雨の日に山で蓬萊と任務を共にしてから、幾日か経った。
今年は梅雨入りが早かったのに抜けるのも遅く、まだまだジメジメとした雨ばかりの日が続いている。
最近は外で鍛錬できず、道場にばかりいた。
今日は台風が近付いているのか風も強く、横殴りの雨のせいか不快なじめっとした空気はない。
鍛錬はいい。
余計なことを考えず、鬼を倒すことだけに集中できる。
刀を振る毎に、下らない感情が消えればいいと思っていた。
◇
しばらく鍛錬に明け暮れていると、先程より強くなった風雨の音に混じり、僅かながら扉を叩く音がする。
気のせいと思ったが、いつも来る隠が今日は遅いので来たのかと思い玄関へ向かった。
「蓬萊…!」
戸を開けて驚いた。
「こんにちは。…すいません、こんな雨の日に」
そこに立っていたのは、若緑の羽織を着た隊服姿の蓬萊だった。
普段着ている野良着隊服でないのは珍しい。
この隊服姿は、柱合会議でしか見たことがない。
何かを抱え壊れた傘を持ち、全身ずぶ濡れになっていた。
俺は蓬萊の腕を掴み、すぐさま中に引き入れる。
すると蓬萊は、抱えていた包みを差し出した。
「これ、おはぎです。濡れないように抱えて来ましたけど、もし濡れてたらすみません。食べて下さい」
おはぎだから食べろと言う。
なぜ持参したのかよく分からないが、とりあえず受け取った。
蓬萊にはその場で待つよう告げ、俺は急いで奥へ走る。
風呂場の桶を掴み、その中に新しい手拭いを多めに入れる。
自室に行き、箪笥から比較的新しい着流しと帯を出し、桶に入れ玄関へ戻った。
「突っ立ってねェで早く上がれェ」
「いえ、おはぎを届けたかっただけなので私はこれで…」
濡れた髪を拭いている蓬萊は、そのまま帰ろうとする。
ずぶ濡れでまた帰らせるなどできはしない。
「いいから言う通りにしやがれェ!」
苛立ち凄めば、蓬萊は渋々ながら従った。
俺は、着流しや手拭いの入った桶を差し出した。
「これに着替えろォ」
そのまま近くの部屋に押し込もうとした。
「ちょっと、畳が濡れますからいいですよ。着替えるならここで…」
俺は開いた口が塞がらない。
こいつは玄関で堂々着替えるつもりなのか。
万が一誰か来たらどうするんだ。
苛立ちが増し、俺はさっさとしろと一喝した。
こんな押し問答をするのは、馬鹿らしい気がする。
蓬萊は俺が苛立ったのに気付いたのか、今度は口答えせずに従った。
最初からすんなり従えばいいものを、蓬萊は大抵こうだ。
何でも遠慮し、自分のことなどいつも二の次。
この低姿勢は柱とは思えない態度だ。
蓬萊の噂はよく聞くが、誰に対してもとにかく腰が低い。
柱たるもの、それなりの威厳がなければ下に示しがつかない。
だが元来の性格なのか、蓬萊はいつまで経とうと変わらなかった。
こいつのこの性格は一生変わらないのだろう。
俺は呆れながらも、襖を閉め居間に向かう。
渡された包みを開けると、おはぎと芋羊羹が入っている。
俺の好物とあいつの好物だ。
なぜ持って来た?
なぜわざわざこんな雨の日に訪ねて来た?
しばし考えていると、俺を呼ぶ声がする。
顔を向ければ、髪を解き桶を持った蓬萊が遠慮がちにこちらを伺っていた。
思わず心臓が跳ねた。
俺の着流しを纏い、濡れた髪を肩に掛けるその姿は、まるで風呂上がりのようだった。
濡れた隊服を干したいから、場所はあるかと聞かれる。
俺がやるから髪を乾かせと、桶を奪い取ろうとした。
だが下穿きが入っているから自分でやると言われ、しまったと思い場所を案内した。
考えが及ばなかった。
ということはこいつは今、裸の上に着流しを纏っているのか…
いや何を考えているんだ俺は…!
慌てて雑念を振り払う。
室内の物干し場を指し、終わったら居間に来いと告げ足早にその場を去った。
湯を沸かし茶を淹れていると、蓬萊が戻ってきて円卓の向かいに座る。
失礼しますと、いちいち口に出すあたりがこいつらしい。
「もしかして道場で鍛錬していました?お邪魔した上に着替えまで、本当にありがとうございます。お茶、いただきますね」
差し出した茶に蓬萊が口をつけると同時に、俺も口を開く。
「こんな雨ん中、土産持参でどうしたァ?つーか貰っといてアレだが、何でまたコレなんだァ?てめェは嫌いなんだろォ」
おはぎに視線を向け、蓬萊を一瞥する。
すると蓬萊は、何やら口端を持ち上げ笑っている。
何笑ってやがる…
「ですから、以前夢で不死川さんがおはぎを美味しそうに食べているから…実際のところ、どうなんですか?」
「んなもんどうでもいいだろォがァ!」
堀り下げてくるとはいい度胸だ。
「甘いものが好きなのは悪いことじゃないですよ!私もさつまいもが好きだし、煉獄さんだってさつまいもは大好物なんですよ」
今度は煉獄の話しかよ。
二人して好物が同じというのが面白くない。
蓬萊は、俺が好きなおはぎは嫌いだと言う。
こいつに好物だとは告げていないが、何かあればおはぎばかり持参する。
共に食べることができないのに、おかしな奴だ。
普通ならば違う物にしそうだが、敢えておはぎなのが何とも言えない。
蓬萊が見た夢が実は本当だと、絶対にバレないようにしなければ。
煉獄となら、この芋羊羹を食べ笑い合うのだろうか。
共通の話題で盛り上がる二人が脳裏に浮かび、俺は不機嫌になる。
「ハッ、だから芋羊羹ねェ…」
そう言ったあとしばし沈黙が流れ、蓬萊が口を開いた。
「…不死川さん、この前の柱合会議で手合わせのことを言っていましたよね。…私はただ強くなりたいだけです。柱に手合わせを頼めば実力も把握できるし。悲鳴嶼さんにもお願いしたんですけれど、女から申し込まれたのは初めてだと戸惑ったようで。断られてしまいました」
あれは単に俺が苛ついていただけのことなのに、わざわざ弁解してるのか?
それを言う為だけに、こんな雨の中来たのか?
こいつが何を考えているのか、さっぱり分からない。
それにしても悲鳴嶼さんにまで手合わせを頼むとは。
俺でさえ頼んだことはない。
「悲鳴嶼さんにまでかよォ、そりゃあ戸惑うだろうなァ」
「私の育手は元岩柱で体の大きな人だから、そこで修行してきたしできるだろうと思ったんです」
こいつの育手は元岩柱なのか、初耳だ。
岩の呼吸は、体躯に恵まれていなければ会得できないのは知っている。
土の呼吸を派生させたこいつは、俺の刀より重い日輪刀を振り回している。
だからといって、悲鳴嶼さんと手合わせしようと思うか?
貪欲に強さを求める姿勢は感服するが、自分を男だと思っているのだろうか。
「てめェはおかしな奴だなァ。…こんな細ェ手首してんのに、俺のより重い刀振り回して…」
掴んだ蓬萊の右手首をまじまじと見る。
体の割に細い手首…いや、体だって線が細い。
膨らみのある胸元、その下の帯を巻いた細い腰。
大して厚くもない生地の着流しが、その体の線を浮かび上がらせている。
俺の着流しを纏う蓬萊は、紛れもなく女だ。
「細くないですよ!私は子供の頃から農作業をしているから、それなりに筋肉はついています。男並に力はあるし、体重も腕も足も胡蝶さんや甘露寺さんみたいに女らしくない…。不死川さんは背負ったから分かるでしょう?」
俺に腕を掴まれたまま、細くないと捲し立てる蓬萊の頰は赤い。
こいつが顔を赤らめると、俺が怒ると言う冨岡を脳内で殴り飛ばし、目の前の女を見遣る。
女らしくない?
背負ったから分かるだろうって?
…ああ分かる。
お前が紛れもない女だと。
「だがてめェは女だァ」
「きゃっ!」
掴んでいた腕を押し、倒れ込んだ蓬萊の両手首を畳に縫い付ける。
腰を跨げば完全に組み敷いている格好だ。
「あ…の…これは…」
逃れようと腕に力を入れたのが分かったが、真上から押さえつけているのだ。
逃れられるわけがない。
ほんの少し怯えを見せた蓬萊に、加虐心が鎌首をもたげる。
「いくら男並に力があろうと…こうやって男に組み敷かれれば逃げ出せねェ…」
最初からそうだ。
自分を卑下し、女だと思っていないような言動。
分からせてやりたい。
お前は女なのだと。
体の作りも何もかも違う、本当の男の力には敵わない女なのだと…!
どれくらいそうしていたのか、玄関を叩く音と呼ぶ声がし我に返る。
弾かれたように素早く離れ、居間を出た。
玄関を開ければいつも来る隠がおり、遅くなったことを詫びてきた。
今家に上げれば、俺の着流し姿の蓬萊を見られる。
弁明するのも面倒なので、悪いが今日はいいと断り居間に戻った。
すると蓬萊は、横向きになり眠っていた。
この短い間にまさか眠ってしまうとは思わず、拍子抜けしてしまう。
仕方なくその体を抱え上げ、客間に寝かせた。
───────
──────
数刻経ち、濡れていた羽織や隊服も乾いただろうと回収する。
例によって下穿きもあったが、視界に入れないようさっさと羽織に包めた。
起きてくる気配はないが、夕刻も近付いているので任務に支障をきたさないよう起こした。
押し倒し、妙な空気になったことはまるで無かったかのように平常を貫く。
着替え終わり玄関へ来た蓬萊に、新しい傘を渡した。
「これは洗って返しますね」
「必要ねェ、寄こせ」
着流しを奪い取ろうとしたが、後ろ手に隠される。
「これは今度お返ししますね。本当に何から何まですみません、ありがとうございました」
まったく律儀な奴だ。
「風は大分おさまったが気ィ付けろよォ」
「はい。…煉獄さんも冨岡さんも強いけれど、やっぱり不死川さんとの手合わせが一番鍛えられそうです。毎回負けるから、いつか勝ってやろうと闘志に火がつきます。だからまた近いうちに手合わせお願いしますね!では失礼します」
初めてあいつから手合わせしようと言われた。
あんな顔をされたら毒気も抜かれる。
気付かぬふりを続けるのは限界だった。
頭を下げ帰って行く蓬萊の姿を、ただ見続けていた。