十章・一話:血
甚大高校旧校舎グラウンド―――
放課後、各務悠也は唐突に陸上部の練習風景を覗きに来た。これは滅多にない事で、陸
上部のメンバーは緊張に緊張を重ねる。
『やあ。各務君―――珍しいね。いつもは若林君が誘っても、ちっとも来ないのに』
悠也に気さくに声を掛ける教師は、英語教師の相賀雅彦である。
相賀は、24歳の新米教師で、持ち前の明るさと気さくさにより生徒にも同僚の教師よ
りも慕われている。
また、ルックスの良さ以外にも体育教師に負けない体力も持ち合わせているのだ。
『それにしても、なんだい?―――サンドイッチを齧りながら』
『いいだろ・・ン。――――別によ!』
サンドイッチを口の中で何度も噛みながら喋るものだから、相賀には良く聞き取れない
が、何を言いたいかは大方察して笑っていた。
悠也はサンドイッチを食べながら、陸上部の練習風景を見る。
部員数は十一名。コーチの相賀を入れて十二名となる。二年前に新設されたばかりのま
だ新しい部で、部長の若林恭司を中心にして陸上部は纏まっている。
『おっ。銀河の奴、早ぇな!』
『うん。銀河君は素質があるよ、若林君も期待しているんだ』
『そっか・・けど、恭司の奴・・・居ねーな・・トイレか?』
悠也がグラウンドを見渡す。すると走り込みをしていたメンバーの何人かが手を振って
くる。しかし、その手を振る者を別の者が慌てて忠告しに来るなど、慌しい様子である。
悠也の言葉に相賀は表情を曇らせる。その表情に変化に悠也はピンと来る。急に表情を
きつくさせ、
『何かあったのか?』
『何も無いと言えばそうなるし、何かあると言えばそれは間違いじゃない』
『・・・?』
『調子が悪いんだ。今の若林君は―――』
相賀の言葉で悠也は思い当たる節があった。三日前の相澤志郎との戦いの疲労の所為だ
ろうと思った。
『そうか・・なら、オレが様子を見に行く』
踵を返し、早速、恭司の住むアパートに向かおうとする。その悠也を相賀は止める。
『今は止めておいてくれないかな?―――そっとしておいて欲しいって若林君の願いなん
だ。だから、ぼく達も見舞いに行かないようにしてるんだ』
『・・先生、らしくないな。だからと言って、放って置けない。オレが行けば明るい顔を
見せてくれるはずだ。何かあれば知らせる。その間、飛龍(みんな)を頼む』
『勿論だよ。それは任せて貰って構わないけど・・・・』
『先生は心配性だな。オレに任せろ・・それじゃ―――行って来るってンだ』
軽く手を振り、いつもの調子の明るさで相賀に告げて恭司の住むアパートに向かった。
悠也の去って行く姿を相賀は戸惑いながら見つめていると、部員の一人・篠崎銀河と同
学年の由田武士が駆け寄って来た。
『先生。悠様は?』
『あ、うん―――若林君の見舞いにね』
『え・・?―――あ、いいんですか?・・・リーダーは今・・・』
今の恭司の状態を良く知る陸上部のメンバーである。恭司を心配するよりも悠也を心配
する。その銀河と武士の気持ちを察して、相賀は頷いてみせる。
『悠様ならきっと大丈夫さ・・きっとね』
『は、はあ・・・それなら良いですけど・・悠様も一度言ったら聞かないからな。まっ、
そこが可愛いんだけどな!』
武士はニカッと笑い、相賀に一礼して銀河と共に再び練習に戻って行った。グラウンド
で仲間達と談笑をした後、今はトラックを全力疾走で駆けている。
『悠様・・若林君の事、お願いするよ――――』
相賀は、夕焼けに染まる空を見つめ、そして、部員達の輪の中に入って行った。
甚大市・北西部に位置する伊神アパート―――
ここは御鏡神社に近く、甚大高校からはかなり離れている。この二階の三号室に恭司は
独りで暮らしている。
悠也は伊神アパートに向かう途中で自宅によって着替えてきた。今の格好はジーンズに
青地のタンクトップ一枚といういつものラフな姿である。
『あっい変わらず、すっげ・・オンボロってンだ・・大丈夫かよ。こんな所に住んで』
今にも崩れてきそうだと言わんばかりの悠也は、物珍しそうにアパートの外壁を見つめ
ている。その悠也に対し、恐れもせずに声を掛ける人物がいた。
『悪かったな―――ここの住人で』
『わっ・・・って、わりぃ・・ってンだ』
『・・・・』
悠也を睨み付けると、一階の三号室に入っていく。ちょうど恭司の部屋の真下に位置す
る部屋だ。
『あいつ・・・甚高の制服ってンだ・・って、あんな奴、居たか?』
小首を傾げる悠也だった。体格からして三年生だろうと思うが、何処かで見た気がする
がどうしても思い出せず、しかし、彼が扉を閉めてしまうと、すぐに忘れてしまった。
『じゃー行くか!』
さび付いた階段を駆け上がり、その駆け上げる際に起きる揺れに驚きつつ恭司の部屋の
203号室の扉の前に立った。
薄暗い室内―――
カーテンは閉めて、照明も点けずに、ただ部屋の隅にあるパソコンのモニターだけがず
っと点きっ放しの状態である。
この部屋の中心で恭司は呆然と寝そべって天井を見続けていた。
じっとしていると、心がざわめく。血が騒いでくる。
『埒が明かない・・・水でも飲むか』
重い身体を起こして立ち上がった時、急に扉が開かれてしまう。
眩しい輝きが部屋に灯り、恭司は咄嗟に腕で目元を隠した。
『だ、誰だ!?―――勝手に開けるな!!!!早く閉めろ!!!!』
鬱陶しさが募り、つい怒鳴ってしまうが、誰が開けたのかが視界を腕で遮っている為に
解らない。
『あ・・わりぃ。鍵・・壊しちまったってンだ・・・・恭司・・』
『・・・ゆ、悠様!?』
『よ、よお。元気か?・・って訳じゃ無さそうだな』
扉には確かに鍵を掛けていたはずであるが、それはどうやら悠也には通じなかったらし
い。申し訳無さそうに取っ手を右手に持っている。
『悠様・・・』
『わ、わりぃ・・ちぃーとばかし押しただけってンだ。ったく、このドア、頼りないって
ンだ!うんうん!!そうだそうだ!!』
『はぁ・・・悠様、とりあえず応急措置で対応しますから、気にしないで下さい』
『あっ、オレに任せろってンだ!―――オレは各務家の日曜大工ってンだ!』
『(に、日曜大工って・・・)各務絆にそう言われましたか?』
『へへーンだ!』
ふんぞり返る悠也は、闊達に笑う。しかし、恭司は溜息を吐く。
『各務絆にはとことん弱いと言う事を改めて思い知りましたよ。煽てに乗りやすいと』
『・・・へ?』
『はぁ・・・じゃあお願いします・・・俺は・・――――――――くっ』
立ち眩みがした。その場に崩れ倒れ様とするのを咄嗟に駆け寄った悠也が支える。
『靴も脱がないでわりぃ・・へーきか?』
『・・・ゆ・・』
『喋るな。暫くこうしててやるってンだ・・・』
温もりが伝わってくる。腕の逞しさがはっきりと解る。また、逞しく鍛え上げられた胸
が息遣いと共に上下している。
『・・・・・・・・・・う・・』
『恭司。無理するな・・』
『―――――――――――――――――――――――――はい・・』
タンクトップの肩口に掴まってしまう。その恭司の重苦しい手が、まるで脱がす様にな
ってしまう。鍛え上げても繊細さを失わない肌の首筋を間近で見てしまう。
ドクン・・ドクン・・・・ドクン・・
『へーきか?』
『・・・・・・・・』
間近で見える悠也の首筋。その肌の一部を律動して押し上げる頚動脈を恭司の瞳は見逃
さなかった。
瞳に狂気が宿っていく。悠也の頚動脈の動きから目が離せなくなっていた。
―――悠様・・・の血・・
顔を上げる。悠也の顎が間近にある。男の象徴らしく喉仏が見える。こんなにも身近で
悠也の顔を見たのは初めてだった。
悠也の肌は繊細で汚れの一切もない。尚且つ、筋肉の付き方も申し分ないほどに綺麗で
ある。容貌も紛れも無く漢らしい美男子であるが、それが闊達さと普段の不良っぽさによ
りあまり感じさせない。
『ゆ、・・さ、ま』
『じっとしてろ・・落ち着くまでってンだ』
『は、い・・・』
ぐっと抱き締めてくれる悠也は、今の恭司にとっては美味そうに見えていた。