「……え? もう百階層まで降りたというの?」
ハイリヒ王国王宮内、生徒達に与えられた部屋の一室で、八重樫雫は、あまりに信じ難い報告を受けたことで困惑の表情を浮かべていた。
あの日、迷宮で
宿場町ホルアドで一泊した翌日、一行は、早朝には高速馬車で王都に向け出発した。
死という恐怖を身近に感じたことで生徒達は立ち上がる気力を失ってしまい、迷宮内で実戦訓練を続行できる雰囲気ではなくなったことがその理由である。
王国側としては、勇者一行の心が折れるというのは看過することのできない事態である。致命的な障害が発生する前に、勇者一行のケアが必要であると判断されたのだ。
『あー、正確には次の階層で百階層目だけど……まあ、俺達四人が揃えばこんなもんだよ』
「あの石橋からもう三十五階層も降りたなんて……」
『んー? いや、石橋の下に飛び降りてから百階層になるところなんだけど……』
「……………………え?」
予想外の言葉に、雫はポカンとしてしまう。
王宮に居るはずの雫が迷宮攻略中のトラブルメーカーズと連絡を取れるのには理由がある。
トラブルメーカーズの四人は前世に取った杵柄で”念話”という魔法を使用できる。この魔法はその名の通り、遠距離での意思伝達を可能とする効果を持っている。
事前に、四人がオルクス大迷宮の攻略に向かうことを聞いていた雫は、最初こそ四人の生存報告に頬を緩ませたものの、世間話感覚で話された情報密度の濃さにオーバーヒートしそうだった。
石橋の下に飛び降りる? 次の階層で百階層目? え、意味が分からない。と思考が停止する。
『この世界の魔物の肉って食べられないじゃん?』
「え、ええ、そうね。座学の時間に魔物の肉は猛毒と聞いているわ」
『そーそー。そのせいで迷宮を攻略するモチベーションが上がらなくて、さっさと攻略しようってことになったわけだけど……思ったより迷宮がデカいせいでここまで四日もかかってさ』
「四日も……」
『多分、今日明日の内に帰れるだろうからさ! また後で!』
プツンと糸が切れるような音と共に愛しい人との繋がりが途切れたのを感じた雫は、無意識の内に首にぶら下げたペンダントを指で弄ぶ。
この世界に来てから数日の内に「お守り」としてハジメからプレゼントされたものである。
雫は「お守り」としか聞いてないが、その正体は、
そうしている間に冷静さを取り戻した雫は、直前までの
「……あの四人、迷宮攻略RTAでもしてるのかしら?」
そう、呆れ顔で口にするのだった。
その階層は、無数の巨大な柱に支えられた広大な空間だった。
規則正しく一定間隔で並んでいる柱の一本一本が直径五メートルはあり、一つ一つに螺旋模様と樹の蔦が巻き付いたような彫刻が施されている。
天井まで三十メートルはあるだろう。地面も荒れたところはなく平らで綺麗なものである。
聖教教会の大神殿――或いは、それ以上に荘厳さを感じさせる空間だった。
……が、その程度の光景で尻込みするようなトラブルメーカーズの四人ではなく。
問題児達はその空間へと無造作に足を踏み入れる。すると、一番手前に位置する二本の柱が淡く光を纏う。そのまま柱はトラブルメーカーズの四人を起点に奥の方へ順次輝いていく。
「うおー! うおー! まさにラスボスって感じの演出じゃん! すっげー!!」
「黒い風が、また泣き始めた……とか言いたくなるような演出であるな!」
等と元勇者と厨二病が歓喜の声を上げながら、奥に向けて発光していく柱を追いかけていく。
そうして二百メートルも進んだ頃、前方に行き止まりを見つけた。
否、行き止まりではない。全長十メートルはある巨大な両開きの扉が道を塞いでいた。
その扉には、柱同様に美しい彫刻が施されている。特に、七角形の各頂点に描かれた何らかの紋様が印象的だ。
「……これはまた凄いわね。もしかして……」
「最下層かのう? だとすれば、ようやく生き地獄が終わるのじゃが……」
この階層に辿り着くまでに、もはや数え切れないほどの苦虫を噛み潰してきた。
目の前に処理すれば極上のジビエになるはずの肉があるというのに、その肉の全てが人間に致命的な猛毒を含むせいで廃棄処分にするしかない。
その事実は、トラブルメーカーズの四人に血反吐を吐くほどの精神的苦痛を与えてきた。
しかし、それもこの階層を踏破することで終わるかもしれない。希望に満ちた表情をした四人が扉の前に行こうと最後の柱の間を越えた、その瞬間……
扉と四人の間三十メートル程の空間に巨大な魔法陣が現れた。赤黒い光を放ち、脈打つようにドクンドクンと音を響かせる。
四人は、その魔法陣に見覚えがあった。あの日、檜山大介の愚行が原因で飛ばされた石橋で、自分達を挟み撃ちにするように魔物を召喚してきたトラップと同じものだ。
だが、ベヒモスの魔法陣が直径十メートル程だったのに対して、眼前の魔法陣は三倍の大きさがある上に構築された式もより複雑で精緻なものとなっている。
「来たー! これは間違いなくラスボスだって!」
「ふぅん……つまり、これが最後の戦いというわけね。やる気が湧いてきたわ!」
魔法陣はより一層輝くと遂に弾けるように光を放った。咄嗟に腕をかざし、目を潰されないようにする四人。光が収まった時、そこに現れたのは……
「「「「「「クルゥァァアアン!!」」」」」」
体長三十メートル、それぞれ色違いの紋様が額に刻まれた六つの頭と長い首、鋭い牙と赤黒い目の化け物。たとえるならば、神話の怪物――ヒュドラだった。
不思議な音色の絶叫を上げながら自分達を射抜く六対の眼光に、ハジメは意を決して、この場に相応しい決め台詞を出そうとして――
「蒲焼きだ……」
「「「「「「クルゥアン!?」」」」」」
……本音が漏れた。
ヒュドラ、どんな料理にしても美味しく食べることのできる至高の万能食材。
この世界の魔物の肉が食べられないことは理解している。しているが……
酒のツマミ! 想像せずにはいられないッ!!
もちろん、ボンクラ勇者がそう思うのであれば、その仲間は……
「蒲焼きよ! 蒲焼きが出たわ! 康介、準備はいい!」
「ふっ、血抜きは任せるがいい、不死女王よ。さあ、活き締めは任せたぞ!」
「「「「「「クル、クルルルッ……!?」」」」」」
スパーン、と恵里の飛び蹴りが六つの首の根本に襲いかかる。
哀れ、七つ目の銀色に輝く紋様を刻んだ頭は、姿を表すことすらなく首を飛ばされて、残りの六つの頭も断末魔を上げることすら出来ずに崩れ落ちた。
そこを抜群のコンビネーションで、康介が徒手空拳で皮を剥き、見事な血抜きの技を見せる。
後は、火加減の達人である龍太郎がこんがりと焼き上げるだけであるのだが……
「龍太郎、ちょっと手伝いなさいよ! 今から蒲焼きにするんだから!」
「でも、食えぬじゃろ?」
「「「あ」」」
唯一、正気を保っていた龍太郎の精神分析(致命傷)で残りの三人は正気を取り戻す。
同時に、心の底からの絶望を露わにして地につきそうなほどに肩を落とした。
「……そうだったわ。この私としたことが、こんな醜態を晒してしまうなんて……」
「はぁ……本当に何故、この世界の魔物は食べることが出来ぬのだ」
「あー、すっげー食いたい……けど、死んじゃうからなあ……」
ヒュドラ改め万能食材に失意の眼差しを向ける四人。
本当に、どうしてこの世界の魔物は食べることが出来ないのだろうか。
邪神以上に世の理不尽を恨む勇者一行だった。