一ヶ月もすると、出撃や遠征を徐々に始められるくらいには、この本丸の機能は復旧し始めた。
出撃メンバーについての話し合い、というか、なぜこの編成なのかを私に説明する会が持たれるようになると、大般若と話す機会も増えた。
もっと難易度の高い戦場に出るのならば軍議という規模の話し合いが必要だろうが、今はまだ、そこまでの厳密さが問われないレベルで肩慣らしをしている段階だ。
その日も執務室で編成表を片手に彼の話を聞いていたのだが。
「……そのイヤリングだが」
一通り説明をした後で、大般若がそう言った。地図と兵法書が広げてある文机から顔を上げる。
「ああ、これは姉と半分こしたやつですね」
控えめな和風のデザインだったので、仕事着となった巫女服でも付けていた。
「あの子が使っていた方が部屋にあるが、あんた使うかい」
「え」
左右で違うデザインのものを付けているが、元々こういう商品なのではない。どちらも可愛いし、片方ずつならもっと良いのではないかと言って、姉と分け合ったのだ。
「あれば使います。でも、いいんですか」
「構わないさ。何もそのイヤリングだけが遺品じゃあないからな。あの子の持ち物はほとんど俺に任されてる」
この人は、姉の持ち物の一切を任されるほど彼女に近しい存在だったのだ。
守秘義務が多い仕事であるため仕方がないが、ここで生活していた姉について、私は何も知らない。そう考えると、イヤリングや他の遺品以上に、この人にも興味が湧いた。
訪れた彼の部屋にはそれなりの広さの納戸が付いていて、そこには棚や収納ボックスが綺麗に整頓されていた。それをしげしげと眺める。
全ての間取りがこうではないはずなので、中々条件の良い部屋を貰っている。遺品整理のために部屋替えがあったのかもしれない、などと想像した。
「俺が贈ったものが多いが、あんたと揃いで買ったものもあるだろう」
「……たくさんありますね」
「ああ。量が多いから確認するのも一仕事だな。時間があるときにでも勝手に入って持って行って構わないよ」
棚に並んでいるアクセサリーボックスは私の知らないものばかりだ。きっと、彼が姉に贈ったものだろう。それが手元に帰って来てここに並んでいる。その心境を慮ると、胸が痛い。
その日から、大般若の部屋に通っては、姉の遺品を眺めた。
大般若がいるときには、これはいつ贈ったものだ、と話してくれて、私も心当たりのある衣服や小物を見ながら、彼の知らない姉の話をした。
「これ……」
丁寧に衣装カバーを付けられて架かっていたのは、色違いでお揃いを持っていたが実家の姉の部屋で見つからなかったワンピースだ。
「ちょっと可愛すぎるから一人では着られない、でも可愛いからほしい、なんて言って、じゃあ二人一緒のときに着よって買ったんですよ」
「道理で。あの子が着ているところを見たことがない」
含み笑いを浮かべながら大般若がワンピースを手に取った。
最後にこれを着て一緒に出かけたのはいつだったか。随分と昔のことのように思う。その記憶を辿っていると、目頭が熱くなった。
「……っ、じゃなくて、ええと、姉、は」
うっかり姉の名前を口にしそうになって、口元を押さえた。ここでは現世の名前を言わないものらしい。それはこんのすけから強く言われている。
便宜上姉、姉と言っているが、私たちは双子だ。彼女は同い年だし、普段は名前で呼び合っていた。
「ああ、気にしなくて良い。俺はあの子の名前を知っている」
思わず目を見開いた。
あの真面目な姉が決まりを破って、この人には名前を教えたのだ。
「名前……こんのすけには教えないように言われていますけど、知られるとどうなるんですか」
「それは教えてくれないのか。政府は大雑把なんだな」
大般若は笑った。私も心から同意する。
「政府は何かにつけて雑ですよ。マニュアルなんかも碌に整備されてなくて、返信も遅いし困ったもんです」
「まあ、審神者もあんまり入れ替えがないから、新人向けのケアが薄いのかもなあ」
「名前を知れば、何ができるんです」
聞いて良いのかわからなかったが、好奇心が勝って質問した。
「んん……まあ、色々だが。簡単に言えば、主従の立場が入れ替わるだろう」
「じゃあ、名前を教えたなら姉は……」
「いや、何もしていないよ。俺は」
肩をすくめる動作をして眉を上げる。
「隠してしまえば、良かったなあ」
タチの悪い冗談なのか、感傷なのか。変わらぬ笑顔からその物騒な発言の真意は掴めなかった。
万屋街の甘味処には、足繁く通うようになった。
もちろん甘い物が食べたいのなら他にもレトロな喫茶店やかわいいケーキ屋、中華風の飲茶まで幅広く店があるのだが、ここが格別に感じる。万屋街で最初に入った店である感動が、おの店を特別魅力的に見せているのかもしれない。
「何になさるんですか。今月はまだ来ていませんでしたから、限定メニューも以前とは違いますよ」
「うーん、ほうじ茶パフェにしようかな」
「珍しいですね」
「大般若が美味しいって言ってたから」
「……そうですか」
長谷部の表情が曇る。ほうじ茶は好きではないのだろうか。
「最近は大般若と仲がよろしいようですね」
メニューに視線を落としたまま、長谷部が言った。こちらもドリンクメニューを選びながら応じる。
「そうだね。最初はもっと冷たいかんじの人かと思ってたんだけど、そんなことなかったよ」
「短刀たちも喜んでいるでしょう」
「え」
絶句して視線を上げた。それは皮肉だろうか。
「大般若とはそういうんじゃないんだけど」
「いえ、貴女もあいつが好きだと言うなら別に俺は」
「長谷部!」
自分でもびっくりするほど大きな声が出てしまった。長谷部も目を丸くしている。
店内で目立ってしまったことを感じて、声量を落とした。
「ごめん……違うの。勘違いしないで」
声が掠れる。
長谷部にだけは誤解されたくない。
まだ仕事を覚えきったとも言えないこんな時期に何を浮ついているのかと自分でも後ろめたく思う。
思えば、知り合いも友達もいない中にやってきて心細かったのかもしれない。長谷部は私をいつも気遣ってくれて、心の支えになっていた。
「長谷部が好き」
言ってしまった。
瞬間、一抹の後悔がよぎる。
パフェの皿に零れた、溶けたシャーベットの気泡が落ちて行くのを見つめる。
顔が上げられなかった。
「……主が、俺を、慕っていると?」
彼が噛みしめるようにゆっくりと言葉を発する。
「迷惑、かな……」
「いいえ! そのような!」
彼が卓上で私の両手を取った。
両の拳を握りしめすぎて、私の指先は冷たくなっていた。
白い手袋をした掌がそれを包み込む。
「うれしいです。……なんと言ったら良いか」
良い返事がもらえることを察しておそるおそる顔を上げると、長谷部のはにかんだ笑顔と目が合った。
「俺も、貴女をお慕いしております」
戸惑っていた。
葬式も何も現世では挙げられたのだろうが、遺体も見ていない。突拍子もない話だ。
あの子が死んだと告げられて、それでしまいだった。
そうして二ヶ月が過ぎて、そっくりな妹御がやってきたのだ。
短刀たちだけが、人間の個というものを理解していなかったわけではない。素直だっただけだ。願わくば、彼女があの、消えた主であってほしいと。そう望んだ者は他にもいただろうが、それを彼女に要求できるような無邪気さは子どもの専売特許だったというだけで。
最初は遠巻きに。徐々に打ち解けて。妹御を見るに、あの子と錯覚するようなことはないと安堵した。
違うのは、まずは社交性の高さだ。
ここに来て数日で、多くの刀たちと愛想良く話している。自分から積極的には話しに行かない。それは新しい主人をまだ受け入れられない刀たちへの配慮だろう。
一方で、彼女と親しくなろうとする刀にはにこやかに応じている。
距離の取り方、立ち回りがあの子に比べて圧倒的に上手い。
数ヶ月経った今となっては、妹御は完全に馴染んでいた。
あの子は内向的で、特に見た目の年齢が高い太刀以上の刀とは、あまり積極的には話せなかった。
今朝も妹御は巫女服にたすき掛けをして、戦準備を手伝っている。
戦闘着の男士たちの中を行き来して刀装を配りながら、がんばって、などと声をかける。そうして支度が終わると、笑顔で手を振って、門から転送ゲートまでを見送る。
出陣部隊の者たちも、皆手を振り返して歩いた。
「やる気出るね。主がああやって見送ってくれるの」
「応援してくれてるの伝わるよね。ああいうとこも前の主とほんと似てる」
「そうだなあ」
相づちを打ちながら、本心は真逆だった。
妹御の愛想の良さはあの子にはないものだ。
あの子も見送りには出ていたが、それは緊張と不安の表情から始まった。一年もすれば妹御と同じように笑顔で見送っていたが、そうなるまでに時間がかかった。
人見知りをする性格のあの子と、最早全員と楽しそうに会話ができている妹御には大きな隔たりを感じる。
そうだった。
あの子はこんな風に上手くはやれていなかった。
ある日俺が重傷を負って帰って来て、あの子はぼろぼろ泣いた。
立ち上げのメンバー以外には余所余所しかった彼女が自分のためにそんなに泣くとは思いも寄らず、それだけでも俺は驚いたのだが。
「私の責任です。ごめんなさい」
「俺の判断ミスだよ?」
「いいえ」
背筋を伸ばしてこちらを見上げたあの子は珍しく、真正面から俺の顔を見た。
「この本丸の主は私ですから、私の責任です。貴方のミスは私のミスです」
特に新参の大きい刀たちには気安く接してはくれなかった彼女が、真っ直ぐに眼差してそう言ったのだから、俺は衝撃を受けた。
芯の通った姿に見惚れてしまった。泣き腫らして化粧の落ちたあの子の、凛とした目元を昨日のことのようによく覚えている。
まだ審神者が代わってから日が浅い。難易度の高い任務はこの本丸には課されていない。皆それがわかっているため、戦場とは言っても和やかな空気だ。メンバーも普段の第一部隊ではない。実戦経験を積ませたい、練度の低い面々も混じっていた。
今回の出陣も、なんてことはない。主要部隊が勝利した戦の、残党狩りである。
山中に潜伏する時間遡行軍の、その場所は粗方見当が付いている。天候が荒れていたのは先ほどまでで、小雨が降ってはいるが今後悪化しないことも、政府からのデータでわかっている。
「あめ、よわくなってる」
「過去の天候だからな。そりゃあ天気予報も百発百中だろう」
ぬかるんだ土が革靴の靴底に詰まって酷いことになっているが、山中で豪雨に降られるより少しはマシだ。
先行して辺りを窺っている謙信の革靴も同じようになっていることだろう。
「ここら辺のはずだ。慎重に進みな」
いつもの第一部隊メンバーである青江と小竜が口元に笑みを浮かべながら頷き、謙信、日向、村雲がそれに続く。
片側が崖になった、山道とも呼べぬ木々の合間。先ほどまでの大雨で視界も足場も悪い。遡行軍は下っ端ばかりで精鋭が出てくることはないだろうが、思いの外地形と天候に手こずらされていた。少しばかり状況を軽く見過ぎたかもしれない。
日向と謙信が少し先で何かを発見した様で、振り向いて合図をする。
それを境に、場の雰囲気が変わる。
「この下、いるね」
「もうすこし、あっちがわ……」
謙信が迫り出した木の幹に足をかける。
切り立った崖下に、身を乗り出して偵察したそのとき。
「わ!」
足場がもろく崩れ、根元が抉られるように足をかけた幹が折れた。
ぬかるんだ土に足を取られ、そのまま滑り落ちる。
「っ!」
石と折れた枝がばきばきと音を立てる。もちろんのこと、敵襲に気付いた遡行軍がこちらに対して投石機と弓を取る。
「大般若!」
彼が滑り落ちるその先に、迂回して駆け付ける時間的余裕はなかった。飛び込むように一緒に滑落して彼のマントを引っ掴む。
掴んでそのまま上に投げ飛ばした謙信を、小竜が受け取るのを見た。
安堵するが早いか、下からの集中砲火を受ける。
弓矢と投石が雨のように身を掠めるが、視界が悪く土砂と一緒に落ちてくる的だ。奴らも完全に狙いが定まっているわけではない。致命傷を避けるために左腕一本を犠牲にするつもりでそれを防ぐ。
斜面に生えている木々が、切り立った岩肌が、スーツと肌を裂く。
敵陣のど真ん中に着地したときには全身が血と泥にまみれていた。左腕の感覚はほとんどない。
斬りかかられて、一振りで短刀を二体。続いて死角を突いたと思しき打刀を切り伏せる。ああ、力量で言えば大したことはない。ただ、既にこちらは満身創痍だ。
派手に倒れた打刀が水たまりの中に倒れて飛沫(しぶき)を上げた。その泥が顔にかかる。咄嗟に泥水を払おうとした左腕の動きは鈍く、そこに切り込んできた脇差しから刃を受ける。
「っ……!」
焼け付くような激痛。
指が数本落ちたことを苦痛の片隅で理解しながら。刀身を返しざまに横に払って白刃一閃。脇差しの上半身と、虫のような下半身が泣き別れになるのを目で追う。
崖下に落ちて行く、敵の残骸。
そして。
革手袋ごと切断された自らの左手の小指、薬指……そこに光るもの。
全ての知覚が停止する。
一枚絵のようにそれを注視した。
あの子と揃いの指輪。
気がつけば身を投げ出していた。それを掴もうと刀を捨てて、右手を伸ばす。
「大般若!」
迂回して辿り着いた小竜に名を呼ばれて我に帰る。
泥の中に膝を付いて這いつくばる自分と、その頭上、大上段に構えた大太刀。
飛び込んできた青江が、振り下ろそうとする大太刀の胴に思い切り刀を突き立てる。
「立てるかい!」
「ああ……!」
目は指輪を探すが、崖下には木々と土と岩が見えるばかり。
「大般若、ひだりてが」
「大丈夫だ。致命傷じゃない」
自分は隊長だ。他にも敵が潜伏している山中で、味方を危険にさらすわけにはいかない。
「戻ろう、早く手当を」
色々な場所に止血の布が巻かれるが、痛みなどすでに感じなかった。
「よし……撤退する」
政府用意の転送ゲートが使える安全圏まで引き上げてしまえば、後は帰城したも同然だ。辿り着くと同時に全身の激痛に、意識が遠のいた。
目を開けて見えた天井は、手入れ部屋のもの。寝込むような怪我はとんと負っていなかったため、すぐには状況がわからなかった。
左手をかざす。
そこには傷一つなくて、小指も薬指も綺麗に付いていた。指輪だけが、綺麗さっぱり消えていた。
その左手の掌で、顔を覆った。
別に折れてしまっても構わないと、そう思ったのに。
あの子の魂はきっと生まれ変わって、この広大な現世のどこかへ流れ着く。俺は違う。別れる前の、元の一つに戻るだけだ。だから、折れても同じ場所には行けない。
だが、ここに居たところで。
「大般若!」
青い顔をした妹御が勢いよく飛び込んで来て、我に帰った。
「目が覚めた!? 私がわかる!?」
胸ぐらを掴みそうな距離で詰め寄られて、面食らう。すでに随分と泣いたのだろう、目が赤い。
「大丈夫だよ。手入れしてくれたんだろう? この通り、全部元通りさ」
腕を広げて見せると、円らに見開いていた瞳がぎゅっとひしゃげる。
「……良かった」
顔をぐしゃぐしゃにして泣くものだから薄化粧も落ちてしまって、目の下が少し黒くなった。
「はは……大袈裟だなあ」
頭を撫でながら、既視感を覚えていた。
それは、いつか見た光景と酷似していた。
「……、広間に来られる? みんなが様子を知りたがっていると思うから」
「ああ、心配かけたからなあ」
なんとか泣き止むと、袖で顔を拭いながら、彼女は深く頷いた。
「みんなに説明と謝罪をします」
「俺が立てた作戦だ。あんたが謝る必要はないだろう」
「でも私が主だから。最終的に作戦を許可するのも、その責任を取るのも私じゃないと」
当然のことという風に淡々とそう言う。
毅然とした表情は、あの子と全く同じに見えた。
違うところもある。そして……同じところもある。
「……? 大般若? まだ気分がよくない……?」
不意に無言になった俺を妹御が訝しがる。
「ああ、いや。立派だなあと思って」
凛と背筋を伸ばす妹御を見て、気がついたのだ。
遺品はたくさんあった。あの子の身につけていた衣類もアクセサリーも雑貨も日用品も山ほどあった。でも、そのいずれも違う。無くしてしまったあの子と揃いの、あの指輪でさえも違う。
彼女が、この世に遺されたものの中で一番、あの子に近い。