主役は一応クラリスさん……なのかな?これ
「……うーん……」
風紀委員室で一人、男が難しい顔をして唸っていた。
視線の先にあるのは、一つの首輪。
これが現在、男をとてつもなく悩ませている。
「……どうすんだよ、こんなの」
隷属の首輪、それがこの首輪の名前である。
首輪をつけられた者はつけた者に絶対的な服従を強いられる──文字通りの、呪いの首輪。
男の愛読書にもこの手の道具は出てくるが、いざ目の当たりにしてしまうと歓喜よりも困惑が圧倒的に勝る。
これは男の私物ではなく、とある人物から押収されたものだ。
とてつもない程の呪力を有するがゆえに、魔女や女神もおいそれと手を出すわけにはいかず、風紀委員預かりとなったのである。
「……はぁ」
男はため息をつく。
視線の先の首輪を見て、その造形のおぞましさに気が滅入った。
かつて青蘭島内で引き起こされた、ファントム事件と呼ばれる異変。
敵集団──ファントムの身につけていた仮面をモチーフとし、首輪の中央にはとある紋章が刻まれている。
問題なのは、その紋章だ。
独特のデザインと、妖艶な紫色の光を放つそれは──誰がどう見ても淫紋と呼ばれるものである。
──名前もデザインも、何もかもアウトだよ。
男は頭を抱えて、そのまま机へと突っ伏した。
「誰かいるのか?」
声と共に、教室へ一人の少女が入ってくる。
「クラリス」
そう呼ばれた少女が、男へと視線を向けた。
「君だったのか。……ここで一体何を」
言葉を言い切る前に、クラリスの視線が首輪を捉えた。
「ちょっと、それ……それをよく見せてくれないか?」
じりじりと、クラリスが近付いてくる。
異常な気配を伴って。
「ちょっと待て……これはクラリスには関係な──」
言い切るより先に、首輪はクラリスの手に。
そして。
淫紋は一際強く濃紫の光を放ち、教室を飲み込んだ。
「…………」
静まり返った教室。
そして──。
「なあ……頼みがあるんだが────」
目にハートマークを浮かべて。
「この首輪を、着けてみてくれないか」
クラリスが全てを言い終わる前に、本能だけで教室を後にした。
やばいやばいやばいやばい。
嫌な汗が止めどなく溢れている。
走り抜ける自分のすぐ背後に迫る、絶望の気配。
クラリスが疾走し、追いかけてきている。
「着けなきゃ効果が出ないんじゃなかったのかよー!」
走りながら叫ぶ男。
だがそれは、前提からして間違っている。
魔女たちは"とてつもない程の呪力を有する"と言っていただけで、その条件については一言も触れていなかった。
「ひぃ……ひぃ……!」
αドライバー、すなわち男は
故に、真っ向から競うのならば男に勝ち目など微塵もなく。
「そろそろ終わりにしようか!」
「げぇっ!?」
背後から届く、絶望の宣告。
クラリスの言葉と共に、その動きは明瞭に変化する。
単純な一直線の追跡から、上下左右縦横斜め。
それらを十全に活用した、立体軌道。
読む事など叶わぬ動きを、ほぼ勘だけで躱した後──たまたま開いていた窓からその身を投げ出した。
「…………っ!」
とてつもない痛みが、頭の先から全身にくまなく巡る。
着地に成功したとはいえ、三階から飛び降りたのだから当然の話ではあるのだが。
「ち、ちくしょうめ……!」
半泣きになりながら、小さく呟く。
強烈な足の痺れと痛みに震え、校舎の中へと引っ込んだ。
「はぁ……はぁ……」
疲労が全身にのしかかる。
だが、相当に距離は稼げただろう。
これでしばらくは安心──。
そう抱いた希望を。
即座に砕く音が。
背後から、聞こえた。
ばさっ、と羽を広げる音。
今しがた自分の飛び降りた、その窓から。
さながら絵画に描かれた情景のように。
「んな、バカなぁぁ!」
身体のギアを無理矢理アクセルに入れ、男は走り出す。
背後に迫った恐怖に、絡め取られないように。
それから約二時間後。
地獄が、広がっていた。
クラリスの手にした首輪は、人とすれ違う度に光輝きその眷属を増やしていた。
最初はクラリス一人だった追い手が、今ではもう数えきれないほど。
天使が、女神が、魔女が、軍人が。
一心不乱に男を追いかけ、捕らえようとしていた。
更に状況を悪化させているのは、途中から相手の軍勢に加わった天使の少女──シャティーの存在である。
彼女の能力により、首輪は複製されてばらまかれ──事態はもはや収集がつけられない。
限界を超え走り続ける男はとっくに両足の感覚などなくなっており、いつ動けなくなってもおかしくない──文字通りの窮地に立たされていた。
そして、遂に──その時は訪れる。
「…………ここまで、か」
広い校庭の真ん中で、男は諦めたようにため息をつく。
各々が手にした首輪を持って、近付いてくる異様な光景。
今回ばかりは、流石にもうどうしようもない。
嗚呼、さらば我が自我────。
半ば自棄になり、その場に倒れこもうとしたその瞬間に。
「ほんっと、何をやってるのあなたたち」
救いの女神の声がした。
視線を向けた先には、魔女王ソフィーナ。
見るからに正気の、とてつもなく心強い存在が今──眼前に降り立ったのである。
「まずはアレを片付けるわよ。──準備はいいかしら?」
振り向くことなくそう言うソフィーナに、気力を振り絞り。
「応よ」
それだけを返す。
それで十分──意識を集中させ、共に叫ぶ。
「エクシード────」
「────リンク!」
刹那、眼前が爆ぜる。
その光景を見届けた直後。
ごまかしていた限界は頂点を迎え。
「──あ」
俺はその場にばったりと、糸の切れた人形のように倒れこんだのだった。
その後の顛末を語ると。
俺は──いや、この騒動に巻き込まれた生徒のほぼ全てが、教師陣から熱い熱い説教を食らっていた。
特に俺やクラリスといった風紀委員には、殊更その当たりは強く。
"風紀委員が風紀をこんなにも乱すとは何事だ"
と、さんざんに絞られた後──反省文を何枚も書かされて、今回の一件は幕を下ろしたのだった。
「確かにとんでもない呪力は感じていたけれど」
──まさかここまでだったなんて。
そう、ソフィーナが苦笑する。
「本当、あの男から押収できてよかったわ」
もしこれが何かの間違いで、悪人の手に渡ったままだったら──それがどのように使われていたのかは、想像に難くない。
「いや本当……助かったよ今回は……ありがとう、ソフィーナ」
息も絶え絶えに言葉を吐き出す。
騒動の後遺症で痛み続ける両足と、反省文の書き疲れによるダブルパンチで、それだけが精一杯だった。
「妹さんは、巻き込まれなかったんだっけ?」
ソフィーナの問いを、首を縦に振り肯定する。
「ああ……妹から──滅茶苦茶呆れた顔で、何やってんのって……そう言われたよ。兄としての威厳が形無しだ」
あの時の千尋の顔を思い出すだけで、目の端から涙が出てきそうになる。
「そもそもあなたに、そんなものがあると思っていた事が驚きだわ」
ソフィーナの言葉が、胸を抉っていく。
確かにそうかもしれないが、人に言われるとますます悲しくなる。
「まあ、危険なものだって分かっていてあなたに丸投げした
ソフィーナが言葉を切り、妖しげな笑みを浮かべて。
「お詫びに────言う事を一つ聞いてあげるわ」
そんな、とんでもない事を。
「──何が、いいかしら?」
あざとくウィンクまでつけながら、愉快げな声で言い出したのだった。