なぜその時互いを求めてしまったのか──訊かれたって分からないし、自分でも分からない。
でもその夜確かに二人はがむしゃらに互いの身体を求め、激しく貪り合って、そして疲れ果てて眠った。
同じベッドに裸で掛け布団もなしに横たわる二人の身体と、湿ったシーツ、ほのかに香る汗の匂い、周囲に散らばる無数の塵紙、股に残る微かな違和感がそれが夢ではなかったことを雄弁に物語っていて──その事実に戦慄が走った。
──シてしまった。男子と。それもよりにもよってリオンと。数少ない気心知れた友人と。
なぜ?どうして?何で私、コイツとシちゃったんだ?
エステルは寝起きの頭を必死で回して昨夜の記憶を探る。
そう──確か、昨日は共和国から帰ってきたリオンと久しぶりに会ったのだ。
そして土産話を聞き出そうと飲みに連れ出して──共和国で六大貴族の子息から喧嘩を売られて決闘したこと、現地で知り合った女子が嫌いな男と無理矢理結婚させられそうになったところを救出したこと、その女子と一緒にいるところを婚約者たちに見られてド修羅場になったこと、聖樹の生贄にされかけた美女を彼女の弟に扮して助け出したこと、クーデターに巻き込まれて首謀者の青年と戦ったこと、帰ってきたと思ったら侯爵に陞爵してしまったこと、あの五馬鹿のうちの四人を寄子に付けられたこと、おまけにマリエたちの面倒まで見ることになったことを聞いて──
気が付けば宿屋の部屋にリオンといて──そういえばリオンが聖樹を倒してしまったことと、クーデターの首謀者の青年をその家族の目の前で射殺してしまったことに思い悩んで泣いていて──それでちょっと落ち着かせるつもりで背中をさすってやったのだ。
そしていつの間にか抱きしめていて、ふと身体を離した瞬間に彼と間近で顔が合わさって──リオンの泣き腫らした顔を見たら、なぜだか頭がぼぅっとして、身体が火照って、心臓がドキドキ激しく脈打って──唇を重ねていた。
そこから先は坂を転がり落ちるようなものだった。
理性のたがが外れて、欲望のままにリオンを貪り、最初はやられっぱなしだったリオンもやがて吹っ切れたらしく、忌まわしい記憶を振り払うかのようにあらん限りの力と欲望をぶつけてきた。
あの最初のキスさえなければ──と後悔してももう遅い。
なぜあの時、彼と唇を重ねてしまったのか──本能的に吸い寄せられた、としか言いようがない。
リオンのあんな姿、これまで見たことはなかったし、他の誰も知らないだろう。
その姿を見られたことに驚いて、そして興奮してしまったのだ。普段飄々としていて弱みなど見せず、一度相対すれば圧倒的な力と舌鋒で完膚なきまでに相手を叩きのめし、「外道騎士」なる二つ名まで付けられた、まるで小説に出てくる悪役のような彼が初めて年相応の少年のような弱い姿を晒したことに──
「いやいや思い出している場合か!」
どうしてこうなったのかはおおよそ思い出せた。ならば次に考えるべきはどうしてこうなったのかの詳細よりも、これからどうするかだ。
どうにか一夜の過ちで済ませて元の関係に戻り、昨夜のことは墓場まで持っていく秘密にするのが望ましいが──それはとても難しいことなのだ。
古来より、一線を越えてしまい、友達関係が破綻してしまった男女の例は枚挙に暇がない。
大抵の場合その後も行為ありきで会うようになってしまい、終いにはどちらかに、あるいは両方に情が湧いてしまう。
そうなれば後は恋人として付き合うか、爛れた関係の末の修羅場か、気まずくなって関係が切れるか、好きなものを選ぶハメになる。
そしてエステルにとってはどれもあり得なかった。
リオンには婚約者がいる。それも二人。どちらもエステルがよく知る同級生の女子だ。
公爵令嬢アンジェリカと特待生オリヴィア。
アンジェリカは五年前にオフリー伯爵家との戦争にケリをつけるために王都に来た際、王宮で思いがけず面識を持って以来の友人だ。また、大恩人レッドグレイブ公爵の愛娘でもある。
そんな彼女と揉めるなど真っ平御免だし、彼女に二度も婚約者の浮気を経験させたなどということになれば、公爵が黙っていないだろう。
オリヴィアは学園に入学してから孤立していたところに戯れで声をかけたのがきっかけでよく一緒にいるようになった。勉強はそこそこできるが、それ以外はからっきしな彼女を見ていられなくて、体力作りや魔法の鍛錬、乗馬や護身術など色々と教えているうちに仲良くなった。
そして仲が良いが故に彼女の怖いところも知っている。
そんな二人と既に婚約しているリオンと今更三人目の恋人として付き合うなんて、あり得ない。
どう考えても誰もいい思いはしない。
そして修羅場などもっとあり得ない。
普段三人で特に諍いもなく仲良くやっているせいで忘れそうになるが、あのハーレムはとんでもないレアケースなのだ。
縁とタイミングが数奇に噛み合ってアンジェリカとオリヴィアが無二の親友になったからこそ、同じ男を好きになっても争わずに共有するという道をとれたのだ。
同じことはマリエと五馬鹿にも言える。
そして共通しているのはその関係は今のメンバーで完結し、絶妙なバランスを保っているということだ。
そこに新しいメンバーが入り込む余地などないし、入り込めば凄まじい拒絶反応が起きることは火を見るよりも明らかである。
爛れた関係になどなれば相当恐ろしいことになるだろう。
下手をすれば流血沙汰になりかねない。アンジェリカは激昂してファイアランスを炸裂させかねないし、オリヴィアは底なし沼のような濁った真っ暗な目でネチネチと責め立てて心を削りに来るに違いない。
──というか、昨夜のことだけでもそうなる可能性は高い。
ではそういった面倒事を避けるために、リオンとの関係を切るか?
それもやはりできかねる。
何だかんだでリオンとは気が合うし、それに今まで持ちつ持たれつで上手くやってきたのだ。
危ないところを助けられたことだってあるし、彼と共にビジネスをやったりもして大いに利益も得てきたのだ。
彼との関係は手放すにはあまりにも有益すぎる。
結局のところ、リオンがどう出るかなのだ。
リオンが変に気を遣って責任を取ると言ってきたり、この先会う度に身体を求めてくるようになれば、さっきの結末のどれかを選ぶハメになるが、そうでないのなら、別に問題はないのだ。
昨夜のことは記憶の片隅に封印して、また元の友人に戻る。
ただ酔っ払ったリオンを部屋に運び込んで寝かせただけ、ということにして忘れる。
「──よし」
そうと決まればさっさとこの惨状をどうにかしなければならない。
エステルはバスタオルを羽織ると、掃除に取り掛かった。
散らばった塵紙を拾い集めてゴミ箱に放り込んで蓋をすると、脱ぎ散らかされた衣服を拾い集めて畳み、まだ気持ちよさそうに眠っているリオンにバスローブを羽織らせて掛け布団を被せた。
そして急いでシャワールームに向かい、シャワーを浴びて服を着る。
これで取り敢えず昨日の情事の証拠は消し去れたはずだ。
シーツは湿気ったままだが、うなされていたリオンの汗と涙のせいだとでも誤魔化しておけばいいだろう。
ほっと一息吐いてリオンの方を見やればまだ彼はすやすやと眠っていた。
その寝顔は普段の飄々とした態度からは想像できないほどあどけなく、一種の庇護欲すら覚えるものだった。
また頭がぼぅっとしてくる。
リオンの寝顔に見入ってしまう。
「って、何をやっているんだ私!」
かぶりを振って視線をリオンから外す。
(何か私変だぞ。今までこんなこと一度だってなかったのに──)
冷静になろうと洗面所に行って思い切り冷水を浴びて顔を洗う。
そしてリオンを叩き起こして昨日のことをどこまで覚えているか聞き出そうとベッドのところに向かうと──起きていたリオンと目が合った。
「あれ?エステル?」
きょとんとした顔でそう言ったリオンを見て、微かにムッとする。
湧いたその感情から目を逸らして、エステルはリオンの前に仁王立ちする。
「やっと起きたか寝坊助」
呆れ顔を作って浮かべて、いつものような憎まれ口を叩く。
でもなぜだか、うまくいかない。
演技しているということが自分で分かってしまって、違和感が残る。
だが鈍感なリオンは不思議には思わなかったようだ。
「あれ?飲んでいたんじゃ?ここどこだ?何でお前がいる?」
「覚えてねーのか?酔い潰れたんだよ。で、私が近くにあったここの宿屋に担ぎ込んで介抱してやったってわけ。感謝しろよな」
どうやらリオンが昨夜のことを覚えていないらしいことにひとまず安堵するが、やはり心のどこかに別の感情が頭をもたげる。
それが何なのか、エステルには分からなかったが、どことなく怒りや苛立ちに近い感じがした。
「そ、そうなのか?──ありがとうな。何か忘れている気がするんだけど──」
「無理に思い出すこともないだろ。どうせ恥ずかしいことだろうしな」
そう言ってエステルはリオンから目を逸らす。
なぜだか、リオンの顔を直視することに抵抗感があって、彼の姿を視界から消したかった。
「それじゃ、私は寮に戻るからな。出る時鍵返しておけよ」
リオンが無事に目を覚まし、昨日のことも覚えていないと分かった以上、これ以上この部屋で一緒にいる意味もない。
それにまさか一緒に出ていくわけにもいかない。誰かに見られたらトラブル待ったなしである。
そそくさと身支度を済ませて、エステルは部屋を出た。
取り残されたリオンはしばらく呆然としていたが、ふと渋面になり、頭を掻く。
「あいつ、どうしたんだ?」
リオンはエステルの言動の不自然さに実のところ気付いていた。
彼女は何か隠し事をしているような気がしたのだが、指摘できる雰囲気ではなかったので口にしなかっただけだ。
拭えない違和感にモヤモヤしながらも、リオンは着替えて宿屋を出た。
◇◇◇
結局その後リオンは実家に帰省し、春休みをそこで過ごしていたため、しばらく二人は顔を合わせる機会がなかった。
リオンは実家で起きた騒動もあってエステルに感じた違和感のことを忘れ、エステルの方もあの一夜のことを思い出す頻度は日を追って下がり、少しずつ忘却へと向かっていたのだが──運命というものは悪戯好きなものである。
新入生を迎えた入学式の翌日、学園内で起きた事件が再び二人を巡り合わせ、感情の胎動を呼び起こすことになった。
「エステル様!すぐ来てください!」
放課後、訓練場で木剣を振るっていたエステルのもとに息を切らした女子生徒がやってきた。
「何?鍛錬中なんだけど」
鍛錬を中断させられて、視線が険しくなるエステルだが、女子生徒は臆さずに彼女に助けを求める。
「お邪魔してしまってすみません。新入生が喧嘩しているんです。先生が仲裁に入ったんですけど聞く耳持たずで。何とかしてください!一人は伯爵家のご子息で誰も何も言えなくて」
そしてエステルは本気で困って自分を頼ってくる者のお願いを突っぱねることはできなかった。
「──仕方ないな」
ここは最上級生の威厳を見せつけておくのも悪くない、鍛錬を中断させた落とし前は伯爵家のご子息とやらにつけさせてやろうと考えながら、女子生徒に案内されて現場に向かうと──
「いや、悪いのはどう考えてもお前だろ。さっさと謝れよ」
「え?」
「え、じゃなくてさ。お前が悪いから謝れって言ったんだよ。後ろから急に突き飛ばすとか、何を考えているんだ?」
既にリオンが仲裁に入っていたところだった。
やりとりを聞いていると、伯爵家の息子がお喋りしていた女子生徒を後ろから突き飛ばしたのが原因だったようだ。
伯爵家の息子はまさかリオンが自分を責めるとは思っていなかったらしく、口角泡を飛ばして抵抗していたが、取り巻きの必死の説得で冷静になり、被害者に謝罪したことで一応の解決を見た。
何だ結局無駄足じゃないかと思って訓練場に戻ろうとしたエステルだったが、リオンに見つかってしまう。
「あ、エステル」
その声を聞いた時、身体が震えた。
今彼と顔を合わせるとまずい。
どうしてそう思ったのか分からないが、とにかくこの場を立ち去りたかった。
だが、足が上手く動かない。まるで固まってしまったかのように。
もたついている隙にリオンの側にいたアンジェリカやオリヴィアも声をかけてきた。
仕方なく笑顔を作って挨拶を返す。
「お前も来ていたのか。なら手を貸してくれたってよかっただろうに」
「あー悪かったな。一足遅かったんだ。来た時にはもうリオンがな」
アンジェリカが文句を言うと、エステルはいつも通りのさして悪びれもしない態度で言い訳する。
しかし、リオンの方を指差すだけで顔を向けようとはしない。
するとその態度にムッときたリオンが文句を言う。
「何だよ。タイミング悪いな。俺よりエステルの方がああいう馬鹿を黙らせるには向いているのに」
「馬鹿か?アンジェが言っても聞かなかった奴が私の言うこと素直に聞くかよ。仲裁どころか鉄拳制裁になっちまうっての」
「あ──それはそうかもな」
リオンとエステルのやりとりにその場は少しの間苦笑いに包まれる。
この二人は方向性こそ違うが、怒るとやり過ぎると言う点ではそっくりだということをこの場のほぼ全員が知っていた。
そう、「ほぼ」である。一人だけ、知らない人物もいた。
「えっと、誰かな?紹介してもらえる?」
見ると、見慣れない女子がリオンにエステルの紹介を求めていた。
ゴールドとピンクのグラデーションになっている髪をサイドテールにしており、活発そうな雰囲気を纏っている。
「ああ、そうだった。初対面だったな。こいつはエステル。俺の友達っていうか悪友?的な奴」
「悪友って何か失礼な言い方じゃない?はじめまして。あたし、ノエルっていいます。アルゼル共和国から来てここに編入してきました。よろしくね。エステルさん」
リオンから聞いて早速エステルに自己紹介するノエル。
「ああ。よろしくな。エステルでいいぞ」
「ありがとう。じゃああたしのこともノエルって呼んで」
派手な見た目に違わず陽気で人懐っこい感じのするノエルにエステルはすぐに警戒心を解いた。
しかし、同時に心臓が激しく脈打ち始める。
ノエルという名は聞いたことがある。あの夜──リオンから聞き出した土産話の中に頻繁に出てきた名前だ。
平静を装って、エステルは答え合わせをする。
「分かった。しかし、わざわざ共和国から編入生が来るとは思わなかったよ。リオンと一緒に来たのか?」
「うん。ちょっとあっちで色々あってね。逃げてきたようなものよ。それに──えっと、その──リオンの三人目の婚約者になってね」
照れ臭そうにしながらとんでもないことを言い出したノエルにエステルは開いた口が塞がらなかった。
「は?──三人目?」
「うん。そりゃ驚くよね。あたし最初リオンに婚約者がいるって知らないまま好きになっちゃって。その後いるって分かって一旦身を引いたんだけどね──色々あってそうなったの。まあ、詳しい話はまた今度ゆっくり聞いてよ」
エステルがリオンの方を見やると、気まずそうに目を逸らす。
「リオン──前から思っていたけど、お前本当に
「ああ、本当にそう思うよ」
「ですよね。リオンさんは節操がないです」
「みんなして酷いな!?俺だって何でこうなったのか分からねーよ。気付いたらなっていたんだよ」
「ああ、今ので何となく分かった。本当に──」
本当なら一発殴らせろ!と言いたかった。
だが、あの夜の記憶が蘇ってしまって、できなかった。
婚約者がいると知ったらきちんと身を引き、その後アンジェリカとオリヴィアにも受け入れられて正々堂々と三人目になったノエル。
対して婚約者がいることをずっと前から知っていたにも関わらず、酒に酔った勢いでリオンを襲い、しかも彼が覚えていないのをいいことにそのことを隠してバレないか心の隅でビクビクしている自分。
それを思うと、三人目を作ったという理由でリオンを殴る資格など自分にはない。
黙ってしまったエステルを見て、リオンがすかさず話題を変える。
「いやーでもこうしてお前と話すのも何だか久しぶりな感じがするな。お前は春休み何していたんだ?元気にしていたか?」
リオンの問いかけにエステルは曖昧な返事をする。
「ああ──まあな。特に何もなかったよ。退屈だった。お前の方はどうだった?」
「もう大変だったよ。兄貴がローズブレイド家のドロテアさんとお見合いしたんだけどさ、失敗させようと思ったらなぜか成功しちゃって、てんやわんやでさ──」
愚痴るリオンだったが、その顔はすっかり元気そうだった。あの夜のような思い詰めた表情の面影はない。
そのことは嬉しかったが──同時に腹立たしかった。
自分はあの夜のことでこんなにも思い悩んでいるのに、コイツは覚えてもいずに自分だけ能天気に元気になりやがって──でもそんなことは口には出せない。
そんなことをすれば怪しまれてしまう。
「どうしたんですか?エステルさん。何だか元気ないように見えますけど」
オリヴィアが心配そうな顔で問いかけてくる。
「そうか?気のせいだろ。ここに呼ばれるまで鍛錬していたから、その疲れじゃないか?」
エステルは否定するが、オリヴィアと目を合わせようとはしない。
オリヴィアはその態度が引っかかったのか、若干目を細めて首を傾げる。
だが、それ以上の追及はしてこなかった。
「あまり無理はしないでくださいね。身体を悪くしたら駄目ですよ」
「──はい」
なぜだか、オリヴィアの雰囲気がいつもと違った。少し、背中に寒気を感じるような怖さがあった。
直後、リオンがはたと気付いたように口を開く。
「あ、そうだ。エステル、ちょっと俺の部屋に寄っていけよ。さっきまでダニエルとレイモンドとお茶してたからさ、疲れに効くお茶出せるぜ?あと、ちょっと相談したいこともあるしさ」
「え?」
突然のリオンの誘いにエステルは心が揺れた。
この誘いに乗ってしまったら何か取り返しのつかないことになる──そんな予感がした。
だが、行きたいという気持ちが確かにあることにも気付く。
矛盾する気持ちに頭がうまく回らず、言葉を発せない。
遠慮しとく──そう言えばいいはずなのに、その一言が発せない。
かといって行ってしまったら、ふとした弾みに彼があの夜のことを思い出してしまうかもしれない。
でもこのまま彼を避け続けるわけにもいかない。あの夜のことは忘れて元の友人に戻ると、そう決めたはずだ。
決めたはずなのに──できない。なぜだ?
「あ、別に無理にとは言わないぞ?自分の部屋で休みたいなら──」
逡巡するエステルを気遣ってリオンが発した言葉を──
「行くよ」
思わず遮っていた。
自分で思っていたよりも大きく、低い声で。
「そ、そうか。助かるよ」
リオンは若干驚きつつも笑顔になり、アンジェリカとオリヴィア、そしてノエルに「いいよね?」と言って了承の返事を貰ってから、自室に向かって歩き始める。
その後をエステルは少し離れてついて行った。
その手はほんの微かに震えていたが、誰もそれに気付くことはなかった。
◇◇◇
リオンが相談してきたのは今の自分の影響力についてだった。
エステルが到着する直前、女子生徒と喧嘩をしていた伯爵家の五男が口にした「こっちには侯爵様であるリオン先輩がついているんだ。お前らみたいな女子は、すぐに退学処分にしてやるぞ」という言葉と、それに対する周囲の反応が気になった、そんな影響力が本当に自分にあるのか、と。
「ある」
エステルは迷わず答えた。
「え!?」
リオンは心底驚いた顔をする。
その顔が面白くてフッと笑ってから、エステルは丁寧に説明してやる。
「考えてもみろよ。身分はそんじょそこらの奴らからすれば雲の上の侯爵で、しかも王都にまで攻め入ってきた公国軍と黒騎士と超大型モンスターを撃破して、国の危機を救った英雄だぞ。正直、今のお前には私やアンジェなんて比べ物にならないくらいの影響力があるぞ」
「ええ──マジかよ。でも、いくら何でも命令一つで退学とかは無理だろ?無理だよな?」
「まあそれはさすがにな。でもお前がそれらしい証拠を持って学園長に退学を要求すれば──まず間違いなくできるぞ。お前と新入生の女子とじゃ信用が違うからな」
「はあ?それって師匠の信用を利用するってことじゃねーか。そんなこと絶対にしない!」
力強く宣言するリオンにエステルは再び笑う。
「お前ならそう言うと思ったよ。お前あの人大好きだもんな」
「そりゃそうだ。あんなできた人いねーよ。それにあの人のお茶は素晴らしい!あれだ、お前にとっての剣の師匠みたいなもんだよ。敬愛だ敬愛」
「ああ──分かるぜ」
敬愛──そんな言葉が浮かんでエステルは胸が苦しくなった。
愛──自分が心の奥底では求めてやまないものを思い出してしまったのだ。
リオンとシてしまった時、そこに愛などなかった。あったのは熱に浮かされた欲望だけだ。
そして今残っているのは恐怖と後悔。
何か、真っ黒な不定形の霧のようなものが心に立ち込めているような嫌な気分になる。
その気分を振り払おうと、少しポジティブな方向に話を持っていこうと試みる。
「まあ、ああは言ったけどそこまで心配は要らないだろう。お前が女子生徒を庇ったことはすぐに知れ渡るだろうからな。馬鹿男子共も少しは大人しくなるだろうさ」
「何だよ。心配して損したじゃねーか。あーよかった。これで平穏な学園生活が送れるかな」
ほっと胸を撫で下ろすリオンに──
「お前、本当に能天気だよな」
自分でも驚くほど低い声が出た。
「お、おい、どうした?」
リオンが冷や汗を浮かべて問いかけてくるが、それは却ってエステルの神経を逆撫でした。
「うるせえ!お前はいつも呑気にヘラヘラし過ぎなんだよ!他の奴がどれだけ気を揉んでいるかも知らないで!私だって!」
「え?エステル?お前何言って──」
リオンが言い終わるよりも早く、立ち上がって彼の胸倉を掴む。
なぜそんな行動に出たのか分からない。
ただ怒りが一瞬で沸点を突破して衝動的に全てをぶちまけたくなった。
「──黙ってようって思った。──忘れようと思った。でも無理だった。三人目って何だよ。悩んで、後悔して、ビクビクしてた私が馬鹿みたいだろうがッ!」
「ち、ちょっと待てよ。何のことを言っているのか分からないよ。何にそんなに怒っているの?」
ひたすら困惑するリオンの顔を見ると、何も知らない彼と、みっともなく喚いてしまった自分自身に激しい嫌悪感が湧き上がって、歯を食い縛る。
頬を涙が流れる感触。
エステルは溢れ出した涙を拭うこともなく、抱えていた想いを思い切り言葉にしてリオンにぶつけた。
「春休みが始まった時──二人で飲んで話したよな。それで酔い潰れて近くの宿屋で休んで──それでどうなったか、覚えているか?私は覚えているぞ。はっきりな。──ヤッたんだよ。私ら。それはもう何回も何回も、歪めたくて、壊したくて、私のものにしたくて腰振って、胸押し付けて、唇吸って、身体中舐め回して。お前も、何かから逃げるみたいに腰振って、私にしがみついて、ごめん、ごめんって言いながら何回も私の中でイッた。本当に──気持ちよかった。でも終わって次の日起きたら残ったのは恐怖と後悔──あと、おかしくなっちまった私だけだ。アンジェとリビアにバレたらってビクビクして、早く忘れようって思って──忘れられそうだったのに、お前を見たら、顔見れなくて、見たら変な気持ちになって──あの夜のこと思い出しちまって──なのにお前は綺麗さっぱり忘れてスッキリしたツラしやがって。おまけに公認で三人目とか作っていやがった。それで私のことは悪友だって──何なんだよ!ふざけんなよ!こんなの──こんなの──」
続ける言葉が見当たらなくて、エステルは黙った。
掴んでいた胸倉を放して、リオンの胸に拳を叩きつけ嗚咽を漏らす。
「──ごめん」
リオンがどうにか口にできたのはそれだけだった。
エステルに言われても、まだあの夜のことは思い出せない。
だが彼女が嘘を吐いていないことは何となく分かった。自分が覚えていないところで彼女に酷いことをしてしまったのだと。あの朝の違和感の正体はこれだったのだと。
だが、恋愛経験の乏しいリオンにはどうすればいいのか分からなかった。
分からなくて──固まったまま口だけ動かして謝るしかなかった。
エステルは目を見開き、とめどなく溢れる涙を袖で拭って、またリオンの胸倉を掴む。
「謝って、済むと、思ってんのかよ──そんなことしたって、なかったことには、できないんだぞ。おかしくなった、私は、戻らないんだぞ。お前のせいで──情が湧いちまったんだよ。今だって、怒ってるのに、嬉しいんだ。お前と、二人っきりで、何もかも、ぶちまけられて──おかしいだろ、こんなの。ふざけんなよ──責任取れよ」
そう言ってエステルは体術でリオンを思い切りカーペットの床に叩きつけ、その上から覆い被さった。
「悪いのはお前だからな。お前のせいで私はおかしくなっちまったんだからな」
「え、ちょ、待っ──」
リオンが抵抗しようとするよりも早く、エステルの唇が口を塞ぐ。
そのまま強引に舌を入れて唾液を絡ませてくるエステルを、リオンは必死で引き剥がそうとしたが、彼女の鍛えられた恵体から繰り出される力に全く敵わない。
程なくリオンは抵抗を諦めた。
エステルは唇を離し、片手でリオンを押さえつけたままもう片方の手でリオンの股間をまさぐる。
「ははっ、襲われているってのにここはこうなるんだな」
固くなったそこを愛おしげに撫でて、エステルは微笑んだ。
その微笑みはリオンが見たことのない妖艶な色香を放っていた。
再び二人の唇が触れて──次の瞬間には激しく絡み合う。
粗雑に衣服を剥ぎ取り、露わになった肌を密着させる。
理性は快感に塗り潰され、二人は互いの身体の感触に溺れていく。
もっと触りたい。
もっと触って欲しい。
ぴったりくっついて。
一つになって。
満たして。
包み込んで。
快楽の海に溶け合いたい。
今だけ。今だけでいい。
私だけを見て欲しい。
俺を許して欲しい。
心に抱く思いは秘めたまま、ただ肌に任せて、それでも二人は確かに愛し合っていた。
あの夜ついた火はとっくに燃え盛る炎へと変わっていた。
もう後戻りはできない。
友達から別の関係に変わる時ってゾクゾクするもの
──見てる分には