなかった。
それでも東根山に来て丸一年が過ぎた頃、ついに最終選別への許可が出た。
◇
目の前で硬い牛蒡を無理矢理飲み込んだ師は、ゆっくり口を開いた。
「…俺が今まで育てた奴は全員男だったからよ、お前が来たのには心底驚いた。鬼殺隊の長い歴史の中で、岩の呼吸を使った女は一人もいない。使いこなせないからすぐに諦めると思ってたら根性あるんだもんなぁ…。逃げ出して戻ってきたのも初めてだ。岩の呼吸から別のを派生させたのも、俺の知る限りではいない。斗和、よくやった!俺がしてやれるのはここまでだ。最終選別、必ず生きて戻れ!必ず鬼殺隊に入れ!」
「はい!!」
合格するかも分からなかったが、今までを思い出すと斗和は涙が出そうだった。
悟られないよう、硬いと言われた牛蒡を噛み締める。
(やっぱり生だ、これ)