夜の闇、降り続ける雨―――
夜な夜な響く悲鳴は闇に消え、且つ、雨に掻き消される為に、この甚大市の市街より外
れた廃墟ビル内より外部へと漏れる事は無い。
6月の梅雨の時期、じめじめとした湿気がビル内に充満している。埃とカビ臭いが充満
している。
外で木霊し続ける雨が、夜の闇を伴って一層の恐怖を誘う。この場に連れて来られた学
生は、極端に身体を震わせ、旨く発声すら出来ない有様だった。
『たッ!!――――たっ・・たっ・・』
「助けて」と言いたいのだろうが、それすら言えない。黒一色の忍装束姿の二人に囲ま
れる状態の所為だろう。
誘拐されてきた学生は、高校生の男子である。身体からして何かスポーツをしていると
思わせる肉体である。
『今更助けを求められてもな』
『如何します?』
学生の真正面に立つ忍―――ショウキは、考えるまでもなく軽く笑い、軽く頷いて見せ
ると、踵を返し、去って行こうとする。
ショウキに質問した忍が残る。どうやらこの学生を殺す為に残ったようだが。
『助っ・・たす・・――――――』
ようやく言葉らしい声が聞けた頃には、男らしくも無い涙を大粒に零し、鼻水は出っ放
しで表情は強張らせる。両足を極度に震わせている。
忍がゆっくりと近寄る。あまりの恐怖で逃げ遂せない学生が、更に恐怖感に満ちた顔を
して絶叫の為の口を開いた時・・・
『しっ・・』
『・・あ。あ・・え?』
顔をゆっくりと近付ける。学生に黙る様に言うと、少しだけ頷く動作を見せる。驚く学
生の表情は強張ったまま止まる。
『無事に生きたいなら、オレの・・・いいな?』
忍頭巾に口元を黒の薄布地で隠すその忍の声は、この学生と変わらないと思えるほどに
若く張りがある。素顔の内で唯一見える瞳の輝きが若さを物語っていた。
男は助かりたい一心からなのか、それとも、この忍の迫力に押された所為なのか、コク
ンと首を縦に振る。その瞬間、忍は学生の腹部に右拳を打ち付ける。
鈍い音と声が漏れ、学生は気絶して倒れる。それを静かに見下ろす忍だった。
『カケイ・・―――――――――何故、殺さん?』
『・・・・』
去ったとばかり思っていたショウキが戻って来ていた。このフロアに響く声は勿論、シ
ョウキのものだ。
「カケイ」とはどうやら忍の名前らしいが、カケイと呼ばれたこの忍は中々反応を返さ
ない。聴こえていないのかと思えるほどに静寂を保っていた。
『貴様、カケイじゃないな?――――ワレを謀ったか!』
怒りに満ちた声がフロア内の静寂さを失わせる。中々振り向かない忍はようやく振り返
ると、ショウキを睨み据える。
『謀った訳じゃない。お前が気付かなかっただけだ』
『貴様・・誰だ!』
『・・・誰かと言われて答える馬鹿はいない。そうだろう?』
まるで余裕を感じさせる忍の雰囲気である。軽く首を動かし、右拳を握り締める。
『カケイはどうした?』
『・・答える必要も無い。次はお前だ』
『なっに!?』
忍の殺気がショウキの怒りを凌駕する。それがフロア内に満ちる空気の変化ではっきり
と分かった。
ショウキが身構える―――まさにその一瞬、突風が身体を突き抜けた。
『な・・にぃ・・!?』
『・・霧生一族の事を喋って貰おうか?』
ショウキが唖然と驚いている。背後に立つ忍の動きがまるで見えなかったのだ。背中の
心臓に当たる部分に手の感触が当たっている。恐らくは一撃で殺せると告げたいのだろう。
『何故、ワレ等(霧生一族)のことを・・・貴様は政府の犬か!』
『・・・・』
『・・くっ』
背中に当てられている手に力が入る。明らかな殺気が籠められるのは当然だった。喋る
つもりがなければ、後は死を覚悟するしかない。
忍が容赦なく、しかし、ぎりぎりまで死の恐怖を与える事で少しでも情報を聴き出そう
と思う時だった。突然に右側面より輝きが発せられたのは。
『―――ッ!?』
忍が飛び退く。それに併せてショウキが前のめりで倒れた。
ショウキの背中に突き刺さる直刀の忍刀が見える。そこからは血が溢れ出し、既にショ
ウキは虫の息となっていた。
『くっ・・』
忍が態勢を直す。忍刀が投げ放たれた方向を鋭く見据えた瞬間―――壁際に立つ人の影
を見た瞬間、一瞬にして瀕死のショウキが忽然と消えていた。
気配さえも完全に消えている。ショウキの気配すらない。
『強い・・油断した』
二言だけ言葉を漏らす声は、冷静な中にも悔しさが含まれる。それが忍の若さを物語る
ものでもあった。
忍が、忍頭巾を脱ぐ。口元を覆う布地を下げて素顔を外気に露出させる。
足元に何かの草が落ちているのを見つける。真新しく見えるその草は、この甚大市では
見掛けない。恐らくはショウキが落としたものだろう。
『・・・・・・・』
草を拾い、暫く眺める。
そして、夜の闇に静かに佇む忍―――各務悠也は、学生を担ぎ上げてその場を離れた。
雨の中、鈍い音で捨てられる―――
ゴミ捨て場に倒れるショウキは、あまりの痛みで呻き声を上げる。
『あ・・う・・き、さぁ・・』
雨に無残に打たれて傷が悪化する。血の溢れ方からして明らかに死を待つしかない状況
である。
ショウキを助けた忍は、全身を黒の忍装束で覆い正体を隠している。素顔も完全に隠さ
れているが、冷ややかに向けられる視線がショウキの記憶に残る。
『旭志様に顔向け出来ると思うな・・・せめてものオレからの情けだ』
『・・・・黒、識・・・くぅ・・・・・・・』
雨が一瞬だけ吹き飛んだ。その直後、土砂降りとなってショウキの身体を打ち付けた時
には既に忍の―――黒識の姿は無かった。
ゴミ袋の柔らかい感触の気持ち悪さ、雨の鈍い音が遠くで聴こえる感触の中、屈辱感に
塗れながら、最期の命を燃やす覚悟でその場から這い出た。
『死に・・たく・・・・ない。―――――――ワレ、は・・・・・』
ずるずると身体を引き摺り続け、何処に向かうか分からないまま、ただ生きたいと願い
続けた。
何秒、何分、何時間・・経ったのかさえショウキには分からない。まさに命の灯火が消
え去る瞬間に、目の前に立つ少年を目撃した。
見下ろす少年の姿を足元から順に見上げていくショウキ。
『き・・・さ・・・ま・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
『そのまま死んでも構わないよ・・・それとも、・・力を、上げようか?』
明るい声で告げられたのを最後に、ショウキの意識は途切れた。
雨に打たれ、闇の勢力が増す夜―――無数に蠢く者達に囲まれて・・・
二日間、雨は降り続ける―――
佐伯隆一郎と別れた各務悠也は、再び甚大駅がある高層ビルの屋上階に戻って来る。
忍頭巾を被らずに口元をマスクで覆い隠すだけで、雨に打たれている。
夜の闇に降り続ける雨に風が伴う頃、悠也の背後に何者かが控えていた。
『悠様・・』
『・・・・・どうだ?』
腕を組み、前方の闇を見据える悠也であるが、背後に控える者に対しては警戒心の一切
を抱いていない。先程の佐伯と対峙する姿勢とは明らかな違いがある。
『はい。悠様が拾われた「草」の成分には明らかな呪力が籠められております』
項垂れ、悠也へと報告する。
『そうか・・やはり霧生の術か?』
『はい。呪詛です』
『・・・・呪いか・・厄介だな。それで呪詛を掛けられた奴は?』
『はい。・・これは予測の範囲内を出ませんが、恐らくは悠様が二日前に助けられた「甚
大高校」の三崎数馬です。呪詛自体は軽いものと思われます・・が、これを普通の者が受
ければ間違いなく抗しきれません・・・それと性の感情を高める効果がある様です』
『性欲求か。単純だが確実だな・・・という事は誰かを狙わせる為に仕掛けた罠か・・・
この場合は・・・対象者は“オレ”じゃなく―――“女”だな』
『はい。恐らくは・・』
『・・・・そうか、・・・いや待て・・・・・――ッ、――――!?』
悠也は思い出す様に二日前に助けた学生の容姿を思い出すが、その容姿と名前を一致さ
せた瞬間、そこから導き出される解を辿り、真実へと行き着くと、冷静さを消し去って驚
く表情を隠さずに出した。
『悠様・・?』
『――――――“絆”が危ない・・』
声が若干震えていたのを聞き、それから悠也へと顔を向けた時には、既に屋上階より飛
び去る悠也の姿があった。
各務家―――
雨が降り続ける中を、奇跡的に命を拾った学生―――三崎数馬が見上げている。
彼は甚大高校に通う2年生で、剣道部に所属して活躍している。その彼は最近になって
告白してすぐに失恋を経験している。それは結構な有名話になっているのだ。
そして今、彼は再び目的を果たそうとしている。しかも過激に。
『かがみきずな・・・・俺を好きになってくれるよなっぁ』
完全に目が据わっている。雨に濡れて髪が重くなるのが表情を暗くさせる。
家の様子を眺め、揺ら揺らと身体を揺らしながら敷地に入って行った。
数時間後―――
各務家の二階の一つの部屋で忍が呆然と佇んでいる。窓が開き、雨が降り込んでいる。
また、ベッドは乱れており、また部屋内も荒らされてしまっていた。
悠也は、両方の拳を強く握り締める。そして、壁の柱の一つへと右腕を上げると・・・
『くそッ――――――――!!』
激音と同時に外で雷鳴が轟いた。一瞬に垣間見える悠也の顔は怒りに満ち満ちていた。