実弥はその日、東京郊外での任務だった。
厄介な血鬼術の鬼で多少手こずった為、思ったより時間がかかってしまった。
腕を流れる血を拭い傷口を縛ろうとすれば、いつも亡き兄弟子の言葉が蘇る。
『いいか、稀血に頼る戦い方をするなよ』
『実弥、体を斬り刻むようなことはするな』
あれこれ怒る
柱になり、更に傷の増えた姿を見たら何と言うだろうか。
いらぬ節介を焼く友は既にいない。
懐かしんでも、二度と在りし日は戻らない。
実弥はたまにふと思う。
匡近ならこんな時どう対処するのか。
匡近ならどう動くのか。
他の隊士に何と声を掛けるのか。
聞いても返ってこないと分かっているが、それでも実弥はいつも答えのない疑問を問う。
傷口を縛り終わると同時、実弥の背後から羽音がする。
振り返ると、やけに明るい半月を背に、一羽の鴉が急速に向かってくる。
(なんだァ?)
「下弦二体ィ!下弦二体ィ!危機ィ!」
「アァッ!?下弦が二体だとォ!?どこだァ!」
現れた鴉が放った言葉は衝撃で、実弥はすぐさま弾けるように鴉の後を追った。
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川を渡り山を越え着いたそこは、民家がまばらに点在する集落だった。
先を行く鴉に続けば、見えてくる三つの人影。
だがその時、急に鴉が旋回し戻って来る。
「退避ィ!」
(退避だとォ!?)
ここまで来て、いきなり退避とはどういうことなのか。
実弥は無視して先へ行こうとする。
だが今度は己の鴉・
「お前等邪魔だァ!」
威嚇するも、二羽の鴉は頑なに譲らない。
「実弥、言ウ通リニシロ!」
「何言ってやがる!この先に下弦がいんだろォ!?」
「木ダ、登レ!」
「
埒が明かず、実弥は斬って先へ行こうと刀に手を掛けた時だ。
突然地鳴りがし始める。
足元が揺れるような地響きもだ。
「木、登レ!早ク!」
呼びに来た鴉が急かす。
只ならぬ雰囲気を察し、実弥は訳も分からず近くの木に登る。
すると少し先に、鬼が二体と人間が対峙しているのが見えた。
周囲には既に死んだと思われる隊士が四人、横たわっている。
明るい半月のおかげでくっきり浮かび上がる、住職のような鬼と小さな子供の鬼の姿。
実弥のいる場所からは目の字までは見えない。
だが鴉が言うので、どちらも下弦の鬼で間違いないと思った。
下弦が二体同時に現れるなど、実弥はこれまで聞いたことがなかった。
鬼は基本的に群れない。
特に十二鬼月ならば尚更対抗意識が強く、共に行動するなど有り得ないことだ。
(チッ!何がどうなって二体現れた!?聞いたことがねェ)
二体同時に暴れているならば、柱を何人か向かわせるはずだ。
だがその要請は出ていない。
実弥が呼ばれたのは偶然に過ぎないのだ。
すると対峙していた人間、女だ。
隊服は着ていないが、その手には風変わりな刀を持っているので隊士である。
すると、地鳴りなのか妙な音がし始めた。
徐々に大きくなるそれと共に、女の周囲の地面から土の粒子が立ち昇る。
(…!?)
女が刀を横向きに構えたその瞬間、実弥は信じられない光景を目の当たりにする。
女は驚異的な瞬発力で、坊主鬼の顔を真横に斬った。
次の瞬間には、子供の鬼の胴体を真っ二つにしたのだ。
そしてこれでもかという程に斬り刻み、その一風変わった刀を真上から振り下ろし頭を叩き潰す。
すると次は、住職の鬼をこれまためちゃくちゃに斬り刻み同じように頭を豪快に潰した。
(!!?)
僅か三十秒かかったか、かからぬかで物言わぬ肉塊が二体出来上がっていた。
そして女は盛大に真横に倒れた。
「っ………」
実弥は微動だにできなかった。
信じられないものを見て言葉も出ない。
しばし動けずにいたが、女が倒れる音で我に返る。
弾かれたように木から降り、現場へ向かった。
文字通り肉塊となった二体の鬼は、醜怪そのもので目にするのも憚られる。
転がった目玉に【下弐】の字があった。
もう一体の眼球は見当たらない。
叩き潰されたのだ。
実弥はボロボロと崩れ消えゆくのを確認した後、倒れている女に声を掛け軽く揺さぶる。
だが反応はなく、死んだのかと思えば呼吸はしている。
生きているなら藤の家まで運ばなければと、ひとまず体を仰向けにした。
「?」
実弥は間近で見た女の隊服を訝しむ。
一般的な隊服ではない。
まるで野良着だった。
畑仕事の格好で鬼狩りをしている隊士は、初めて目にした。
そこで実弥は思い出す。
いつかの共同任務で、誰かが言っていたのはこの女のことだと。
野良着で土の呼吸を使う隊士がいると言っていた。
実弥は興味もないので聞き流していたが、てっきり男だと思っていたのだ。
女だったのには驚いた。
女の顔に纏わり付く髪を払ってやれば、その顔には大きな傷があった。
左頰を深く裂かれたと思われる長い裂傷だ。
傷は縫われた痕があり、皮膚が少し盛り上がっている。
真横に走るその傷は耳の手前まで続き、まるで己の右頰の傷と左右対称になっているかのように感じた。
実弥はどうにも言い表せない気持ちになる。
普段の実弥ならば、絶対にそんなことはしない。
だがその時は、下弦を二体も討った隊士がどんな女なのかと気になった。
涙の後を付けた顔を、実弥はまじまじと見る。
通った鼻筋、柔らかそうな薄い唇、そして閉じられた瞳に重なる濡れた睫毛。
目を開けたらどんな顔をするのか、見てみたいと思った。
(女だってのに顔を斬り裂かれて…)
実弥は無意識に女の傷を指でなぞっていた。
「カァ!」
「!」
鳴く鴉に我に返ると、実弥は何事もなかったかのように立ち上がった。
女の傍らにある日輪刀を懐紙で綺麗にしてやり、事切れている隊士を確認する。
下弦を二体相手に、五人でよくやった。
どういう状況でこうなったのかは分からないが、必死で戦ったのが見てとれる。
さて女を運ぶかと思った矢先、数人の隠が現れた。
「不死川様!ご無事で何よりです」
「俺は何もしてねェ。それより…」
実弥は随分早いなと思ったが、辺鄙な場所なので早くから声が掛かっていたと隠は言う。
「オイ、お前は俺と来い。これを持てェ」
「えっ?はい。これ日輪刀ですか?変わった形してますね」
実弥はその中の一人に女の日輪刀を預け、共に藤の家まで来て貰うことにした。
背負った女は女にしては身丈が大きく、体重もそれなりにあった。
身丈に合った体重だろうが、それでも男に比べたら遥かに軽い。
担ぐ時に掴んだ手首の細さに驚いた。
風変わりな刀は、実弥の刀よりずしりと重かった。
それをこの手首で持って振っていたのには驚くしかない。
実弥はフーッと息を吐くと、背中に当たる柔らかい感触を頭の片隅に追いやり、藤の家を目指した。
(妙な女だなァ)