降り続けた雨が止もうとしている―――
職員棟すぐ近く。部室棟の屋上に佇む男子生徒が腕を組んで体育館のある方角を見据え
ている。
やがて止む雨の残りが滴を髪の毛より落とす。前髪が重く見えて両眼に掛かるのを鬱陶
しくともそのままにさせて、
『各務悠也、敗北を味わえ。それがお前の罪だ。どうなろうと助けるつもりは・・・っ』
体育館を見据える内、喋りを止める。その訳は建物の入り口付近を歩く少女を見つけた
からだ。そして、その少女に付き従う様な男も。
『・・・・・各務絆・・何故、ここに居る・・・』
若干の動揺が見られる。静かに湛える両眼の瞼を僅かだけ閉じた。
屋上。溜まる水溜りが大きく波紋を描いて水面を弾く音。聞こえた瞬間、その場より既
に男子生徒は消え去っていた。
体育館入り口―――
各務絆の背後に相葉悠輔は立っている。別に何をする訳でもなく絆のやろうとしている
事を黙って見守っていた。
絆は入り口の扉に手を掛けて開ける様子であるが、一向に開く気配が無い。重い金属音
が何度も鈍く出るだけだ。
『もう鍵が掛かってる。中に入れないよ・・・どうしよう。この中にお兄ちゃんが居るの
に・・感じるのに』
中に入れない事への諦め感が酷く心に突き刺さる。どうしようもない不安が心に広がっ
て強くなる。
酷い焦燥感に包まれながらも何も出来ない自分を歯痒く思う。入り口の扉の凹みに手を
置くまま俯いた。
絆の背中の弱々しさを見る悠輔は、その背中を見る内に・・・
『こっちだ』
『・・・・・え?』
悠輔は、入り口より離れ、壁伝いに歩いて行った。急な悠輔の行動に絆は慌てるが、と
にかく付いていこうと必死になる。角を曲がる悠輔の後を追うと、
『・・・あの・・相葉さん?』
『・・・・・・』
見上げる悠輔は一つの窓ガラスを見つめている。その窓ガラスは開いている。
この場所は、絆の記憶が正しければ倉庫のはずである。中より進入出来そうな気がする
が、絆や悠輔の背からして高すぎる。
無理だろうと絆は再び諦め気分になるが、その時、悠輔はとんでもない行動を見せた。
悠輔は、一瞬だけ屈む姿勢を見せると、一気に窓ガラスのある高さまで跳躍した。
『アッ!?―――え!?』
『――――――ッ!』
窓ガラスの枠を掴み、そして、見下ろして絆に手を差し伸べてきた。
『掴まれ』
『え、・・あ!?―――はい!』
悠輔の言葉に迷い無く従ってしまう。その違和感すら覚えるのを忘れてしまっていた。
軽く跳躍して悠輔の手を握り締める。熱い手の温もりが絆の手へと伝わってきて、その
手が強く握り返してきた。
『え!?―――アッ!』
『ッ・・先に』
平然とする様子で言う悠輔であるが、窓枠を掴む片手で全体重と絆の体重を支え、そし
て、もう片方の手だけで絆を押し上げていく。
驚きながらも絆は必死に窓枠を掴んだ。悠輔が絆の動きをサポートする。
『え・・!?―――きゃぁぁ』
『五月蝿い』
お尻を触られた事への驚きの叫びであったが、悠輔はそれすら感じていない様子で平然
としていた。絆のお尻に手を当てながら支え続ける。
両足を足掻かせながら何とか窓枠に座るまでが出来た。そこより内部を見渡すと、辛気
臭い感じの中で静寂を表す無数の器具が置かれてあるのが見える。
『うあ・・・っぁ・・た、高いな・・ここから?』
『早く』
『え。早くって言われても』
悠輔が片手で今も身体を支えている状態を続けている。絆が中に入るのを待っているが、
絆としては飛び降りるにも怖さが残り、躊躇ってしまう。
そんな絆の気持ちを察したのだろう。悠輔は腕の力に任せて登ると絆を抱えて窓枠に乗
る。絆の間近に―――真横に悠輔の真剣な顔がある。
息遣いが近い。彼の横顔は引き締まって格好良く見える。悠也とは違った感じがすると
絆は不思議な気持ちで悠輔への感想を抱いた。
『ちょ―――、え!?』
『黙ってろ。舌を噛むぞ』
絆の身体を急に前へと押し出す形で悠輔が告げた―――瞬間、身体が宙に浮いた気がし
た―――直後、唖然と驚く絆は悠輔に抱えられて倉庫内に侵入を果たしていた。
『・・・・・・』
『どうした?―――舌でも噛んだか?』
悠輔が絆の顔を見つめる。驚く表情の絆は何が起こったのか解らない様子で両目を大き
く見開いていた。そんな目で悠輔の顔を間近でじっくりと見つめれば・・・
『・・・・降りろ』
『あ、!?―――はい!』
照れた様子の悠輔であるが、慌てた絆はそれを知る術が無かった。薄暗い中で二人は姿
勢を整えて立つ。
『相葉さん。ごめんなさい・・有難うございます』
『・・?』
体育館内へ侵入出来た事と、自分に付き合ってくれる事への感謝を述べたつもりだが、
悠輔にはそれが藪から棒に言った風にしか聞こえていない。
悠輔は絆の感謝を無視した。周囲を見渡して出入り口へと歩き出す。
『兄貴が何処に居るか・・・分かるか?』
出入り口の扉に手を掛けてすぐ、その手を止めて絆に質問する。
この悠輔という彼は突然に何かを行動したり言ったりすると、絆は内心で笑う余裕を生
み出していた。
『・・・えっと・・お昼に会った時、水着を買ったんです。それに「補修だぁー」って喚
いてましたから、恐らく2階のプールに居ると思います』
『そうか・・行くぞ』
『あ、はい!』
静かに扉を開けて倉庫を出る。悠輔は足音を完全に消して廊下を歩き出すが、そんな芸
当が出来るはずの無い絆は、靴音を響かせながら、やや小走りに悠輔に付いて行った。
二階へと向かい廊下を共に歩く。静かなる空気が漂う中、雨に濡れた所為でやや肌寒さ
を感じる。
『各務・・――――――兄貴の事、好きか?』
『え、っ・・え・・!?』
急な質問が絆の耳に入った。悠輔はやや歩を遅くして、真正面を見続けた。
絆は、悠輔の無表情を無理に保つムッとする様子を見て戸惑う。悠輔の気持ちを推し量
れずにいた。しかも、質問の真意が掴めないまま、ただ答えだけを脳裏で模索する。
『・・・うん』
『・・・・・』
答えが導き出してすぐの第一声だった。迷いが無く澄み切った風に悠輔には聞こえた。
絆は、悠輔を見た後で、その悠輔に見習って真正面を向いて歩く。
『・・・・・兄貴とはどういう感じだ?』
『・・え・・?』
悠輔が真正面を向いて歩いているだろうと思っていた絆であるが、ふとして横を向くと、
隣を悠輔は歩いていなかった。後ろを見ると悠輔が立ち止まって絆を見据えていた。
『・・・相葉さん?』
『各務・・・・兄貴とは何だ。単なる家族(繋がり/絆)というやつか?―――そんなに
大切か?』
切実に訴え掛けてくる様子に思えて仕方ない。しかし、悠輔の表情は揺ぎ無い平常心を
保っている様に感じさせてくる。
悠輔の質問の真意を絆は今も解らない。それでも答えは既に決まっていた。迷い無く頷
いた後、信じ切った瞳の強さを悠輔に見せる。
『大切とか、そうじゃないんです―――確かに大切だけど、それだけじゃないんです。当
たり前って言うか、好きとか嫌いとかも超越してる?って言えばいいのかな』
『では何だ。言ってる意味が理解出来ない』
『・・これってはっきりとした言葉で答えられないと思う。けど、お兄ちゃんはお兄ちゃ
んだもん―――それじゃ・・駄目ですか?』
『・・・・・・・解せない。俺には・・・・』
絆の迷い無く澄み切った瞳の輝きより視線を逸らす悠輔は、顔を下に向けて床をじっと
見つめた。
『相葉さんにもお兄さんは居るんですね?―――お兄さんは、怖い・・ですか?』
『・・・・?―――(怖い・・)俺が?』
『・・・違うんですか?』
絆の真っ直ぐな気持ちを、悠輔は知らず知らずの内に心の中で受け止めていた。じっと
絆の瞳を見つめ、深く思考する。
目を瞑り、暫く佇んだ後、ゆっくりと目を開けた。
『・・・お前の言う通りかもしれない。俺は・・・・・・・・』
『だったら自分の感情をぶっちゃけちゃえば良いんですよ。怒るとか悲しむとか・・それ
ってお兄ちゃんに甘えるって意味かもしれないけど、けど、きっと楽になるって思う』
『・・・・甘える・・(俺が・・・)』
『ごめんなさい。勝手な事ばっか・・もう行きます。ここまで付いて来てくれて有難うご
ざいます。ここからは私一人で行きます』
絆は頭を下げると、階段の方へと駆け出して行った。その絆の後姿を見る悠輔は、僅か
な間だけ目を瞑る。
『放って置けない危ない奴だ・・・』
無表情に思える顔に、口元に僅かな変化が見られた。そして、目を開けると絆が歩く同
じ方向へと歩き出していた。