闇に沈む雨の音―――
室内に灯っていた蝋燭の炎が消える。
布団の上に両膝を大きく広げる悠也。その背後で老師が肌に摺り寄せてくる。
『・・・っ、・・』
息が漏れる。背筋の形を老師は頬でなぞる。その皺のある肌の感触がおぞましく、肌の
表面に鳥肌が出来る。
若く成熟する前の鍛え上げた肉体。漢らしく引き締まった脇腹を老師は両手で触る。
『鍛えておろう?―――それでもくすぐったいか?』
『くっ・・・ふ・・』
脇腹を揉まれて擽ったさを覚えて、身体を歪ませて身動ぎする。
闇の色を綺麗に映えさせる肉体に、老師の気分は高揚する。
『ア・・くっ!?』
『ふぉっふぉっふぉ・・身体は正直に感じ易くなっておろう?』
淡いほどの声が漏れそうになる瞬間に、悠也は自分の口を右手で塞ぐ。身体に快感が及
び始めるのを、老師はまるで自分事の様に悟りながら、悠也の肌を間近で見物する。
まるで闇を反射するほどの木目細かさに包まれる筋肉をしている。触れれば艶で滑る気
持ちの良さを得る。
脇腹の贅肉の一切は在り得ない。鋭く引き締まる逆三角形の上半身であり、しかも、強
靭に引き締まる故の筋肉をしている。
これほどの肉体の凄みは自然に出来るものではない。どれほど過酷な修行に耐えてきた
肉体であるか、それを今まさに老師に見せ付けていた。
『やめ、ろ・・ってンだ・・オレは・・・・』
『ふぉっふぉっふぉ・・ふぉーっふぉっふぉ』
悠也の耳元に息が吹き掛けられる。臭い息が顔の周辺に達して息を止める。老師の吐息
が鼻腔を擽っていく。
老師にとっては悠也の声などか弱い女が啼く程度にしか考えていない。若い漢を責める
手立てを十二分に承知している。まさに悠也は赤子同然なのだ。
『ふぉっふぉっーっふぉ』
『くあ!?』
薄暗く見える天井に顔を向けて口を開いた。徐に忍び寄る乳首への刺激が堪らない。
薄桃色に実る小ささに、老人の指が微弱に震えて触れる。その震えにより悠也は刺激を
受けてしまっている。
『両腕を上げるのだ・・・新生忍よ』
『・・・くっ』
『儂に逆らうなどと考えぬ事だ・・・主に選択権は無い』
『くっ・・』
大人しく従うしかない。何度も自分の心に言い聞かせながら、両腕をゆっくりと上げ、
頭の後ろで手を組み合わせた。
『ほっほぅ・・・まだまだここは薄いな―――』
親指と人差し指で腋の下に生える毛を挟む。薄く細くもあるが確かに漢の象徴はそこに
はある。それを指で丁寧に整える。
悠也としては屈辱の何者でもない。腋の下を触られるなど未だかつて経験したことがな
い。この時になってようやく危機感が募る。
腋の下を責められて上半身を前に倒す。その際も両腕は下げられなかった。
老師が悠也の前面に回り、完全に露に見える腋の下をこよなく観察する。好みな毛揃い
であると思わせんばかりに、皺くちゃの顔にたっぷりと笑みを見せる。
『レロォ~~。レロォー・・ふぉっふぉっふぉーっふぉ。美味よ』
『くっ・・』
老人の腐った涎が腋に染み付くと思えば、気持ち悪さが込み上げてくる。
悠也の若気とも言うべき毛を引き抜く。悠也の顔に苦悶が浮かび、腋の下がじんと痛み
出した。そして、痛みが広がって薄くなり始める頃には老師が舌で舐める。
『くっ・・ふ。―――く、ぁ』
小さく声が漏れ、次第に大きくなっていく。肌の表面に薄っすらと汗が浮かんだと思う
と、すぐにも珠の様な汗に変わっていた。
汗が筋肉の溝を伝う。その味の塩気を老師は舌で舐め取る。
老師の舌が腋の下より移動して腕を舐め上げていく。腕を厭らしく舐める。
『逞しいが、まだ幼い肌をしておる―――ピチピチしておるの?』
『・・・・っ』
悠也は顔に皺を寄せる。舌が腕の震えを感じ取る。
常に動かす為の力の入る瘤に老師は唾液を注いだ。その部分を噛む事もする。硬く、更
に硬くなるのを面白がって続けた。
上腕を舐めに舐め、噛んで肉質を味わう。そうすれば面白い様に悠也は若気の反応をし
て、両腕を下ろし掛けるが、老師の視線を感じて下ろし掛けた腕を止める。
老師の行動は、まるで悠也の心を縛り付ける鎖の役目を果たしていた。
『ふぉっふぉっふぉ・・・可愛い奴じゃの。ほれ・・ここは?』
『ア・・!?―――くぅ』
喉仏を指で突く。そのあまりの突然の老師の行動に悠也は動揺した。
老師の指は首筋へと至り、頚動脈を上下に緩やかに擦る状況下。悠也は、鼓動音さえも
緊張させる雰囲気すら出していた。
布団の上に両膝で立ち、両腕は上げて頭の後ろで手を組む態勢である。そんな今の自分
が情けない。忍として鍛えてきた肉体は何の為にあるのかを自問自答したくなる。
「――――――――――――――――――――――――お兄ちゃん」
―――き、絆・・
唐突に思い浮かぶ絆。脳裏でふわりと舞って見つめてくる。今の室内の貪欲な薄暗さよ
りその絆の笑顔の眩しさが救ってくれる様な気がした。
『ふぉっふぉっふぉ―――。そろそろ、ここも可愛がろうかの?』
『くっ!?』
老師の皺くちゃの指が下半身の突起を鷲掴みする。側面を握り覆って適度に力を加えて
くる。
痛みが加わる事で全身の筋肉が収縮した様子を見せる。布団に倒される悠也は、乱れに
乱れた態勢で真上の老師を見上げていた。
老師が頬を擦ってくる。もう片方の手で腋の下を撫ぜてくる。そして、次第に老師の不
気味に微笑む顔が近付いて来る。
―――オレは・・・
『兄さん・・!!』
覚悟を決めて目を瞑る。唇にいよいよ感触が伝わろうとする―――時。悠也の中で、過
去の記憶が弾けた。
一枚の写真の様な光景が、心の奥底に滲んでくる。淡く切なく揺らめき、次第にはっき
りと見えてくると、悠也はそれを強く意識して見た。
各務家の家族の光景がそこにある。一族の裏切りで全てを失った自分が新たに得た絆が
そこには確かに存在した。
老師が告げた言葉が悠也を責める。「自分が各務家に居る所為で・・」と。しかし、そ
れでも温かい光景は揺ぎ無い確かな想いで心を強める。
責める自分は確かに存在する。それでも・・・
―――オレは・・
『オレは・・』
扱かれる下半身の突起であるが、一向に勃起しないのは老師が下手だからでない。
『・・・・ん?――――ッ!?』
笑みを浮かべて楽しんでいた老師の顔が急に強張った。悠也の表情に強い意思を感じた
からだ。その意思と共に両眼は睨みを利かせてくる。
『退けよ・・・』
『何を言っておろう?―――儂を誰だと思っておる。「鏡閑」―――この日本国、暗部を
支配する存在と言えようぞ。なれば儂は国家そのものとして君臨する』
『知らねぇってンだよ。うぜぇって・・退けよ!』
『くっぁ―――なんじゃと!?』
老師が布団より飛ばされて畳みの上を転がる。悠也が右足を上に高く上げている。
悠也は老師が起きる前に身体を起こし、股間を左手で覆う。
『見せモンじゃねぇよ。このエロジジィが!!』
『くっ・・。儂を誰と心得ておる!!小童の分際で儂に歯向かうか!!―――――各務家
がどうなっても良いのか!』
老師が怒りの声を上げる。皺くちゃの顔が更に皺が寄っている。
悠也は老師の怒りを平然と受け止める。そして、生意気な表情をわざと見せる様に、
『―――オレが雛っ子って馬鹿にされるのは、オレの未熟ってンだ。けどな・・・父さん
と兄さんを侮辱するのだけは許せねェってンだ!!―――あんたは偉いンだろうけどな。
ンな事、オレには関係ねぇーンだよ!!!―――オレを誰だと思ってやがる!!!』
激昂の悠也がドスドスと畳を踏み締めて歩き、老師の目の前まで来ると容赦なく蹴り飛
ばす。畳の上を転がる老師に更に追い討ちを掛ける。
『ぐはぁ!!―――やめるのじゃ!!!儂に、儂に足蹴りぃ、―――ぐはぁ!?』
『ざーけた事、言ってンじゃねェーってンだ!!!言ってみろ!!!オレの名を!!!』
―――霧生悠じゃない。今のオレは――――オレは!!!
更に蹴りは続く。老師は部屋の片隅へと追いやられて行く。
『や、やめるの・・じゃ!!――――――儂を・・!?』
『知らねぇってンだろ!!!!――――今はオレが訊いてンだ!!!オラッ!!!』
悠也の怒りが爆発している。その怒りを目の当たりにして老師が怯えて縮こまって震え
ている。
悠也が老師を見下げる。拳の指の関節を鳴らし、容赦なく睨み付ける。
『オレは逃げも隠れもしねぇンだ。オレを潰したけりゃ、やってみろ。・・・各務家を潰
したけりゃ、してみろよ・・・・』
『ヒィ!?』
殺気が悠也の瞳に灯る。闇に恐怖に映えた。
右足を上げて、老師の顔の傍の壁へと蹴り入れる。鈍い音で土壁が凹み、そこから右足
を引き抜くと、その足を老師の額に押し付けた。
『オレは各務悠也ってンだ。そのオレがてめぇらの犬かよ?―――冗談じゃねぇってン
だ!!―――兄さんは必ず戻ンだよ!!―――それにな、父さんと母さんの死も無駄には
しねぇ。各務家は・・絆はオレが守る。守るってンだ』
『ひぃぃぃ!!!』
右足に力籠める。頭蓋骨が土壁にめり込んでいく。
『やるならやってみろ―――そン時は、各務家(オレ)の総力を上げる!!「鏡閑」だろ
うと、容赦しねェってンだ。解ったか!!アアッ!!』
感情を剥き出しにする常の甚大高校での不良がそこには居た。その悠也を小童呼ばわり
した老師は情けなくも怯えている。
悠也の怒りは収まらない。老師をぶん殴ろうともする。右拳を高々と上げ、その拳に力
を入れ込んだ。
その時だ。悠也の右拳を覆う様に背後から何者かが制止して来るのは。
『そこまでだ―――ユウ。』
男の静かな強みの声が聞こえた。怒りの感情のまま振り向くと、
『―――・・佐伯、か・・』
『その方に手出しはならん・・と告げに来たが、もはや遅かったな』
フッと口元に笑みを浮かべる。その笑みからしてとても悠也を責めている様子ではない。
悠也は右拳を下ろし、荒くなっていた呼吸を大きく吐いて静めた。
黒スーツ姿の佐伯隆一郎がそこに立っている。静かなる悠然さを悠也に向け、それから
老師を見る。
『佐伯か・・助かったぞ。こやつが・・・――――阿坂は?―――阿坂はどうした?』
『廊下で既に“寝て”おります。それと・・警護を阿坂一人とは・・お遊びは大概にされ
ては如何です?』
『ぬぅ・・・』
ホッとするのも束の間、老師は警戒心を佐伯に向ける。
佐伯は悠也の肩を軽く叩き、早く服を着て出る様に言う。すると悠也は佐伯の言葉に従
って老師を強烈にきつい視線で睨み付けた後、和服を着直して出て行ってしまった。
悠也がこの奥室から出た後、佐伯は老師を抱き起こす。
『お戯れが過ぎましたな』
『奴め・・・』
老師の怒りは深い。最高権力を持つ自分が一番下っ端に良い様にされたのだ。常に強者
の立場であるが故にこれは面白い訳が無い。
佐伯は、老師の怒りを静かに見据えながら、老師を立たせて部屋を出て行こうとする。
『ど、何処に行くのじゃ!?』
悠也が戻って来るのではないかという不安から、怯えた声を佐伯に向ける。襖を開ける
途中の佐伯は、その動きを止めて振り返る。
『各務家を自分の玩具(物)とは思わない事が懸命です。彼等は飼い犬ではありません。
いざ、牙を剥いた時、老師はどうなさるおつもりか?』
『ぬ・・ぬぅ』
『老師。人は道具ではないのです・・・感情を持ち、故に行動する生き物。先代(雄司)
も、当代(征司)も・・』
『何が言いたいのじゃ・・・』
『老師―――貴方が“仕組んだ事”、まだあの者は知りません。それを理解した上、今後
は行動を自重されるが宜しいでしょうな』
襖を遠慮なく強く押し開けると、同じ強さで締めて出て行った。
蝋燭の炎も消え、雨音だけが偲ぶこの奥室に孤独に残る老師は、ぶつぶつと畳に向かっ
て呟き続けていた。
『許さぬ・・・――――各務家など・・―――あの雄司の代より狂いおったわ。以前なら
ば儂に歯向かうなど有り得ぬものを・・・』
―――許せぬわ・・
忍装束が雨に濡れる―――
夜の雨に打たれる悠也は、マスクを上げて口元を隠した。黒く曇った空を見上げ、間近
になってようやく見える雨粒を見上げる。
髪の毛の先から雨の滴が落ちる。正路屋敷の正門を背後に歩き出そうとして立ち止まる。
背後より傘を差し伸べる・・・
『佐伯。どうしてここが・・?』
『・・・・他愛ない・・と言いたい所だが、流石に危なかったな』
『・・・・・・・・・・・・・・すまない。だが、それよりもオレの質問が先だ』
『・・・お前の配下。「飛龍忍者」と言ったな?』
『配下じゃない・・・オレの“仲間”だ』
横に並ぶ佐伯を尻目に、傘から出て歩み出す。夜の雨に打たれ、静かに立ち止まると、
横顔を佐伯に向ける。
『彼等(飛龍忍者)が私を尋ねて来てな―――「悠様を救ってくれ」と・・』
『・・・・・そうか・・』
『優れた諜報活動をする。良い人材を集めたな』
『・・・・・・お前には関係ない事だ・・だが、借りが出来た・・何れ返す』
『何れ、か・・・解った。承知しておこう』
『ああ』
悠也の目の前に黒の外車が現れて停車する。立ち止まり続ける悠也に対し、佐伯が歩み
始め、悠也の目の前を通り過ぎると、その車の後部座席に乗り込んだ。
窓が開き、佐伯が悠也を見る。
『―――今回の件は任せておけ。老師の好きにも、あの阿坂の好きにもさせん。その為の
「IFAO」だ。お前達「七種」を守る壁として自由に使え』
『七種・・―――俺を含む、“七人の忍の総称”・・・』
『――――それが“各務雄司”が作り上げた「IFAO」だからな・・』
『・・ッ!?(―――父さんが!?)』
窓が閉まると車が発進する。車輪に巻き込んだ水が悠也の忍装束の袴に掛かる。そして、
雨に打たれ、静かにその場に佇み、今はもう居ない家族を偲んだ。