■九.
静かな朝だった。
鉄の輪に通された鍵をもち、医師は獄門の塔に向かっていた。千日通ってきたこの塔までの道行も終わりになることを医師は知っていた。
王の穴はじきに死ぬ。
医師は、昨日、彼の息子にもそう伝えていた。
鉄鋲を打った扉の前に涼しげな若人が医師を待って立っていた。いずれは執政官職の経験を経て、帝国の皇帝になることが決まっている若い皇子だった。
「皇子」
「おはよう」
医師は皇子がここにいる目的に気がついていた。待っていた皇子は医師が近寄ると獄門の塔の扉を軽く叩いた。継嗣の皇子は医師の長子と同年で、学問所も初歩兵役も同じときいていた。
「見せてくれ」
皇子は医師に求めた。
「塔の中に父上の女奴隷がいるのだろう。見せてくれ」
亡くなった前帝の『王の穴』を見せろというのだった。皇子は塔の扉の前に立ち塞がって医師を正面から見つめた。高貴な生まれの品格を漂わせ皇子は医師にゆっくりと云った。
「父上の皇妃たちが塔の中の女奴隷への折檻に夢中になっているようだ。毎日酷いことをしているときいた。父帝が亡くなったのだから、すぐに殉死させるべきだと云ったのだが、あのものたちは皇帝が急逝したのは王の穴のせいだ、亡くなった皇帝は生前この女奴隷の処分を皇妃たちにお任せになったのだと云い張って、わたしの言葉を聞き入れないのだ」
医師は皇子を眺めた。今はまだ母親の皇后に似て彼の息子よりも線が細いところが残っているが、彼の息子にはない底知れぬ性格や、過激さや強靭さを人知れず内に秘めているようにみえた。
「皇妃たちは先々帝の女奴隷にできなかったことを父上の穴にしてやるのだと息巻いていた。苦しませずに、もう死なせてやれないか」
「前皇帝の奴隷です」
医師は丁寧なしぐさで、皇子を扉の前から退けた。
「王の穴にされたものは、皇帝以外には殺せません。皇帝が死ねば共に殺されます」
「だからといって、いたずらに責め苦を与えるのはどうなのか」
皇子は諦めずに言い募った。
「わたしはこういうことは嫌いだ」
意外にも、医師はあっさり塔の鍵を皇子に渡してくれた。昨日同じこの鍵を医師は彼の息子に渡していた。
「王の穴は本日中に死にます」
医師は告げた。
「ご覧になれるのは、これが最後です。皇子はよろしい時を選ばれました」
「死ぬ」鍵を回していた皇子が振り返った。
「確実に」
医師が皇子を見たように、皇子のほうも医師をみた。医師の長子と皇子は友人だった。よく似ているといわれている医師と息子であっても、皇子の眼にはまるで違ってみえていた。息子のほうは武官らしく直情で熱血漢で、口が堅く義理堅く皇帝は友人としても臣としても親しんで信用していたが、真っ直ぐすぎるきらいもあった。一方の父親のほうは氷壁のようだった。隙が一切なかった。冷徹で巌のような信念の男。皇子にはそうみえた。
医師は皇子が鍵を回して獄門の塔に踏み込むのを待った。それから皇子から鍵を取り返すと、塔の奥へと皇子を案内した。
内部は中央が吹き抜けになっており、そこから入る光で想ったよりも明るかった。
「いつもは皇妃さまたちのご要望で拷問室に降ろしておりますが、今朝は中庭におります。わたしは先ほど庭に王の穴を連れて行って、支度が出来たことを皇妃さまたちに告げに行っていたのです」
円を描くような柱廊をまわると、そのまま庭に出た。狭い庭の中央には一本の柱が立てられていた。ちょうど火刑に処される罪人が架けられるような柱だった。柱は下部が二股に分かれており、脚を広げた形で犠牲者を留められるようになっていた。
その柱にはすでに生贄が縛りつけられていた。人というよりも最初は植物か何かにみえた。それほどにそれは静かだった。はだかにされて柱に縛られている女には意識がないようだった。
美しい裸体に魅せられて皇子は外からは分からぬほどに少し顔をあかくした。女の頭部には女の顔を隠す豚革の仮面が被せられており、眼と鼻しか分からなかった。眠っているのか女の眼は閉じていた。
皇子が見ている前で医師は女の両足首から革の固定具の留め金を外した。それから医師は背後にまわると、女の両膝を柱の後ろから抱えた。ちょうど幼児に尿をさせるように医師は女の膝を高く持ち上げ、左右に開いた。医師は女の陰部を皇子の前に突き出して見せた。
「皇子がご覧になりたかったものです」
女の股を開き切って医師は云った。
「『王の穴』です」
何をするのだろうと医師のやることを見ていた皇子は愕いて口を開けた。まさか言葉どおりに医師が女の穴を見せてくるとは想わず女陰を前に皇子はたじろいだ。開かれた女の白い脚の間で若い皇子は呆気にとられ、しばらく唖然となっていた。最も恥ずかしい恰好にされた女の裸体を皇子はしばらくただ見つめていた。医師の意図をはかりかねて皇子は放心していた。やがて皇子は無意識に手を上げて女の内腿に触れ、さらに触れそうになった。皇子はその動きをとめた。
「構わないのだろうか」
「どうぞ」医師は勧めた。
「薬で眠っておりますが、皇子さまならば好きなだけ開いてご覧になれます」
「可愛がってやってもよいのだろうか」
医師は無言で肯定した。
「女たちは、いろんな道具を使ってこの女を責めているというが」
それにも医師は無言で肯定した。
「止めておこう」
怖いものでも見るようにして、皇子は手を引っ込めた。
「顔は分からないが、この肢体をもって美しいことは十分に知れた」
溜息をつくと、内心の気がかりを隠さず皇子は女を傷ましそうに見つめた。
「父の皇妃たちはこの身に惨たらしいことをするつもりのようだった。遠い南国から取り寄せたという劇薬を使い、この者の股を引き裂いてやると昨日云っていた。尖った棒を持って父の皇妃たちがそう話すのを耳にして、さすがに来てみたのだ。もう楽にしてやることは出来ないのか」
「既にだいぶ弱っております」
医師は持ち上げて広げていた女の脚を降ろすと、その両足首をそれぞれの柱に固定し直した。確かに女からは生気が抜けていた。薬で眠っていたが、美しいその全身からは生命の気配が消えかけていた。
「劇薬を使うと」
「皇妃さま方から直接そう伝えられました。わたしは昨日の午後、街に出て、死刑になる罪人から何人か選んで実際にその薬を試してみました。どの者も粘膜に塗られた途端に悶え苦しみながらすぐに死にました」
淡々と医師は述べた。
「このものは、今日、死にます」
「余分な苦しみはないのだね」
「さほど」
王子は溜息をついた。そしてもう一度、そこに縛られている女体を眺めた。
「惜しまれる」
偽りのない感想をもらして、皇子は女奴隷の乳房に煌めいている小さな金環を眺めた。
「父上がご寵愛していたというのも頷ける肢体だ。綺麗な子だ。持ちたいと想ったこともないが、わたしも王の穴を持つのなら、こういう女にしたいものだ」
「それは果たされるでしょう」
医師は皇子に応えた。
「皇子は帝国の皇帝になる御方。皇帝は『王の穴』を持つものと定められております」
「この子を頼んだよ」
そう云うと、皇子は医師に礼を云って、塔から出て行った。
王の穴は意識のないまま柱に架けられていた。吹き抜けの空しか見えない井戸の底のような庭だった。朝風は女の足許の手前でとまって、女のつま先にも届いていなかった。
青白いほどに白くみえる女の身体の固定具を最後に点検すると医師は鍵を持って、また塔の外に出た。この塔の外扉を開閉できるのは皇帝なき後、医師だけなのだ。やがて塔の内部に足音高く皇妃たちが医師に導かれて入ってきた。
医師は少し後ろに下がって、いつものようにそこから女たちのやることを見ていた。
鞭や責具で女体をいたぶった後で、女たちは先の尖った歯の並ぶ板切れに濁った色の薬を塗った。皇妃たちはそれを女奴隷の膣内に下から差し入れ、力任せに何度もねじり回した。切り裂かれた女の陰部から血が落ちた。
皇妃たちは口々に女奴隷に吐き捨てた。死ね、この売女。
女奴隷の呻きがすうっと消えた。女奴隷は死んでいた。
抱き上げた女の亡骸はあまりにも軽かった。後始末と片付けを終えると、医師は誰もいない塔から外へと女の遺体を抱いて出た。
女奴隷を殺してしまうと皇妃たちは気が済んだものか荒々しく喋りながら散ってしまい、辺りにはもう誰もいなかった。
地方の行政官が独立を目論んで皇帝に反乱を起こし、あえなく失敗し、一族郎党が死罪となった。その中に乙女はいた。
連行されてきた一族の娘たちを並べて、彼は皇帝の命で処女か否かを検視していた。帝国の法律では初潮をむかえた処女は処刑できないからだ。処女であれば獄吏か兵士に引き渡し、穢した後に闘技場で獅子や熊に喰わせるか、火刑に処すのが定めだった。
彼はその役ではなかったが、当番にあたった医師から懇願された。「可哀そうで見ていられない。早く済ませてやりたいから手伝って欲しい」
親族の反逆に連座して連行されてきた乙女たちは泣きながら陰部を触られていたが、その乙女の番が来た時に、そのあまりの美しさに周囲の兵士たちが息を呑んでいるのが分かった。
医師は検診台に乗せられた乙女の膝を兵士に開かせて、処女であると告げた。そこに皇帝がやって来た。
王の穴に選ばれた乙女が絶望に血の気の失せた顔をしてはじめての伽のために皇帝の寝所に鎖で繋がれた時も、医師はそこにいた。乙女の乳首にはつけたての小さな金環が光っていた。
乙女は救いを求める眼をしたが、医師はその時に一度だけ云った。
皇帝のなされることには抗うことなく任せておくように。皇帝はわたしを王の穴の専属医師にされた。心を強く持ちなさい。わたしはあなたの近くにいて、皇帝が行き過ぎた時には護ってあげよう。
ただそれだけのことに、どれほどの心の支えがあったのかは分からない。
前帝の女奴隷へののめり込みようは狂気じみており、後に巷間で語られていたような火責め水責めこそなかったが、似たようなことは日常的に繰り返されていた。されるがままになりながらも乙女は皇帝を拒んでいた。拒めば拒むほど拘束はきつくなっていった。
皇帝は独占欲のあまり女奴隷を獄門の塔に閉じ込めて、衛兵すら遠ざけ、自ら塔に通うほどだった。
医師は時々、皇帝の腕を掴んで止め立てを入れた。誰もが愕くほどの強靭な力で医師は皇帝の腕を掴んだ。断固たる口調で「それをやると死にます」と医師が告げるだけで、皇帝は手にした鋼鉄の責具を手放した。逃げようとした女奴隷の足を皇帝が斬りつけた時には「足の腱はそこではありません」とだけ云った。
皇帝の身体の下で呻いている女奴隷を、医師は何度も塔内の壁際から見ていた。尿を呑まされ口淫を強いられた乙女は終わると泣き伏した。荒い息を吐く皇帝の身体の下で眼を閉じて泣いていた。
たとえ他に誰もいない時でも、医師は王の穴に施療以外の意志をこめて触れることは一度もなかった。抱き上げて運ぶ時も、患者にそうするようにしてそうした。
家長の彼には妻がいて帝国の軍人になった息子がいて邸宅には奴隷たちを含む大家族がいた。一度決めたら鉄の意志を貫ける彼は決して女奴隷に情けをみせなかった。この抑制にかけた強さの分だけそれが女への情だったというのなら、彼は否定しなかっただろう。彼はそれを最期まで貫きとおすつもりだった。
狂った皇帝の異常な欲望に苛まれていた若い女は次第に視力を失って、最後はもうほとんど見えてはいなかった。それでも女は細いその指先を宙に伸ばして彼を探し求めていた。
女は男の秘匿された心を知っていたのだろうか。あのようにいつも想いのこもった眸をして彼の姿を探していたからには。
眼下には豚がいた。獰猛な種の野生の豚は投げ入れれば何でも食べてしまうため、不要になった奴隷や死んだ家畜を捨てるのに使われていた。
遺骸を巻いた布包みから何かがこぼれ落ちた。拾い上げると、王の穴であることを示す金の環だった。乳首を執拗に狙った女たちの鞭を受けて緩んでいたのだろう。
医師は拾った金環を捨てた。
斜面を転がすようにして遺体を投げ落とした。女の顔にかぶせていた仮面はそのままだった。飢えた豚が四方から飛びかかり、鋭い牙と四つ足で奴隷の遺体を踏み荒らすのを最後まで医師は見届けた。
やわらかな朝焼けの風が吹く塔の庭で最後に一度だけ眠る女の顔をみた。それが別れだった。
日が暮れて、邸宅に戻ると、王の穴が死んだことを既に屋敷中のものが知っていた。何か訊きたそうにしている妻や家人たちを下がらせ、彼は書斎にこもった。昨日代理で獄門の塔に向かわせた息子は何処かへ行ってしまっていなかった。
硝子を嵌めた天窓の向こうに夕暮れの鳥がとんでいた。
医師は、脈や熱など、女奴隷について書き留めてきた医療用の覚え書きを開いた。最後の数日には偽りがあった。皇帝の死後、皇妃たちが女をいたぶる間、彼は女に痛みを感じなくなり死期を早める薬を少しずつ盛っていた。凄まじいまでの意志の力で彼は王の穴を愛さなかった。
医師は覚え書きに最後の一行を書き入れた。
海路で運ばれると知った時、護民官は帰国の可能性がさらに遠のいたことに呻吟したが、今は負傷した身体を治すことに専念するときめた。骨の回復はひと月で二割、半年で九割と父から教わっていた。護民官は帆船に乗せられ、大陸に沿った大廻の航路で西に運ばれていた。
貴族将校ということで船室は船底よりましなものが与えられたが、相部屋だった。
「俺は海軍提督だ」
相部屋の男はそう名乗った。肋骨と足の骨にひびが入っていると敵国の医者に云われた。護民官は添木をあてた身体を苦労してそちらに向けたが、また向き直った。海軍提督と自称している男は、どう見ても漁師だった。
快復と安静だけを心掛け、護民官は波に揺られる日々を過ごした。もう一月以上経っていた。自らを海軍提督と名乗っている頭のおかしい男は、日に焼けた顔を小さな窓に突き出すようにしたかと思えば、用心深く室の外をうかがい、ぶつぶつと何かを数えているかと思うと、いびきをかいて寝てしまう。赤銅色の肌をした相部屋の狂人に悩まされながら護民官はひたすら静養に努めた。
一度どこかを痛めるとしつこくぶりかえすものか、皇帝が即位した翌年の戦で皇帝を護って受けた敵の槍の古傷までが痛んできた。
「あそこに敵将が」と声を上げて皇帝が自ら馬を出そうとするのを、「下がれ」と止めた時に受けた傷だった。
「禁衛兵は大勢いるのに貴方さまばかりが貧乏くじを引いておられませんか」と家令の妻には叱られた。
「鍛えておられますから、常人よりも短い期間で元に戻るでしょう」
彼を診た敵国の医者はそう云ったが、その間、太陽の焼けつく西の半島で過ごさなければならない。
「おかしとは思わないか。帝国貴族のだんな」
顔に唾がかかったと想ったら、漁師が寝ている彼の真上から顔を突きだしていた。
「俺は海軍提督だ」
「帝国海軍提督の顔は見知っている」
護民官は横を向いた。
「詐称は死罪だ」
「誰も帝国海軍だなんて云ってないぜ」
男は笑った。
「死罪と云ったってお前さん、その身体でどうするつもりだ。俺は縛り首になるかもしれんが、あんただって皇帝が身代金を払わなきゃ一生牢獄の中か、処刑にされてしまう身の上だぜ」
云われなくても分かっているというしるしに護民官は手を振った。使用人や奴隷はそれで黙って下がる。海軍提督は黙らなかった。
「船酔いしないとは感心」
「お前のせいで酔う」
「陸軍だろうに」
「禁衛軍には陸も海もない。海辺で育った」
ひびの入った骨が痛んだ。他に話し相手がいないせいもあり、海軍提督は護民官相手によく喋った。
護民官が予想外だったのは、収監されるのは僻地の監獄かと想っていたところが船で護送されたことだった。これでは、国ではもしかしたら護民官の生死すら不明のままかもしれない。
運ばれてきた食事を海軍提督は護民官にも渡した。虫が湧いていたが取り除けて食べた。
「まあ、敵の国に連れて行かれたらそこでまた身代金の交渉をしてみるこったな。俺は行く気なんざ、さらさらないが」
護民官が無言だったので、男は怒った。
「本当だぞ。逃げてやる。俺は海軍提督だ」
そんな日が何日か続いた。船が大きく揺れているなと想った。そこに轟音と振動が起こり、いつものように狭い室内を歩いて足の回復を促していた護民官は前のめりに転んだ。船が座礁したように想えた。
「違う」男が耳をすました。海軍提督は護民官を助け起こして腕を掴むと、「逃げるぜ」と眼を光らせた。
「敵襲。海賊」
奴隷に漕がせている櫂の拍子をとる太鼓の音が倍速になっていた。
虜囚を護送する帆船は、諸島に差し掛かったところで海賊に襲われていた。先の折れ曲がった棒で船の縁をとらえると、海賊たちは船と船に渡した板や綱を使って護送船に襲い掛かってきた。
護民官はすぐに這い上がった。立ちあがると扉の脇に背をつけた。意図を察して海軍提督も反対側に立った。扉を挟んでぎらつく互いの眼が合った。
「上に上がれ」
鍵を持った男が入って来た。提督が脚をかけてよろめかせ、護民官が羽交い絞めにして押し倒した。提督が男の頭を殴り、男の腰帯から剣を奪い取った。護民官が男の後ろ髪を掴んで男の喉をかき切った。長剣を取り上げ、短剣のほうを提督にやった。脚の骨のほうは動けるほどには治っている。
海軍提督は護民官に顎をしゃくった。
「走れるか」
「走れる」護民官は吼えるように応え、提督を押し退けて船の階段を駆け上がった。大海の海風が吹き付けてきた。
>続く