七大迷宮の一つ、オルクス大迷宮。
その奈落の底を流れる川岸に、ふわりと舞う羽のように、四つの人影が降り立った。
辺りにはザァーと水の流れる音が響いており、水飛沫を帯びた冷たい微風が彼等の頬を撫でる。
「ふいー、到着到着。しかし、随分と地下深くまで降りたものじゃのう」
「ふむ、これはひょっとすると最下層まであと少しかもしれぬぞ」
「そうね。体感的には上に続く階段と同じくらい落ちたもの。相当下の階のはずよ」
「……うーん、本当にあと少しなのかなー」
周りは薄暗いが緑光石の発光のお陰で何も見えないほどではない。
そもそも存在自体が闇属性の魔王と不死女王が暗闇を苦とするはずもなく、残りの二人も暗視の魔法くらいは普通に習得している。
流石に、地上と同じようにとまでは行かないが、普通に行動する分には何の障害にもならない。
「何よ、不吉なことを言わないでくれる?」
「でもさー、こんなに簡単に最下層まで行けるのかな、って。それに、この迷宮って最下層が百階層らしいじゃん。表の百階層をクリアした後に裏の百階層っていうのはお約束の一つだし」
「うーむ、貴様の言わんとすることもわからなくはないが……いや、それでは余の思考レベルがヤリチンと同レベルのようではないか。まずい、これは非常にまずい傾向だぞ」
「え。今更じゃろ?」
キョトンとした表情でこれ以上無いほどの正論を述べる龍太郎。
問題は、その同類の中に自分が入ってない、と本気で思っていることである。
「「一緒にするな!」」
「ぬわっ!? 何をするのじゃ!」
二人して声を張り上げると、割と本気の光学魔法と闇の斬撃を繰り出す。
邪神の使徒にも相応のダメージが入るだろう勇者と魔王の同時攻撃を紙一重で回避する龍太郎。
攻撃する側、される側、どちらも人智を超えた超人である。
しかし、理由が余りにもしょうもない。
「……でも、かなり下の階層に降りたことは間違いないわ」
上層から見下ろした奈落のように、先を見通すことの出来ない常闇の天井を見上げる恵里。
この階層に到るまで、相当の距離を降下した認識が彼女には存在していた。目の前に流れる川こそが、彼女の認識を裏付ける何よりもの証拠である。
落下途中の崖の壁には穴が空いており、そこからは鉄砲水の如く水が噴出していた。
そうした無数の滝が落下距離を図る目安となり、恵里はかなり正確に落下距離を把握していた。
「うむ、確かにかなりのショートカットができたのは間違いあるまい」
「ま、何にせよ、最下層を目指すのは変わらないわけだしさ。早く迷宮攻略に行こうぜ」
どの階層にいるのかはわからないが迷宮の中であるのは間違いない以上、どこに魔物が潜んでいてもおかしくない。と言うのに、この4人は余りにも気楽な様子で、迷宮の奥へと続く巨大な通路に歩みを進めるのであった。
4人の進む通路は正しく自然の洞窟といった風情の場所だった。
上層の整備された四角い通路ではなく岩や壁が迫り出した二十階層の最後の部屋のような通路。
但し、その大きさは比較にならない。
通路自体が複雑にうねり障害物だらけでも通路の縦横の幅は優に二十メートルはある。
狭い所でも十メートルはあるのだから相当の大きさだ。足場が悪く歩き難い上に、隠れる場所も豊富にあるため、魔物からの不意打ちを警戒して慎重に行動する必要がある。
「グルゥア!!」
丁度、目の前にいる狼のように岩陰から突然魔物が飛び出してくることもあるのだから。
その狼は大型犬くらいの大きさで尻尾が二本あり、美しい白い毛並みを台無しにするように赤黒い線が幾本も体に走り、ドクンドクンと心臓のように脈打っている。
獣の唸り声と共に飛び出してきた二尾狼は、雷光を纏いながら龍太郎の首筋に喰らいつく。
ガキンッ!
だが、その牙が龍太郎の皮膚を貫くことはなかった。まるで竜種の堅殻に歯を立てたように二尾狼の牙は皮膚を前に動きを止めた。それどころか牙の方が圧し折れるほどである。
ヒョイ、と甘咬みしてきた小動物の首筋を摘み上げた龍太郎は、その正体が狼であると確認すると残念そうに溜息をついた。そのまま、ふぅ~と息と共に炎を吐き出すと、黒焦げになった二尾狼をポイと捨てる。
「狼の肉は臭味があって食べられたものではないからのう……いらぬのじゃ」
当たり前のようにこの階層の魔物を討伐している龍太郎であるが、深層域、六十五階層の遥か下に位置するこの階層の魔物は、上層の魔物とは比較にならないほどの強大な力を持つ。
それこそ生徒達が散々苦労したトラウムソルジャーなど十把一絡げに片付けることができる。単体性能こそ階層主であるベヒモスに劣るものの、突進以外の攻撃方法の存在しないベヒモスより余程強い魔物ばかりである。
全員がチート持ちの生徒達の中でも上澄みに当たる一部の者だけが、死力を振り絞りようやく討伐することができるのが深層域の魔物である。
しかも、それもこの階層に無数に生息している魔物の一体に過ぎないのだから、この階層が如何に危険地帯であるかわかることだろう。少なくとも、この世界に召喚されたばかりの生徒達が来ていいような場所ではない。
だが、この4人にとっては上層の魔物も深層の魔物も何一つとして変わらないものだった。
「キュウ!」
「おお、ウサギではないか! ビール煮込みにすると味わい深い最高のジビエであるぞ!」
「クリームシチューもいいぞい! 今日は夕食に困らぬのう!」
康介がウサギと称した魔物は確かに見た目はウサギそのものだ。白い毛並みに真っ赤な目、頭の上の長い耳と一般的なウサギのイメージそのものである。
但し、二尾狼と同じように赤黒い線がまるで血管のように幾本も体を走っている。大きさも中型犬くらいあり、後ろ足がやたらと発達している。その大きく逞しい足にこそ注目した康介は、龍太郎と共にヨダレを垂らす。
「……でも、この世界の魔物の肉は食べることができないのよね」
「そーなんだよなー」
「というわけで、ヤリチン、やっておしまいなさい!」
「まあ、それしかないよなあ……りょーかーい。簡易魔法展開、クロスファイア・レーザー」
「「あーっ! ウサギ肉ーーッ!!!」」
悲鳴を上げる康介と龍太郎。二人の視線の先には塵一つ残さず消滅するウサギの姿があった。
光の中に消えたウサギに手を伸ばし、絶望のあまり膝をつく様子からは、彼等二人の受けた精神的ダメージの大きさを窺い知ることができるだろう。
或いは、邪神の攻撃を受けた時ですら、これほどのダメージは受けていないかもしれない。
極上のジビエとなる肉を粗末に扱うというのは、それほどまでの精神的苦痛を彼等二人――否、四人に与えていた。
「グゥルアア!!」
「――っ、なんということだ! 今度はモツ鍋とは……入れ食いではないか!」
「熊の手も食い出がありそうで最高のツマミじゃな!」
二人の悲鳴を聞きつけたのだろう。今度は二メートルがあるだろう巨躯の熊が姿を現した。
食い出がある、等という評価を龍太郎に受けた熊の腕は足元まで伸びており、その先には三十センチはありそうな鋭い爪が三本も生えている。
その熊はこの階層に於いて最強の魔物だ。先程の二尾狼とウサギは数多く生息するものの、この熊に関しては一頭しか存在しない。故に、この階層では最強にして無敵の存在だった。
それを理解している他の魔物はこの熊と遭遇しないよう細心の注意を払う上に、仮に遭遇した場合は一目散に逃走を選ぶ。
だからこそ、目の前の生き物が向ける眼差しの正体に直ぐには気付くことができなかった。
「今日の晩御飯は洞窟熊じゃ!」
今日の晩御飯はサンマよ、みたいなノリで頭のおかしい台詞を口にする龍太郎。
舌舐めずりをする彼の姿を見て、ようやく熊は視線の正体に気が付いた。
目の前の生き物が、己に向けているギラつく眼差しは、敵意とか殺意とかそういうわかりやすいものではなく……普段、自分自身が他の生き物に向けるそれと同質のものであることに。
ゾワリ、と今までに感じたことのない悪寒が全身を駆け巡る。
無意識の内に、階層主にあるまじき”後退”を行った。食物連鎖の頂点に立つ存在が決して向けられることのない眼差し――捕食者からのそれに言い様のない恐怖心が身を侵す。
恐怖心のままに熊は自分でも驚くほど俊敏に身を翻した。階層主としての矜持などその辺りに投げ捨てて、ひたすら逃走のために全力を注ぎ込む。
「っ、待て、モツ鍋ぇ! 逃げるのではない!」
「その熊の手を置いていくのじゃー!!」
「貴方達が待ちなさい!!」
「「うぎゃーーーーー!!!」」
逃げ出した熊を追いかけようとした馬鹿二人の後頭部にアイアンクローが炸裂する。
「いい加減に学びなさい! この世界の魔物は、食べられない、の!!」
「うぐ……そ、そうであった。ついつい、ツマミを前にすると我を忘れてしまう」
「……何故じゃ。何故、この世界の魔物は食えぬのじゃ」
アイアンクローから解放された二人が涙目で頭を抱えていたのは、きっと、恵里のアイアンクローによるダメージばかりが原因ではないだろう。
それから30分もしない内に、彼等は次の階層へ降りるための階段を発見することになる。
それまで彼等四人が魔物と遭遇することはなかった。何せ、自分達を一方的に捕食できる階層主すら逃げ出すほどの化け物である。誰だって晩御飯にはなりたくない。
この日からトラブルメーカーズの四人は、この世界の常識では有り得ないほどの速度で迷宮を攻略していくことになる。