雪白共同教育研究施設―――
緑生い茂る中心に建つここは、元々、古い鉄筋の建物を再利用したものであり、改築も
されないまま今に至る。また、前々から耐震性の問題が指摘されてきた事もあり、来年に
は取り壊しが決定している。
建物の周囲は、昼間は開けた明るい様子に思えるが、夜になれば一変する。薄暗い闇が
忍び寄る不気味さにより誰も近付かなくなる。過去には丑三つ時に遊び感覚でやって来る
若者も少なくなかったが、今はそれすらない。
その建物内に侵入するのが悠也である。刀を背負う姿、薄地のスーツであるシノビ・ギ
アの上に黒装束を纏う姿は紛れもなく忍である。
悠也は各務家の忍として、また、IFAOの忍として闇社会で本格的に活動するように
なって早2年が過ぎている。その中で数々の経験を積み、その身に忍ばせる決意と幼い頃
よりの忍の修行の成果により強く成長を遂げてきた。
培われてきた経験より、悠也は不快感を覚える事で危険な匂いを悟る。
『厭な風だ・・・』
壁の影に背を寄せて風を感じた。
湿気と埃を含む風は、続く廊下の床を這う様に吹いて、悠也の下に達すると足元から吹
き上げてくる。その風に対して素直に不快感を示した。
口元を覆うマスクを上げ直し、薄布地の中で深く息を吐き出し、暫く目を瞑った。
気配はまるで感じられなくとも、慎重に進んだ。長方形型の建物の廊下は永遠と続くか
の様に長く感じられる。
風が廊下を通り抜ける。雨質を含む風であると知ると、外では雨が降り始めたのを知っ
た。その後で雨音を聞く。
開いている窓郡の廊下へと出る。その窓より風と共に雨が吹き込んでくる。廊下を進む
悠也の髪と上衣を緩やかに濡らしていく。
『二階から気配が、・・流れてくるか』
何か蠢くような気配―――気の流れの様な感覚はずっと手先に感じているが、ただそれ
だけの事で、それが不気味さを誘ってくる。
その時だった。女性の悲鳴が甲高く響き渡ったのは。壁を反響にして声は更に遠くへと
飛んでいく。恐らくは外にも漏れただろう程の大きさだった。
声の在り処を二階であると定めた悠也は、廊下を足音無く走る。走る際に警戒心を自ら
に課す様に背負う刀の柄を握り締める。
いつでも刀を抜ける態勢で、階段を駆け上がった。
この雪白共同教育研究施設は、二つの構造より成り立っている。一つは二階立ての悠也
が今居る場所であり、その隣に連なって三階建ての建物となる。
二階に上がり、各室を慎重に確認しながら、声の正体を探っていく。その内に、もう一
度、悲鳴が聞こえた。
悲鳴こそ紛れも無く少女の声である。但し、先程より声のトーンは低い。明らかに別人
と思われた。
『オレを誘っているのか・・』
声が次第に遠退いて聞こえてくるのは、叫びが反響しているからではなく、次第に叫ぶ
本人が遠退いているからだと判断する。
反響してくる少女の悲鳴は、隣の別棟より聴こえてくる。上方より聞こえてくる雰囲気
からして、恐らくは三階だろう。
迷う必要は無くなった。建物の構造は既に把握している。敵の逃げ場は無いはずだ。
別棟に入り、三階へと駆け上がる。そして、一番奥の研究室より今度こそ明らかな気配
を感じた。気配は複数ある。
『・・・・・・・』
息遣いすら殺し、研究室の扉前まで駆け寄る。刀の柄を握り締める右手にも一層の力が
入る。左手をそっと扉の凹みに掛けて、ゆっくりと押し開いた。
引き戸式の扉である。溝を引く音が、周囲の静寂さから誇大に聞こえる。
扉を開け放ち、中を探る。
静まり返った研究室内に、パソコンや機材が並んでいる。先程まで連続して聞こえ続け
た少女の悲鳴は消えている。確かにこの場所からしたはずであるが、また、気配は複数感
じるのは変化していないが、ひっそりと静まり返った様子から何処からなのか把握し辛い。
見渡した後、視線をある一定の場所で止める。そこは机と机に挟まれる壁際であり、そ
の机の下の影が一瞬でも揺らめくのを見忘れなかった。
殺気は無い。刀を握り締める右手内がしっとりと汗ばむ。息を呑む際に喉仏が若干の動
きを見せる。
慎重に歩み、足音を完全に消し去って、気配が放たれる中心へと近付く。
『女・・』
机と机の間の床に、複数に折り重なった身体が影となって見える。体格からして女性で
あり、また、少女である事は理解出来た。
少女の一人が動く。軽く足を動かす動作を見て、悠也は彼女等の無事を知る。
そして、更に歩み寄り、動きを見せた女性に声を掛けようとしたその時だった!?
『――――――――っ!?』
少女が振り向いて、悠也の顔目掛けて叫び声を上げる。その声はさながら咆哮にも似て
悠也の耳に劈いて聞こえた。
『――っ!?』
叫び声を上げる少女に呼応する様に、他の少女達が一斉に悲鳴を上げる。
騒々しく響き渡る少女の声は、あたかも悠也の位置を知らせるようなものだった。
そして、まるで少女の連なる叫びを待っていたかの様に、急に天井の照明が点いた。室
内が一斉に明るくなる。パソコンまでも一斉に起動し、起動音が騒々しく鳴り響いた。
『何!?―――くっ!』
少女達が、急な明るさの変化で怯え、更に全員が合唱の様にして一斉に叫び声を上げる。
動揺一辺倒の少女達と思われたが、それはあくまでも悠也の思考範囲内の事であり、少
女達は悠也の思惑を超えた動きを一斉に見せた。なんと悠也に飛び掛ってくるではないか。
『くっ!!』
敵であるならば、予め握り締めていた刀で切り伏せれば良いが、それが助けるべき相手
である少女達であれば話はまるで違ってくる。
か弱い少女達を無碍にも出来ないという男の思考がどうしても働いてしまい、悠也は呆
気なく床に押さえ付けられてしまう。
『くっ!?―――この力はッ!?』
しかし、か弱いと思っていた少女の力は、複数で力を併せているとはいえ、悠也の想像
を明らかに超えていた。
少女達は、悠也の背中に覆い被さり、又は両腕と両足に体重を乗せて刀を握り締める右
手を無理矢理離させる。
悠也から刀を奪い取る。そして、覚えのある顔付きの少女―――藤島理奈が、刀を鞘か
ら抜き放ち、少女の力とは思えないほどに刀を持ち、刃を悠也の喉下に当てた。
『くっ・・・罠、か』
『クスッ・・・』
『クスッ』『―――クスッ』『・・・クスッ』『クスッ・・』
複数―――他の六人の少女は、悠也を見て、そして、理奈の笑いを受ける様にして釣ら
れて笑っていく。
笑みがこの研究室内を支配している状況下で、パソコンの起動音が重なる。
敵が見えない状況下。気配は少女七人だけである状況下で、悠也は危機に陥っていく。