石橋の両サイドに、突如として赤黒い魔力の奔流と共に出現した魔法陣。通路側の魔法陣は十メートル近くあり、階段側の魔法陣は一メートル程度の大きさだが、その数が夥しい。
赤黒い、血色にも見える不気味な魔法陣は、ドクンッと脈打つと、大量の魔物を吐き出した。
階段側の小さな無数の魔法陣からは、骨格だけの体に剣を携えた魔物トラウムソルジャーが溢れるように出現する。
空洞の眼窩からは魔法陣と同じ赤黒い光が煌々と輝き、目玉のようにギョロギョロと辺りを見回している。その数は、ほんの数秒の間に百を上回り、尚、魔法陣は留まるところを知らない。
しかし、生徒達の誰もが数百体の骸骨より反対の通路側に出現したモノに脅威を覚えていた。
通路側の魔法陣から出現したのは魔法陣の大きさに見合う体長十メートル級の魔物だった。頭部に兜のようなものを取り付けたその魔物は、明らかにこれまでの魔物とは一線を画している。
地球の生物で例えるのならば、その姿はトリケラトプスに類似している。
但し、瞳は赤黒い光を放ち、鋭い爪と牙を打ち鳴らしながら、頭部の兜に生えている角から炎を放っているという付加要素が付くが……
誰もが足を止め呆然としている中、メルド団長の呻くような呟きがやけに明瞭に響いた。
「まさか……ベヒモス……なのか……?」
長年の実戦経験に裏打ちされた剣術の技量と実力を発端にする余裕を常に崩すことなく、自分達に大樹の如き安心感を与えていたメルド団長が冷や汗を掻きながら焦燥を露わにしている。
目の前の魔物がそれほどまでに危険な存在であることは光輝にも理解できた。
それなのに。王国最高の騎士をして戦慄させる魔物――ベヒモスを前にして、何故、この男は楽しそうに笑っているのだろう。
「うっひゃー、コイツはでっかいな! すっげー、見ろよ、恐竜だぜ恐竜!」
南雲ハジメ。彼は大袈裟に両手を振るい、目の前の脅威に興奮している様子だった。
理解に苦しむその姿に、正気なのか、と光輝は疑問の言葉を口にしようとした。
しかしベヒモスは、そんな悠長な時間を与えてはくれないようだった。おもむろに大きく息を吸うと、それが開戦の合図だとでも言うかのように凄まじい咆哮を上げたのだ。
「グルァァァァァアアアアア!!」
「ッ!?」
その咆哮で正気に戻ったのか、メルド団長が矢継ぎ早に指示を飛ばす。
「アラン! 生徒達を率いてトラウムソルジャーを突破しろ!
カイル、イヴァン、ベイルは全力で障壁を張れ! ヤツを食い止めるぞ!
光輝、お前達は早く階段へ向かえ!」
「待って下さい、メルドさん!
俺達もやります! あの恐竜みたいなヤツが一番ヤバイでしょう! 俺達も……」
「馬鹿野郎! あれが本当にベヒモスなら、今のお前達では無理だ!
ヤツは六十五階層の魔物。かつて、”最強”と言わしめた冒険者をして歯が立たなかった化け物だ!
さっさと行け! 私はお前達を死なせるわけにはいかないんだ!」
メルドの鬼気迫る表情に一瞬怯むも、光輝は「見捨ててなど行けない」と踏み止まる。
何とか撤退させようと再度、メルド団長が光輝に話そうとした瞬間、ベヒモスが咆哮を上げながら突進してきた。
このままでは、撤退中の生徒達を全員、その巨体と突進力で圧殺してしまうだろう。
そうはさせるかと、ハイリヒ王国最高戦力が全力の多重障壁を張る。
「「「全ての敵意と悪意を拒絶する、神の子らに絶対の守りを、ここは聖域なりて、神敵を通さず、”聖絶”!!」」」
二メートル四方の最高級の紙に描かれた魔法陣と四節からなる詠唱、更に三人同時発動。
たった一回、たった一分だけの防御であるが、何者にも破らせない絶対の守りが顕現する。
燦然と輝く半球状の障壁がベヒモスの突進を防ぐ!
ドガァァァァンッ!!
その瞬間、轟音と共に石造りの橋全体を揺るがすほどの衝撃波が発生した。
撤退中の生徒達から悲鳴が上がり、転倒する者が相次ぐ。騎士団員も転ばないように自らの体を支えるので精一杯。
皆、大なり小なり、この事態に動揺しているのだが。
トラブルメーカーズの四人組は、全くテンションが変わらない。
「うーむ、あの魔物、どこかで見たことがあるんじゃがのう……」
「ボケドラゴンめ、アレはどこからどう見てもトリケラトプスであろう。年の功とは言っても、思い出せなければ意味が無いのだぞ!」
「二日前のツケを忘れるお主に言われたくないわ!
よし、あの魔物は恐竜のようじゃし、ここは竜族であるわしの出番ということで一つ……!」
「待て、それを言うならば、余は名乗る名もなき常闇の住人……!
暗闇の荒野に進むべき道を切り開く者として、立ち塞がる脅威を退ける義務がある……!」
「それなら、私にも不死女王として死者の眠りを妨げる者をぶっ飛ばす権利があるわ!」
「じゃあ、平和的にジャンケンしようぜ!」
平和的。平和的とは一体……。
本当にジャンケンを始める四人組を横目に、雫と優花は大きなため息を吐く。
その横では、「平和的な解決法ですね……!」と香織が感動していた。まさかの反応に、雫と優花は「えっ!?」と目玉が飛び出るほどに驚いていた。
そして、結果は―――
トラウムソルジャーは三十八階層に出現する魔物だ。今までの魔物とは一線を画す戦闘能力を持っているが、全員がチート持ちの生徒達が敵わないほどではない。
しかし、それは生徒達が連携を取り、冷静に立ち向かうことができた場合の話だ。
今の生徒達は、前方に立ち塞がる不気味な骸骨の魔物と、後ろから迫りくる恐ろしい気配に半ばパニック状態だった。これでは、隊列を組み魔物と対峙するなど到底不可能。
騎士団員の一人、アランが必死にパニックを抑えようとするが、目前に迫る恐怖により彼の言葉に耳を傾ける者は一人もいない。
その内、一人の女子生徒が背後からの衝撃に転倒してしまう。石畳に叩きつけられた彼女が呻きながら顔を上げると、そこには剣を振りかぶるトラウムソルジャーの姿があった。
「あ」
そんな一言と同時に彼女の頭部目掛けて剣が振り下ろされた。
死ぬ――女子生徒がそう感じた次の瞬間。
「覇ァッ!!」
突然、漆黒の槍がトラウムソルジャーの肋骨を打ち砕く。
否、それは槍ではない。溢れ出る魔力がその正体を槍と勘違いさせただけ。
彼女の目の前には、拳を振り抜いた姿勢で立つ少女の姿があった。
「え、エリリン……?」
「……まったく。一日に二度も死にかけるとか、鈴、貴方死神にでも憑かれてるの?」
女子生徒――谷口鈴に苦笑交じりで話しかけたのは、鈴の親友である中村恵里だ。
拳を前に突き出す。ただ、それだけの動作で恵里の目の前に並ぶ無数の骸骨が宙を舞う。
圧倒的。それ以外の言葉が浮かばない無双ぶりに呆然とするしかない。
親友の恵里が強いことは知っていた。知っていたが、これはあまりにも……
「まあいいわ。……安心なさい、デカブツはあのアホがどうにかするわよ」
「え?」
恵里の言葉に、鈴は思わず後ろを振り返り――驚愕の表情を浮かべた。
その様子にどこか自慢気な表情を浮かべた恵里は、空気を読まずに迫りくるトラウムソルジャーの群れを睥睨した。
「……さてと。空気の読めない雑魚共には不運なお知らせをしましょうか。
私はネクロポリスの僭主、
この世の影は須らく、私の領地。そして領地には、私の民が潜んでいるわ」
うぞぞぞぞぞ……
恵里の影が――否、周囲に存在する全ての影が耳障りな音を立てて広がっていく。
それは橋全体に広がり、壁を覆い尽くし、天井を夜闇に塗り替えて、それでも止まらない。
本来ならば、本能のままに襲いかかるはずの魔物達は指一本動かすことができない。
そして、それは恐慌状態に陥っていた生徒達も例外ではない。
全身に広がる寒気に、まるで凍りついたように自分の意志で体を動かすことができなかった。
これではまるで――いや、まさしく。薄暗い墓地の底、棺の中に閉じ込められたような。
百戦錬磨の騎士団員ですら、理解を越えた光景に、畏怖にも似た恐怖を抱く。
「さあ来なさいアンデッド共、私の下僕よ。あの骸骨共に格の違いを見せつけてやりなさいな」
「オオオオオオオオ……!」
手が、手が、手が。黒く黒く黒く、骨のような手が、影の中から這い出して。
生者への恨みに満ちた声を上げ、赤い目のアンデッドが、影の領域より次々とやってくる。
かくして迷宮に巣食う闇と、ネクロポリスの闇。二つの闇が、ぶつかり合う時が来た!