雪が白く学ぶ場所内にて―――
『ここは・・・何処だ。俺は・・一体』
薄暗い一室で壱哉は目を覚ました。相澤と戦う前までは覚えているが、その後の事が思
い出せない。しかし、両腕を縛られて天井から吊り下げられる状態から考えれば、間違い
なく敗北して捕縛されたのだろうと考え及ぶ。
窓が無い為、今の時間が分からない。恐らくは夜ではないかと思う大雑把な感覚を信じ
るしかない。
薄暗い中に照明は消えている。また、埃臭さより喉の奥に違和感を覚える。
『各務は・・・』
声を出した時だった。急に天井に照明が灯る。あまりの急な明るさで目が眩む。最初は
両目を強く瞑り、そして、目を慣らす為に徐々に瞼を開いた。
視界が明るさに慣れ、周囲は本棚に囲まれた部屋である事を知る。そして、この部屋の
―――書庫で壱哉は手首を縛られて天井から吊り下げられていた。
上半身は何も着ていない。格闘技で鍛え上げた強靭な肉体が外気に直接触れている所為
で冷たくなっている。
『一人か・・・』
倒れている本棚もあり、壱哉の足元に数冊の本が落ちているのが見える。それらの本の題
名を良く見れば気象や環境関係の本が多い事が分かる。今居る場所が、どうやらそういう
所なのだろうと漠然と思った。
周囲を把握する為に視線を左右に向けるが、何処にも出入り口の扉が見当たらない。
この部屋の奇妙さ、そして、絆の無事と、相澤の事・・・色々な事が静かなるこの場所
で考え巡る。
春・・・告白して受け入れてくれた神代雪菜の事を考えていく。雪菜の事を考えると必
ず付随して考えてしまう事がある。壱哉にとっては切っても切り離せない存在の事だ。
『・・―――俺は間違ってるのか・・・・だがな、取り戻せないものだってある。今の俺
には遠いんだぜ』
まるで目の前に誰かを想像して言う台詞だった。自分でも推し量れない感情を表情に出
し、そして、今の感情を忘れたいと思いながら目を瞑っていった。
―――アニキ・・
壁全てが鏡張りの部屋で―――
鏡に映る各務絆がぼんやりとして立っている。鏡の自分を見つめている様で実は何も見
ていないと、絆の側に立つ相澤志郎は知っている。
白の下着姿のみの裸体を晒し、相澤志郎に具に見られている。肌の瑞々しく綺麗な整い
具合、可愛らしい容貌、円らな瞳には光が消えて弱々しい輝きを放つ。
『絆君。君は繊細で儚げな花の様だ・・綺麗だよ。今の君の姿を誰に見せたいんだい?』
『・・・・』
絆は何も応えない。相澤の言葉を何度も聴き続ける内に瞳だけを反応させて動かす。そ
れでも動いたのは微かだった。
霧生の技の一つ「誠心術」は、対象とした人物に対し、呪術者本人を強く信じ込ませる
事で思うように操る術とする。今の絆は相澤の術中下にあった。
『君の全てを解放しようか・・・君こそ我等が求めている“天使”に違いない―――』
『・・・・』
絆の意識は相澤によって今は消されている。その絆の胸をブラジャー越しに触る。
可愛らしい胸が揉まれ、その可愛らしさ故に男の手によって汚されていく。
『・・・・・』
『・・・誠心術に完全に陥ってるはずなのに・・・気になるな。絆君・・・君は』
胸を揉んだ瞬間、絆の表情が一瞬だけ強張った。両目が微かに瞑る動きを見せたのもこ
の時で、誠心術が絆の心の中で揺らぎ薄れ始めたのを感じ取る。
更に胸を揉む。乳頭辺りを指の腹で伝った瞬間・・・
―――おにいちゃ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん・・
―――ッ!?
『絆!?――――・・・・・・・何だ・・一体・・?―――今、確かに絆を・・感じた』
雪白共同教育研究施設の門前に立つ悠也が、急に口元を覆うマスクを外して闇の中に建
つ建物を臨む。
奇妙な錯覚に陥った自分を強く意識する。まるで絆が心の中を通り過ぎた感じがしたの
だ。その際に助けを求められた気もしていた。
『ぐっ・・・落ち着け・・絆は無事だ。オレが行くまで絶対に無事だ』
兄としての思考がどうしても先行してしまう。焦りを強く募らせるのを、もう一人の自
分が押さえ込む。そうして意識する事で冷静を保てた。
現在の雪白共同教育研究施設は、警察によって封鎖されている。今の時間が夜で無けれ
ば門に張られた黄色いテープに「keep out」と書いてあるのが見えるだろう。
悠也は、それを完全に無視している。門を軽々と飛び越えると、敵の気配を探りながら
音も無く建物へと向かって走り出した。
風を切る速度であるにも関わらず、一切の音は夜の闇に消えている。今、雨は止んでい
るが、もう少しすれば再び振り出すだろう天気の悪さは空に出ている。
水を跳ね上げるが、それも音無く地面に落ちる。速度をゆっくりと落とし、建物の一階
の窓と窓の間に壁に背中を付けて立った。
背負う刀が壁に当たっている。それを意識しながら内部の様子を、窓を通じて探った。
『・・・・(・・気配はある。前とは明らかに違う・・・オレを誘う罠と言う訳か。雪が
白く学ぶ場所とは良く言ったものだ)』
呼吸を整える様に吸って吐く。内部に滞留する空気の乱れ、埃の舞う具合が悠也の目に
は見えている。そして、確実に感じる気配も。
『1.2・・・いや、3・・・・三人だな』
三人とすれば納得がいく。「各務絆」「霧島壱哉」が三人の内の二人であるのは間違い
ない。そして、最後の人物が言わずと知れた「相澤志郎」だろう。
しかし、事は慎重に判断しろ―――と、悠也は内心で自分に警告し、冷静さを高めた。
腰帯に紐を括り付けて下げている“銀色の鈴”を握り締め、落ち着こうとする。
『・・・スゥ、ハァ―――(絆は無事だ。必ず無事だ・・・必ず壱哉と共に助ける)』
―――無事で居ろ・・!
鈴を放した瞬間、悠也はマスクを上げて口元を隠した。そして、鋭すぎる冷静さで窓ガ
ラスの一部を手馴れた手付きで壊し、鍵を開けて窓を開く。
開けた窓より内部へと侵入する。着地と同時に埃が舞う。
『・・・・(妙だ・・・昨日はここまで埃は無かったはずだ)』
封鎖される前までは使われていたこの施設である。しかし、今はまるで無人で長い間使
われていない埃の積もり様だった。
気配を廊下の先より感じる。この建物自体が長方形である為に廊下はずっと続いている
様に見えて、先は夜の闇ではっきりとは見えない。
一歩、一歩と歩む。すっと右足を前に出し、そして、同じ動作で足元を足先で具に確認
しての歩行だ。
やがて気配が一番感じる部屋の側に来る。その部屋を慎重に見据え、そっと壁に寄り付
いた。両目を細め、意識を部屋の中へと向けて集中する。
確かに気配は二つ―――絆と壱哉か、それとも相澤が含まれるのか・・この場所から感
じる気配では分からない。ただ二つであるのは確かだ。
『・・・(罠だ。だが、それでも・・・行くしか打開は無い)』
壁伝いに動く。刀の鍔が壁を擦るが音は出ていない。引き戸の扉の前に立ち、再び内部
の様子を探る。
先程から気配は変わっていない。
決意し、罠でも覆せる自身を強く信じ、扉を引いて内部へと即座に侵入した。
室内―――薄暗い室内に右側の壁一面に鏡が張ってあるのが見える。入った瞬間、ここ
だけが埃臭さを感じなかった。
外では雨がようやく降り出していた。一瞬、雷の輝きが辺りを明るくさせる。そして、
雷鳴が流れ聞こえた。
『―――(絆・・)だな』
侵入した際の姿勢の低さを立て直しながら、雷光で確かに見えた目の前の人物―――絆
を見据えた。
そこで照明が点く。
『くっ・・』
『ようこそ霧生悠様。――――ようこそ各務悠也君』
咄嗟の動作を見せて右腕で目元を隠す。夜目に慣れていた所為で視界が白けて見える。
『相澤か・・』
『どうぞ此方へお越し下さい。若様のお姿が良く見えるまで』
『ふざけた真似を』
悠也の怒りが込み上げる。冷静に言われれば言われるほど、朱音の死を思い出して怒り
が込み上げる。そして、絆だけでなく壱哉までも巻き込んだ事に対して更なる怒りの感情
が生まれていた。
悠也が右腕を降ろす。はっきりと絆とその側に立つ相澤の姿を見据えた。
『(絆・・)―――誠心術だな・・彼女の意識を乗っ取ったのか?』
『ええ。その通りですよ。どうです?―――可愛らしいでしょう?』
『・・・・・・もう一人の高校生は?』
敢えて「壱哉」と呼ばない。相澤には既に正体が知られていると分かっていても用心は
決して消さなかった。
『ふーん。ぼくの事を無視しますか?―――別に構いませんが?』
『朱音を・・・何故、利用した。ショウキまで・・・』
相澤は爽やかな笑顔を悠也に見せる。それが悠也には相当の嫌味に映って見える。
『勘違いされては困ります。ショウキに関してですが、あれは・・ぼくの所為じゃありま
せんからね―――獣鬼(おに)となっていた事、自我を忘れていた事も知らなかったんで
すよ。これは本当です。偶然、朱音の身体に宿った事も含めてね』
『―――偶然・・?』
『はい。けれども神技を媒介に朱音の身体に術を仕込ませたのは確かにぼくですが・・』
『朱音―――・・』
『さて、お話はここまでに致しましょうか?』
『・・・ッ!?』
悠也の背後の扉が勝手に閉まる。そして、窓のシャッターも豪快に音を立てて閉まった。
雨音が消え失せ、周囲は耳が痛いほどに静寂に満たされる。
『絆君。さあ、目の前の彼を討とう・・・君がすべき事を無そうか?』
絆に短剣を渡す相澤は、絆の耳元で優しげに囁く。それを目にした悠也の怒りが頂点に
達して弾けた。
『止めろ!!!―――――彼女(き、絆ッ!!)を解放しろ!!!!』
駆け出そうとして急に足を止める。
絆が動き出す。相澤より受け取った短刀の鞘を静かに抜く。照明の光に刃が反射する。
また、右側面の一面の鏡に映る刃も輝いていた。
絆が悠也へと迫る。その絆の背後に相澤は立っており、絆が動く度に位置を修正してず
らし、悠也の攻撃範囲より逃れ続ける。
絆を助ける為には一撃で相澤を仕留める必要がある。もしも失敗すれば、誠心術の効果
を利用して相澤が絆の精神を殺すはずだ。それでは遅い。
『やめるんだ・・』
誠心術の心得は悠也には無い。今回は操術で絆を操っても仕方ない。絆の精神を相澤が
人質にしているのも同然だからだ。
短刀の刃の先を突き付けられる悠也は、下がるしか方法が無い。しかし、それもすぐに
限界に達する。壁に背中が付く。
『くっ・・』
シノビ・ギアに短刀の刃の先が触れる。その触れる部分の肌より微かな痛みが走るが、
シノビ・ギアに解れは全く無い。
絆は軽く短刀を動かして、刀を背負う紐を切る。―――ゴトッと音を立てて、刀が床に
落ちる。それを拾い上げる事も敵わないまま、鏡張りの壁へと追い詰められていった。
絆の背後に立ち続ける相澤が、悠也の刀の落ちている場所まで移動すると、その刀を拾
い上げた。
『それに・・・触るな―――』
悠也の声も虚しく、相澤は刀を鞘から引き抜く。刃が照明に綺麗に反射する。
『素晴らしい―――流石は“星辰剣”の輝き。神技継承者の証・・』
『くっ・・』
刀―――星辰剣を奪われ、尚且つ、絆によって喉下に短刀を突き付けられる状況下。相
澤に対して怒り以上の憎しみの感情が湧いて出る。
『まだ幼いですな―――忍ならば、感情の一切を捨てて絆君を殺すべきです・・・それが
出来ないからこそ、ぼく等に見捨てられたんですよ』
『・・・・』
相澤が左手を上げて行く。そして、壁のスイッチに人差し指で触れる。
『もはや同情の余地はありませんか・・・ぼくの人形にして上げますよ。さぞかし“可愛
い”―――人形に、ね』
最後の語尾でスイッチを入れる。その瞬間、悠也の真下の床が開いた。
『何ッ!?――――くあぁぁぁ!!!!』
絆に短刀を突き付けられる状態では、落下を食い止める手立てが無かった。一瞬にして
悠也の声がこの鏡の部屋より遠退き、開いていた床はゆっくりと閉じた。
床が閉じるのに併せて、絆が短刀を落として倒れる。それを眺める相澤は、スイッチを
一度切って、再び入れ直す動作をした。
『―――「呪朽ち」の液体は、ぼくの家系「相澤家」に伝わるもの・・・それを応用した
液体に満ちながら、人形と化すが良い・・・・若―――様』
絆を見つめ、そして、爽やかな笑みを今になってようやく消し去った。笑みが貪欲に性
欲に塗れ変化していく。
絆の肢体が相澤の瞳に映り込んでいる。
『さて・・暇だし、子供でも作ろうかな・・・思考まで奪った若を隣に添えてね。・・こ
れから楽しくなりそうだよ』
倒れている絆へと、一歩、また一歩と近付いて行く。