わたしにとって死は無色――白に思える無色だった。
戦争。全てを賭けるつもりの大戦、そのさなかに現れた始原の精霊。
彼女は精霊ではない、と思いたい。――あるいはわたしたちの方が精霊ではないのかもしれないが。
彼女は女神だ。万象統べる女神。生も死も、現実も虚構も、一切の躊躇も容赦もなく容易く捻じ曲げる。
敵、味方、魔術師、鋼の機械、精霊すらも彼女に速やかなる死を賜った――無論、わたし達も。
良く、覚えている。最後に残ったのがわたしと士道だったから。彼女からすれば遅いか早いかでしかないだろう。
何故、彼女が士道に執着するかは最後まで分からなかった。関係もなかった。わたしはいつもの通り死力を尽くし、そして殺された。
セフィラを抜き取られながら最後に見た光景は、わたしの最愛の人が、生ける女神の腕に囚われる絶望の光景だった。
目が覚める。あるいは、目が覚めたような気がする、と言うべきか。
周囲を見渡す。やはり何も変わってはいない。
同じように何もないが、何かがある空間。明るいが暗いよどんだ死の世界。
腕の中の感覚はある。今の八舞にとって唯一の大事な感覚。
抱き合った士道の感覚。生きている時と変わらない寝顔。
風待八舞と五河士道が始原の精霊に殺されてからずっと続く何時もの光景だ。
あれからどうなったかは何もわからない。他の精霊たちも、フラクシナスのメンバーも、DEMの魔術師も誰一人たりとて見ていない。
ここがどこなのかもわからない。狂三の影の中――士道が言うには――の様に暗いが、互いの存在がはっきりわかるし、何を言っているのかもわかる――本当に喋っているのだとすればだが。
時間の感覚もない。飢えや渇きを感じることもなく、最後の瞬間からどれだけ立ったのかも分からない。八舞は霊装、士道は学生服のまま劣化することもない様だ。ただ疲労感、あるいは精神的な疲れは感じる気がする。
総合的に考えて、残念ながらここが二人だけの死後の世界と言うので間違いなさそうだ。
初めは単に悲しく、嬉しかった。八舞も含め全員殺されてしまい、そして死後の世界で士道と再会できたのだ。色々なことを話した。これからの事、これまでの事。二人なら死んでも何かができるのではないかと、希望を持ったものだ。
そして今は、もう完全に心が折れてしまっている。状況の認識、そして時間の経過――経過する時間があればだが――は容赦なく、これで二人とも終わりという現実を叩きつけてくる。
今ではもうすることは決まっている。目覚めたら抱き合い、キスをし、取り留めもない無いことを喋りあい、そしてセックスする。恐らく八舞は士道の事で知らないことは何もない。士道も今や八舞の全てを知っているだろう――ありていに言うと、できるセックスは全てしたと思う。
この状況でも自分達が昔と変わらず強い愛情を持っているのはほぼ唯一の救いだろう。それとも死んだからこの感情で固定されたのか。何にせよおかげでまだ正気でいられる――このままの関係を続けていられる。
偕老同穴。ここはその後の世界だ。死が死に絶え、時の停まったお互いだけの世界。
士道はまだ起きないだろう。もう一眠りしても恐らく多分眠っている。寝顔をずっと見ているのも悪くはないが、夢見も悪かったし時間だけは腐らせるほどあるのだ。八舞は目を瞑る。
「成程、あなたは二人に分かれ無かったのか。そのままの姿で士道と結ばれて――そして母上にセフィラを抜かれた」
いつの間にか誰かがいた。
昏い女、とでも言おうか。長い葡萄色の髪に、黒い薄絹の様な煽情的な衣装。角の様な髪飾りは大きな葉とブドウじみた蔦の意匠が施してある。妖艶に笑う美しい女だが、それだけに両目にある傷が酷く痛々しく、さながら毒蛇にも、森の女神を象った様にも見える風貌だ。
――そう、女神だ。奇跡の様な『どこか見覚えのある』顔の造形、そして母上という発言の前後。
八舞は直感的に目の前の存在が精霊であり、そして自分達を殺した始原の精霊の関係者だと認識する。
全身が総毛立つ様な感覚に襲われる。恐らく死後の世界だというのに、生存のための選択、戦うか逃げるかを必死に検討する。
「心配はいらないさ八舞。あなた達に危害を加える気はない。母上と色々あったのは自分もあなたと同じでね、この終わってしまった者達が堕ちてくる世界のしがない住人の一人さ。まずは名乗ろう。自分は蓮。元道化で、今は――さしずめドリームキャッチャーと言ったところだろうか。」
自己紹介した女神の様な精霊――蓮がおかしそうに笑う。
気になる単語はいくつも出てきたが疑問を口に出さず、目の前の存在をねめつけたまま、思考する。
ドリームキャッチャー――確か悪夢を防ぐ、インディアンのお守りだったか。今では可愛くデザインされなおして女性向けに売られているのを八舞も見たことがある。それが何だというのだろうか。
「そう、そのドリームキャッチャーだ。自分が可愛いかはともかく、今回は夢を検閲に来た――もっとも自分が実際に見たわけではないのでけれど」
八舞はここで自分が言葉を発していないことに気が付く。まるで魔法の様に――
「心を読んだと思ったかい?」
蓮が薄く笑う。
「そう警戒しないでくれたまえ。自分に心を読む能力は無くてね。魔法と言うより手品、寧ろ宴会芸の様なものさ」
おどける様に手を振る蓮。肩をすくめる様も何とも絵になっている。
「ここでは言葉を伝える為に振動する空気も無いけれど、代わりに思考は相手に酷く簡単に伝えられる。慣れれば口を動かさずとも、見えない相手とすらテレパシーの様に意思の疎通は容易い。――理解して頂いたところで、そろそろ要件を伝えよう」
蓮が畏まって述べる。その宣告は女神の様な容姿と相まって厳かに――
「端的に言うと、あなた達の情事が夢と言う形で現実世界の複数人に見られている」
場違いの様に馬鹿馬鹿しく――それこそ冗談であって欲しい位――現実味がなく聞こえた。
「……落ち着いてくれたかな。そう、別にあなたたちが何か悪いことをした訳ではない。母上と――強いて言えば運が悪かった」
柄にも無い取り乱しをした八舞を宥めた後、蓮は語り始める。何とも胡乱と言うかスケールの大きな話だが、彼女曰く、自分達と蓮は別の時間軸の住人とのことだ。――つまり、別に八舞達(信じ難いことだが二人に分裂したらしい)と士道が存在しており、蓮が知っている三人はまだ生きている、らしい。
「元来この世界は、あちら側の世界と隣界の狭間とでもいうべき場所。隔離された地。こちらからあちらを伺うくらいなら兎も角、当然遣り取りなどできない――本来なら」
もっとも隣界と現実世界の間ではコンパイルと言うのがあったらしいがね、と付け加える蓮。正直何を言っているかわからないが、一旦捨ておいた方が良さそうだ。
「どういう訳か、あなたと彼女達はある意味繋がっているらしい。あなたの体験が現実世界の彼女達に夢の中で映写される、まるで南極で落とした氷砂糖を北極で拾う様な無茶な話ではあるのだけれど。
…何故知っているかと言われれば、自分は彼女達とも彼とも面識があってね。…良いじゃないか、そんなことより対策だ」
何故か誤魔化す様に先に進めようとする蓮。気にはなったが話を進めるべく、八舞も首肯する。
「とは言うものの、原因が分からないから対策は対処療法となる。…そんな顔をしないでくれると助かる。何故こうなったかを説明し、対処できるとしたら母上くらいの物だろう。さて、今回の夢送りとは結局とのころ頻度と量の問題だと考えられる。だから、他の体験が多くなればそちらが優先される可能性が高くなる」
要は他の事をすれば良い、と言う事だろう。出来れば、だが。ここには他に何もない。だからこそ八舞と士道はずっと、デラシネでデカダンスな関係を続けてきたのだ。
口ごもる八舞は蓮がだから、と続けているのに気が付き、慌てて意識を向ける。
「もしあなた達が良ければ、自分達と合流しないかい。その方が何をするのもやり易いだろう」
八舞はようやっと、このリンボの様な世界にいるのが二人だけ――目の前にいる蓮を除いて――ではない可能性に思い至った。
「結局あんた一度も士道に話しかけ無かったわね」
ある意味本来の姿から、いつもの道化の様な姿に戻った蓮に話しかけるのは、自分の先輩分たる金髪の少女――万由里だ。八舞は士道が目覚めたら相談すると言うので後の再会を約束し、一旦離れた。
「……相変わらず隠れるのが好きな人だ……寝る子を起こすな、と昔から言わないかい?」
「あんたのことを知らないかもしれない士道と話すのがフン切りつかなかったんでしょ?」
「……お互い様だろう」
「まあね」
もしかしたら八舞の微妙な態度は敵意ではなく、どちらかと言えば自分の士道に対する態度を感じ取ったものなのかもしれない。どこか冷静に分析する蓮に万由里が話しかける。
「それで……何で『消されたはずの』士道がここにいるか分かったの?」
「そうだね……」
始原の精霊たる崇宮澪は崇宮真士と相思相愛である。それは彼女にとって質量保存の法則よりも絶対的な真理であり、それを阻むものは抹消される――それこそ自分の腹を痛めて生んだ、真士と限りなく同一存在の愛し子、士道の意識を跡形もなく消し去ることになっても。
蓮の認識が正しいなら士道には死後すらない。意識は真士に置き換えられ、肉体はそのまま真士の物となる――それだけだ。ならばあの士道はどうなのだろうか。意識の消滅をもって死とも言えるのかもしれないが、八舞と同じ所に最初からいたというのが気になる。となると――
「『向こう』の母上の温情、なのかもしれないね」
「……それで温情のつもりならどうしようも無いわ」
珍しいことに、万由里が吐き捨てるように言う。無理もない。『向こう』の母上が『あの』士道の意識を消滅させたことを彼女は激怒しているのだろう。その気持ちは蓮にも良くわかる。
(まあ、かつて士道を愛し、殺そうとしていた自分が言えたことではないけれど……)
とは言え、万由里もこの結論を想定していたのであろう。
「……でもそれなら、士道が私達と接触することも考慮に入れているだろうから、私達と一緒でも大丈夫、と思って良いのかしら」
「それについては考えてもしょうがない。何より二人の精神状態は余り良くない様に見える。…あと少し遅かったら悲惨なことになっていたかもしれない。こればかりは凜緒に感謝しなければいけないね」
話題を変えるつもりで身内の少女の話を出すと、万由里がしぶしぶ同意する様に首肯する。蓮達にとって今回の発端は、ある意味士道の娘とも言える彼女が見た夢に端を発する。お陰で蓮も駆けずり回る羽目になったのだが。
埋め合わせはあの二人にしてもらおうと蓮が考えていると、万由里がところで、と問いかけた。
「まりなー。やくそくどおりおしえてー。パパとやまいちゃんはふたりでなにやってたのー?」
「え、えぇと……プロレスごっこと言うか……そう、えぇと……おしべとめしべの自家不和合成と言うか……」
「鞠奈…あきらめましょう。凜緒は賢い娘です。話せばきっとわかってくれます……凜緒あれは士道と八舞の愛の「言わせないわよ!!! 凜緒に何言おうとしてんのよ!!! このポンコツPS5!!!」
「二人とも落ち着いて……凜緒も良い子だから……ねっ? もうちょっとしたら教えてあげるから少し待って……お願い……」
「いや……やくそくしたんだからおしえて…。せっかくパパにあえそうだったのに……がまんしたのに……」
「……凜緒、もう……」
「こっちが一段落ついたんならあっちをどうにかして欲しいのだけれども」
「……是非とも自分に、先輩のお手本を見せて欲しいところなのだけれども」
「新参者に先鋒を任せ奉公させるのも先達の務め…なんてね」
「…対価たる御恩は如何程頂けるので?」
「私の有り難い感謝のお言葉」
「サマエル、サマエル、毒の天使よ……」
「はいはい、良いから行くわよ」
万由里が歩き出すので、蓮も仕方なく後を追う。
こちらはある意味いつも通りだ。不安もあるし、自分自身折り合いがつけられるか不安はあったがそれでもこの面子なら何とかなるのではないか、と蓮は楽観視する。
愉快な仲間が二人加わっても問題ないだろう――それが例え、別世界の士道と、その伴侶であっても。
(とんだ焼け木杭もあったものだ…まあ、自分たちは母上の娘だからしょうがない)
連は笑いを誤魔化すように溜息を吐きながら、凜緒に言い聞かす内容を考え始めた。