※この作品はR-18です。

仮面武闘演戟 カラー・オブ・ザ・ブラッド   作:水ようかん -Mzyukn-

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5. 涅の道行 後編

 

 あのスピットという存在の仕組みがどうであれ、目下の問題は、どうにかあれを排除して、負傷した立香を安全に手当できる状況を作らねばならないということだ。

「…………」

 バーヴァン・シーは足元に転がり燻(くすぶ)る石膏の破片を一瞥した。

 かつん、と踵(ヒール)で地面を叩き、呼応して暗紅色の棘が複数飛び出す。多方面から磔のようにして彼女の目の前にその破片が持ち上げられた。

(――やってみる価値はあるか――)

 バーヴァン・シーは手に華美な意匠の槌と楔を現出させ、破片に向けて構える。

「――『幻哭の痛奏(フェッチ・フェイルノート)』」

 唱えると共に、楔を破片に打ち込んだ。

 次の瞬間、蒼炎のスピットの内側から、無数の棘が茨のように炸裂し、その全身を貫いた。深紅の荊(けい)棘(きょく)が溢れ乱立するその様は、さながら彼岸花の咲(しょう)開(かい)だった。

 バーヴァン・シー本来の宝具を受けたスピットは、その外殻とも呼ぶべき石膏を全て粉砕され飛散されていた。

 宝具『幻哭の痛奏(フェッチ・フェイルノート)』は、対象の一部を呪うことにより、その本体にも影響を与える、謂(い)うなれば丑の刻参りのようなものだ。これによりドライバーとその力では為しえなかった、蒼炎のスピットの破壊が成るかもしれなかった。というのも、外部からの物理的な攻撃ではさほど効果は得られなくとも、内部から発生した斥力によれば、炉心の如き炎自体は無理であるにしても、鎧のような石膏部を全て破壊できるかもしれなかったからだ。

 果たしてこの試みは、バーヴァン・シーにとって一か八かの丁半博打であったが、どうやら功を奏したらしかった。

 露出された内部の蒼い炎は、明確な形という器を失ったことによるものか、徐々にその熾(し)盛(せい)を弱め、やがて一際大きな耀(かがや)きを放ったかと思うと、雲散霧消して虚空へと吸い込まれていった。

 

 残るその他のスピットも、宝具を要することさえなく、バーヴァン・シーによって(金時とXXの援護のお蔭か)比較的容易に駆逐され、一同は迫り来る脅威を排除し終えた。

 だが、緊張の糸が緩むことは依然としてなく、立香の背中の火傷と裂傷を手当しなければならなかった。

 幸いなことに、傷自体はさして深刻なものではなく、彼の身体に突き刺さった幾つかの破片は、皮膚や肉を抉りはしたものの、体内の内臓にまで達しているものはなかった。かといって放置していても自然治癒するということはないので、当分の間は俯(うつぶ)せでの睡眠を強いられるだろうが。

 一通りの処置を終え、皆が漸く胸を撫で下ろしたが、深紅の少女、バーヴァン・シーだけは、腹に据えかねる思いを抱えているようだった。

「バーヴァン・シーもありがとう。心配かけたね」

「――そういうのはいいんだよ、立香」

 平時のそれとは異なる態度のバーヴァン・シーに、立香は小首を傾げた。

「なんでこのクソ女を庇ったの?」

「なんでって……『助けなきゃ』と思ったから、いや、そもそも人を助けるのに理由なんて要らないでしょ」

 この時立香には、何故至極当然の事を訊かれているのか、まだ分かっていなかった。だから取り繕わず、ただ自己に在る内的命令を表明した。その在り様が、余計に火に油を注ぐ言動だとも気付かずに。

「お前は何しにここに来たんだよ。わざわざこんなザコに命をくれてやる為じゃねぇだろ」

 椎名が「ザコ」との謂(いい)に何か反論しようとするが、バーヴァン・シーはこれを制した。

「ここのヤツらはこの特異点を修正したらどうなる? そのまま幸せな人生を送ってめでたしめでたしだとホントに思ってる? だとしたら筋金入りのバカね。お前だって分かってんだろ」

「それは……」

 これまで幾つもの特異点を修(丶)正(丶)し、六つの異聞帯を切(丶)除(丶)してきた立香にとって、それは痛恨の言葉だった。特異点であれ、異聞帯であれ、立香達カルデアの手が加えられたものは、例外なく消滅している。消えて、滅んでいる。あるものは緩やかな静寂と共に、あるものは苛烈な戦火に巻き込まれて、またあるものは、眩い解放の光に包まれて。カルデアは捻れ歪んだ物語に改稿を施すが、その頁の外にまでは介入しない。それは越(えっ)俎(そ)代(だい)庖(ほう)だとかそういう問題の話ではなく、特異点や異聞帯の住人にとって、彼らの結末は彼らだけのものであるが故に、カルデアはこれを侵さないのである。

「『それは』何? 目の前で困ってる人間を放っておけないから? ……目的と手段を間違えんなよウジ虫。私達は、人理を救う為にここへ来た。ウジャウジャ這いずり回るザコ共にいちいち拘(かかず)らう為じゃない」

 立香は気付いていた。彼女は立香の擲(てき)身(しん)そのものを責め立てているのではない。擲身の無意味さを説いているのだ。

 立香達がこの特異点を修正、つまり消滅させようとしている限り、それが達成されれば遅かれ早かれ椎名や他の人々は同じように消えてなくなるのだ。ならば、今目の前の命を救うことができたとして、結局は特異点の消滅と共に泡沫の如く散りゆく運命なら、それはただの延命措置に過ぎないだろう。いや、むしろ、遠からず為される自らの行いによって失われることを知っていながら手を伸ばすのなら、それは天(てん)佑(ゆう)気取りの欺瞞であり、魂の殺人も同義ではないか。

 しかし理性がこれを是としていても、本能が声高に否を叫んでいた。

「それでも、俺は、手が届くのに伸ばさなかったら、一生後悔すると――」

「それがバカだって言ってんだよ! お前は今まで何してきたワケ? 私達とお母様の妖精國(くに)にそうしたように、最後に全部ブッ壊して全員ブッ殺してここまで来たんだろうが。その重圧と責任から自分を慰めてんのか知らねぇけど、オナニーも大概にしろよ。それでもケツ拭かされる私達を無視して下らねぇ偽善を続けるっていうなら、お前はもうただの自己満足(ジコマン)の増上慢だよ」

 思わず立香は閉口した。急に声を荒らげたバーヴァン・シーに面食らったというのもあるが、それ以前に、ロシア異聞帯で決めたはずの覚悟を改めて叩きつけられ、動揺したのだ。そしてそんな立香の内心のどよめきなど知る由もなく、バーヴァン・シーは続けて言い放つ。

「……お前といたら退屈が多少は紛れると思ってたのに、勘違いしちゃってバッカみたい、私。これじゃあこんなトコ来ない方がマシだったし、お前よくこんなク(丶)ソ(丶)崇(丶)高(丶)な(丶)使(丶)命(丶)続けてこられたわね。大体――」

「――そこら辺にしときなよ、クリムゾン・ガール」

 放っておけばいつまでも文句が出てきそうだったバーヴァン・シーを、堪えかねたように金時が掣(せい)肘(ちゅう)した。

「それ以上言うと、マスターの信念だけでなく、オレ達の意志にも矛を向けることになるぜ」

 語勢に滲む僅かな瞋(しん)恚(い)を感じ取ったのか、バーヴァン・シーがそれ以上何かを言うことはなかった。

 だが、バーヴァン・シーが立香と意見を異(こと)にしている事実に変わりはなかった。舌打ちを残し、彼女は踵を返して街の暗闇の中へ独り消えていく。

「…………」

 その背中を追おうと思えば追えた。怪我の痛みなど一切無視して、彼女の手を引くことはできた。しかし、バーヴァン・シーを引き留めることが本当に正しいのか、その疑念が頭の片隅にちらついたことによる逡(しゅん)巡(じゅん)が、彼の身体に白(はく)隙(げき)を孕ませていた。そしてそのあまりにも長い白隙が、ただ茫然と、彼女の背中を見つめさせていた。かつ、かつ、とバーヴァン・シーの靴(ヒール)が土瀝青(アスファルト)を叩く音が、いやに反響して立香の耳に木霊していた。

「マスターくん、止めないんですか?」

 XXが心配そうに眉根を寄せて尋ねる。立香はこれに沈黙で以て答えた。

 実際、立香にとっても彼女の言ったことは甚だ尤(もっと)もであった。

 自分自身には何の力もないのに、衝動に任せて己を一顧だにしない挺(てい)身(しん)に走ることは、結果その人を救うことができたとして(しかも暫時的な)、彼の援護や尻拭いに人員を割くことになる。それ自体には何ら問題はないのかもしれないが、もし彼らが苛烈な戦闘の最中であったならばどうだろう。立香の無茶な人命救助によってそれを援護させられるサーヴァントが、一瞬の隙や躊躇いが生死を分ける局面に置かれていたなら、そしてそのせいで致命の一撃を受けることになったのなら。それは間違いなく、立香の瑕(か)疵(し)となるだろう。

 瑕疵を恐れているわけではない。自らの瑕疵よりも、自らの危難よりも、立香は仲間(サーヴァント)が傷付くのを恐れていた。

 だからこそと言うべきか、立香は黙然と己の中で良心が鎌首を擡(もた)げるに任せていた。

 ここで永遠(とわ)にバーヴァン・シーと袂(たもと)を分かつことになるとしても、立香は令呪の行使を躊躇っただろう。自らの焦燥、未熟、そして欺瞞が、今のこの状況を作り上げたのだとしたら、無理矢理にでも彼女を従えようとすることは、彼女達がまさしく奴隷(サーヴァント)であると認める証左となり、その一時凌ぎの隷属によって除かれえぬ確執をすら生む可能性があったからだ。過去の聖杯戦争の魔術師(マスター)がどうだったかは知らない。だが、少なくとも立香は、それを頑なと言っていいほど拒絶していた。

 その拒絶の発露こそが、闇へと消え去るバーヴァン・シーの傍観であり、これを糾(ただ)そうとする者は、どうやらこの場にはいなかったのである。

 




 オッカムの剃刀? チェーホフの銃? ちょっと聞いたことないですね
 立香が椎名を庇ったの、風間の組長(オヤジ)なら死んでた
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