三章・一話:明暗なる朝
―――これを君に差し上げよう
「これは・・?」
―――君の愛する人を取り戻す為の秘薬だよ・・・
「秘薬・・それで叶うの?」
―――そうだよ。君の兄上を討った相手への、それでも君の愛は変わらなければ・・
朝日を受けるユーラス教会。その建物の古さが良く分かる―――
カトリック系の教会が西の山(天洞慈山)を望む。
この教会は古くより存在しているが、今は神父も居らず、休みの日に数人のカトリック
信者が訪れて奉仕活動をする程度である。
この周辺の土地は開発が遅れ、それが逆に緑を多く残す結果となった。寂れた感にも思
えるほどに静かな場所である。
各務悠也は、甚大高校の制服を着ているが学校に向かう訳でもなく、甚大高校とは正反
対に位置するこのユーラス教会を訪れている。
IFAO施設の一つである教会は、エージェントと実働部隊の悠也が接触する場所とし
て使われる事が多い。
悠也は、妹が起きるよりも早く家を出て、学校へは向かわずにこの教会を訪れた―――
訳は、佐伯隆一郎からの呼び出しがあったからだ。
教会内に入る。中央に道が作られる様にして長椅子が並べられている。また、内部奥に
十字架が掲げられ、天井の高さから静寂な雰囲気を醸し出している。
両側の壁に設けられた窓より朝日が差し込み、中央の道を照らしている。悠也はその道
をゆっくりと踏み締めて歩いた。
中央付近まで歩くと、長椅子の一つにぽつんと座る男性を見て立ち止まる。その男性を
睨む様にして見ると、男性は顔を起こして悠也を尻目に見た。
『学校はどうした?』
『・・・・』
『・・――――単位は大丈夫なんだろうな?』
自分から呼び出しておいてこの調子である。まるで兄のような口調の佐伯に対して、悠
也は内心で苛立ちを強めるが、表情には出さずに敢えて何も答えなかった。
『ユウ。昨日の一件は・・・少女達は無事だ』
『だが・・敵は―――霧生としか掴めなかった』
少女誘拐事件を解決した悠也であるが、それでも敵の正体は探れず倒してしまった。こ
れでは敵の意図が知れない。その事を悠也は悔やんでいるのだ。それは悠也の重苦しい言
葉に表されていた。
佐伯は悠也の言葉を聞きながら、それをまるで聞き流すようにして更に顔を上げて正面
を見据える。静かに朝日が灯る中に十字架は輝いて見える。
『そうか。・・・・・ならば、今のお前に尋ねる』
『・・・・?』
『霧生一族の目的・・・「鏡閑」では、国家的規模のテロを起こす可能性を示唆して危険
度を高めている。それは彼ら集団が特異な力を持つ忍だからに相違ない。それは、ユウ。
お前が一番良く知ることのはずだが・・・・・・・・そうじゃないと言いたげだな?』
『・・・・・』
悠也は複雑な思いを絡めて無言を保っている。佐伯と同じく奥の十字架を見据える。
『だが、やり方が稚拙に思えて仕方ない。私ならもっと派手に能力を使う・・・例えば、
要人の誘拐がその一つだ・・・それは殺す事も当然含まれるだろう』
『・・・・・』
『―――「鏡閑」はお前に期待している。過去の各務家の“過ち”を清算できる力を持つ
者として・・・ユウ。お前はどう考える?』
観察される視線を受けても悠也は真正面を見続けた。暫く黙り込む姿勢を見せ、それか
らもう暫くすると、
『・・・・一族の目的は恐らく「オレ」だ・・・それに、まだ気になる事もある』
『奴―――今回の事件の真相か?』
『ああ』
『―――雪白共同教育研究施設に、奴は確かに在籍していた。登録されている履歴関係の
全ては偽称だったが』
『そうか・・名は?』
『如月・・如月京史郎。・・これに関しては調査させてはいるが、恐らくは偽名だろう』
『・・・・いや。本名だ』
「如月」と聞いて、悠也は両目を細めるといった反応を見せる。
『ほう・・言い切る自信があるという事か?』
『・・・・・』
悠也は再び黙る。何も言い出さないことを知った上で佐伯は敢えて問いただす事もせず
に話を続けていく。
『・・・今、奴は死に瀕して重傷だ。警察病院に入院しているが、持っている情報も、そ
んな状態では無理には聞き出す事さえ不可能だろう』
悠也に倒された如月は、全身が大火傷の状態で警察に捕まった。とても事情聴取出来る
様な状態では無い。悠也が直接的に接触するのが最も相応しいが、警察の目を考えて長時
間の接触は怪しまれる。
『霧生一族の件、如月の件も含めて調査中ではあるが、今の所は進展していないと言うの
が本音だ』
『そうか・・分かった。この件はオレが預かる』
『何か掴んだのか?』
『・・いや。だが、気になる事がある・・そこより何か得られるはずだ』
『何か・・か。分かった・・』
十字架を見据える悠也の顔をじっくりと見つめる。その横顔は精悍に見えるが、まだ若
過ぎる点が佐伯には判る。
悠也は佐伯の視線を気にしてか、不快感を僅かだけ表情に出し、背を向けてもうこの場
には用は無いと言わんばかりに去ろうとする。
『ユウ・・!』
『・・・・』
悠也を呼び止める声が飛ぶ。声は反響し、暫く教会内の静寂を打ち消した。
歩き始めた悠也が立ち止まる。しかし、佐伯の方へは敢えて振り返らずに。
『忍としてお前は未熟過ぎる。今回の件もそうだが、敵に対して同情はするな』
『・・・・・』
『――“忍”同士は一切の因果関係を持たず、“政”府の忍務を忠実に実行せよ。“如”
何なる時も自ら正体を明かす事無く、“感”情の一切は忍務には皆無也』
『―――「忍政如感」の心得(掟)か・・忘れてはいない。敵に対して同情はない』
今更言われる筋合いは無いと苛立つ。言葉に冷静さを欠いている事を自覚しながら。
『そうかな?―――ならば、今回の事(失態)をどう考える?』
『・・・・・』
佐伯の言わんとする意味は、今回の事件の被害者―――少女達に対しての事だった。結
果として少女達を救えたが、それでも危機に陥った事は否めない事実である。
『忍なら、時として女を利用する術も必要になる。それはお前ならば解っているはずだ』
『言われる・・までも無い』
冷静に答えている様で、実際には歯切れが悪いと感じられる。それが悠也の“若さ”で
あると佐伯は指摘したいのだ。それが解る悠也であるが、それでも・・・
『・・・私は今のお前の言葉を信用する事は出来んな。―――女を抱け、それが忍として
生き抜く術に繋がる―――』
『・・・・・お前には関係ない事だ』
佐伯の言葉を聞いている内に、悠也の心の中で怒りが湧き上がる。その怒りが自然と両
手を握り締めさせ、拳に力を篭もらせる。
しかし、何もせず、佐伯に言い出すこともせず再び歩き出した。それを見送る佐伯とし
ても、それ以上は何も言わず、ただ立ち去って行く悠也の後姿を見送るだけだった。
教会の扉が閉まるのは、悠也が出て行った後の事だ。朝日が差し込む静寂さを取り戻す
教会内に、ぽつんと独り立つ佐伯は振り返って、奥に掲げられた十字架を見据えた。
『忍でない私が言う台詞じゃないな―――忠告のつもりだったが、つい熱くなる。全く、
甘くなったな、私も・・』
懺悔するつもりは無いが、自分自身に問い掛ける様にして十字架を見据えていたのは確
かだった。
明るい朝日が道を照らす―――
ユーラス教会を出た悠也は、心の中で佐伯の言葉を繰り返していた。答えが見出せる訳
も無く、ただ永遠と佐伯の言葉は脳裏に過ぎり続けた。
今、この道を東に向かって歩く。歩き続ける内に女性と幼児が楽しげに歩いてくるのが
見えた。
愛くるしいまでの子供の笑顔。そして、慈愛に満ちた女性の微笑が見える。俯く悠也。
暫く歩き続け、女性と子供の親子とすれ違う。
暫くして立ち止まって振り返る。親子の温かい光景に悠也は視線を逸らして、雲が流れ
る空を見上げた。
『―――忍、か』
ふと妹の姿が思い浮かぶ。しかし、その姿をすぐに脳内から追い出した。佐伯の言葉と
妹の姿がどうしても重なってしまうからだ。
『―――くっ・・』
妹を想う故に、その感情に近付きたくないと無意識に判断してしまう自分が存在する。
しかし、忍としての力で必ず守り通すという男としての一面も確かに存在しているのであ
る。その鬩ぎ合う両面の心を持つのが、今の各務悠也であるのは間違いなかった。
佐伯の「女を抱け」と言う言葉が、聞きたくない気持ちとは裏腹に脳内で繰り返される
のを止められない。その中で、男として迷う表情のまま、悠也は甚大高校には向かわずに
行き先を修正し、目的と定めた場所へと向かった。