悠輔を前にして―――
電気は全く点いていない。点ければ如月に気付かれるのを警戒しての事だと涼真は言っ
ていたが、その涼真も外に出て行ったきり戻って来ない。
隣の部屋に勇真と飛鳥が居て、この部屋には悠輔と絆しか居ない状況である。
薄暗い中、絆は周囲を見渡す。
簡易ベッド以外、何も無く閑散としている。恐らくはこの部屋が悠輔の部屋だろうと絆
は推測した。
『くっぅ・・』
『相葉君・・』
目の前で苦しむ悠輔に何も出来ない。その場に座り、側で見守る事しか出来ない自分が
歯痒かった。
じっと悠輔の苦痛に歪む表情を見つめ、今の悠輔の症状に付いて考える。
『ずっと思ってた・・・どうして私だけ、って―――入院した事もあるけど、どうしても
病気って思えなかった。けど、身体の奥から苦しいって・・そう自分じゃない声がする気
がして、それが気持ち悪くて・・』
悠輔に向かって自然と両手を伸ばしていた。ゆっくりと悠輔へと近付いていく自分の両
手を他人の手の様に見守る。不思議と恐怖は無い。
『私に出来る事があれば・・・』
―――お兄ちゃん。力を貸して・・
兄の姿を思い浮かべれば勇気が沸いてくる気がする。本当にここに居れば背中より後押
ししてくれるに違いないと強い気持ちを抱いた。
絆の手が悠輔の頬に触れる。その瞬間、指先に痺れが伝わってきた。
『あ・・!?』
一瞬、驚いて手を引く。指より伝わってくる“穢れ”は、触れた指先を黒く変色させて
いる。しかし、驚きはその穢れの所為ではなかった。
痺れと共に心を通り抜けた感触―――それが光景となって絆に何かを見せようとしてき
た事へと驚きだった。
『この感じ・・・なんだろう。前に何処かで・・・』
「―――お前の名は?・・・そうか、オレの名は・・・・・・・・・・・・・・」
再び悠輔の肌に触れた時、唐突に悠也に似た声が心に響き渡った。名前を聞かれ、心の
中で答える自分が居る。そして、自らも名乗ってくる男の名を聴く。
『・・・・きりゅう・・―――――――』
その男の苗字を口に出す。聞き覚えは無いはずであるが、何処か懐かしいと感じる名前
である。
『か、が・・み・・』
悠輔が目を覚ます。霞んで見える視界の中で絆を探そうと左手を上げる。その左手を絆
は両手でしっかりと握り締めた。
瞬間・・・
「出来る。お前なら・・――――――」
「可能性じゃない。オレが信じている・・このオレが」
「絆・・・」
「絆・・――――――――」
絆に呼び掛けてくる声は、心の中で無限に波紋となって広がっていく。高揚感の様な気
持ちとなり、今なら出来ると自分を信じられるまでに勇気が沸いた。
『私・・・私に今、出来る事・・・相葉君を助ける事』
「それでいい・・・オレが側に居る」
絆の手に握り締められている悠輔の左手が輝きだした。薄紫へと輝く色を煌かせ、周囲
の闇を薄く覆った。
『これが・・相葉君の力――――・・この力、私・・・知ってる』
知らないはずの輝きに篭もる力に気付く。その力が悠輔のものであると気付きながら、
別の感情が芽生えてくる。いつか何処かで見た光景と共に。
「神技・・―――――――――――――――――」
『あめのみかげ・・――――――ッ、あ・・!?』
男が最後に残したその言葉を、絆は口に出した。握り締める悠輔の左手に宿る輝きが増
し、そして、冷たい感触を覚えた。
あまりの冷たさに絆は驚いて手を離す。しかし、悠輔の左手より発する輝きは衰える事
無く、更に身体全体を覆って広がっていった。
薄紫色の輝きに包まれる悠輔に異変が起こる。黒く変色していた皮膚が元の肌色を取り
戻し始めていく。
『鎮まってく・・・・』
『・・・・・・・お、―――――――――――――――――れは・・・・・一体・・』
悠輔の顔に生気が戻っていく。そして、口より出る言葉には確かな強さがあった。
『相葉君・・』
『・・・お前は・・各務』
半身を起こす時には、全身を包んでいた輝きは消え失せ、また、穢れも完全に消えて跡
形も無くなくなっている。今までの肉体的疲労と悪寒と痛みが嘘の様だ。
絆が涙を両目に溜めて見つめてくる。その瞳に見つめられて気恥ずかしさを覚えてしま
う悠輔は、気持ちを誤魔化そうとベッドから降りようとした。
『くっ・・』
まだ、穢れを沈めて間もない身である。眩暈がして体が前のめりで倒れ始めた。
『あ・・!?』
『・・・!?』
絆の顔を間近で見た瞬間だった。声を聴いて間も無く、絆の温もりをその身に感じた。
悠輔が絆の上に覆い被さってしまっている。そして、密着する身体以外にも最も密着す
る唇同士をお互いが知った時、悠輔は跳ね起きて、絆より飛ぶ様に後退りした。
驚きで両目を大きく見開きながら、右腕に唇を当てている。一方の絆は、悠輔と同じ驚
きで、仰向けに倒れたまま天井を見ていた。
『す、すまない・・』
一言で謝ってその後は顔を伏せる。絆を見ようとしない。
悠輔の言葉を聞いた後、絆は暫く呆然としていたが、やがて我に返る様に目を見開いて
身体を起こした。それから悠輔の赤くなった顔をじっと見る。そして、ホッと息を吐き出
した。
『良かった。無事だったんだね・・ホント、良かった』
『・・・各務・・』
絆の微笑が目に入った瞬間、唇を押さえていた右腕が自然と下がり始めてきた。そのこ
とにも気付かないまま、ただ絆の顔を眩しげに見守っていた。
数分後―――
『各務のお陰で俺は無事だ。だが、状況が見えない・・・勇真達は隣か?』
『あ、はい。けど・・・涼真さんって人は出て行ってしまったんだけど・・・それから戻
って来ないし・・・』
『どれくらいの時間が経過した?』
『あ。・・・どうだろ・・20分くらいかな・・あ、30分かな・・・』
曖昧に答えるしかない。電気を点けていない為、時間を確認してないのだ。
絆の曖昧な言葉に悠輔は頷いて応え、立ち上がると勇真達が居るはずの扉に手を掛けた。
そして、扉を強めに押し開く。
絆も悠輔の後に続いて勇真の部屋に入る。
悠輔が迷いも無く電気を点けると、一瞬の眩しさが両目に飛び込んだ後、上半身裸で壁
の墨に背中を預けている勇真の姿とその勇真に寄り添って居る飛鳥の姿を発見した。
『輔様ぁ・・』
涙目で飛鳥が悠輔に視線を送ってくる。その飛鳥に悠輔はしっかりとした強さの頷きで
応じた。
『ゆうすけ・・サ・・もうしわけ・・』
『喋るな、辛いはずだ』
勇真の側に寄る悠輔は、自分と同じ状況に穢された勇真の肉体を見る。
均整の取れた強靭さがある肉体は、常の肌の若さと輝きは無い。生気が衰えて色も黒く
変色してしまっている。染み出る汗さえも黒い。
『酷い穢れが・・・』
悠輔の後ろから絆が声を出す。その声を背中で聞きながら悠輔は、勇真の左胸にそっと
左手を置いた。
『だめ、だ・・・また・・けがれて・・・ゆうす、け・・サン・・』
『大丈夫だ。俺の力を受け入れろ――――――神技、天之御影・・』
悠輔の放った言葉を受ける形で左手が輝き始める。冷たい感触が光となって勇真の体を
包み込んでいった。そして、勇真の苦痛に歪んでいた顔が穏やかさを取り戻していく。
『輔様ぁ・・・』
『飛鳥・・勇真の身体を鎮めた。安静にしていれば大丈夫だ』
『・・・・え・・それじゃ兄貴は・・・』
『俺の様に完全には鎮められなかったが、勇真は大丈夫だ』
悠輔が勇真より離れると、代わって飛鳥が勇真の身体に飛び込んだ。無事になったその
身体の胸へと嬉しそうに頬擦りをする。そんな飛鳥の髪を勇真はゆっくりと撫ぜた。
『飛鳥。勇真を頼む―――俺は如月を追う』
『輔様?―――じゃあボクも・・!』
『オレも、行くって・・ンだ』
飛鳥が立ち上がり、勇真が身体を起こそうとする。その二人の行動を悠輔は制する。
『涼真は俺に・・・ここで待っていろ。すぐに戻る』
『輔様・・・』
『悠、輔サン・・・・』
悠輔の言葉を聞いた飛鳥が頷き、勇真は再び身体を壁に預けた―――瞬間、背中がずり
落ちて姿勢が崩れると、気絶してしまう。
『輔様。涼真兄をお願いします・・ボクの、ボク達の恨みも全て涼真兄が背負ってくれる
から・・・その所為で・・』
『解っている・・つもりだ。それで場所は?』
『うん・・前に調べた情報だと、如月は「雪白共同教育研究施設」って所に居たって』
『そうか。その場所なら行った事がある』
踵を返す。絆を伴って部屋を出て行った。
部屋を出た絆が、前に居る悠輔の背中を見て、それから後ろの部屋を不安げに見る。
『勇真さんって人、あのままでいいんですか?』
歩きながら悠輔に質問すると、悠輔は歩調を緩めて、
『勇真も忍だ。解っている』
『は、はあ・・?』
『それよりも家に送って行く』
絆との会話が終えた途端、歩調を速めて外に出て行ってしまった。その悠輔の行動に絆
は驚きながらも走って付いて行くしかなかった。
月が雲より出た時間帯、各務家前―――
家の前で佇む絆の背中を悠輔は見つめている。
月光に輝く絆を見て、悠輔は遠い眼差しをする様に両目を細める。絆が振り返り、悠輔
を見ると、
『涼真さんって人を助けに行くんですか?』
『・・・・・・』
『―――如月さんって人のこと・・』
『関係ない。これは俺の問題だ・・』
絆が投げ掛けた質問を悠輔は答えずにあっさりと遮った。
『・・・ごめんなさい・・・』
『何故謝る』
『え・・、何故って・・怒ったんじゃ・・?』
悠輔の言葉の意味が解らず、唐突に質問を返して見ると、悠輔は無表情に見える表情の
奥底に困った様子を垣間見せ、
『・・・・助かった』
ぼそりと言うと、背中を向けて急に駆け出して走り去って行った。
悠輔が走り去っていく背中を―――闇に消えていく悠輔を絆はじっと見守る。
『相葉君・・・』
『・・・・・絆?』
背後で聞き覚えのある声がした。その声が悠也であると当然に知っている絆は、強い驚
きと共に振り返る。
タンクトップとジーンズ姿の悠也が月光をその身に受けながら佇んでいる。絆がこの場
所に立っている理由を知りたがっている様子で。
『絆・・?』
『・・・え、!?―――――あ・・』
悠也の声に聞いた途端、我に返った風に驚いてしまった。悠輔との事が急に頭に浮かん
で、何か悠也に後ろめたい感情を抱いてしまう。
『何だよ・・・』
『・・・・・・お兄ちゃん・・こそ・・』
悠也に何を話したら良いのか解らない。悠輔の事や一連の事件を信じて貰えるはずが無
い。それに話せば悠也を巻き込んでしまう。そんな不安が幾つも心の中で芽生えた時、絆
は家の中に飛び込んで行ってしまった。
階段を一気に駆け上がり、自分の部屋に飛び込むと扉を強く閉める。
閉めた扉に凭れ、窓より差し込む月光を見つめながら、荒くなった呼吸を静めていく。
『・・・・相葉君・・』
悠輔の事が鮮明に思い浮かぶ。倒れ掛かってきた悠輔の顔を今ははっきりと思い出せる。
自然と唇に触れていた手に、悠輔の唇の温もりが伝わってくる気がして、心が熱くなっ
ていく。
気持ちが高揚したまま、窓より見える夜空を見つめ続けた。
忍務「完了」