仮面武闘演戟 カラー・オブ・ザ・ブラッド 作:水ようかん -Mzyukn-
立香は、無防備に静かに眠るバーヴァン・シーを視界に映すこと(剰え傍にいるというだけのことでさえ)が邪であるような気さえし始め、思わず厠に行って閉じ籠もった。
このまま便座の蓋の上で、バーヴァン・シーが
半開きになっていた扉が空調によって勝手に開いたのだろうか、と思いノブに手を伸ばすと、そこには、無言でこちらを見下ろす椎名が立っていた(恥ずべきことに、彼はこれまで彼女の存在をすっかり失念していた)(ただ忘れていたというわけではなく、急に行われたバーヴァン・シーの吸血行為が彼の平静をすっかり奪っていたからである)。
「……椎名さん?」
椎名は立香の呼びかけには答えず、そのまま中に入ってきて、後ろ手に鍵を掛けた。
彼女の意図が読み取れず、思わず身構える立香。が、そんな彼の警戒を
「あの吸血鬼が再起不能なら、あのドライバーをわたしに譲ってくれないかしら」
と。
彼女は続けて言う。
「それが無理なら、あいつが全快した後、あいつとの契約とやらをこっちに移譲してくれてもいい。そういう関係なんでしょ、あんたら?」
椎名の言う通り、立香とバーヴァン・シーはあくまで
「それはできない」
立香は否と即答した。
あくまでもそれは「本来」の話であり、少なくとも立香は、彼らサーヴァントを、共に過酷な旅路を行く一蓮托生の仲間だと捉えていた。であるのならば、どうして自らの仲間を売るような真似ができようか。故に発せられた寸分置かぬ否であり、そこに如何なる交渉も懐柔も立ち入る余地はなかった。それは彼が生涯誇るような英断ではなく、ア・プリオリな格率の発露でしかなかった。
立香の返答に、椎名は少しだけ面食らったように眉を顰めた。
「どうして? 別に無期限で譲渡しろって言ってるわけじゃない、役割分担をしましょうと言ってるの。負担を分散させれば、それだけお互いに動きやすくなるでしょ? ……それともまさか、『あいつは俺のものだ』だなんて臭い台詞を吐くつもり?」
立香にとっては自明の理であろうと、他人である椎名にとっても同じことが言えるというわけではない。
椎名は、立香の肩から胸、腹へとなぞるように指を這わせ、不敵に笑んだ。
立香のバーヴァン・シーに対する思い(勿論金時やXXや他のサーヴァントに対しても)は、所有欲や独占欲といった支配的なものではない。形式上は主従の関係を結んではいるが、彼にしてみれば対等な関係、どころか崇敬すべき
「皆は物じゃない。同じ目的の為に力を合わせる、仲間だよ」
「ふぅん……」
椎名は余裕のある笑みを崩さないまま、ゆっくりと立香に顔を近付けた。カラーコンタクトによるものだろうか、群青の瞳孔が立香の心底をも見透かすように妖しく煌めいていた。
「――別にあんたにメリットがないわけじゃないんだけど……」
そう言って椎名は、立香のシャツの裾を捲り上げ、その細い指で直接肌を撫で始める。
「……へぇ。見た目には分からなかったけど、結構鍛えてんじゃん」
感心したように漏らした息は、そのまま緩やかに立香の前髪を揺らした。
便座の蓋の上で、椎名に迫られている立香は、
「別に今すぐ返事しろってつもりはないの。気が向いたらでいい」
なんと言われようが、立香の意志は揺るがない。しかしそれが彼女には伝わっていないのか、薄暗い電灯の下、椎名の身体が艶めかしく光を反射しながら距離を詰めてきていた。
シャツの下で依然として立香の腹部を撫でていた指は、つつ、と肌をなぞりながら背中へと回され、手を回された肩と背中から抱き寄せるように、椎名は更に接近する。
互いの顔が触れそうなほど近付き、椎名のショートボブの髪からは
「……だからこれは、その前払いみたいなもの」
そう囁いて、椎名は薄桃色の唇をゆっくりと立香に――。
「――何やってんだよ、お前」
互いの唇が触れ合うまであと数センチ、というところで、いつの間にか歩けるまでに恢復していたバーヴァン・シーが扉を開け放った。
予期していなかったであろう突然の闖入者に、椎名は舌打ちをした。
「……別に。余計な邪魔が入らなければ、今頃こいつと
バーヴァン・シーに対して怯えるでもなく悪びれるでもなく(今までの態度からは当然の反応ではあるが)、椎名は
「失せろ、尻軽女」
「はいはい、ジェラシー抱かせてごめんなさーい」
すっ、と立香から離れた椎名は、踵を返してそのままバーヴァン・シーの傍を通り抜け寝室へ戻っていった。バーヴァン・シーは横目でそれを見送り、立香に向き直った。
「お前もお前だよ、その気がないなら抵抗すればいいのに」
「いやぁ、ちょっとびっくりしちゃって。それより身体の調子は?」
「まだちょっとふらつくけど、お蔭様である程度は」
「そう、よかった。ところで、鍵が掛かってたはずだけど、どうやって開けたの?」
「腕だけ霊体化した」
「なるほどね」
狭い室内で何をするでもなく二人留まっている光景は、傍から見れば異様に映っただろうが、立香にとっては、バーヴァン・シーが扉の前を塞ぐようにして立っているので、出ようにも出られない状況だった。先程の椎名のように、通ろうとすれば道を空けてはくれそうなものだったが。しかしどうやら何かしら言いたげなバーヴァン・シーに気付いていた立香は、ただ座して彼女が行為または
バーヴァン・シーは暫く躊躇う様子を見せていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「……立香、さっきの、私が止めなかったらどうしてたワケ?」
投げかけられた彼女の言葉に、詰問や糾弾といった意図は感じられなかった。ただ純粋な好奇心によるものか、或いは、あのまま放置していれば一線を越えていたであろう立香を案じているのか、そこまでは彼にも推し量ることはできなかった。別段、しおらしいなどといった彼女らしからぬ様子が見られたわけではないが、普段の彼女に比べれば、やや大人しい、というのが立香の受けた印象だった。
「別にあれに関しては断る理由もないし、そうすることで円滑な関係が保てるなら、流れに身を任せるべきでしょ。変な軋轢を残すくらいならね」
だから立香は、普段通りに、あるがまま取り繕わない言葉を彼女に返した。
だが、そんなある種天衣無縫とも呼べる立香の態度が、バーヴァン・シーにとって思うところがあったのだろうか。首を突っ込んで追及されるという立香の予想に反して、彼女は苦虫を噛み潰したように眉間に皺を寄せていた。
「――ッ、お前」
立香としては、彼女を宥める、もしくは逆に煽るといった意図があったわけではなく、そもそも言外の意味があるわけでもなかった。故に、打算の含まれた
そんな立香が二の句を迷っていると、時機を見計らったかのように、金時とXXが帰還した。
互いがそれ以上の言葉を交わすことはなく、どうやらめぼしい収穫のなかったらしい二人を出迎える。
二人の報告を聞いている間も、バーヴァン・シーに特段目立つ様子はなかったが、立香の中では、何かが喉奥につかえたような違和感だけがずっと残っていた。
どうして毎回想定の2、3倍の字数になるんですか?