召喚の日から半月、訓練開始から二週間が経過した。
「”北大陸魔物図鑑”……この本も、何かの参考になるかしら?」
「雫、こちらに”七大迷宮”という本がありましたよ」
「うーん……タイトルがド直球のものばかり。少しは捻った名前でもいいと思うんだけどなあ」
その日、ハジメは訓練の休憩時間を利用して王立図書館にて調べ物をしていた。その傍には、彼と同じように本を抱えている雫と香織の姿がある。
この世界の本は、何の捻りもないシンプルなタイトルの本が多いため、三人は目的の本を比較的短い時間で見つけることができた。同じ机を囲むように椅子に腰を下ろした彼等は、それぞれの見つけてきた本を読み始めた。
「それで……本当に私達、その、【オルクス大迷宮】って場所に行くことになるのかしら?」
疑問の声を上げる雫。今日、彼女が王立図書館を訪れた理由は、昨夜、自分達が近い未来に【オルクス大迷宮】という場所に行くことになると、目の前で”オルクス大迷宮”という本を読んでいるハジメから聞いたからだ。
この迷宮は、全百階層からなると言われている大迷宮である。この世界に於ける有数の危険地帯である七大迷宮の一つであり、階層が深くなるにつれ強力な魔物が出現するという性質を持つ。
「冒険者ギルドで聞いた話なんだけどさー。その【オルクス大迷宮】って、王国の新兵訓練でよく使われる場所なんだって。それに、七大迷宮なんて如何にもって感じの場所じゃん」
にも拘らず、この迷宮は冒険者や傭兵、新兵の訓練に非常に人気がある。
それは、階層により魔物の強さを測りやすいからということと、出現する魔物が地上の魔物に比べ遥かに良質の魔石を体内に抱えているからだ。
魔石とは、魔物を魔物たらしめる力の核のことを言う。強力な魔物ほどより高品質で大きな魔石を備えており、この魔石は魔法陣を作成する際の原料となる。
魔法陣はただ描くだけでもその効果を発揮するが、粉末状に加工した魔石を刻み込むなり染料として使うなりした場合と比較すると、その効果は三分の一程度にまで減退する。
要するに、魔石を使う方が魔力の通りがよく効率的ということである。その他にも、日常生活用の魔法具等には魔石が原動力として使われる。魔石は軍関係だけでなく、日常生活にも大変需要の高い品なのである。
因みに、高品質な魔石を持つ魔物ほど強力な固有魔法を使用する。
固有魔法とは、魔力を有していても詠唱や魔法陣を使えないため通常の魔法を使用できない魔物が行使する唯一の魔法である。
唯一、と先述したように個体につき一種しか使用できないが、その代わりに詠唱や魔法陣等の前準備を必要とせずに行使することができる。魔物が油断ならない最大の理由だ。
「……なるほど。これがフラグ、というものですよね?」
「そうそう。冒険の始まり、ファーストステージの舞台ってヤツだよ」
しかし、そんな危険地帯もこの男にとっては『ステージ』の一つに過ぎない。
メインストーリーを進めていく内に攻略することになるダンジョン。ラスボスの待つラストダンジョンに辿り着くための何かを入手するための途中経過。
全てのダンジョンをクリアして、いざラスボスの待ち受けるラストダンジョンへ。
「となると、セカンドステージは【ハルツィナ樹海】か【グリューエン大火山】ですか? この本によれば、他の大迷宮の場所は不明のようですし」
現在、七大迷宮は【オルクス大迷宮】の他に二ヶ所の存在が確認されている。残りの四ヶ所は詳細な位置が判明しておらず、古い文献にその存在が語られるのみである。
「【ハルツィナ樹海】……確か、亜人族の国がある場所だったわね」
「その通りっ! やっぱり、ケモミミを見ずして異世界トリップは語れないからなっ!」
雫の言う通り、大陸東側に南北に渡って広がる【ハルツィナ樹海】は亜人族の生存圏である。
しかし、亜人族に会いに行くのはそう簡単にできることではない。被差別種族である亜人族は【ハルツィナ樹海】の深部に引き籠り、その姿を表に見せることがないからだ。
では何故、差別されているのかというと彼等が一切魔力を持っていないのが原因である。
神代に於いて、エヒト神を始めとする神々は神代魔法にてこの世界を創ったと言い伝えられている。そして、現在使用されている魔法は、その劣化版のようなものだと認識されている。
それ故、この世界では、魔法は神からの
そのような事情から魔力を一切持たず魔法が使えない種族である亜人族は神から見放された悪しき種族と考えられているのである。
では、魔物はどうなのか? という疑問に関しては、魔物はあくまで自然災害的なものとして認識されており、神の恩恵を受けるものとは考えられていない。随分と都合のいい話である。
なお、魔人族は聖教教会の”エヒト神”とは別の神を崇めているらしいが、基本的な亜人族に対する考え方は同じらしい。
この魔人族は、全員が高い魔法適性を持っており、人間族より遥かに短い詠唱と小さな魔法陣で強力な魔法を繰り出すらしい。
数は少ないが、南大陸中央にある魔人の王国【魔国ガーランド】では、小さな子供まで相当強力な攻撃魔法を放てるようで、ある意味、国民総戦士の国と言えるかもしれない。
人間族と魔人族は、崇める神の違いからお互いを仇敵と定め、神に愛されていないと亜人族を差別する。「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない」とはよく言うが、種族規模でそうなるのは迷惑なことこの上ない。
亜人族からすれば、もう自分達のことは放っておいてくれ! といった感じだろう。
「ケモミミ……ではありませんが、亜人族と言えば【海上の町エリセン】も気になります」
「確かに……! 本物のマーメイド! 一度でいいから見てみたいよなあ……!」
「はいっ! わたくし、本物の”人魚姫”を見てみたいですっ!」
【エリセン】は海人族と言われる亜人族の町で西の海の沖合にある。
海人族は、亜人族の中で唯一、王国が公に保護している種族だ。その理由は、北大陸に出回る魚介素材の八割が、この町から供給されているからである。
全く以て身も蓋もない理由だ。壮大な差別理由は一体何処に消えたのだろうか?
因みに、西の海に出るには、その手前にある【グリューエン大砂漠】を越えなければならない。
この大砂漠には、輸送の中継点として重要なオアシス【アンカジ公国】や七大迷宮の一つに数えられる【グリューエン大火山】が存在している。
ハイリヒ王国の南西、グリューエン大砂漠との間にある【オルクス大迷宮】と先程の【ハルツィナ樹海】、そしてこの【グリューエン大火山】が、現在詳細な位置の判明している七大迷宮だ。
一応、他の七大迷宮に関しても幾つかは目星が付けられており、大陸を南北に分断する【ライセン大峡谷】や、南大陸の【シュネー雪原】の奥地にある【氷雪洞窟】がそうではないかと考えられている。
「南雲君。亜人族を見たいのなら、一応、帝国に行くのも手段の一つだと思うけど……」
「うーん、まあ、そうだけどさ。俺、流石に奴隷扱いされてるケモミミっ娘を見て平静でいられる自信は無いからなぁ……邪神は無料で倒せるけど、商人を倒すにはお金がいるからさ」
帝国とは、【ヘルシャー帝国】のことだ。この国は、およそ三百年前の大規模な魔人族との戦争中にとある傭兵団が興した新興の国で、強力な傭兵や冒険者の集まる軍事国家である。実力至上主義を掲げており、かなりブラックな国のようだ。
この国は亜人族だろうが何だろうか使えるものは使うという思想があり、亜人族を扱った奴隷商が多く存在している。
奴隷を救い上げる、というのは異世界モノの王道パターンの一つであるが、それにはやはり奴隷を購入するだけのお金が必要になる。
金、金、金……! どの世界でも最終的に物を言うのは金の力である。
世界最高峰の実力の持ち主であるハジメだが、妙に真面目と言うかヘタレなところがあり、何かを力で強引に奪い取るような真似は基本的にはしない。
そのため、ヘルシャー帝国を訪れるのは十分な資金を確保してからにするつもりでいた。
「とは言っても、帝国の奴隷全てを買うなんて【フューレン】並の資金力が必要になるわよ?」
王国の東、帝国との境目に【中立商業都市フューレン】は存在する。
この都市は文字通り、どの国にも依らない中立の商業都市だ。経済力という国家運営とは切っても切り離せない力を最大限に使って中立を貫いている。
欲しいモノがあれば、この都市に行けば手に入ると言われるくらい商業中心の都市である。
この都市並の資金力があれば、帝国の奴隷全てを購入するのも不可能ではないだろう。それだけの資金を用意するのは実現不可能である、という点に目を瞑るのであれば。
「そこなんだよなー。ランド王子みたいな人が皇帝になってくれればなー」
ランド王子。
前世にて、ヘルシャー帝国と同じように実力至上主義を掲げていた東方帝国を変えた王子の姿を思い出す。この世界にも彼のような人物がいれば、亜人奴隷を救うこともできるのだが。
「……って、そろそろ訓練の時間ね。南雲君、私達は行かせてもらうわね」
「りょーかい。じゃ、また後で」
それから、ハジメは【オルクス大迷宮】に関する情報を一人で集めることになる。
因みに、数多くの窮地を共に切り抜けてきた仲間達はと言うと――
「うーん、私、本って読むと頭が痛くなるのよね」
「うむ。余もずっと字を見てると眠くなるのだ。これも邪神の呪いに違いない」
「わし、元は竜族じゃからのう。人族の書物を読めぬのも、仕方ないことじゃ……」
薄情もいいところだった。