重い音がして埃が舞い上がる―――
『くっ・・』
天井から落ちてきた悠也が、右腕の二の腕を左手で掴んで抑える。顔下半分がマスクで
隠れて見えない表情に苦悶が歪んでいる。
上の階で相澤に操られた絆に追い詰められて落とされる際に、絆が持っていた短剣で腕
を傷付けてしまった様だ。
シノビ・ギアの漆黒色が鮮血色を露にさせないが、左手を退けて掌を見れば血が付いて
いる。
『・・・(迂闊だった。絆に気を取られ過ぎた・・)』
周囲を見渡す。出入り口が見えない一室である。どうやら書庫の様だ。無数に羅列する
本棚が視界を遮る。
窓の無いこの部屋に一つの弱々しい照明が天井より照らしている。その明かりに照らさ
れて空気に乗る埃が緩やかに流れている。
マスクを下げて周囲の空気を探る。生暖かい空気に混じる埃臭さが部屋一帯に充満し、
この部屋が長い間使われていない事を知る。
天井を見上げれば、開いた場所は既に閉じてしまっている。
『・・・閉じ込められたか・・』
その時だった。突然に悠也の目の前に立つ本棚が揺れた。そして、床に落ちている本を
踏み締める音が聞こえた。
『誰か居るのか・・!?』
『・・!?』
男性の声に悠也は緊張感を高めた。迂闊とはいえ落ちてきてから今まで気配を探れなか
ったのだ。驚きは一入で、心臓の鼓動が急に高鳴るのを悠也自身が不自然に思うほどだ。
右腕の傷が痛むのを強く感じる。妙な気分に身体が陥るのを火照っていく事で気付いた。
視線を前に向けて集中する。本棚の脇に手を掛けて・・
『・・・――――ッ!?(い、壱哉・・)』
『誰だ・・あんたは?』
『・・・・・』
悠也の視界に姿を見せた壱哉に、悠也は驚きを露にする。相澤によって仕掛けられた罠
の存在をこの時ほど強く感じた事は無かった。
壱哉が、踏み締める本の数々を歩き難そうに、本棚に置く手を支えに進んでくる。それ
に対して悠也は引き下がった。
心臓の鼓動が熱い。傷付けられた右腕が更に痛みを感じている。左手の指の間に滲む血
が一粒だけ滴り落ちる。
『・・・(壱哉・・)』
壱哉は、天井より吊り下げられていた状態より自力で脱出して今まで身を潜めていたの
だが、悠也が天井から落ちてきた音を聴いて行動を起こしたのだ。
『忍者・・?―――何だ、お前・・』
今の時代には似合わない忍装束姿の悠也である。壱哉としては当然の思考だった。
悠也は咄嗟に頭巾を被る。そして、本棚に囲まれて逃げ場を失う。壱哉は、悠也を見て
警戒心を強めながらも堂々と近付いて来る。
『来るな・・!』
背中を本棚に付けて、本棚に寄り掛かる。声色を低く変え、気配すら「各務悠也」から
「ユウ・クサナギ」へと切り替えもする。
寄り掛かっている本棚が揺れる。本より埃が出て空気中に舞う。
壱哉は悠也の一言で歩みを静止するが、埃臭さを奇妙と思っているのか、空気中に漂う
埃を見渡す動作をする。
『変な甘ったるい匂いだな・・・やっぱり変だぜ。ここは・・』
『・・・・・』
見渡した後、再び悠也を見る。足先から顔までを視線を上げて見つめ、最後にはマスク
と頭巾で隠された唯一素顔を見せる瞳へと凝視する。
じっと見据え合う。無音が暫くの間だけ空気中を漂う。そして、沈黙を破り悠也が背中
を本棚伝いにずらした際、無音が消え去った際。
『まさか・・・、悠也、か・・?』
『――ッ!?』
突然の壱哉の発言だった。その事に大きく驚く悠也が両目を大きく開く。心臓の高鳴り
も更に強く熱くなり、血の流れが活発化する。
壱哉が再び歩み出す。両足で本を踏み締めながら。
『来るな!!』
まるで怯えた様子で叫ぶ悠也だった。それが正体を知られまいとする感情から来るのか、
それとも壱哉自身に恐怖しているのか、今の悠也にはそれが判断出来ずに戸惑っていた。
『悠也。やっぱり悠也だな―――お前』
『・・・違う。オレは・・』
『悠也だよな?―――絶対、俺が間違える訳ないぜ』
はっきりと自信を持って言う壱哉に、悠也は戸惑いを深くする。忍としての自覚は今も
在るが、こうして動揺が止められないのは何故かと思い悩む。
その時、右腕の痛みを強く感じた。血管を通じて流れる“何か”を今になって感じ取る
が、その事に気付いた際には既に遅かった。
『相澤の・・・薬物、か・・・・くっ・・――――』
右腕の二の腕を左手で強く掴み、本棚をずり落ちて倒れる。身体の自由が徐々に奪われ
て体温の低下を感じ取る。
『悠也!?』
『く、来る・・な・・・・(来ないで、くれ・・・壱、哉・・)』
薄れる視界の中で壱哉が駆け寄ってくるのが見える。壱哉を静止させたいが言葉の自由
まで奪われていく状況下では、もはや止められない。
『悠也!―――しっかりしろ!!』
『・・・・くっ・・(い、ち・・・)』
上半身裸の壱哉。しっとりと肌に汗を掻いている状態を悠也は知る。そして、甘ったる
い匂いが周辺に立ち込めている事も今になって気付いた。
―――う、かつ・・・だっ、った・・・これ、が・・・相、澤の・・・わ・・な・・
頭巾が壱哉の手によって剥ぎ取られ、黒髪が露になる。そして、マスクにも指を掛け、
『やめ・・・ろ・・』
辛うじて動かせた左手で、壱哉の行動を阻む。壱哉の腕を掴んだ悠也の左手より血が流
れ落ち、血の道を作って滴り落ちる。
『血・・悠也。お前、怪我してるのか!?』
『・・・くっ』
『しっかりしろ!!―――悠也!!』
驚く壱哉が悠也をしっかりと抱き締める。その熱い温もりの中で悠也は心臓の鼓動が自
分とは別に熱く高鳴るのを聴いていた。
悠也の左手の握力が弱まる。それに併せて壱哉は手を動かして、悠也のマスクを下げ、
素顔を完全に晒した。
確かに「各務悠也」に間違いなかった。忍として完全に「各務悠也」の気配を変えてい
るにも拘らず、壱哉は悠也の正体を暴いた。
『悠也・・』
『・・・・』
ほぼ気絶間際にある悠也に対し、壱哉は悠也の顔をじっと見つめ、出血が酷い右腕の二
の腕を手で押さえた。
二人の鼓動が熱く高鳴る。もはや止められず相澤の術中に嵌っていくしかない。
本棚より浸み出す緑の液体。そして、天井にびっしりと付着する緑の液体が幾つも氷柱
の様にぶら下がっている。壁を伝い、一室が緑色へと満たされていく中、悠也と壱哉も塗
れて汚れていく。
一階の宿直室―――
常駐する警備員が使うこの部屋で、相澤は絆を伴って入室した。布団を敷いて、下着姿
の絆を寝かせて添い寝する。
『可愛い子だ・・・』
『・・・・』
ぼんやりと天井を見つめている絆に、相澤は髪の毛を優しく撫ぜる。そして、馬乗りで
絆の腰辺りに跨る。
絆の首筋に相澤の手が触れる。頚動脈辺りの微動を指で感じ取る。
『各務君も霧島君も、ぼくの術中(罠)に必ず嵌る。確かに君等はぼくを上回って強いか
もしれない。けど、まだ高校生であるのは変わりない事実だよ。肉体も精神もまだ若葉の
様に繊細であるからね・・・だからこそ“何色にも染まり易い”―――』
絆の身体にしがみ付いていく。熱くなっている身体の温もりを好ましく感じながら、絆
の身体を弄り始めた。
『・・絆君。ぼくが癒して上げるよ・・・・・・』
―――君が“花嫁”となる前に、ぼくの手で・・ね