依然として、ベヒモスは障壁に突撃を繰り返していた。
障壁に衝突する度に壮絶な衝撃波を撒き散らし、石造りの橋が悲鳴を上げる。障壁も既に全体に亀裂が入っており、砕け散るのも時間の問題だろう。
既にメルド団長も障壁の展開に加わっているが焼け石に水だった。
「ええい、くそ! もう保たんぞ! 光輝、早く撤退しろ!」
「嫌です! メルド団長を置いていくわけにはいきません! 絶対、皆で生き残るんです!」
「くっ、こんな時に我が儘を……」
メルド団長は苦虫を噛み潰したような表情になる。
この限定された空間ではベヒモスの攻撃を回避するのは難しい。それ故、逃げ切るためには障壁を張り、押し出されるように撤退するのがベストだ。
しかし、その微妙な匙加減は戦闘のベテランだから出来るのであって、今の光輝達には難しい注文だ。
その辺の事情を掻い摘んで説明し撤退を促しているのだが、光輝は”置いていく”ということがどうしても納得できないらしく、また、自分ならベヒモスをどうにかできると思っているのか目の輝きが明らかに攻撃色を放っている。
まだ、若いから仕方ないとは言え、少し自分の力を過信してしまっているようである。
戦闘素人の光輝達に自信を持たせようと、まずは褒めて伸ばす方針が裏目に出たようだ。
「光輝! 団長さんの言う通りにして撤退しましょう!」
状況を理解している雫は光輝を諌めようと腕を掴む。
「ダメだ! メルドさんを置いていくわけには――!」
しかし、光輝は雫の腕を振り払うと、共に戦おうと再びメルド団長を説得する。
「状況に酔ってるんじゃないわよ! この大馬鹿者!」
「雫……」
苛立つ雫に心配そうな香織。その時、一人の女子が光輝の前に飛び出してきた。
「いい加減にしなさい!」
「ぐわっ!?」
パコーン! と気持ちのいい音が石造りの橋のある空間に響き渡る。
いつものお盆を取り出した優花が、人の話を聞こうともしない光輝の頭を殴りつけたのだ。
「ゆっ、優花!? いきなり何を……」
「バカチンがっ! あんた、勇者の癖になに仲間を殺そうとしてるのよ!」
「なっ!? そんなこと! 俺は皆で生き残るために……」
「その自己満足のために何人の死者を出すつもり? あのボンクラ共がいなければ、既に何人ものクラスメイトが死んでるわ。あんたがここで駄々を捏ねていたせいでねっ!」
優花の向ける絶対零度の眼差しに光輝は思わず硬直してしまう。
「まったく、これだから人間ってヤツは……!」
トロッコ問題という功利主義と義務論の対立を扱った倫理学上の問題が存在する。
線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。
この時、たまたまA氏は分岐器の直ぐ側にいた。A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業をしており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?
今回の場合、B氏に当たるメルド団長には生き残る術があるというのに、肝心の
しかも、このままでは
それを理解する優花が、判断の遅すぎる光輝に怒りを露わにするのも当然のことだろう。
「下がれぇ――!」
そして、遂にメルド団長の生き残る術が破壊されることになる。メルド団長の悲鳴じみた警告と同時に、何者にも破れない絶対の守りが破られた。
これで障壁を用いて安全に後退するという手段を取ることが不可能になった。王国最強の騎士であるメルドが命を賭して、生徒達が階段に撤退するまでの時間を稼ぐ以外の方法が無くなった。
「おっし! ここからは真打ち、この俺、南雲ハジメがお相手するぜ!」
トロッコを蹴り飛ばす、という荒唐無稽な
「なっ、南雲!?」
「ったく、人の知り合いに手を出して、タダで済むと思ったら、大間違いだからな!」
驚く一同の前では、ハジメが片手でベヒモスの動きを抑え込んでいた。
「グルァアアアアアアッ!?」
矮小な人間如きに完全に動きを止められたという事実にベヒモスは驚愕の雄叫びを上げる。
苛立つように地を踏み鳴らすものの、一歩たりとも押し込むことができない。
「魔法型定義――光学魔法”レーザー”。該当モジュールをインポート」
目を閉じて、ハジメが詠唱するのは呪文だ。文字通りの意味での呪文。
この世界の住民の誰しもが、聞いたこともなければ、理解することすら出来ない呪文。
「コールバック――魔法”クロスファイア・レーザー”」
メルド団長は周囲に漂う異様な雰囲気に息を呑む。
呪文は続く。言葉が紡がれる度に、空中に光の線が描画される。
それは、三角形を幾つも重ねた奇妙な図形だ。
「グルゥアアア!!」
このままではまずい、と本能的に感じ取ったのだろう。
錯乱したように雄叫びを上げたベヒモスは、キィ――という甲高い音を立てながら頭の角を赤熱化させ、目の前の化け物から逃れようと渾身の力で大暴れする。
頭部の兜全体が溶岩のように燃え滾り、しかし、それでもハジメから逃れることはできない。
何せ、頭部の兜を掴むハジメは「あっついなー」くらいにしか感じていないのだから。
「アクターゼロから11をスポーン。サブプロセス、ケージ作成」
そして、遂にハジメの魔法が完成した。
「おらっ!」
「ギャンッ!?」
ベヒモスの顎を蹴り上げる。重力に逆らうように、その巨体が空中に打ち上げられた。
空中に浮かぶ光の檻に閉じ込められたベヒモスを取り囲むように、光の線が描き出した図形がその正体を露わにした。
それは砲身。正十二面体となるように、12の光の砲台が空中に設置された。
「グォッ!? グ、グルァアアアッ!!」
ベヒモスは光の檻を破壊しようと猛り狂うが、その程度で傷を付けられるような拘束ではない。
まるで太陽が地上に降りてきたような、猛烈な閃光が周囲を真っ白に染め上げる。
遅れてやってくるのは、もはや音ではなく、衝撃に等しい轟音だ。
恵里の展開した影の領域を照らすそれは、地の底に具現した蒼い太陽そのものだった。
そして、その太陽に覆われたベヒモスは血の一滴も残さず完全に蒸発した。
「こ、これが南雲の本気……?」
最も呆然としていたのは光輝だった。光輝にとって、南雲ハジメという人間は素行不良のダメ人間以外の何者でもなく、他の生徒達が参加していた訓練をサボったサボり魔でしかない。
そのハジメが、勇者である自分にも到底不可能な所業を易易とこなしたことは、光輝には信じ難いことであり、認め難いことでもあった。
「ふっ、他愛もないぜ!」
消え行く光の球体を背に、悪童のように笑いながらVサイン。
その姿にメルドは、この世界の神話に語られる数々の英雄の姿を幻視した。
その中でも、彼が思い出したのは建国神話に謳われる英雄。
建国王シャルム・バーンを導いた、救世の勇者ラインハルト・アシエ。
「
「え? メルド、さん……」
そして、その言葉に光輝はショックを受けてしまう。
どうして”勇者”の天職を持つ自分ではなく、あの男のことを救世の勇者なんて呼ぶのか……と。
胸の内に、ドロドロとした黒い感情が湧き上がるのを光輝は感じていた。