各務家、リビング―――
暗く、虫の音が遠くでする中を、時折、車輌音が若干に響き渡ってくる。
『ン・・――――っ、オレは・・・一体・・』
布団を被っている。温かく包まれて気持ち良い。見慣れた天井を遠く感じながら、暗い
中を見渡すと、リビングで寝ていると知った。
リビングにあった家具は片付けられている。そして、ふと気付いて自分に掛けられてい
る布団を見ると、子供の頭がちょこんと出ているのが見えた。
柔らかな寝息が身体を擽る。その子供を見ようと布団を上げようとすると、そっとその
布団に手を添えてくる者が居た。
『絆・・・』
『しっ・・征矢君、起きちゃう』
顔を動かして見上げると、絆が覗くように悠也を見下ろして微笑んでいた。
『どうしたってンだ。オレ・・・』
『うん。何も訊かない―――』
『・・・?』
そっと告げられる絆の声は柔らかさを伴わせる。微笑みは悠也を心から安堵させた。
絆が左に顔を向けると、もう一つ、布団が敷かれてあり、そこで瀬名が静かな寝息を立
てて眠っていた。
『瀬名サン・・』
悠也の穏やかな言葉を絆は信じる想いに変える。そっと頷き、
『何も訊かない。瀬名さんに言われちゃった・・「悠也君を誰が信じてあげるの?」って
―――実は、陸上部の人達に運ばれてきたお兄ちゃんを見た時、私、泣き叫んじゃった』
『・・・・絆・・』
『けど、瀬名さんがその時に、そう言ったんだよ・・・だから、信じようって。征矢君も
同じ気持ちになってくれてると思う』
『征矢も・・?』
『そうだよ。だから、悠パパ。しっかりしなきゃね?』
征矢の髪の毛をそっと撫ぜると、立ち上がりリビングを出て行った。
『ゆうぅ~~ぱぁ~ぱ・・』
むにゃむしゃと寝言を言う征矢は、悠也にぴったりとくっ付いて何だか嬉しそうに無意
識な笑いを見せていた。
『征矢の奴・・・オレは――――』
『・・・・お願い・・・今だけ父親をして上げて・・悠也君』
寝ていると思った瀬名が声を掛けてくる。闇の中で瀬名の声は透き通る綺麗さで悠也に
は聴こえてきた。
『・・・瀬名サン・・起きたンだな・・・わりぃ』
『悠也君。私も何も訊かない―――凄く感謝するだけに止めるって“あの時”から決めて
いるもの』
看護師として仕事しながら征矢と生活するには、金銭的にも余裕が無いはずである。そ
れでも高級マンションと言われているディセンティブハイツで暮らしている。その訳は瀬
名が最も良く知っており、感謝しても足りないと・・・
『瀬名サン・・・オレのしてる事・・迷惑か?』
『・・・・・』
瀬名が答えるまで待つ。
常に疑問を抱え瀬名の前に立ってきた悠也にとって、瀬名という存在は大きかった。
征矢が寝返りを打って布団から出るのを、軽く笑いながら布団の中に戻し、優しく抱き
しめてやった。
悠也に抱き締められて嬉しそうな寝顔の征矢を見る瀬名は、ゆっくりと表情に笑みを浮
かべて、悠也の顔を静かに見つめた。
瀬名に見つめられる。その清純に満ちた瞳も麗しい容貌が悠也の瞳に映る。その初恋の
相手に見つめられて顔を赤くする。
『悠也君に会えて良かった。征矢もそう思ってる―――悠也君は?』
『瀬名サン・・・オレも・・――――ってンだ。へへ・・』
『悠也君・・』
布団から手を出す瀬名は、悠也へと伸ばす。布団の擦れる音がリビング内に導かれ、そ
の音に重ねる様にして悠也も手を伸ばした。
そっと・・握り締め合う。
『オレも・・――――――。そして、必ず探してみせるってンだ・・それまで、オレに守
らせて欲しいンだ・・・瀬名サン。征矢も―――』
強く凛々しい眼差しを瀬名はじっと見る。そして、悠也の瞳より懐かしさを思い出し、
切ない微笑をする。
悠也の手をやや強く握り締める。すると悠也も握り締め返してくる。
『はい・・』
『瀬名サン・・――――――約束する。いつか・・みんなで・・―――――――――』
瀬名の手を握る悠也の手より力がゆっくりと抜けていく。言葉は中途半端に終わり、瀬
名に見つめられる中、穏やかな寝息が立ち始めた。
『悠也君。無理は禁物――――あまり絆ちゃんを心配させては駄目だから・・』
『うぅ~ん。ままぁ~~~おにくぅおいちー・・ねぇ・・・ゆうぱぱぁ~わらうぅ・・』
『ふふっ・・征矢。良かったわね』
悠也の手を離すと、身体の向きを変えて天井を見た。静かに過ぎ行く時間を示す時計の
音が聴こえてくる。
『・・会いたい・・会って話がしたいことが・・たくさん・・ありますから』
涙が自然と零れ落ちた。悲しみが思い出と共に過ぎり、今はこの場に居ない者を切なく
求め続けた。
「もう―――会わない。瀬名・・・すまない・・」
今も忘れていない声を思い出し、そして、息子を見つめながら、静かに眠りへと誘われ
ていく。
『ずっと・・待っています。・・いつか・・――――――』
―――征矢と一緒に・・悠也君と絆ちゃんと一緒に・・・
高層ビルの屋上―――
『・・・・・・・・』
強い風を真正面から受ける黒識が、甚大市の街並みを見下ろしている。既に深夜の時間
帯となり、街並みよりは明かりは消え、信号機だけが明かりを灯す光景が広がっている。
『何を考えている。黒識―――』
『旭志様。申し訳ございません―――相澤志郎は間に合いませんでした』
忽然と現れた旭志が隣に並ぶのを待ってから、淡々と話し掛ける。
『あれで構わぬ。穢れは魂には及ばなかった。ならば・・宗真様の下へ逝けるだろう』
夜空を見上げ、輝く月を見つめた。
僅かに両目を細める旭志の感情の真意を黒識は見据える。
『――――霧生悠の父親・・・どのような人物でしたか?』
『・・・・』
『――――――――オレは、知らなければならない・・』
『そうか・・』
『はい』
二人は闇が弧を描くような夜空を共に見上げ続け、暫しの時を過ごした。
忍務「完了」