この話は、大変陰鬱で救いの無い話になっています。
また、残酷な表現を含みます。
「背信の協奏曲」の続きの話であり、まごうことなきバッドエンドです。
特にリーリヤとルルーナが好きだ、という方にはあまりお勧めできません。
それでも良い、という方はどうぞご覧ください。
雨が、降っていた。
「……ルルーナ……」
人影が、ぽつりと呟く。
その視線の先には、固く瞼を閉ざした青い髪の少女が一人。
少女はもう動かない。
文字通り、もう二度と。
「ごめん……な……さい……」
返り血に染まった掌。
私が、殺した。
私のこの手で、何より一番大切な、人を。
雨が降り続けている。
糾弾するように、慰めるように。
「う、あ、ぁ、ああ──!」
赤い髪の少女は泣き叫ぶ。
咆哮じみたその叫びは誰かに届くことさえなく、夜の闇へと消えていく。
少女はただ、慟哭する。
己の罪と咎に、押し潰されながら。
「ルルーナがいません見当たりませんどこにいますか知っていますか」
グリューネシルト中尉、ルルーナ・ゼンティアが突如としてその消息を絶ち、既に一ヶ月が経過していた。
コンビを組んでいる赤い髪の少女──リーリヤ・ザクシードも懸命にその行方を追っているのだが、全く何の手がかりも出ては来ない。
リーリヤは一ヶ月間、不眠不休でルルーナを探していた。
最後にその姿を見たのは誰でいつどこで見たのか、調査という調査を再三に渡って繰り返して尚、手がかりと呼べるものは集まらない。
「どこに、どこに行ってしまったのですかルルーナ……!」
日を追うごとに、リーリヤの焦燥は膨れ上がる。
これだけ探しても見つからないのならば、何らかのトラブルに巻き込まれている可能性が非常に高い。
「まさか、ウロボロス……?」
未だにその正体の知れない敵ウロボロス、それに襲われ──倒された。
一瞬己の思考に浮かんだ考えを、リーリヤはすぐさま否定する。
ルルーナの実力ならば、ウロボロスごときに敗れるはずがないと。
「……何かいますね存在しますね出てきてください。今私の目の前に現れた事を後悔してください懺悔してください行きますよ」
リーリヤが愛用の武器、ヴィヒターリッタを何もない空間へと突き刺した。
「────」
短い断末魔をあげ、空間に擬態していたウロボロスが音もなく消えていく。
「すごーい。さすがリーリヤだね」
「え…………?」
覚えのある声に振り返る。
それは、いつの間にそこにいたのか。
空の色のような長髪、青を基調としたオリジナルの軍服、そしてその両腕に携えた巨大な盾。
あれだけ探し、ついぞ見つからなかったその人──ルルーナ・ゼンティアが立っていた。
「ルルーナ! 良かった無事だったのですか! 一体今までどこに──」
リーリヤが踏み出そうとした足を止める。
何かがおかしい。
確かに姿形は自分の知っているルルーナそのもの──だが、よく見てみればまず気配からして異なっている。
濃密な死の気配。
迂闊に近付けば取り返しのつかない事になると、リーリヤの勘が告げていた。
「あなたは……誰……ですか……?」
頬を伝って、冷汗が地に落ちた。
「誰って、ルルーナだよ。リーリヤが私を分からないわけがないでしょー?」
口調もルルーナそのものだ。
だが、違う──何もかも全てが。
戯言を、そう言いかけたリーリヤの思考は。
「私はウロボロス様の肉奴隷、ルルーナ・ゼンティア」
その一言によって、完全に凍りついた。
「は……? え……? 何を、何を言っているのですかルルーナ」
喉がからからに渇いて、痛い。
「意味が分からない? そのままの意味だよ。元グリューネシルト統合軍中尉で──今は青蘭島の敵」
ルルーナは虚ろな瞳で、そう語る。
その眼差しは、リーリヤの知るルルーナとは全くの別物だ。
「……だ……だ……」
ぎり、と。
ヴィヒターリッタを握る腕に力を込める。
「黙れ偽者────お前如きが、ルルーナを騙るなあァッ!」
リーリヤの繰り出した一撃を、ルルーナは手にした盾で容易く受け止めた。
「単純な攻撃だね。こんなものが、私に通用するとでも思ったのかな?」
受け流すように振り払われて、リーリヤは壁に叩きつけられる。
「嘘……嘘だ……お前なんか、が。ルルーナのはずが」
ルルーナが笑う。
リーリヤに見せつけるようにして、ルルーナは身に纏っている衣服を一つ一つ脱ぎ始めた。
「そん、な……本当に……!?」
リーリヤが絶句する。
一糸纏わぬルルーナの下腹部、そこには間違いなく紫色の淫紋が刻まれていた。
「これはね、ウロボロス様のモノである証」
ルルーナが愛おしげに、淫紋を撫でて微笑む。
背筋が凍りつくほどの恐ろしさと、美しさ。
「リーリヤも、こっちに来なよ」
どくん。
心臓の鼓動がうるさい。
「私たちと、一緒になろう?」
どくん、どくん。
だから、心臓の、おとが。
「一緒に、ウロボロス様の肉奴隷になろうよ」
どくん、どくん、どくん。
うるさくてうるさくてうるさくて、たまらないから。
「黙れええええ!」
握りしめたヴィヒターリッタを、力任せに投げつける。
ほぼ垂直に飛ぶその槍は真っ直ぐに、ルルーナを貫いた。
「…………え?」
ざあ、と砂の流れるような音。
見ればルルーナの身体は、少しずつその存在を薄れさせていた。
「ふふ……まあ、今日はこれくらいにしておこうかな」
ルルーナがぎらりと、その双眸にリーリヤを捉える。
「けどね、リーリヤは私たちのモノにするよ。絶対に」
消えていく。
何もかもが、最初からまるで嘘だったかのように。
ルルーナの姿はかき消えて、ひどく耳障りな笑い声が残響していた。
「……ルルーナ……」
リーリヤは、確かめるように小さく呟く。
それは誰の耳に届くこともなく、空気に混じって消えていった。
その日以来、リーリヤは鬼気迫る勢いで修練を積み重ねていた。
食事も睡眠も最低限に、限りある時間のほぼ全てを修練に注ぎ込む──あまりの怒気と激しさに、誰一人として詮索する者などおらず、そして時は流れていく。
「ふーん……ずいぶんと美味しそうになったね、リーリヤ」
眼前のルルーナが、笑う。
ヴィヒターリッタを構え、リーリヤがルルーナを睥睨した。
「どうしてここに私がいるって分かったのかな?」
そこは、グリューネシルトにある小高い丘。
模擬戦でよく使用されている、極めて戦闘に向いた場所。
「……別に、教える義理はありませんよ」
そう、吐き捨てた。
迷いを捨てろ、強く己にそう言い聞かせる。
今の彼女はルルーナではなく、青蘭島の──人類の敵なのだから。
「ふふ……楽しみだなあ。その強い眼差しをへし折ってウロボロス様に捧げるのが」
ルルーナの周囲に、無数の盾が浮かび上がっていく。
加えて頭上に濃紫色をした髑髏の盾。
目の部分が発光して、異様な雰囲気を醸している。
「それじゃ、行くよ」
リーリヤが飛び出した。
ルルーナの放つ盾を力任せになぎ払い、一瞬でルルーナまで肉薄する。
「ルルーナァ……!」
怒りに満ちたリーリヤの一撃を、ルルーナは左腕の盾で防御する。
先の戦いのように弾かれる前に、リーリヤは自ら飛び退いた。
直後、リーリヤのいた位置に上空から紫色の閃光が降り注ぐ。
「へえ、よくかわしたね」
ルルーナが余裕の笑みを浮かべるのとは対照的に、リーリヤの額には脂汗が滲んでいる。
味方なら頼もしい絶対的な防御が、敵に回るとこの上なく恐ろしい。
それに加えて、どこに潜んでいるかも分からない敵の増援。
今はルルーナが優勢だから手出しをしないだけで、一度劣勢になろうものなら妨害をしてくるであろう事は目に見えていた。
つまりこの状況──リーリヤが勝利をするためには、一撃で、確実にルルーナを仕留めなければならない。
それも、援軍の妨害が間に合わないくらい一瞬で。
「────」
一瞬、目を閉じて深呼吸をする。
倒すべき敵だけを見据えて──何かもを振り払うように。
「……ルルーナ?」
それは、おそらくルルーナだけを凝視していなければ気付けなかったであろうこと。
ルルーナもまた、リーリヤだけを食い入るように見据えてその唇を動かしていた。
小さく紡がれる、声にさえならない言葉。
『わたし、を、ころ、して』
リーリヤが奥歯を噛み締める。
認めたくない、もうそれしかルルーナを救う方法が無いなどと。
だが。
「…………っ」
状況は、刻一刻と悪化していく。
悩んでいる時間は無い。
ルルーナを殺して全てを終わらせるか、ルルーナに敗れてウロボロスに隷属させられるか。
限りなく最悪の二択。
だがそれでも──どちらかを選ばなければ、終わる。
躊躇した先に待ち受けているのは、物量戦をけしかけられて敗れ去る未来のみ。
いくら考えても、考えても、考えても。
今、ルルーナを救う方法など──殺す以外の手が思い浮かばない。
泣きたくなる。
いっそウロボロスに隷属し、ルルーナと共に永久に堕ち続ける──それを選ぶ事ができたのなら、どれだけ良かっただろう。
リーリヤが小さく頷く。
襲い来る盾に合わせて飛び出し、ルルーナの眼前へ。
「────あ」
ルルーナは、笑っていた。
笑って、愛しい恋人を受け入れるようにその両腕を広げていた。
「あ、ぁ────」
もう、何もかもが間に合わない。
止まらない。
間に合わなくて。
突き出した槍を。
止めて。
間に、合わなくて。
止めて、それを。
だから。
私は。
「あ────」
貫いた。
その槍が、ルルーナの身体を。
「…………ああ」
口から血を吹き出して、ルルーナが静かに倒れこむ。
どしゃりと、鈍い音を一度だけ立てて──空間は沈黙に包まれた。
「ルルー……ナ、どう、して……?」
リーリヤが戦慄く。
今にも泣き出しそうな顔のリーリヤに、力なく伸ばされたルルーナの手が触れた。
「ごめんね、リーリヤ」
にこりと、ルルーナが微笑む。
その顔にはもう、力がまるで入っていない。
「嫌なことを、させちゃったね」
ルルーナの体温が失われていく。
生命活動の終わり──ルルーナの全てが今ここで終わろうとしていた。
「でも、ね。私を殺してくれたのが、リーリヤでよかった」
最後に一度、ゆっくりと微笑んで。
「さよなら。……今まで、ありがとう」
ルルーナは事切れる。
その瞼は固く閉ざされ、もう二度と開くことはない。
「ルルー、ナ」
声をかけても、縋りついても、もう何一つ反応することはない。
「────!!」
リーリヤが絶叫する。
堪えていたものが全て吹き出して、気が狂いそうだった。
血反吐を吐いて叫び散らす。
どれだけ呼び掛けても叫んでも、その少女が帰ってくる事はない。
雨が降り始めた。
亡骸に縋り泣き叫ぶ少女に、雨は勢いよく降り注ぐ。
咎めるように、罰するように。
雨は降り止まない。
リーリヤの頭の先から爪先までを、冷たく濡らし続けながら。
絶える事なく永遠に、その雨は降り続ける。
この憐れで哀しい少女の絶望が、自らの死を選ぶまで。