「う~ん、いい天気ね!」
「……はい」
ご主人様が暢気なことを言う。オレは心の中がぐちゃぐちゃになっているので、薄く反応するのが精一杯だ。
――それより、周りが気になってしょうがない。ここは閑静な住宅街だからまだ誰にも出会っていないが、このまま進むと大通りに出てしまう。
いつも混雑している通りだ。そんなところを歩かされるなんて、ゾッとする。
でも、まだそうと決まったわけではない。一応ほかの道もまだあるから……と望みをつなぐが、その希望は容赦なく断ち切られた。
「さあ、まっすぐ行くと大通りよ。楽しみね!」
「……はい」
ああ、終わった。さようならオレの尊厳。
絶望に打ちひしがれていると、ほどなくして大通りに出てしまった。
……周りから視線が集まる。
こんな格好をしていればこうなることは分かっていた。でも思わず委縮してしまい、俯いてその場に立ち止まってしまう。
「ねえ、何してんのよ!」
「あうっ!」
気づけばオレは地面に倒れていた。
急に立ち止まったことに苛立ったご主人様が鎖を思い切り引っ張ったせいでバランスを崩したのだ。
「ったく……」
「ごめんなさい、ごめんなさい……ちゃんと歩きますから……」
あたりは石畳で舗装されている。ここで首輪を引っ張られて引きずられたら擦過傷で肌がボロボロになってしまう。
痛いのはもう嫌だから、べそをかきながら急いで立ち上がる。
「ほら、さっさと歩く!」
「ぐっ、はいぃ……」
ぐいっと先ほどより強い力で鎖が引かれる。選択肢などあるわけがなく、されるがままにとぼとぼと歩を進める。
――ひそひそとオレたちのほうを見て話す声が聞こえる。
でも誰も助けてはくれない。今のオレは素っ裸で体の自由を奪われ引き回されている状態だ。おおかた粗相をした奴隷が躾を受けているとでも思われているのだろう。
だから、ここで周囲に助けを求めてもまともに取り合ってもらえるとは思えない。むしろそのあとのお仕置きが怖すぎる。想像もしたくない。
今オレにできることといえば、できる限り波風を立てずに従順にご主人様の後をついていくことだけなのだ。……でもこれ、いつまで続くんだろう。
そう思い遠い目をしていると、ご主人様が突然口を開いた。
「ああそうだ。手ぶらでいくのもちょっとあれね……何か買わないと」
そして立ち止まり、きょろきょろと周りを見回す。
「あ、あそこがいいかも」
視線の先のあったのはおしゃれな外観をした菓子屋だった。オレたちはゆっくりとそちらへ向かう。
こんな状態じゃなかったら喜んで行くのにな……とか思っていると、ご主人様はなぜか店には入らず、横の狭い路地に入った。
よもやこの先にお目当ての店があるのかと不思議に思っていると、ご主人様は壁に何本か鉄の棒が取り付けられている場所で立ち止まった。
「シズク、おすわり」
「……え」
何を、言っているんだ……?
「ねえ、おすわり!」
「……え、え?」
「そこに座れって言ってんのよ!」
「あぐっ!」
あんまりな命令に固まっていると、ぱあん、と頬を張られた。
慌ててその場にぺたんと座る。
ふらふらしているオレをよそに、ご主人様が鎖を持って何やら作業をする。
そしてふと気づいた時には、鎖がきつく鉄の棒に巻き付けられて取れないようになっていた。
つまりオレは、この場に置いてけぼりになるということだ。さながらペット禁止の店に犬を連れてきた時のように。
「じゃあ、シズクはここで待っててね? 分かった?」
「…………はい」
「よろしい」
ご主人様は鷹揚に頷くとスタスタと去っていく。そしてじきにその姿が見えなくなった。
試しに首を動かしてみるが、ガチャガチャと金属音が鳴るだけで少しも前に進めない。すぐに諦めて腰を落とす。
せめてもの抵抗として足を閉じて局部が見えないようにするが、手の自由が利かないせいで乳首が丸見えの恥ずかしい格好をすることを強いられる。
ここは少し奥まったところにあって、パッと見ただけでは誰かがいても分からなさそうだ。しかしよく観察すれば大通りからオレの姿が見えてしまいだろう。
さっきまではご主人様がいたが、今はそばに誰もいない。こんなバカみたいな姿で一人いるところを見られたら何と思われるか。顔から火が出そうだ。
頼むからこっちを見てくれるな、と祈りながら時間が過ぎ去るのを待つ。
――気づけばオレは、現在進行形でひどい扱いを受けているというのに、ご主人様が戻ってくるのを心待ちにしていた。
「…………おーい」
「……あ」
声が聞こえたので顔を上げると、そこにはご主人様がいた。赤の他人でなかったことに少し安堵する。
……しかし、確かに早く帰ってきてほしいとは思っていたが、いやに早いような気がする。それにお土産を買うと言っていたのに、手には何も持っていない。
もしかして違う店にでも行くのだろうかと思っていると、次の瞬間、信じられない言葉が飛び出した。
「いやー、店にトイレなかったからさあ。どうしようかと思ってたけど、ちょうどいい便器があるじゃない! ここでするわ」
「……ふえ?」
そう言うや否やご主人様は肉棒を取り出し、オレに向けて狙いを定めた。
じょろじょろじょろ…………という水音が路地裏に響き渡る。
少し黄色がかった液体を顔に、胴体に、そして足に浴びながら、オレはその場で思考停止状態になっていた。
「んぶっ!」
噴出する液体が唇に当たった。間の悪いことに、少し隙間が空いていたせいで間違えて飲み込んでしまう。
……なんだかしょっぱい味がした。
「ふう…………スッキリしたあ。手きれいにしよっと」
ご主人様はそう独り言つと、自分にだけ魔法をかけてきれいにし、オレのことはそのまま捨て置いてその場を後にした。
あとには体中が汚物にまみれた自分だけが取り残された。
ぽたぽたと顔から液体が垂れ、首筋を伝って下の方へと流れていく。
オレはしばらく何をするでもなくその場でじっとしていたが、ふいに目から熱いものが零れ落ちた。
一度決壊するとそれは止まることなく、ぽたぽたと透明な液体が眦から流れ出る。
「う……ううっ……うわああああん!!!」
どうしてこんなひどいことをされるんだろう。これじゃあ人どころかペット以下だ。
声を出しちゃいけないのに、止められない。顔中をぐちゃぐちゃにしながら泣き叫ぶ。
通りのほうからちらちらと視線を感じるけれど、そんなことを気にする余裕もなくなっていた。
「うえええん!!! もうやだぁ、やだよぉ!!!」
わんわん泣き叫ぶが、残念ながら汚物にまみれた状況は変わらない。じきに声を出す元気もなくなり、か弱く喉を震わせることしかできなくなった。
「うっ、うっ…………ぐすっ……」
これからずっとこんな生活が続くのかな……。そんなのやだよ……。もっとやさしくして、ご主人様…………
「おーい、戻ったよ……って、うわ何これ!」
「う、うぅ……」
やめて、そんな目で見ないで……。オレは、ゴミじゃないよぉ……
「はあ、それにやっぱりちょっと臭いなあ……。このまま連れてくわけにはいかないし、仕方ないか……それ!」
ご主人様が手を向けた瞬間、魔法の光がオレを包んだ。するとあっという間に汚物も悪臭も消え、まっさらな体になる。
「うーん。かけるんじゃなくって、全部飲ませたほうが良かったかな……。まあいいや、ほら行くよ!」
「……はい」
ぐいっと首輪が引かれたので、逆らわずに立ち上がって歩き始める。
相も変わらず周りから視線が集まるが、もうそんなことは気にならなくなってきていた。
それよりも、今後ずっとこんなゴミみたいな扱いを受け続けるかもしれないということが衝撃だった。
脳は思考を放棄し、首から伝わる締め付けに従って足に指令を送り続ける仕事しかしていない。
オレはただ従順な犬のようにぺたぺたと道を歩いていた。
「ふう、もうそろそろね……」
「ぁぇ……?」
いつの間にやら、あたりから人影が消え去っていた。オレたちは大通りから外れ、細い道を歩く。
――ふと右手を見ると、見覚えのある看板が目に入った。
待って、まさかこの道って……
俄かに戦慄を覚えた瞬間、
「さあ、とうちゃーく」
無情にも目的地に到着してしまった。
一見すると小奇麗な外観の店。しかしその実、中はいかがわしいもので溢れているのだ。
そう、例の悪夢のアダルトショップである。
ただ、今日は店はやっていないようだった。休業中の札が扉の前に垂れ下がっている。
じゃあ何のために来たのだろうと訝しんでいると、ご主人様は扉の前を素通りして少し向こうにある別の扉の前に立った。店の入り口とは違ってずいぶん簡素なものだ。
「おーい、ナターシャ~。来たよ~」
ご主人様がドンドンと扉を叩く。
すると程なくしてバタバタという足音が向こうから聞こえてきた。
「ああフローラ! いらっしゃい! それと……」
オレを愉快そうに見る顔には覚えがあった。前に一緒になってオレを辱めていたあの頭のおかしい店員である。
「シズクちゃん、だっけ? フローラ、どうしたのこの子? こんな格好して?」
以前の言動からして期待はしていなかったが、ナターシャの口調にご主人様を非難するような感情はない。ただ純粋に疑問に思っているだけのようだ。
「ああ、私にひどいウソをついてたのよ。だから調教中ってわけ」
特に気負うような様子もなくご主人様が答えると、ナターシャは怒ったような表情をした。
「そんな! もっと厳しく躾けたほうがいいんじゃない? 前にウチで買ってった鞭じゃうまくいかなかったの?」
オレは驚愕して目を見開いた。アレってここから買ってたのか!?
「いやいや、アレはすごい効果あったんだけどね。前に比べてとっても従順になってるし。だから心配しないでよー。あんまりやりすぎて壊しちゃうのもね……」
「うーん、それはそうかもだけど……」
最悪な会話がオレの頭の上で繰り広げられている。
もし二人に寄ってたかって苛められたら、本当に壊れて戻らなくなってしまうかもしれない。
「まあ、ここで立ち話するのも何だし、中に入ってよ」
「ありがとう……ところで、この子も一緒に入れていい? 大人しくさせておくから」
「うん、それなら大丈夫! ほら、どうぞどうぞ」
「はーい、おじゃまします」
中に入って少し進むと、感じのいい椅子とテーブルが並んだ部屋があった。机の上には草花の絵が描かれた茶器が置いてある。
――ところで、椅子が二つしかないんだが、どういうことなんだろうか。
きょろきょろと部屋を見回すと、隅のほうに天井から床まで貫通している真鍮の棒があった。
ちょっと待って、まさか……
「シズクはこっちね」
嫌な予感は的中し、棒の前に引き立てられた。
「シズク、おすわり!」
「は、はいっ!」
すぐにその場に座るが、息をつく暇もなく次の命令が飛んできた。
「そのまま体を前に倒しなさい。頭が床につくくらいにね」
「……はい」
ぐっと前傾姿勢になり、言われた通りの姿勢をとった。
四つん這いに似た姿勢だが、床についているのは両ひざだけで、両手は自由が利かないままだ。お尻を高くつきだしたような格好になる。
「よし」
ご主人様は満足したようで、首輪から延びる鎖を棒に巻き付けた。頭が低い位置から動かせなくなる。
「ごめんごめん、時間かかっちゃって」
「ううん、全然。それより、お土産買ってきてくれたんでしょ?」
「うん、ほら。これこれ」
「どれどれ……おお、おいしそうなケーキ! ありがとー!」
「どういたしまして」
テーブルの上にはご主人様が持ってきたケーキのほかにも、クッキーやラスクなど、色とりどりのお菓子が並べられた。
ここまで甘い匂いが漂ってくる。
「うん、やっぱりケーキはモンブランよね!」
「ふーん、私がショートケーキ派で良かったね。危うく戦争になるところだったよ」
二人はまるでオレなんか存在しないかのように会話をし、お菓子を食べてお茶を飲む。
オレはそれを物欲しそうな目で見つめるが、まったく意に介していないようだった。
すごく惨めな気分になる。
「ああそうだ、シズクにも飲み物あげないと」
ご主人様はナプキンで口元を拭くと立ち上がり、ケーキが入っていたバッグを探る。
そして、手に円形の浅い皿のようなものを持った。
「ねえナターシャ、これあげていい? 確か水だよね、中身」
「ああうん、どうぞどうぞ」
ご主人様が皿と水差しをもってオレに近づく。
そしてオレの顔の前に皿を置いた。横から見ると台形っぽい形をしており、上部よりも接地面のほうが円の大きさが大きくなっている。
――まあ早い話が、その形はエサ皿に酷似していた。
「ほら、お水よ」
注ぎ口から水が皿にとくとくと注がれる。
……ああ、これじゃまるで――
「飲めよ」
「うぶうっっっ!!!」
突如、すごい力で頭を掴まれた。顔が水面に押し付けられる。
「せっかく手づから注いであげたのにさあ、なんで飲まないの? ねえ?」
「うぶ、んっ、ん~~~!!!」
鼻と口が塞がれて息ができない。
生存本能に従ってごくごくと水を飲み、少しでも体積を減らそうとする。
「んぐっ……! ぷはぁ、はあっ、はあっ…………」
「……よし」
必死になって水を飲んでいると、頭をつかむ力が弱まって顔が上に引き上げられた。
どうやら許しを得ることができたようだ。ゼーハー言いながら息を整える。
「全部飲みなさいよ。残したら承知しないから」
ご主人様はそう言い残すと、オレを置いてテーブルに戻り、再びお菓子をつまみ始めた。
二人が人間的な食事をする一方、オレは犬のように口を皿に近づけて水を飲む。
他にすることもないので順調にその量は減っていったが、最後のほうになるにつれ、徐々にその方法では飲めなくなってきた。
仕方なしにオレは舌を出し、皿を舐めるようにして水を飲む。でも、全然量が減らない。ぴちゃぴちゃという音がいやに耳に響く。
「はあ、ごめんね。まだちょっと反抗的で」
「うーん、やっぱりまだ甘いんじゃないの?」
「そうかなあ……」
「まあ、確かに加減が難しいからねぇ……だからさ」
「うん?」
「ちょうどいいものを作ったの! 新商品よ新商品!」
皿の端に溜まっていた水をぺろりと舐める。
ふいに視線を感じたので顔を上げると、二人がオレのほうを見ていた。
「あとで部屋貸してあげるからさ。試してみない? あの鞭より全然効果的に調教できるはずよ。まあ、シズクちゃんはとっても辛い思いをするかもしれないけど…………仕方ないよね」
「うーん、なるほどねえ……」
「大丈夫だって! 壊れる一歩手前くらいに加減してあるからさ!」
「うん。まあ、確かにナターシャにはいろいろお世話になってるし、そう言うなら……」
ご主人様がオレを見る。優雅そうに足を組み、片手にティーカップを持って中身を少し口に含んだ。
……かたや椅子に座って文化的な茶会をするご主人様と、かたや床に這いつくばって犬のように水を飲むオレ。そしてまた、今からさらに辛い思いをすることになる。
悲しみが胸にあふれてきて、涙が零れ落ちた。
どうしてこんなことになっちゃったの……?
ねえ、どうして……?
「あーあ、泣いちゃった。でも、あなたが悪いのよ? 全然改心しないからさあ」
「じゃあフローラ、私はちょっと準備してくるからここで待ってて! 後で呼ぶから!」
「うん、お願い」
オレが、悪いの……?
オレが、悪い子だから……?
「シズク、た~っぷり調教してあげるからね」
「っひ……」
ねえ、ご主人様……そんな目で見ないでよ……
もっとやさしくしてください……
また、頭撫でてください……
「ご主人様……ウソついてごめんなさい、悪い子でごめんなさい」
「……ん?」
いたいことされるのも、くるしい思いをするのも、全部自分がご主人様のいうことを聞かない悪い子だったからです……
でも、でも……もういやなんです……
あんなにつらいのは、もういやなんです……
「ずっといい子にしますから、精一杯ご奉仕しますから……。だから、シズクのこと、かわいがってください……」
「…………」
「どうか、どうか……」
すっと、頭の上に手が置かれた。
また痛いことされるのかと思ってビクッとしてしまう。
しかし、その手は頭をつかむことなく、髪を優しくなでた。
「いい子になったね、シズク」
「ぁ……」
ご主人様が優しく微笑む。
心がポカポカする。
「ねえ、シズク?」
「……はい」
「これからずっと、いい子にできる?」
……そんなの、決まってる。
「はい! もちろんです! ずっと、ずーっと、いい子にします!」
「……うん」
ご主人様は髪をもうひと撫ですると、手錠と首輪を外してくれた。
「ごめんね。つらかったでしょう?」
「いえ、そんなこと……。全部自分が悪かったせいですから……」
立ち上がりふらついたところを、ご主人様は優しく抱きしめてくれた。おずおずと抱きしめ返す。
そしてしばらく抱擁しあい、何だか穏やかな空気がながれていたところ、それを打ち破るようにドタバタと足音が聞こえてきた。
「フローラ! 準備できたよー! ……って、あれ?」
ナターシャさんが目をまん丸にしてこちらを見つめてくる。
「ああナターシャ、ごめんね。シズク、いい子になったみたいだから。もういいわ」
「ええ、そんなあ……。新商品の実験が……」
「まあ、今回は諦めなさい」
「ちえっ、仕方ないなあ」
ナターシャさんは嘆息し、テーブルへ戻った。ご主人様もそれに続く。
「……あれ? シズクちゃん、こっち来ないの?」
「ほら、シズク。こっちにいらっしゃい」
その場でおろおろしていると、二人からお呼びがかかった。
本当にいいのかなあと思いつつ、とてとてとテーブルに向かう。
「ん、椅子がいるわね。あと食器も」
「あー、そういえば昔の服が倉庫にあったかも。取ってくるよ。正直もういらなかったし、あげちゃうから着て帰ってよ」
そう言うと、二人はバタバタと動き出した。
――その後はちゃんと着替えて。
三人でおいしいお菓子を食べ、お茶を飲んだ。
次でとりあえず完結予定。