雨音は静まり―――
何者かの侵入。神技を使った霧生の忍の存在。相澤を倒せなかった事。納得出来ない結
果ではあるが、それも絆の無事を思えば悠也の心の中では整理が付いた。
『絆・・?』
振り返ると、壁の隅に小さく蹲っている絆の姿ある。今は神技「思兼」の効果で意識は
記憶ごと操作されて眠りの状態のはずであるが、明らかに目覚めている。
小刻みに震えている絆を見る。悠也はマスクを念入りに上げ直して絆を改めて見た。
―――オレの神技が効かないのか・・
『やだ・・・来ないで・・ぇ』
泣きながら発する声は聞き難い。背中を向ける絆の姿は痛々しく辛そうで、その絆に対
して悠也は僅かに視点をずらして床を見つめた。
『すまない・・オレのミスだ』
『・・・そんなの解んないよお。もうやだ、ぁ・・―――お兄ちゃん。・・お兄ちゃん』
『絆・・』
今にも自分が「各務悠也」だと名乗りたくなる。名乗って今すぐに絆を抱き締めて安心
させたいと思うが、今はそれが出来ない。忍であるが故に今は耐えるしかない。
悠也は、畳に突き刺さるガラスを抜いて上衣を拾い上げると、それを絆の背中にそっと
掛ける。
『・・・・っ・・え・・』
涙目の絆が顔を上げる。今も涙が溢れ出て止まらない。そんな顔を悠也に向けた。
悠也は、絆の涙で濡れた顔をじっと見つめ、
『今のオレ・・には・・――――――何もしてやれない。それでもオレは・・・・オレは
お前を安心させてやりたい』
『・・・え・・?』
苦しそうに悠也は語った。今の自分の正体を告げられないが、その想いだけは絆の心に
伝わった。
絆の涙が恐怖を失う。じんと熱い心のままに流れ出た。悠也の瞳をじっと見れば、きゅ
んと胸が押し潰される気がした。
『・・・あの・・―――』
『巻き込んですまない・・・だが、無事で何よりだ』
『あ・・・ひょっと、して・・・・私を?』
『・・・』
悠也の表情は安堵に満ちていた。瞳に宿る輝きの柔らかさが今の伝えられない言葉を物
語らせる。
『・・立てるか?』
『・・・』
絆は首を縦に振らず横に何度も振った。そして、振り終えるとじっと悠也の顔を観察す
る様にして見上げていた。
マスクで顔の下半分が見えない。素顔が解らずに正体が誰であるかが知れないが、瞳の
穏やかさを見る内に、次第に安堵感が増した。
正体が誰であっても構わないと、最終的な結論に達した絆は、今出来る一生懸命さで笑
顔を作って悠也に見せた。
『・・あり、がとう・・ございま、す・・・』
『そうか』
『あ・・はい』
悠也が羽織らせてくれた上衣にそっと手を掛けて身を包む。何処か懐かしい匂いがする
気がして更に安心感が寄って来る。
『・・立てるか?』
悠也は、まるで自分以外の誰かが勝手に口を使って喋る様な感覚になりながら、そんな
自分を可笑しく思いながら、絆に再度、問い掛けた。
絆はやはり首を横に振る。しかし、その表情は照れていた。
『分かった』
『・・え・・え!?』
驚く絆に構わずに抱き上げる。
漢の温もりに包まれる絆は、悠也の右手に握られている刀を見る。殺傷能力の確かな輝
きを刀の刃に見て、薄れていた恐怖感が込み上げてくる。
絆が震えてシノビ・ギアにしがみ付く。
トクン、トク・・ン・・
抱き付いてしまった事への驚きを忘れ、悠也の心臓の鼓動を聴き入ってしまう。顔が急
に熱くなってしまっていた。
『これが怖いか?』
悠也は、絆が恐怖する一因を掲げて見せる。刀を見て絆は小さく頷いた。
『そうか・・』
『・・・・・』
『・・・・』
無言。宿直室を出て廊下を歩く。絆の身体が小さく揺れ、その間中、絆は悠也の胸に耳
を傾けて心臓の鼓動を聴いていた。
トク、トク・・トク・・
『早い・・』
先程よりも心音が早くなっている事に気付く。その事を素直に言葉にしてしまう絆であ
るが、それを聞いた悠也は立ち止まり、廊下の壁に並ぶ窓の一つへと顔を向け、
『聴くな・・』
『あ・・はい・・・・』
今の感情を誤魔化した。絆は異性の悠也を恐れる声で答える。
悠也が歩き出す。廊下の先にある闇を見据え、絆を見ない。
悠也の温もりに包まれ、縮こまる絆は、初対面であると何度も意識する事で、悠也との
間に壁を作っていた。そうしなければ「兄妹」の様に接してしまいそうだったからだ。
上衣を改めて包み直す。
『・・・オレが・・――――――怖いか?』
『・・・え?』
悠也は歩きながら、前を見据えながらぼそりと呟いた。その言葉を絆は理解するまでに
時間を掛けてしまう。悠也は何も言わず、ただ前を向いて歩き続ける。
絆は再び顔を悠也の胸元に近付けた。逞しい胸の感触に身を委ねても構わないと意識し
たのか、ゆっくりと顔を動かし身体を悠也に預ける。
『・・・・?』
『・・怖いです。けど・・・』
『・・・・』
『けど・・分かんないです』
感情の乱れは状況の所為だと絆は考えた。相澤に襲われ、刀を見て恐怖し、何が起こっ
たのかさえも分からない事への動揺。全てが折り重なって襲ってきている所為だと。
『・・・・このままでも・・いいですか?』
『・・・・・分かった』
絆が身の全てを預けてくれる事への、まるで感謝の意を告げる答えだった。兄妹として
今まで接した中で、兄妹だからこそ今まで見えなかった絆の一面を知った。
―――絆・・
雪白共同教育研究施設・正門前―――
小雨に濡れる壱哉が、建物へ不安な視線を向けている。そして、暫くしてハッと顔を明
るくさせる。
『各務っ!!』
絆が身に上衣を包みながら、大事そうにその上衣の襟元を掴みながら歩いてくる。壱哉
が絆に向かって駆け出すと、その壱哉にようやく気付いた絆は、両目にいっぱいの涙を溜
めて立ち止まった。
『各務ッ!!無事だったか!―――良かったぜ!』
『き、霧島せんぱぃ・・・私、わたしっぃ・・・』
『もう大丈夫だ。早く帰ろう・・そんな格好じゃ、俺もだが風邪を引くぜ』
『ぐすっ・・うん・・――――はい』
絆を支えて共に歩き出す。その際にチラリと背後の建物を見ると、その屋上に人影が立
っている事に気付いた。
『・・・(悠也。お前の事は秘密にしてやるぜ。それが、各務の―――妹の為だろ?)』
『・・先、輩?』
『いや、何でもないんだ。話は家に着いてからゆっくりしようぜ、着いたら、悠也には、
朝になったら帰るって連絡しておくからな』
『あ・・―――』
今頃になって兄の事を思い出す絆だった。口を大きく開けて驚く様子である。そんな絆
に壱哉は頼り甲斐の感じられる笑いを見せる。
『あいつ、心配性だからな・・大丈夫って知らせておくぜ』
『あ・・・はい。お願いします・・・・電話でお兄ちゃんの声、聴くと・・・今は泣いち
ゃいそうだから・・・・あの、その・・・お願い、します』
少しだけ笑うその仕草は、壱哉の言う通り、心配性な兄に迷惑を掛けたくないと言う絆
の気遣いであり、そして、自身の照れを隠すためのものでもあった。
屋上より、去っていく二人を見据える―――
『・・・・・・壱哉。すまん・・』
壱哉には感謝し尽くしても足りないくらいだ。改めて心友の大切さを身に沁みて理解し
た。そして、その感謝を行動で示し、悠也は頭を壱哉に向かって下げて見せた。
暫く静止し、ゆっくりと頭を上げる。
『・・・・・』
上げた瞬間以降、鋭い視線を闇に向かって―――闇の中に降り続ける雨を睨む。
『―――「鏡閑」が、兄さんの行方を・・・オレを嵌める罠か・・・それとも・・・』
矢文で知らせてきた文面を、脳裏で読み返す。
兄・各務征司に行方を・・・
悠也は、逸る気持ちを抑え切れずに、屋上より高い飛翔力で飛び去った。
闇の中に―――闇が消え、そして、雨は何事も無かったかの様に降り続け、雪白共同教
育研究施設の建物は孤独に建ち続けた。
忍務「完了」