※この作品はR-18です。

仮面武闘演戟 カラー・オブ・ザ・ブラッド   作:水ようかん -Mzyukn-

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4. 梔子の褥 中編

 

 金時とXXが街に繰り出して、十数分が経過した。

 その間立香と椎名にやり取りはなく、室内ではバラードの有線放送とバーヴァン・シーの荒い息遣いだけが響いていた。

「…………おい」

 その沈黙を破ったのは、徐に目を開けたバーヴァン・シーだった。

「バーヴァン・シー。傷の調子はどう?」

「……いいワケねぇだろ、クソ……」

 意識が恢(かい)復(ふく)したということは、ある程度の霊基損傷は彼女自身の魔力によって補修されたということだろうか。だがどちらにせよ、バーヴァン・シー自身の魔力の総量は著しく消耗した状態であることに変わりはない。ドライバーによる治療の方法が見つからない限りは、一刻を争う状況から脱することはできないだろう。

「もう少し待ってて。今金時とXXが、スワロウを捜してドライバーで君の身体を治す方法を見つけてくるから」

 依然として、出払っている金時とXXから音沙汰はない。何らかのトラブルが発生すれば、携帯している通信機器か魔術礼装による連絡が来るようにしているので、心配は無用だとは思うが。

「……ドライバー? そんなモンに頼らなくても、お前が協力してくれれば、すぐにでも……」

 無理に身体を起こそうとするバーヴァン・シーを制止する。

「俺の? 何でも言ってくれ、どうすればいい?」

「……私が元はどういう存在か、知ってるだろ」

 彼女はそう言うと、立香の襟首を掴んで引き寄せた。

「……『紅い瞳のバーヴァン・シー。皆の嫌いな吸(丶)血(丶)妖(丶)精(丶)。行き場はとうに失って、忌み子は永久(とわ)に、独りきり』……」

 如何に深刻なダメージを負っているとはいっても、只の立香(にんげん)には抗しえないほど、彼女は蓋(けだ)しサーヴァントであった。

 襟首を掴まれ、彼女に覆い被さるようになった立香は、互いの顔がこれまでにないほど近付いているのを、否応なしに感じていた。整った鼻梁、自身が妖精たる証左である尖った耳、赤尖晶石(レッドスピネル)の瞳を湛える大きな吊り目、僅かに上がった口角から覗く細い牙。

 仮初の肉体を持つバーヴァン・シーに臓器としての心臓が存在しないのであれば、この鼓動はやはり、自分のものなのだろう。

 バーヴァン・シーが乱暴に立香の襟元をはだけさせた。

「……お前の血を、寄越せ」

 耳元でそう囁かれるや否や、自らの首筋に鋭い痛みが走った。

 ぐいと引き寄せられたせいで、立香にはバーヴァン・シーの耳と枕しか見えない。そんな中、首には熱い感覚と、彼女の舌が血を舐める温かな感覚が混在して訪れる。流れ込んだ血を嚥下する彼女の喉(のど)音(おと)が明瞭に聞こえ(或いは立香自身がそれを意識しすぎているせいか)、それがこれほどまでに身を緊張させるものなのか、と立香は思い知る。

 バーヴァン・シーの身体に触れぬよう、立香は必死に自らの身体を中空で支えていた。瞼を閉じ、暫く彼女が血を吸うのに任せていた。

 こく、こく、とバーヴァン・シーは喉を鳴らしている。

 立香はこれまでに、自らの血や肉体に価値を見出した者が、自らを欲し奪わんとする事態に幾度となく遭遇してきた。だが、彼女からしても、この血を甘露と言わしめる価値があるのだろうか。その答えが首肯であろうと、否であろうと、彼が自身の認識を改めることはないが、不味くなければいいと、今は何故かそう思った。

 彼女は時折吐息を漏らし、それが立香の首の神経をより過敏にさせる。どころか、そのうち彼女は、立香を求めるように腕を背中に回し始めた。これには流石に身体が強ばった。

 今の立香に自らを客観視できるほどの精神的余裕はないが、それは、閨(ねや)事(ごと)のようであっただろう。互いに睦(むつ)言(ごと)を要しない、逢瀬のようでさえあっただろう。

 バーヴァン・シーには(そして無論のこと立香にも)そ(丶)の(丶)つ(丶)も(丶)り(丶)がないのは、百も承知の自明であり、立香は「これはあくまでも魔力補給、治療行為の一環であり、疚(やま)しいことは何もない」と、心中で自らに何度もそう言い聞かせていた。

 こ(丶)う(丶)い(丶)う(丶)こ(丶)と(丶)をする時(いや実際はそうではないのだが)、「天井の染みを数えている間に終わる」という言葉をよく耳にするが、今の立香には、僅かに紅潮した彼女の耳と、柔らかな絹のような暗紅色の髪と、清潔な枕とシーツしか目にすることはできず、つまり天井を眺めるような体勢ではなく、結局、固く目を閉じる以外になしうることは何もなかった。しかし目を閉じれば、今度は暗闇の中、バーヴァン・シーが夢中で自分の血を貪る音と感覚が鋭敏に伝わり(彼としては甚だ不本意なことだが)、余計に身体を硬直させる破目になった。

 五感のうちどれかを封じれば、残る感覚器はより鋭く感覚を受容する、というのは今まで何度も聞いてきたことではあるが、よりにもよって今、それを痛感することになるとは、先刻までの彼は露ほども予想していなかったのだった。

 一体この細腕のどこにそれほどの膂(りょ)力(りょく)があるのか、バーヴァン・シーの立香を抱き寄せようとする力が、徐々に増していく。抵抗する意思を見せれば、緩められることはあるのだろうが、今の立香には、憔悴したバーヴァン・シーを拒むことはできなかった(断じて役得だなどと考えているつもりはない)。

 サーヴァントは汗をかかない。現実に存在する肉体を持たぬのだから、代謝や発汗といった生理現象とは無縁であるはずだが、中には、気分転換や生前の習慣などといった理由から、入浴・沐浴を続ける者は少なくない。バーヴァン・シーもその例に漏れぬのか(恐らくは前者の理由で)、殆ど立香の鼻に触れつつある深紅の絹(きぬ)髪(がみ)から、薔薇のような香りが仄かに鼻腔を擽(くすぐ)っていた。

 どれくらいの時間、二人がそうしていたのかは分からない。バーヴァン・シーから婀(あ)娜(だ)とした吐息が一際大きく漏れ、それが最後の合図であるかのように、彼女は漸く立香の首元から口を離した。血と唾液が混じって糸を引き、彼女の舌がそれを纏めて掬(すく)い取る。

 やや焦点の合わない深紅の瞳が、立香を真正面から見つめた。尋常の恋人同士であれば接吻を交えてもおかしくないほど長い時間、それは行われたように思えた。だが、全身を緊張させる立香とは対照的に、呆気なく、バーヴァン・シーは彼を解放して、再び眠りに落ちた。

「…………」

 立香は彼女を起こすことのないよう、慎重にベッドから離れ、枕元のティッシュを一枚手に取り、首に当てがった。暫くしてそれを離して見てみると、人間の口腔内における犬歯の間隔で、血が滲んでいた。

 バーヴァン・シーに目をやると、彼女は吸血以前に比べて、穏やかな息遣いをしていた。どうやら、血を与えたことによる効果はあったらしい。

 今にして思えば、吸血スキルの有無に拘わらず、サーヴァントにとっての人間(特にマスターたる立香)の血液というものは、緊急時における手軽な魔力補給(と言っては語弊があるかもしれないが)になりうるのだ。それでもやはり、応急処置の域は出ず、然るべき手段を取ることが推奨されてはいるのだが。しかし一介の魔術師未満の知識と技術しか持たぬ藤丸立香にとっては、その「然るべき手段」を実行に移すことが困難である、といった事態がしばしば起こりうる。そんな彼にしてみれば、自らの血を与えるという行為は、何もできず瀕死のサーヴァントが消えゆく様を、指を銜(くわ)えて眺める他ないという、謂(い)わば最悪の事態を回避する手段として、そして何より、自らを苛むであろう多大なる無力感からの防衛策として、福音にも等しい手立てであるように思えた。

 

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