伊黒小芭内の蛇柱就任報告を兼ねた柱合会議後、斗和は煉獄家を訪れていた。
千寿郎は買い物に行っているようで、不在だった。
そろそろ文を出そうと思っていた矢先、杏寿郎に会った。
斗和は、これ幸いと手合わせを申し込んだ。
嫌な顔をせず、二つ返事で了承した杏寿郎。
やはり彼は素晴らしいと斗和は頷く。
斗和が内心で、槇寿郎をぶちのめしてやりたいと思っていることなど考えもしないだろう。
「先日の焼きお握りと糠漬けは、最高だった!ありがとう。俺は飯を焼くという概念が無かったからな。あんなにも美味いならば、毎日でも食べたいくらいだ!」
「それはよかったです!最初に教えて貰ってから数年経ちますが、慣れると短時間でできますよ。表面が硬くなっても美味しく食べられるんです」
「うむ。千寿郎もかなり気に入っていてな。是非また作ってくれ!」
「はい!」
礼を言われ、斗和は一気に気分が高揚する。
杏寿郎の為ならば、いくらでも作れる。
だが杏寿郎は、斗和を料理上手と思っていないか不安だった。
実は焼きお握り、卵焼き、鰤大根くらいしかまともに作れないのは秘密にしなければと思った。
「雲行きが怪しいが、まずは庭で手合わせしよう!」
杏寿郎は斗和に木刀を渡す。
それを受け取ると、斗和は構えた。
(まずは先手…!)
突進し、左斜め下から右上に木刀を振る。
杏寿郎が避けたので、ブンッと空を斬る。
実は斗和は前回、同じことをして手から木刀がすっぽ抜けた。
そして煉獄家の庭木の枝を折ったのだ。
さすがに二度目で同じことはできない。
木刀をしっかり握り、間髪入れず打撃を繰り出した。
普段鍛錬中は鍬を使用している斗和は、木刀がかなり軽く感じている。
実際手に馴染まず、好きではなかった。
しかし、一般的に手合わせと言えば木刀でやる。
馴染まないと思いつつも、斗和はひたすらに打ち込んでいく。
カンカンカンカンと、素速い打ち込み音が絶えず聞こえる。
杏寿郎も打ち返してはいるが、斗和は木刀捌きが速い。
どんどん圧していく斗和に、杏寿郎は口端を持ち上げる。
「前回よりも随分と速いな!まさか手加減していたのか?」
「えっ!違いますよ!前回は緊張していたんです。今回はさすがに…」
二人は高速で打ち合いながら会話をする。
斗和は一旦離れ型を撃とうかと考えるも、また庭木を折ったり塀を壊す可能性が頭を掠める。
「っ!」
考えごとをしたせいで、反応が僅かに遅れた。
「蓬萊殿!母屋以外なら壊してもいいぞ!」
察したのか、すかさず杏寿郎が言い放つ。
それでも斗和はやはり踏ん切りがつかない。
そうこうするうち、ポツポツと雨が降ってきた。
杏寿郎が後方に大きく下がり、打ち込みを止めた。
「やはり降ってきたな。濡れる前に道場へ行こう」
「はい」
二人は道場に入り、仕切り直そうとした時だった。
入口で杏寿郎の鴉が呼ぶ。
「これから任務ですか?」
「うむ。ここから遠いようだからな、すぐ発たねばならん。悪いが今日はこれにて終いだ。傘を貸すから一緒に出よう」
斗和はそう言われ、すぐ外に出て門の前で別れる。
杏寿郎が見えなくなったのを確認すると、周囲を見てそっと家に戻る。
千寿郎は不在、杏寿郎も任務に行ってしまった。
思いがけず手に入れた時間である。
斗和は有効活用することにした。
(千寿郎君、どうかまだ戻らないでね)
◇
静まり返った煉獄家に再び入る。
斗和は以前案内された一室へと向かう。
そこで襖の前に座り、姿勢を正し深呼吸した。
「…失礼致します。先日ご挨拶させて頂きました蓬萊斗和です。お話しがあって参りました」
前回より大きく襖を開けると、斗和に背を向けた槇寿郎の姿があった。
「杏寿郎様は任務に赴きました。手合わせが途中でしたので、続きをお願いしたいのです」
「断る」
「…なぜです?二度も断るなんて、小娘に負けるのが怖いのですか?」
明らかな挑発に、槇寿郎は立ち上がった。
そして斗和の元へズカズカと近寄る。
「うるさい去れ!」
勢いよく襖を閉められるも、斗和は再度開け、素早く中に入り襖の前に座した。
「お前…!勝手に入るな出て行け!」
「お話しがあると言ったでしょう。少しは聞く耳をお持ち下さい。本日、伊黒小芭内様が蛇柱に就任されました。以前、八丈島であなた様がお助けになった
「それが何だ!早く出て行け!」
斗和は努めて冷静にと思っているが、聞く耳をもたない男にはどうしたらいいのか悩む。
こうなれば、口から出任せを言うしかない。
「彼は私のように、あなた様に大層感謝しておりました。努力し杏寿郎様と同じ柱になったのですから、よくやったとお声を掛けてもよいのでは?」
これは斗和の嘘である。
実際小芭内は、槇寿郎に感謝しているかもしれない。
だが、斗和がそれを直接聞くことはない。
「黙れ!そんなものどうでもいい。下らん!誰がなろうと柱など無駄なことだ!」
槇寿郎は全く聞く耳を持たず、斗和を睨みつけ怒鳴り散らす。
その姿は、息子の杏寿郎とは全く違う表情である。
似ているのは外見だけだなと、斗和は改めて思った。
「なぜそんなに不貞腐れているのです?奥様を亡くしたからですか?柱の何が無駄なのです?お酒ばかり飲んで、それこそ何になるんですか?」
斗和は槇寿郎を見据える。
しかし明らかに怒気が増したので、斗和は思わず冷や汗が流れた。
(威圧感が増した…腐っても柱だっただけある)
これ以上のやりとりはまずいように思えた。
せっかくの機会ではあるが、そろそろ千寿郎も戻って来る。
「では、今日はこのあたりで失礼します」
斗和は極力冷静を保ち、素早く部屋を出て一目散に玄関に走る。
ところがすぐに立ち止まった。
「っ、と!千寿郎君…」
廊下を曲がると、そこにいたのは千寿郎だった。
不安気な瞳を向けられ、斗和は動揺してしまう。
(しまった!もう帰ってたなんて…)
槇寿郎の部屋は玄関から一番離れている。
とはいえ、千寿郎が帰宅した気配に気付かなかったのは失敗だった。
考えて見れば、千寿郎とて鍛錬をしている身だ。
いずれ刀の色が変わらないことが判明するが、それまでは常に鍛錬しているのである。
まだ子供だからと、斗和は少々甘く見ていたのだ。
「蓬萊さん、いらしてたんですか?兄上は…?なぜ父上の部屋から…?」
斗和は、何でもないと言う風に口角を持ち上げた。
「また手合わせして貰っていたんですけど、途中で煉獄さんに任務が入ってしまったんです。せっかくだから、お父様に稽古をつけていただこうとお聞きしたんです。だけど断られてしまいました」
「…そうですか…。お帰りになるのであれば、先日の重箱をお返しします。玄関でお待ち下さい」
千寿郎は台所へ走って行った。
斗和を見る目に猜疑心があった。
納得いく説明ではないのは、斗和自身分かっている。
それでも、槇寿郎に会う本当の理由を息子達に言えるはずがない。
斗和は、この世界で起こることを知っている身だ。
それを誰にも知られてはならないのだ。
「………」
斗和は下唇を噛み、玄関へと向かう。
やはり千寿郎に話しを聞かれた可能性が高い。
今後、煉獄家に出入りできないのは非常に困る。
それに、杏寿郎にこのことを知られるのもまずい。
斗和は、苦肉の策でどうにか誤魔化すことにした。
玄関で重箱を渡された後、斗和は言い難そうに口を開いた。
「すみません…。実は以前の柱合会議で煉獄さんから聞いたのです。お父様がお母様を亡くされてから、お酒ばかり飲んで自室に籠もっていると…。それでとても心を痛めていたので、どうにかできないかと思って…」
あながち間違っていないのだが、杏寿郎が斗和に詳しく槇寿郎の話しをしたことはない。
経緯についても母親が亡くなってから変わった、としか聞かされていないのである。
斗和の演技は続く。
「私は以前お父様に命を助けられ、本当に感謝しているのです。だから刀を握れば何か変わるのではと、それで稽古をお願いしたんです。煉獄さんには許可を得ず勝手にしたことです…すみませんでした」
斗和が申し訳なさそうに俯くと、千寿郎は"そうだったのですね!"と笑顔になる。
「買い物から戻って、見慣れない草履があったので驚きました。父上の部屋から話し声がしたので、誰が?と思ったんです」
千寿郎は安心した様子を見せたので、斗和もよかったと安堵する。
この感じでは、会話は聞かれていないように思えた。
「蓬萊さんの作った焼きお握りと糠漬け、とても美味しかったです!焼き加減もいいし、醤油も全てご飯に浸していないから、中の梅干しとよく合って絶妙でした。是非今度教えて下さい!兄上に作ってあげたいのです…!」
斗和の誤魔化しを信じ、目を輝かせる千寿郎。
騙したことに罪悪感が込み上げる斗和だが、これも致し方なかった。
斗和は二つ返事で了承し、また近いうちにお邪魔しますと告げ今度こそ煉獄家を後にした。
雨はまだ降っていたので傘を借りた。
任務に向かった杏寿郎が濡れてしまっているだろうなと、少し寂しくなった。