寝間着にしている浴衣姿で目を覚ました。
記憶は途切れているが、大般若が私の寝支度を整えたのだろうということは、想像に難くなかった。
離れに付いている私用の風呂に向かいながら、回らない頭で考える。
これは歴とした反逆行為だ。
彼ら刀剣男士は人間より圧倒的に強力な、上位存在だ。それをこうして使役できているのは、審神者側には彼らを刀解するという術があるからだった。加えて、彼ら付喪神が持ち主に抱かざるを得ない、強い愛情を利用したものでもある。
その愛情が、こうして制御不能の事態を引き起こすなんて。
シャワーを浴びながら目をやった鏡の中。
首元から肩にかけての歯形と、腹部に赤くついているキスマークがふたつ。
どうやってそれが付けられたのか、脳裏に嫌でも再生されてしまう。思考が乱れる。下腹部にぞわりと湧き上がる熱を感じて、自己嫌悪に口元を押さえた。
逃げなければ。
どこへ。
そうだ……私には逃げる場所がある。
現世に帰れば。
風呂場を出て髪をぞんざいに乾かすと、巫女服ではなく洋服を着た。
そうして鏡を見て、首筋から肩にかけての歯形に、ぎくりとする。巫女服の白衣からは見えるか見えないかぎりぎりの位置だが、このラウンドネックの洋服では丸見えになってしまう。箪笥の引き出しを乱暴に開けて、襟の高い服を探す。季節柄、ラフな服装には首元が隠れるものがなくて、スタンドカラーのブラウスとそれに合うスカートを手に取った。いつもならばシュシュで髪を纏めるのだが、首が少しでも隠れるように、下ろし髪のまま。
七時。まだ寝ている者から、すでに朝食を済ませている者まで様々だろう。そのまばらな気配を感じながら、自室を出る。
執務室に駆け込んで、その隣。
近侍控に詰め込んである冊子やバインダーを、棚を倒しそうな勢いで数冊纏めて掴んだ。
資料と手引き書を、朧気な記憶を頼りに漁る。
審神者の渡航について。
「あった……」
審神者は元いた同時間軸の現世であれば、その場での申請で即日通行ができる。
やはりそのように記載してある。
このまま長谷部たちが帰還するまで、ここを離れられれば。
大般若は今は広間で朝餉をとっているだろうか。まだ自室だろうか。彼の目にとまらぬよう、本丸の門を出て鳥居まで行ければそれで、政府施設に移動することができる。そこから現世に飛べば。
打開策が見つかって、安堵の余り冊子を開いたままその場にへたり込んだ、その時。
がたん、と音がして、跳び上がった。
背中の執務室を恐る恐る覗く。
そこにいたのは五虎退の虎だった。そして、それを追って来た飼い主が、開けっ放しの障子から顔を出す。
「えと、あるじさま……?」
「あ、ああ、五虎退」
平静を装いながら、冊子を片手に執務室を出る。虎を抱き上げた彼がそれに続いた。
「どこへ行くんですか」
「え?」
「おしゃれな格好をしているので」
言われて自分の格好を見下ろす。……これでは外出だと気付かれるのは当然だ。首の噛み痕を隠すのに必死で、そこまで考えが回っていなかった。
巫女服ではないにしても、Tシャツなどの普段着ならばともかく。こんなブラウスとスカート姿では。
巫女装束で政府施設まで行けば良かった。
政府職員には訝しまれるだろうが、その姿では現世に通行できない、と止められるほどの時代錯誤な格好ではないはずだ。
「ちょっと、用事があって」
「どこへですか? ……万屋?」
言いかけて、口ごもる。
五虎退にばれても大丈夫だろうか。彼は大般若の協力者ではないだろうか。非力な人間の私を力尽くで止めるのは、短刀だって簡単だ。
「いや、大したことじゃないんだけど……、ね」
「……? それは……」
「あっ」
私の開いている、審神者の現世渡航についてのページが、彼の目に留まった。
「現世……に?」
それを見た五虎退の声が震える。
「い、行かないで!」
彼が殊の外大きな声を出したので、どきんと心臓が跳ねた。
「五虎退……?」
「行かないでくださいっ」
彼が泣き出してしまって、私はその前にしゃがみ込んだ。
大般若の味方ならば力尽くでも止めるだろう。事情を知らないのなら何事もなく見送るだろう。その二択で考えていた私は、五虎退の反応に動揺した。
「どうしたの、そんな、ちょっと外出するだけだよ? すぐに戻ってくるよ」
「前のあるじさまも、そう言いました……!」
顔を上げた五虎退が私の服を掴んだ。
五虎退が大声を出したので、向かいの縁側に信濃が立ってこちらに視線を送っている。
「でも、帰ってきませんでした……!」
姉は、そうだった。
現世に帰省して、そのまま。
「そ、れは、でも、事故に遭うなんてこと、滅多にないから、ね……?」
どきんどきんと鼓動が鳴る。
信濃に続いて後藤が、騒ぎを聞きつけてきた。執務室を出てすぐの廊下で話す我々を、離れた縁側から窺っている。
これが演技ということは、あるだろうか。
私を現世に逃がさないための策、なんてことはあるだろうか。そんな風にはとても見えない。そして疑いたくもない。冊子を持つ手に力が籠もってしまい、開いていたページがくしゃりと皺になった。
どうする。
この小さな手を振りほどいて、門を出て、鳥居まで走る……。姉のように私がいなくなるのではないかと震えている、この子を置いて?
それはとても決心のいることで、汗が背中をつうっと流れた。
「おや」
瞬間、心臓が鷲掴みにされたような動揺。
視界が真っ暗になる錯覚。呼吸が浅く、息苦しくなる。
声の主は明白だ。
「どこかへ出かけるのかい」
顔が上げられない。
「あるじさまが、現世に行くって……」
「へえ」
五虎退の視線に合わせて膝をついていたそのまま、視線を上げる。
目が合うと、ピンクがかった赤い瞳を細めて首をかしげた。薄い唇は弧を描いて、微笑みを作っている。
「何か用事でもあったのかな」
白々しい笑顔に、恐怖を感じた。
背中に汗が伝う。
「ちょっと……欲しいものが……あって」
こわい。
私の行動は彼の怒りを買っただろうか。
そんな考えが過ぎって、愕然とする。私は彼の主人だ。怒りを買っただろうかなどと。名前はまだ知られていないというのに、すでに主従が逆転しているではないか。
廊下に跪いたまま高い背丈で見下ろされている中、視線を彷徨わせる。
「万屋街でも揃うものかい? 今日はみんなで万屋街に行こうか」
「そう、だね」
返事をする声は僅かに上擦った。
「五虎退も一緒に行こうな」
「いいんですか」
大般若に笑いかけられて、五虎退は顔を輝かせた。
「万屋行くなら俺も!」
「僕も行きたい!」
「おいおい、内番入ってない奴だけだぞ」
集まって様子を窺っていた面々も、会話の流れを見て参加してくる。それをぼんやりと見ながら、立ち上がった。
そうしてこの後万屋街に行くことが決まって、朝餉の用意がある広間の方へ、まだ食事を済ませていない者たちは流れていく。
大般若の目の届くところから早く逃げたくて、私もそれに続く。
俯いて、足早に彼の横をすり抜けようと。
「なあ、あんた」
その肩に、手袋をした彼の掌が置かれた。
跳び上がって、身体が勝手に縮こまる。
「今日は可愛い服を着ているんだな。とても似合っているよ」
掌が滑る。服の下に噛み痕の残る、その箇所に。
ぶわっと体温が上がる。
「っ……!」
早足がもつれてぐらつきながら、そちらを見ずに廊下を急いだ。
現世の繁華街を模したような万屋街で、手に入らずに困るようなものはない。遊ぶ場所も多く、食べたいものも大体の要望に応えられるだろう。流石は多くの本丸をカバーする慰労施設だ。
しかし当然ながら、ショッピングを呑気に楽しめる精神状態ではなかった。
逃亡の企てが失敗して、私にはもう次の手が思いつかない。
上に助けを求めれば、おそらくは謀反として刀解処分を申し渡されるのみ。大般若はきっと、その結末も覚悟しているのだろう。
いつだったか、大般若が重傷で帰って来たときのことを思い出す。全身傷だらけで、泥だらけで、意識と指がない状態で。あのときの他に男士らの誰かが死ぬ、という状況を現実のものとして感じたことはない。青紫色の痣や黒く固まった血で変色した彼の肌が、手入れによってあの白く美しい姿に戻るのを、泣きながら、祈りながら見ていた。
死ぬ、ということ。あのまま彼が元に戻らずに、冷たくなって。
「大将、ちょっと顔色が悪くないか?」
「……あ」
考え事に気を取られていた私が顔を上げたのは、ゲートを出てすぐの、万屋街大通り。
歩きながら、後藤が私の顔を覗き込んだ。
この期に及んで、なぜ私は平気な振りをして、この本丸の主としての体裁を護ろうとしているのだろうか。いっそのこと大声を上げて泣き崩れたら……。いや、その理由も言えないのに? わけを話せない以上、ただヒステリーを起こした、と解釈されて、主人としての信用を失うかもしれない。
「……ちょっと寝不足かな。大したことないと思う」
「第一部隊が心配なのはわかるけど、そんなに気を落とさないで」
信濃が反対側から私に笑いかけた。
「今日は息抜きして、リフレッシュしようぜ」
「そう言えば、何が欲しかったの?」
そうだ。私は現世に欲しいものがあったということになっている。
「ええと……」
「ちょっと! 女の子の買い物を詮索しないの」
言い淀んでいると、乱が気を回す。私の様子を見て、下着などのみんなでは買いに行きにくい物を思い浮かべたのかもしれない。
「じゃあ、一回自由行動にして後で集合しようか。買い物が終わったら、みんなで何か食べに行こう」
提案したのは大般若だった。
「で、どうするんだい」
「どうするって……」
当然ながら、つい先ほど現世に逃げようとした私を、大般若が本当に自由に行動させるわけはない。適当に大通りを歩き出したが、その後ろを付いてくる。
気を使ってくれた乱に悪いし本当に下着でも買いに行こうかとも思ったが、大般若に見られている中で選ぶ気にもなれない。
「当てがないなら、俺の買い物に付き合っちゃあくれないか」
「買い物……?」
断る気力もなく、彼の案内する方へ付いていく。
デパートと言って差し支えないだろう商業施設の、婦人小物売り場だった。
「なに……? スカーフ? ハンカチ?」
「その服、首の痕を隠すのに困ったんだろう。すまなかったな」
「っ」
不意の触れたくない話に、心臓が跳ねる。
「夏物のストールか何かをプレゼントしよう。日よけだとでも言って使えば不審がられない」
「ストール……」
首もとを隠す装いとして、自分ではスタンドカラーか湿布でも貼っておくことしか考えつかなかった。あと数日は痕が残るかもしれないし、確かにあれば大いに助かる。
目に入った紫色のストールを掴んで、軽く羽織ってみる。首もとも隠れるし、薄手の生地で暑苦しくも感じなかった。
大般若は姿見の前に立つ私に賛辞を贈ろうとするが、彼が口を開く前に、早足に売り場をすり抜けた。
「自分で買う」
「おや」
歩きながら値札を見て、少し顔をしかめる。ストールは良い提案だったが、もう少し親しみやすい価格帯の店を選んでくれても良かったのに。賞与と隊長職の特別手当で懐が潤っていて、質素倹約を忘れているのかもしれない。
「俺に払わせたからって、別に気に病むことはないだろう。俺のせいなんだから」
「あっ」
ひょい、と後ろからそれを奪い取って、レジへ持って行かれる。
押し問答をして、周りに注目されるのも気まずい。会計を済まされたそれを受け取って、渋々鞄に入れた。
集合場所で落ち合って、甘いものでも食べに行こうといつもの甘味処へ歩いた。6人もいると入る店も限られてくるので、店の選定は逆に簡単になる。特に頭が回っていない今は、それが楽で助かる。
通されるままソファ側の席に着いて、そして、彼らがそのままの順で私に続かないことを察した。
私の隣が埋まらないのは、いつぞやの朝餉と同じ。
短刀たちの意図に気付いて、居心地が悪い。待ち合わせ場所に二人一緒に現れたことも良くなかったのかもしれない。
「こらこら。困らせてはいけないよ」
言いながら大般若は私から一番遠い椅子を引いた。
「主人には別に好きな相手がいるからね」
その言葉に耳を疑った。
「そうなの?」
短刀たちは無邪気にざわついている。
そんな中、私一人が混乱していた。
なぜそんな助け船を出す?
私と長谷部が付き合っていることを、彼が良く思っているわけがないというのに。
「ええ? 誰? 現世の人? それとも刀だったりする?」
「ええと……どうかな」
「芸能人とかそんなオチじゃなくて?」
「ううん……アイドルとかはあんまり詳しくないかなあ」
釈然としないまま、曖昧な返答を続けた。長谷部と付き合っていると宣言してしまおうか迷ったが、長谷部のそれが本当に私への恋心なのか、未だに私の中で決着がついていないために、のど元でつかえて出てこなかったのだ。
その後もゲームセンターや雑貨屋に寄ったりして、本丸に着いた頃にはぐったりしていた。窮地に立たされていながら普段通りに振る舞おうというのは、大変な精神的負荷になる。
第一部隊と通信を繋ごうと思っていたのも、結局この時間まで余裕がなくてできなかった。……いや、それは言い訳かもしれない。長谷部の顔が見られない。そして、特に疑いをかけている則宗とも。
夕飯を食べてから外出していて滞っていた、日々の仕事をこなす。そんなことをしている場合ではないのだ、本当は。彼が部屋に来ることはわかっている。それを知りながら、自室で過ごしていては。
でも、疲れてしまった。
どうせ逃げても隠れても彼は私を見つける。それならば無駄に抗って消耗するより、私の上を通り過ぎる災難をなんとか耐え忍んで、やり過ごした方が楽ではないか。
昨日は睡眠不足で、今日も一日、精神的に休まらない時間が続いていた。ベッドに身体を倒すと、そのまま意識に靄がかかる。
あと何日で第一部隊が帰ってくるのか。
誰が大般若の味方なのか。
あとは……。
「主人」
襖の前から声をかけられて、うつらうつらしていた意識が引き戻された。図々しいことに、自室に入る障子ではなく、寝室の襖である。返事を待たずにその戸が開いて、浴衣姿の彼が寝室に入るのを、起き上がらずに目だけで追った。
近くに来ると、ふわりとよい香りがする。
「もう眠るところなのかい」
布団をかけずに身体を倒しただけで微睡んでいた、その前髪を彼がさらりと撫でた。今からひどいことをされるなあ、と考えながら、怒りや悲しみなどの情動が、上手いこと付いてこない。そういう突発的な感情や緊張状態は、長く維持するのが難しいものなのかもしれない。
横になったままぼんやりと、思い出した疑問を口にする。
「なんで」
「ん?」
「なんで、あんなことを言ったの」
「あんなこと?」
「私に好きな人がいるって」
彼はゆっくりと瞬きをして、状況を思い出した様子だった。
「ああ……。俺も譲歩しようと思ってね」
大般若は言いながらベッドに腰掛けて、私の頬を撫でた。
「構わないよ。今は長谷部くんのことが好きなままで」
「本当に……?」
「百年後に手に入るんなら、それで良い」
それは、彼らにとって大した時間ではないんだろうか。人間である私には、途方もない期間に思える。……でも、遠い未来であっても、その時は確実に訪れるのだ。易々と頷くことはできない。
「俺の神域で一緒にいるうちに、いつか俺の方を好きになるさ」
ずっと会えないうちに長谷部のことを忘れていく、そんな未来のことを想像する。悲しくなって、涙が浮かんだ。
「なんで泣くんだい。長谷部くんが好きなまま、今生を終えていいんだよ。人間の一生分の時間、あんたの自由にしていいんだ」
眉を寄せて困ったように笑う目元が、彼の複雑な葛藤を思わせる。
「だからその後の時間は、俺におくれ」
覆い被さられて、軽く唇があわさった。瞬きと共に、頬に涙が伝う。その雫を彼の唇が追って、シーツに落ちる前に掬った。
首筋の噛み跡を、指がなぞる。
ぞわぞわとくすぐったいような感覚が広がる。
肌の感触が、囁かれる声が、漂う香りが、身体の奥から熱を引き出す。眠気は覚めて、それとは違う同じくらい抗いがたい熱さが燻る。
私の身体はもう、彼を覚えている。
舌が唇に触れて、口を開くのを促される。従うと、労うように頭を撫でられた。
逆らっても何も良いことはない。
それにこれ以上、噛み跡を増やされたくはない。
ぬるりと生温かい舌の感触。それにも慣れて、嫌悪感も恐怖心も大して機能しない。漠然としたとした感傷と、諦めがあった。
「は、う」
口内をゆっくりと舐める体温に、吐息が漏れる。じんわりと広がるすでに知った感覚が思考を麻痺させる。
首すじに唇が下りたときには、もう下腹部の熱が苦しくなっていた。
浴衣の合わせにするりと彼の掌が入ってくる。
鎖骨から肩の辺りを撫でるその動きによって、襟元が乱れて大きく開く。
「っ、ん」
噛み痕を唇がなぞるのが、むず痒い。
「今日は素直で良い子だね」
なんの皮肉でもない褒め言葉として、上機嫌な笑顔と共に優しい声が降ってくる。
下着の上から胸の輪郭を確かめる掌に、それだけで声が出そうになる。口元を押さえて、はしたない吐息を飲み込んだ。
背中に回る腕がホックを外すのを抵抗せずに待ちながら、昂揚に息が乱れて、胸が上下する。その浅ましさを自覚して、嫌気がさす。
下着をずらされる衣擦れの感触にも身体が跳ねて、居たたまれなく唇を噛んだ。
「我慢しないで大丈夫だよ」
反応を堪えようとしてぎゅっと結んだ拳を解かれ、指を絡めて手を握られる。
嘲笑されることはない。卑しい欲求を彼は受け入れて、愛でて、更に引きだそうとしてくる。だから、ずるずると流されて、抑えが効かないところまで持って行かれてしまう。
肩を、腕を、鎖骨を、胸を、大きな手が壊れ物を扱うように、丁寧に撫でる。教えられてしまった快感を反芻して、どうしようもなく熱い。身体に自然と力が入って、絡められた指を握り返した。彼がその大きさの違う指を撫でて、嬉しそうに目を細めて、笑う。
自由に動き回るもう一方の掌が、腹から下におりて、身体が跳ねた。
じんじんと疼くそこを確かめられたくなくて、身体が強張る。
「おや」
ぎゅっと内股に力を入れてしまう。抵抗したって良いことはないと悟ったつもりだったが、こんな惨めなことがあるだろうか。心は受け入れていないのに。
「み、見ないで……」
泣き声になってしまって縮こまる。
「恥ずかしい、のかな」
泣きながら頷くと、彼は頭を撫でながら少し考えて、身体の位置を変えた。
「そういうことをしているんだから、そういうふうになるのは自然なんだよ」
「っ」
腰を押し当てられて、その硬さに動揺する。内側に受け入れる以外にその存在を意識したことがなくて、太ももに当たる感触は未知のものだった。身体を起こさせられて、目の前で彼が自分の帯を解いて見せた。下着の上からも張り詰めているのがわかる。
「ほら。触ってごらん」
「っ、あ」
手の甲を覆うように手を取られて、触れさせられる。
そのまま硬直する。
長谷部にもしたことがないし、まじまじと見たこともない。
「っ、あの、どうするのか、わからない」
「ほう」
固まる私を前に、どういう訳か大般若は、嬉しそうな含み笑いを見せた。
「じゃあ、俺が教えてあげような」
下着をずらして取り出されたそれを、気持ち悪いと感じた。大般若の容姿……人形のような造形ときめ細やかな白い肌は、彼が人間ではないことを度々思い出させるのだが、その部分に関してはまるで生き物のようだ。
「こうやって、包んで……」
「っ、え、あ」
目を白黒させながら、彼が私の手を包んで上下に動かすのを見やる。先の方だけ違う、赤い粘膜の質感。血管の浮き出た硬い、ごつごつとした感触……。いや、知識としては知っている。ええとたしかこれは確か興奮すると海綿体に血液が行って……などとあらぬ方向に思考が巡るのは現実逃避だろうか。
「口で、できる?」
「え、と、舐めればいいの……?」
おずおずと、彼の足の間に顔を埋める。
唇で先端に触れると、それがぴくんと跳ねた。続いて、恐る恐る舌の先を当てる。無味無臭でつるつるとした感触は身構えたほどは不愉快なものではなくて、少し安堵した。
先端の部分が気持ち良いのが、内ももの筋に力が入るような反応からわかる。
「ん、気持ち良いよ……。お口に入るかな?」
言われるままに口に含むと一層大きくなって、その苦しさに涙が出る。無意識に舌で押し返す動きをすると、それが刺激になってか彼が吐息を深く吐いた。
「っ、む」
何かしなければ終わらないんだろう。何とかしようと、舌を絡める。
「ああ、上手だね。気持ちいいよ。一緒に手も動かして……」
頭を撫でられて、褒められる。
大きく口を開けているために顎が疲れる。こんな質量が私の中に入るなんて、とふと頭を過ぎった。
……これが、私の奥まで入る。
そう考えた瞬間。ぶわっと汗が出て、身体が火照った。ただ珍しいものを見るように観察した形が生々しく意識されてしまう。
それによって呼吸が浅くなって、一層苦しい。焦って口内に溜まった唾液をなんとか飲み込もうとすると、一緒に彼のものに強く吸い付いてしまう。その瞬間、強く刺激を受けてか、喉を突くようにそれが動いた。
「っ、ごめ……!」
「んぐっ」
衝撃に口を離して、げほげほと咳き込んだ。
「ごめんな、わざとじゃないんだ。びっくりしたな」
丸く蹲ったその背中をさすりながら、抱き起こされる。
「ありがとう。良い子だったね」
シーツの上に這いつくばっていた顔を上げて両手で撫でられるのは、飼い犬でも褒めているみたいだ。
「よしよし。気持ち良くしてくれてうれしいよ」
額にも頬にも、唇にもキスをされる。優しく微笑まれる。ペットのようだと思ったのに、その労いが心地良くて、胸が一杯になる。
その幸福感が、恐ろしい。
「あんたも気持ちいいことをしような」
「あ……」
立ち膝をついた状態で下着を下ろされて、糸を引くほどそこがぐちゃぐちゃになってるのがわかる。
触れられていないのに。
これからされることに期待をしてしまっていたのが、取り繕いようもないほど明らかで、息が詰まる。
「ああ、かわいいねえ。こんなになって」
それなのに。彼は立ち膝になった私の胸に顔を埋めるようにぎゅっと抱き締めて、かわいいかわいいと頬を寄せる。
先ほど奉仕を労ったのと同じように私を褒めるから、感覚がおかしくなってしまいそうだ。あんなに渦巻いていた羞恥心と屈辱感が霞んで、甘い靄が思考にかかってくる。
「ほら、上においで」
抱きかかえられて彼の腰を跨がされる。それだけでもう、身体の奥がじんじんと熱い。押し当てられたそれが、温かくぬるりと滑る感触に腰が反った。
「ひゃ、う」
「欲しかったの、奥まであげような」
先端の太い部分が、割り入ってくる。
「ひ、いっ」
衝撃に甲高い声が出る。
「そう、腰、そのまま落として」
足を開くように姿勢を作られて、自重によってめり込んで行く。
「あ、ああ、あ……っ」
焼けるような快感に貫かれて、頭が真っ白になる。ずぶずぶと根元まで飲み込んで、口に入りきらないものが腹の中に収まってしまう。
「や、まって、や……っ、おく、ささって、あ、はあ」
首筋に顔を埋めて、縋った。奥に自分の体重がかかってしまって、当たるだけで身体が跳ねるような場所を、押し潰される。
「これ、だめ、は、ひ」
快感を散らそうと自分の掌を、爪を立てて握った。じりじりとせり上がるような、叫んでしまいそうな感触に汗が浮かぶ。
流されるのが怖い。我慢するのが苦しい。
「くるし、い」
「ん、苦しいのは嫌だな。大丈夫……苦しくなくなる」
背中を撫でる掌が優しい。
「俺に腕を回して掴まって」
言われるままに、目の前の男にしがみついた。
「……そう、楽になるからね。抵抗するからつらいんだよ」
ゆっくりと言い聞かせるように囁いて、密着したまま彼が腰を揺する。
「や、ああ! や、だあっ」
腰を回す動きをされて、広げられた粘膜が耐え難い痺れを受ける。先ほど確かめた彼のカタチにぴったりと割り開かれているのが、嫌でも意識されてしまう。
「や、じゃなくて、気持ちいいって言ってごらん」
声色は一定して優しいのに、責める動きは徐々に大きくなっていって、その波打つ痺れに苛まれる。
反った先端が弱いところに擦れて、行き来する度に目の前がチカチカする。
「ほらっ」
「んっ、ふっ! うあ!」
ぐりぐりと押しつけるように先端が内臓を押し上げて、その度に声が漏れる。我慢しようと唇を噤んでいると、苦しくて頭がぼうっとする。
もう楽になりたい、と思うのはいけないことだろうか。
「は……、きもち、い」
「ん。良い子」
揺するのが一気に大きくなって、ぶわっと全身に痺れが広がる。
下から強く突き上げられる容赦のない動きに、ぼろぼろと涙が零れた。
「しょ、れ……っ! やあ! あっ」
「ほら、なんて言うのか教えただろう」
「っ、だ、め、きもちい、あ、あ、これ」
口に出してしまうと、感覚が一層鋭くなった。腰がくねって、気持ち良いところに擦りつける動きが止まらない。
「これ? こう? どこが気持ちいい?」
「しょこ、きもち、い、さきっぽ、あ、あたる、ああ、っひ、い」
「……っ、可愛いねえ」
「うあ、あ!」
耳許で吐息混じりに囁かれるのと同時に、ガツンと衝撃が走った。
腕を回してぎゅっと彼の頭を抱き締めて、ああ、こんなのは恋人同士みたいだ。でも、しがみついていないとおかしくなってしまう。
「はん、にゃ、きもちい」
突き上げられるのも揺すられるのも気持ちが良くて、密着していて浴衣越しに伝わる体温や私にまでかかるさらさらの銀髪、耳にかかる艶っぽく優しい声も、全てが気持ち良い。
限界にぎゅっと中が窄まって、その刺激に応えて彼のものが震えた。
「っ、んう」
「ひゃ、あ……っ、……っ」
奥に溢れるものを受け止めて、気持ち良いが弾ける瞬間を共有する。
脱力した背中を大きな掌で撫でられて、性感とは別種の気持ち良いに身を任せると、そのまま眠ってしまいそうになる。
「おっと、このままじゃ寝ちゃうな」
微睡んでいると、不意に身体を持ち上げられた。
「あ」
シーツの上に身体を倒される。
彼のものが、ずるずると身体の中から出て行く感覚が切ない。
その喪失感に眉を寄せると、大般若が苦笑した。
「まだだよ。今日はもう少し夜更かしをしような」
彼が羽織っていた浴衣を脱いで、私の腰の下にそれを敷く。私が着ていたものも剥ぎ取られて、互いに何も着ていない状態になる。この期に及んで、それを少し気恥ずかしいと感じた。
再び覆い被さってくる彼を、ぼんやりとした浮遊感に漂ったまま、期待を持って受け入れた。互いの体液でどろどろになったものが足の間に擦り付けられて、にちゃにちゃと水音を立てる。その刺激におなかの中がきゅうっと収縮して、飢えを訴えてくる。
「っ、だめ、だめ……っ」
眠気とは違うもののその延長線上にあるような、思考がはっきりしない状態で、うわごとのように呟いた。
「んん?」
「は、んにゃ、もう」
擦り付けるように腰が浮いて、気持ちよさともどかしさで我慢できない。
「ん、欲しいね」
必死で頷いて、その腕にしがみついた。早く、奥を埋めてほしい。繋がっていない状態が苦しくて、切ない。
「ああ、泣かなくて良いんだよ」
涙を拭いながら、困ったような笑顔で覗き込まれる。
「ごめんな。焦らしすぎちゃったな」
言いながら先端を押し当てられて、その圧迫感が割り入ってくる。
「あ、あ、ふあ……」
寂しかった場所が再び一杯にされて、うっとりと目を瞑った。
「ん。気持ち良いなあ」
先ほどのように首に手を回して抱き合うと、肌と肌が合わさって、その感触も心地良い。
じんじんと疼いて、腰が揺れる。それを隠そうという気も最早起きなかった。
「は、う」
ゆっくりと大きく抜き差しをされて、覚えてしまった彼のカタチが鮮明に感じられる。特定の場所を太い先端が通る度に腰が跳ねて、どうしようもない快感が走る。肌を伝い落ちる熱い体液が、腰の下で彼の浴衣にシミを作った。
「ああ……こんなに悦くなっちゃって」
「っひ! うあ、やあ」
大きく動いて、時折奥に擦り付けるように体重をかけられるのが堪らない。
「しょれ、ぐりぐりする、の、あ、あ」
「気持ちいい?」
「きもち、い、あ、ふあ」
「あは、素直で可愛いよ」
「ひゃ、あ、はんにゃ、うあ」
奥を小刻みに突かれて、全身に広がる甘い痺れに、足の先までぎゅっと力が入った。彼が動くのに合わせて、波打つように抗えない快感が押し寄せる。
「もっと、呼びな」
「だいはんにゃ、あ、はひ、だい、は、にゃ」
「うん、主人」
呼ばれて嬉しそうに笑うのを、彼しか映らない、狭くぼやける視界で認識する。
寄せては返す波のような快感に、身体が言うことを聞かない。口からは意味のない音が出続けて、縮こまるように彼に絡みつく手足も私の支配下にはない。気持ち良いということ以外に知覚できるのは、目に映る彼の表情と、耳に聞こえる彼の声と。それを処理するので頭もいっぱいになって。
「あんたの名前は……なんていうんだい」
優しい声が、核心に触れる。
それで一瞬、理性が警鐘を鳴らす。
「あ、ひっ、いっ……!」
覆い被さって、深く突き下ろされる。彼に縋っていた手を引っ込めそうになったところに強い衝撃が走って、筋肉の付いた腕をぎゅっと握りしめた。爪の痕がついてしまったかもしれない。
「なあ、俺にも呼ばせてくれ」
「あ、あ……」
それで全部楽になる。私のことをこんなに愛している大般若が、私の名前を求めているのだ。ああ、きっとそれを与えてしまっても、悪いことにはならない。
首に回した腕で彼を一層引き寄せる。
もう長く口にしていない、現世での名前を、発音した。
「……っ」
彼が息を飲んだ。
続いて、大きく息を吐く。
「あんたに似合う、美しい名前だ……」
額にかかる汗で貼り付いた髪をわけて、そこに口づけられる。
目元にも、頬にも。
唇が寄せられて、耳許で私の名を呼ぶ。
幸せな響きに、胸が一杯になる。
精神的に満ち足りるふわふわとした心地よさと、弱い部分が擦られる鋭い快感が合わさる。
「あ、はあ……っ」
緩やかに揺する動きをされて、身体が応える。律動の仕方を変えられながら、次第に深いところに当てられる衝撃が強くなって、翻弄されるままに鳴いた。
彼の胸に顔を埋めて、深く繋がるのが気持ち良い。
「ん、奥に、出すから、ね」
「ひゃ、ああ、あ!」
奥に擦り付けるような動きが激しくなって、弱いところ同士が合わさる狂おしい痺れに堪らず悲鳴を上げた。
迎えた絶頂に、身体が跳ねる。それを押さえ込むように抱き締められて、自然と同じように抱き返した。汗をかいた肌同士が吸い付いて合わさる中で、一番深いところに押し当てられて、注がれる。
「ふあ……」
「……、」
その耳許で、私を意味する音を彼の唇が発する。麻薬のような幸福感。
弛緩した汗ばむ身体がベッドの上に沈んで、浮遊感に朦朧とする。抱き合ったまま、大般若がその胸の中心に、心臓の上に手を触れた。
今度は私の言わなかった、姉と同じ姓を付けて。噛みしめるように一音ずつ、大般若が私の名前を呟いた。
瞬間、視界がぐにゃりと歪む。
彼の掌が深く体内に沈んで行って、心臓を掴まれるように錯覚した。そのようにしか表現できない、得も言われぬ感覚。
思わず胸元を見下ろすが、そこには彼の掌が添えられているだけで。
「これで、ずっと一緒にいられるんだよ」
大般若が手を放すと、そこに彼の紋が刻まれていた。