かつて―――
不敵な眼差しでありながらも、その中に悲しみが感じられるのは何故かが、あの時の恭
司には理解出来なかった。
「殺せば良い。おれなんか生きていても価値が無い。どうせ霧生から見捨てられれば生き
てはいけない・・・」
戦いを挑み、そして、力の差を歴然と示される中で敗北した。兄への弔い合戦のつもり
で命を懸けたにも拘らず。
「殺せ・・そうすれば九狼兄者の所に逝ける――――そうすれば楽になれる」
「それが本心か」
「本心・・?――――おれを馬鹿にしてるのか」
「お前はオレに負けたんじゃない・・自分に負けたんだ。自分の意思(こころ)にな」
突き付けられた言葉は、恭司の心に重く伸し掛かった。そして、自分以上に悲しみと苦
しみを持つ目の前の悠也に漢を見た。
悠也が差し伸べる手が恭司の目の前にある。それは運命の選択を提示されるかに思えて
くる。
「オレに命を預けろ・・若林家・恭司。霧生当主としてでは無く、この“各務悠也”に」
「・・・各務、悠也・・」
恭司の目の前で悠也は頼り甲斐のある掌を差し伸べて来る。恭司が動き出すまで悠也は
じっと動かずに待ち続けた。
「おれは・・・吸血の一族だぞ。そのおれにお前の陣営に加われと?」
「―――陣営、か・・今のオレには何も無い。兄さんを失い、霧生一族という大きな存在
に立ち向かえる力すら・・・神技だけでは何もならない。だが、それでもオレは足掻きた
いンだ。守るべき存在(ひと)を、一生懸けても・・・」
「守るべき・・・ひと―――」
「オレに力を貸してくれ。恭司―――」
「ゆ、う・・」
―――おれの全ては悠様の為にある・・
『恭、・・・・・・司・・』
瞳は薄惚けていつもの輝きが無い。今だけは弱々しく思えてくる。そんな眼差しで見つ
められ、恭司の心は熱く滾った。
悠也への憧れ、尊敬が膨らみ、それが恋慕の感情であると知った時の様に。
『悠様・・』
忍としてではなく、守りたい存在の為に強まった強靭さがそこにある。
胸の中央に触れると、心臓の鼓動音が伝わってきた。若干の弱々しさがあるが確かに悠
也のものであると今の恭司には実感出来る悦びがある。
肌の熱に伴って掌が湿りを帯びてくる。締め切った部屋に篭もる湿気と熱の所為で、恭
司自身は汗を掻いていた。また、汗が引いていた悠也も今は汗をかなり掻いている。
『・・悠様。この吸血の楔よりは逃げ切れません・・・この様に悠様の血すら欲してしま
う。だからこそ一族からは獣鬼(おに)として見られたのかもしれません。厄介者として
処分されても・・・』
そっと悠也の胸より手を離そうとした時、悠也が弱く震える右手を手の甲に重ねて、恭
司の泣きそうな顔を見つめた。
『ゆ、う・・・様・・』
『恭司・・・オレには・・―――オレには、恭司やみんなが、・・必要だ・・・吸血の、
お前だから、と・・・言って、オレは・・―――否定しない・・』
ギュッと恭司の手を握り締める悠也の手は温かい。温もりが恭司の心にまで伝わってく
ると、涙がそっと落ちた。
悠也は意識を失いつつある中で、笑いを表情に灯す。
『血の渇き、を、・・癒したければ・・・・・オレのをやる・・だから・・何処にも・・
行く・・・・・・・・・・・・な・・・・・』
『悠様!?』
ふっと悠也から力が抜けた。どうやら意識を失ってしまった様で寝息すら立てる穏やか
さが表情に出ている。
『悠様らしいな・・全く。だからこそ悠様が好きなんです。だからこそ、おれの―――お
れ達の“主”なんです・・申し訳ありません。有難うございます・・悠様』
悠也を暫く見つめ、自分の生い立ちに関する悲しみを心の奥底に仕舞い込む。そして、
もう暫く見つめ、改めて悠也に忠誠を誓った。
その後、悠也を布団に寝かせた恭司は締め切ったカーテンを開き、窓を開けた。
風が流れ込んでくる。その中に湿気が伴っている。地面が多少だけ濡れている所を見る
と、どうやら雨が降った様だった。
『もう夜か・・各務絆が心配する。もう少ししたら悠様を起こそう・・・それまではおれ
の悠様だからな―――』
振り返り、静かに眠っている悠也の寝顔へと微笑みを混じらせて見つめた。
深夜、各務家前―――
伊神アパートを出た悠也は、恭司の見送りを断り、弱々しい足取りの中で帰途に至る。
そして、相当の時間を掛けて家に辿り着くと、急に立ち止まって驚く。
『・・・・・絆?』
家の前で絆が居た。背を向けているが確かに絆であると悠也には分かる。
道の先の暗闇を見つめて佇んでいる絆は、月の光を浴びながら何か物思いに耽っている。
『絆・・?』
『・・・え、!?―――――あ・・』
悠也の声に聞いた途端、突然に驚く絆であり、咄嗟に衣服の胸元を押さえる。
『何だよ・・・』
『・・・・・・お兄ちゃん・・こそ・・』
戸惑いすら覚える絆は、悠也から視線を逸らすと急に駆け出してしまう。そして、戸を
空けて家の中へと入って行ってしまった。
絆の行動が理解出来ない悠也は、何故こんな時間に絆が家を出ていたのかが気になった
が、果たして今の絆に尋ねられるだろうかという心配を持った。
『・・・絆のやつ・・・何だか妙に・・女っぽかったな・・・』
絆の行動にではなく、絆が見せた少女らしさが抜けた仕草に対し、戸惑いを覚える悠也
だった。
絆の部屋―――
ドアを閉めて、そのドアに背を凭れさせる絆は、少しだけ荒くなった息を整えようと、
胸に手を当てた。
どうして悠也があの場所に居たのだろうと考えるが、今は皆目見当が付かないほどに戸
惑っている。それに顔が赤いというよりは熱く感じる。
ようやく呼吸が静まり、窓より見える夜空へ視線を向けた。
瞳に夜空が移り込む中、絆は指でそっと唇に触れた。
『・・・・相葉君・・』
鮮明に思い出す・・・彼の事を。鮮明に思い出す・・・彼の温もりを。
そして、彼の言葉をはっきりと心の中に思い出し、自然と熱くなってくる心(想い)を
抑えられなくなってしまっていた。
扉にも垂れる背中を徐々に崩し動かして床に座り込むと、俯きそうになる顔を上げて再
び窓より見える夜空へと視線を送った。
忍務「完了」