芋娘から人妻へ
雨が多かった今年の夏だが、暑さはそれ程でもなく過ごしやすかった。
秋口になると吹く風も肌寒さを感じる。
斗和が三度目の打診で柱となり、一年が経った。
任務も、単独であろうが共同であろうがこなしてきた。
多かったのは、助っ人で呼ばれることだった。
杏寿郎を助けることを目的としている為か、それに通じており、任務をやり遂げると充実感で満たされた。
やがて来るあの日まで、まだまだもっと努力しなければならないと斗和は思った。
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ある日、佳成と夏世と昼餉を食べ終わり茶を飲んでいた時のことだ。
一人の女の隠が現れ、耀哉からだと文を手渡してきた。
珍しいことだった。
耀哉の文は鴉が運ぶことばかりだったので、初めてのことだ。
斗和はどうしたんだろうと湯呑みを置き、文に目を通す。
有名な温泉街で、潜入任務に当たっていた隊士二人の連絡が途絶えた。
至急向かって欲しいと書いてある。
送り込んだ隊士は階級が丙と丁で、新婚夫婦に扮していた。
そして今回、斗和と佳成で新婚に扮して向かうようにと書いてあった。
隠から、着付けと化粧を施して貰うようにとも書いてある。
斗和は、だから隠が文を持ってきたのかと合点がいく。
(佳成と、継子と夫婦を演じるの?)
斗和は腑に落ちない。
だがそれよりも、左頰に大きな傷のある斗和が妻役は厳しいのではないかと思った。
傷は変色し少し盛り上がっており、化粧で隠せるとは思えないからだ。
それを隠に伝えると、古今東西のあらゆる化粧品を集めて来たと言われた。
これで無理ならば、顔の左半分は襟巻きで隠して行くしかない。
斗和はどうしようと悩む。
佳成と夫婦役をするのは、恋人である夏世がいる手前やり難いのだ。
しかしそれを隠すわけにもきかない。
「……というわけだから、夏世ちゃんにはとても申し訳ないんだけれど…。二人とも留守にするから、帰って来るまでは藤の家にいてね」
「任務だもの、それは仕方ないわよ。じゃあ二人が戻るまでは藤の家を手伝って待ってるね」
隠の手前、二人は標準語で会話する。
洗い物を済ませた夏世は、藤の家に帰って行った。
佳成が門の前で何か言っており、夏世に心配をかけまいとしているのが見て取れる。
斗和は、罪悪感が込み上げる。
信じているとは言われたが、恋人の隣を歩くのが別の女であればやはり嫉妬はするはずだ。
夫婦を演じるともなれば尚更である。
斗和は、帰って来たら佳成と思う存分2人きりにさせてあげなければと思った。
土産もたくさん買おうと決める。
◇
先に佳成が仕度し、その間に斗和はいつもの野良着隊服など一式を風呂敷に纏める。
男の仕度はあっという間だ。
呼ばれて居間に行けば、きっちり袴を身に着けた佳成の姿があった。
身長が高いので足も長く、なかなか様になっている。
土柱様もと言われ、斗和は隠と自室へ入る。
隠が持参したのは、白地に薄紫の朝顔模様の着物だった。
実は斗和は、十九年間ただの一度も着物を身に着けたことがない。
着付けすらろくに分からなかった。
幼少期より野良着と寝間着、そして隊服のみで過ごしてきたので、着物とは無縁の生活だったのだ。
斗和は初めて柱を打診された時、記念に着物一式と化粧品を購入した。
だが、それらは一度も使っていないままだ。
隠にそれを伝えると、驚愕し困り果てる。
明日以降は自分で着なければならないので、この場で覚えろと言われ、斗和は必死で覚えた。
「次はこれを…あれっ?足りなくなった!」
「右手の帯をもう少し長めに取って下さい。蓬萊様!それでは長すぎますよ…左手は交差させて…」
この任務、本来ならば胡蝶しのぶか甘露寺蜜璃が適役である。
蜜璃はまだ柱ではないが、要請があっても不思議ではない。
あれこれ指導されながら、斗和はなんとか頭に叩き込む。
既に胸周りが苦しく、脱ぎたくなった。
「…苦しいんですけど…」
「女は基本的に着物なのですよ?蓬萊様は普段サラシを巻いているというのに、なぜ着物には慣れないのですか」
「だって背中が何だかこう、前屈みになれないし…動き難いんです」
「………」
隠は呆れ、斗和が散らかしたサラシやら足袋を片付ける。
次はいよいよ化粧だ。
斗和は、この家に元からあった鏡台の前に座って目を瞑る。
実は化粧もしたことがないと告げれば、隠はいよいよ不安な表情を色濃くした。
天元が会う度に地味だ芋娘だと連呼するのは、揶揄ではく本当のことである。
斗和は元から農家の娘で、着飾るとは無縁の生活を送って来た。
更に十三歳で鬼に左頰を斬り裂かれてからは、尚更着物も化粧も不要であった。
着飾ろうが醜い、斗和はずっとそう思っていた。
それは紛れもない事実なのだ。
「…この傷、驚いたでしょう?醜くてすみません。おそらく化粧では隠れないと思いますよ。なんだか化粧品がもったいない気がします」
斗和は沈黙が嫌で、目を瞑ったまま隠の女に話し掛ける。
「鬼殺隊に属する者は、誰しもどこかに傷を持っております。蓬萊様は女性隊士の手本となられている方です。ご自分の怪我より他の隊士を気に掛けたり、隠を待たずに率先して負傷した隊士を運んで下さったり。柱になろうと常に謙虚な蓬萊様は、隠の中では人気なのですよ」
隠の指が顔を滑り、傷に何かを塗っていく。
斗和が他人に傷を触られるのは、治療を受けて以来のことだった。
(私が謙虚で人気…?)
斗和はそんなことは考えもしなかった。
ましてや、誰かの手本になどなっているわけがないと思った。
胡蝶カナエ、しのぶ、甘露寺蜜璃のように見目麗しい女ではないのに、人気になるわけがない。
斗和はズキンと胸が痛んだ。
否定ばかりが脳内を占めていく。
初めて着付けられ化粧をしているからか、斗和は妙な気持ちになる。
綺麗とは無縁だからこそ、彼女達に羨望の眼差しを向けていたのは確かだった。
なれるわけもない彼女達のように美しかったらと、内心で思っていたのは事実である。
(見て貰いたい人がいるわけでもないのに…)
紅を引かれている感触がし、首に巻いていた手拭いを取られる。
「それから…蓬萊様はご自分を大層卑下しておられますが、これでもそう思われますか?…どうぞ目を開けて下さい」
斗和はその言葉に、ゆっくりと目を開ける。
(…誰?)
そこには見慣れた顔ではない、白粉と紅を塗った女が鏡に写っている。
傷は分かるものの、大分薄くなっていた。
(…いや、これ私?)
斗和がしばし鏡の前で呆けていると、何やら襖の外が騒がしい。
「えっ、入っていいんですか?じゃあ…師範、終わったそうですね。入りますよー…!」
襖を開けた佳成は、斗和を見て目を見開いている。
「師範!?え、師範?本当に…?」
「…そうみたい」
「仕度ができたのですぐに出発して下さい。蓬萊様は念の為目元だけ出して、何か聞かれたら飛び石が当たり傷ができたとでも言えばよいかと。家を出てからは、常に夫婦の振る舞いを忘れずに。では、御武運をお祈り致します」
隠は頭を下げ、すぐに帰って行った。
二人の刀は琴を思わせる木箱に入れ、佳成が持ち歩く。
斗和はというと、慣れない女の草履で歩くのに四苦八苦していた。
「師範とこうして歩くなんて思わなかったですよ。随分変わったから、別人にしか見えません」
佳成は、斗和をまじまじ見ながら歩く。
「うーん…私も少なからず自分に驚いてる…。それにしても、着物は胸周りが苦しいんだね。この草履は硬いし、小股でしか歩けないし…」
斗和は先程からあまり進まない歩みに、ため息が出る。
普段の二倍はかかっていた。
だから耀哉は、すぐに仕度し出発するよう文に書いていたのかもしれない。
新婚夫婦のやりとりがいまいち分からない斗和は、佳成は大丈夫だろうかと気になる。
「ねえ、呼び方には気を付けてね」
すると佳成は、微笑みつつ斗和の肩に手を置く。
「勿論だよ。斗和こそ、足元に気を付けるんだよ」
「あら、佳成さんたら心配性なんだから…フフ……ねえ、これでいいの?」
「ばっちりですよ!呼び方と振る舞いに気を付ければ、何とかなります」
薄ら寒いやりとりに感じ、斗和は苦笑いする。
鬼を見つけ頸を斬り、さっさと帰らなくてはと思った。