王都上空で戦うリオンの姿を目にして、考えるよりも先に足が動いていた。
都市の上空での戦闘行為は明確に禁じられているにも関わらず、それを破って戦っていると言うことは、突発的な衝突──しかもすぐにケリがつかないあたり苦戦している。
悠長にパイロットスーツに着替えている暇はなく、部屋着姿のまま、濡れた下着すら替えずに部屋を飛び出した。
向かう先は王都にあるファイアブランド家の屋敷。
その格納庫に愛機アヴァリスが駐機されている。
だが、女子寮の玄関を出たところで招かれざる客が待ち受けていた。
空賊の格好をしているが明らかに訓練された兵士の群れ。
彼らが突然現れたエステルに一瞬面食らうも、すぐにライフルを向けてくる。
「止まれ!」
隊長と思しき者が怒鳴ってくるが、エステルは無視して魔法で風の刃を生成して投げつけた。
扇形に広がる風の刃が敵兵たちを一網打尽にし、悲鳴と血飛沫が上がる。
あっという間に一個小隊を消滅させたエステルだが、その先に広がる光景に唖然とする。
空賊の旗を掲げた飛行船が学園上空を占拠し、そこから続々と兵士がロープを伝って降りてきていた。
「──何が起こっていやがる」
明らかな異常事態にしばし足が止まっていたが、そこへ後ろから聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「エステル!?」
「エステルさん?」
振り返ると、そこには制服姿のアンジェリカとオリヴィアがいた。
倒れた敵兵たちを見て一瞬顔を顰めるも、上空の飛行船を見て青褪める。
「これは──襲撃されているのか!」
アンジェリカが驚愕の声を上げる。
「それだけじゃない。リオンが何者かと戦っている。苦戦しているみたいだ」
学園から離れた空域で謎の鎧と派手に撃ち合うアロガンツを指差すと、二人はさらに驚愕した。
「リオンさん!?一体何が──」
「分からない。助けに行きたいが、その前にあの飛行船をどうにかしないと!」
撃墜するだけなら簡単だが、問題はそうすれば学園に墜落してしまうということだった。
無人の校舎ならまだしも、寮や教員宿舎に落ちれば甚大な被害が出る。
「学園を盾にされているな。あれでは落とすに落とせないぞ」
理解しているアンジェリカが歯噛みするが、オリヴィアがはたと手を打って言った。
「考えがあります」
「何?」
「私が障壁を展開して飛行船がグラウンドに落ちるようにします。そうすれば、被害を出さずに済みます」
「──できるのか?」
「できます!やってみせます!」
オリヴィアの力強い瞳を見てエステルは彼女の力を信じることにした。
「──なら頼む!」
「はい!」
オリヴィアが頷いて呪文を詠唱すると、彼女を中心にドーム状の障壁が出現する。
障壁はさながら風船のように膨張し、あっという間にグラウンドを除く学園全域を覆い尽くした。
「今です!エステルさん!」
合図を受けたエステルは手刀を作って構えを取り、呼吸を整える。
剣はないが、大切なのはイメージだ。そのために、些細なことに捉われず、その先にある結果だけを見据える。
斬る念なく、切った先の事柄のみ念ず──その心構えを再度確認した後、その【奥義】の発動に意識を集中する。
魔力を手刀に収束させ、臨界点を突破した直後。
思い切り手刀を振り抜く。
その軌道状に生じた夜より黒い暗黒の三日月──空間の亀裂とでも言うべき防御不能の刃が、波紋のように広がりながら敵飛行船へと向かって行き、船底部から甲板にかけて斜めにすり抜けて、消滅した。
敵飛行船の船体に綺麗な一本線の切れ目が入り、分断された上半分がずり落ち始める。
やがて動力系統も切断されたのか、エンジンが止まり、飛行船はゆっくりと落下し始める。
そしてオリヴィアが展開した障壁に接触したかと思うと、障壁が形を変え、トランポリンのように凹んで落下の衝撃を受け止めると、一部が再び膨張して飛行船を無人のグラウンドへと押しやり、さほどの土煙も立てずに落着させた。
そのとんでもない芸当にエステルは思わず内心で舌を巻いた。
だが、それを表には出さずにすぐに次の行動を開始した。
「よし。後はお前らに任せる。私はリオンに加勢しに行く」
その意味するところをアンジェリカとオリヴィアはすぐに察してくれた。
「分かった。あいつを頼む。終わったらここに戻ってきてくれ」
「お願いします。エステルさんも気を付けてください」
自分を信じて祈るような視線を向けてくる二人から目を逸らしたのは罪悪感からか、眩しさからか。
軽く頷いて、エステルは夜の王都へと駆け出していった。
◇◇◇
フルパワーで放たれた衝撃波はしかし、ヘリングを粉砕することはなかった。
落ちていくあたり、意識を失いこそしたようだが、まだ形を保っている。
「おい嘘だろ!?フルパワーで叩き込んだんだぞ?」
リオンは驚愕のあまり思わず叫んだが、エステルは落ち着いていた。
『いや、問題ない。気絶している。簡単にトドメを刺せる』
そう言ってヘリングを追撃しようとするエステルをリオンは慌てて制止した。
「待て殺すな!あいつは証人だ。生かしたまま捕らえて情報を──」
だが、言い終わらないうちにエステルが黒い斬撃を飛ばし、ヘリングの両手足を斬り飛ばした。
鎧の両手足だけではなく、中にいる本人のそれもである。
『ぐああああああっ!!』
ヘリングが痛みで目を覚まし、悲鳴を上げる。
それでも何とか翼を羽ばたかせて落下を止めようとしていたが、そこへ容赦なくアヴァリスが体当たりし、そのまま急降下して地面に叩きつけた。
『大人しくその魔装とやらを解除するか、ここで死ぬか、選べ』
漆黒の大剣を鎧の胴体──ヘリング本人が収まっているところに突きつけてエステルが脅す。
『く、くそ──』
ヘリングはなおも翼を動かして抵抗するが、すぐにその翼も斬り落とされた。
更にエステルは突きつけた大剣をズブリと浅く突き刺した。
『聞こえなかったのか?さっさと魔装を解除しろ。でなきゃここで殺すぞ。あと五秒だ』
『ぐ──くそ──が』
ヘリングは悔しそうに呻いて魔装を解いた。
鎧が崩れて黒い液体になったかと思うと、一瞬で蒸発したように消えた。
現れたヘリングは両手首と両膝を切断され、腹部に風穴が空いて、もはや起き上がることもできない状態だった。
それを見てリオンは思わず顔を顰めてエステルを咎める。
「お前、ここまでする必要あったのかよ」
だがエステルは涼しい声で反論してきた。
『魔装持ちだぞ。生半可なやり方で捕まえられるかよ。それにこれくらいならリビアが治療できる』
「──リビアにそんなことさせるなよ」
確かに魔装と戦う度に苦戦を強いられてきた経緯がある故、エステルの言い分も分からないではないが、それにしたってやり過ぎだとリオンは思う。
それにオリヴィア──よりにもよって裏切った親友に四肢切断した人間の治療をさせるつもりなのにも腹が立つ。
だが、オリヴィアの名を出した途端にエステルは露骨に不機嫌な声になった。
『あーはいはい。英雄様はお優しいですね。私が悪うございました!』
「お前な──」
久しぶりに息ぴったりの共闘をして、話したかと思えば、こんなギスギスしたやりとり──一瞬頭に血が昇ったが、ここで喧嘩しても始まらない。
これも元はと言えば俺のせいかと飛び出しかけた怒鳴り声を呑み込む。
そして、オリヴィアに言われた仲直りは難しそうだ、と思って溜息を吐く。
「まあやっちまったものは仕方がない。取り敢えずこいつを学園まで運ぶぞ」
そう言って、リオンはアロガンツを降りて、ヘリングの応急手当てに取り掛かる。
だが、すぐにエステルの焦りを含んだ声に作業は中断されてしまう。
『──どういうことだよオイ。王都が燃えてんじゃねーか』
その言葉にリオンは手当ての手を止めてしまう。
「──は?」
魔装を使った殺人事件、魔装を使うヘリングとの戦いに加えてまだトラブルが続くなど想定外の連続過ぎる。
思わず茫然としていると、エステルがアヴァリスから降りてきて、着ていた部屋着の上を脱いで破いた。
搾りたてのミルクのような白い肌とスポーティーな黒い下着が顕になる。
「え、ちょっとお前何を──」
慌てるリオンを無視して、エステルは破いた部屋着で切断されたヘリングの手足を縛り上げ、止血した。
「おい、見てないでさっさとコイツを運べよ。早く学園に戻ってアンジェたちと合流しないと」
その言葉でリオンは我に帰り、エステルの下着から目を逸らした。
「あ、ああ。そうだな。悪いがちょっと我慢してくれよ」
ヘリングを担ぎ上げ、落ちた手足を拾い、アロガンツのコンテナに放り込むと、すぐにコックピットに乗り込んで離陸した。
◇◇◇
学園のグラウンドに戻ってみると、オリヴィアとアンジェリカに加えてノエル、マリエと五馬鹿、エリカ王女、ミリアリスまでいた。
「リオンさん!エステルさん!」
「二人とも無事か!」
駆け寄ってくるオリヴィアとアンジェリカ、ノエルにリオンが申し訳なさそうに言う。
「ああ。エステルが来てくれて助かった。それでリビア、悪いけど治療して欲しい奴がいる」
そう言ってアロガンツのコンテナからヘリングを引っ張り出した。
瞬間。
「いやあああああああああああああ!!騎士様ああああああああああ!!」
ミリアリスの絶叫が響き渡る。
脱兎のごとく走り出したミリアリスは一瞬でヘリングのもとへ駆け寄り、必死に呼びかける。
「騎士様!目を開けて!お願い!目を開けてください!──誰か!騎士様を助けて!!」
半狂乱で泣き喚くミリアリスの肩を掴んで落ち着かせるのはマリエだった。
「落ち着いて!大丈夫!すぐ治療するから!」
金切り声を上げるミリアリスに届くようにと大声で怒鳴ると、ミリアリスはひとまず黙った。
だが、それでも溢れ出る涙は止まらない。
「まず手を繋げるから、握っていてあげて。きっと分かるから」
そう言ってマリエはヘリングの右手に治療魔法をかける。
オリヴィアもマリエに続いた。
二つの眩い白い光がヘリングを包み込む。
そして意識を失っていたヘリングがピクリと動き、うわ言を呟き始めた。
「あ──駄目だ──ミア──を──早く──助け──」
「騎士様!ミアはここにいます!」
ミリアリスが繋がったヘリングの手を握り、呼びかける。
そしてマリエとオリヴィアは両足を繋げにかかる。
「両足とも繋がったわ!後はお腹の傷を──」
「それは私が!」
オリヴィアがヘリングの腹の傷を押さえて治療魔法を使うと、傷口はみるみる塞がって元の健康的な褐色肌に戻った。
「何とか傷は塞ぎました。後は血管や神経系を繋げれば──」
「あんたもうへばってきているでしょ?二人で同時にやるわよ!」
「騎士様!聞こえますか?騎士様!」
治療を行うオリヴィアとマリエ、そしてヘリングに寄り添うミリアリスをよそにアンジェリカとリオンとエステル、そしてエリカ王女と五馬鹿は情報交換を行う。
ノエルが部屋で、五馬鹿が男子寮で、マリエとエリカ王女とミリアリスが中庭付近で、空賊の格好をした兵士に襲撃され、どうにか怪我人を出すことなく撃退したことを話して──その後エステルがリオンを助けに行こうとして玄関先で同じく空賊に偽装した部隊と鉢合わせ、これを難なく殲滅した後、学園上空を占拠していた飛行船を撃墜したことを話した。
「は?お前──素手で飛行船を斬ったァ?」
リオンを筆頭にその場を見ていたアンジェリカ以外の全員が唖然とする。
「いや公国との決戦の時何回も見ただろ。あれと同じ技だよ」
「いやお前、それにしたって鎧も剣もなしに──」
「成長しているのは私も同じってことだよ。それより、飛行船を落としてから私はリオンに加勢しに行ったが、学園の方はどうなってた?」
エステルの質問を受けてアンジェリカが説明する。
「生き残った飛行船の乗員と生け捕りにした兵によれば、奴らはラーシェル神聖王国から潜入してきた部隊だそうだ。私たち──リオンの婚約者を捕らえて人質にするために送り込まれたと言っていた」
「はぁ!?」
リオンが激昂するが、アンジェリカは話の腰を折るなとばかりにデコピンを食らわせて黙らせる。
「それだけではない。奴ら、王都の各地に抱き込んだ協力者や傭兵をばら撒いて暴動を起こさせたようだ。しかもその協力者の一人を使って──国王陛下に毒を盛ったとも。奴らからすればリオンを引きつけるための陽動らしいが、対処は容易ではない。すぐに王宮に向かわなければならないと思っていたところだ」
「何だって!?ローランドが、毒?それに暴動って──」
「そういうわけだ。私たちは王宮にこのことを報告に行き、情報共有を行うと共に、起こっている事態への対処に当たる必要がある。リオン、エステル。戦いの直後で悪いが、お前たちにも来てもらうぞ」
「──分かった」
「了解だ」
リオンはアロガンツに、エステルはアヴァリスに、他の面々は馬車に乗り込んで出発し、一路王宮を目指す。
◇◇◇
王宮。
国王ローランドの寝室にはリオン、エステル、アンジェリカ、ユリウス、エリカ王女だけが通された。
そこでローランド王は驚くべき命令をリオンに下した。
「お前に全ての指揮権を一時的に貸し与える。ミレーヌから現状を聞いて、適切に対処してくれ」
「この状況を俺に収めろと?」
「そうだ」
公国との戦いで王国を救い、共和国においてもラーシェルが絡んだクーデターを見事鎮圧してみせた能力と実績を見込んでの指名であろうとその場のほぼ全員が納得していた。
だがリオンは諦め悪く抵抗する。
「ユリウス殿下がいます。俺が殿下の下につき、命令通りに動きましょう」
「駄目だ。ユリウスは実績もなければ、王宮内での評判も悪い。ユリウスが命令を出しても、従わない者たちが出てくる」
「でしたらエステルでは?能力と組織を動かした経験は俺より上です。彼女に指揮を執ってもらった方が俺も柔軟に動けます」
「ああ──だが、それでもだ。お前と彼女では信用が違う。実際の能力がどうであれ、より大きく、華々しい実績を上げた方を人は信じる。これも適材適所なのだ」
そう言ってローランド王は激しく咳き込み、呼吸を整えた後、リオンの手を強く握って血走った目を向ける。
「小僧──私はお前が嫌いだ。だが、お前の力は認めている。お前なら上手く収めてくれると信じている。頼んだぞ。こう──しゃ──く」
ローランド王の手から力が抜ける。
「陛下!」
ミレーヌ王妃が叫び、宮廷医がリオンを押しのけて診察する。
「大丈夫です。疲れて眠られたようです」
安堵の溜息が周囲から漏れる。
そしてミレーヌ王妃がローランド王の側を離れてリオンの方へと歩いてきた。
「侯爵、もう時間がありません。すぐに対処しなければ、王都は火の海になります」
「ええ。各地で暴動が起きているようですね。こちらで捕らえたラーシェル兵からアンジェたちが聞き出しました」
「はい。空賊に偽装して学園を襲撃した部隊の一部を捕らえました。連中の指揮官と思しき者も捕縛し、寮に収監してあります。速やかに回収し、尋問を行うべきかと」
リオンとアンジェリカの報告にミレーヌ王妃は眉根を寄せる。
「そうですか。やはりラーシェルが裏で糸を引いていたのですね。そちらはすぐに憲兵隊を回すとして──問題は今王都で動いている者たちです。王都に隠れていた元貴族たちが一斉に動いています。数が多く、対処が間に合っていません」
「──取り潰された家の連中ですか」
「ええ。ローズブレイド家が調査してくれたおかげで判明しました。これまで捜査から取りこぼされてきた小さな組織が一斉に蜂起した形です」
「なるほど。確かに厄介ですね。ですが、お任せください。何とかしてみますよ」
ミレーヌ王妃を前にキリッとした顔で宣言するリオンに、オリヴィアとアンジェリカとノエル、そして──エステルが眉をひそめるのだった。
会議室。
テーブルに広げられた地図を前にリオンは次々に指示を出していく。
「軍の再配置を行います。この中隊とこの中隊をこの西の大通り沿いに、こちらの小隊は──」
現場から上がってくる情報と使い魔からの報告を頼りに次々と敵の拠点や位置、移動先を読み、部隊を配置していくリオンの手腕に、居合わせた面々が生唾を呑み込む。
この男には一体何が見えているのだろうか──と。
周囲の驚嘆をよそにあらかた指示を出し終わった後、リオンは顎に手を当ててしばし考え込む。
「このままでは手数と速度が足りませんね。──友人たちに協力してもらいましょう。ブラッドとグレッグとクリス、あとジルクも呼んでください。彼らにも働いてもらいます。それとエステル」
「何だ?」
呼ばれたエステルがリオンの側に進み出ると、リオンはアヴァリスの出撃を命じる。
「悪いがお前もアヴァリスで出てもらいたい。まだ飛ばせるか?」
「──ああ。いける」
「なら頼む。ヤバそうな連中を相手してもらうことになるけど──」
心配を見せるリオンにエステルは「そういうのはいい」とかぶりを振った。
「総司令官様だろお前。今更そんなこと気にすんじゃねえよ。それに正直ヘリング相手じゃ暴れ足りなかったところだ」
「──そうか。目標は俺がその都度指示する。くれぐれも勝手に動かないでくれよ。それと無茶はするな」
「注文が多いな。ま、ご命令とあっちゃ仕方ない。了解だ。お前こそ焦って下手打つんじゃねーぞ」
そう言ってエステルは会議室を飛び出していった。
「リオン、俺は?」
残されたユリウスがリオンに問いかけるが──
「王子様を前線に出せるかよ。大人しくしてろ」
冷たく一蹴されるのだった。
一連の様子を会議室の隅で見ていたアンジェリカは言い知れぬ違和感を覚えていた。
どういうわけかここしばらく互いを避けていたリオンとエステルだが、今見てみると以前よりも距離が近い気がする。
喧嘩して、仲直りすると以前よりも仲が深まると言うが──はて、二人は一月以上口を利かなくなるレベルの喧嘩などしていただろうか?
していたとして、こんな短時間で仲直りしてここまで距離が縮まるだろうか。
エステルがリオンを助けに向かったのはまだ頷ける。
自分だってリオンと喧嘩してしばらく口を利かなくても──そんなことはまずないが──彼が危機に陥っているともなれば迷わず助けに行くだろう。
だがその後──そして共闘をきっかけにわだかまりが解けたにしても、二人の話し方、声の調子、目線の動きなどはどこかこれまでとは違う。
あれは友情が深まったというよりもむしろ──
一瞬考えたくない可能性が頭をよぎった。
(駄目だ駄目だ。この前もこうやってあいつを疑って、結局何もなかったじゃないか。──まあ、ノエルはいたが、私が彼女を娶るように言わなければああはならなかったわけだし──)
共和国でリオンが浮気したと疑いをかけて手酷く詰問してしまった反省から、アンジェリカは生じた疑念を振り払ってしまう。
◇◇◇
何発もの魔弾が赤い光を曳いて向かってくる。
建物の影に隠れた敵の鎧からの対空射撃だ。
だが、そのどれも、アヴァリスを撃ち落とすことはおろか、傷つけることも叶わない。
そして身の程知らずにもアヴァリスを
もう何機目か分からない鎧の頭部を叩き潰して、エステルは呟く。
「この程度か。所詮は陽動、捨て駒ってわけだな」
──足りない。
この渇き、この疼き、この切なさ、このもどかしさを紛らわすには到底足りない。
彼の声が聞こえてくる度、意に反して胸が波打ち、顔が火照り、肚が疼く。
それらの反応から意識を逸らすには眼前の敵はあまりにも弱過ぎた。
リオンへの情欲とそれが満たされない苛立ちでコンディションが明らかに落ちて雑な戦い方になっているのに、一方的に倒されていく。
それが物足りなくてますます苛立ちを煽り、さらにリオンに心乱されて調子が出ない自分への怒りも相まって、戦い方に嗜虐性が混じり始める。
『助けてくれ!降伏する!降伏するから!』
「うるさい」
踏みつけた鎧から聞こえてきた命乞いを一蹴し、コックピットを踏み潰す。
『た、隊長!?』
『何なんだコイツは!?』
『聞いてねえ。聞いてねーよこんなの!』
恐れをなした敵パイロットたちが逃げようとするが、真っ先に飛び立とうとした一機の背に無慈悲な銛が突き刺さる。
「待てよコラ」
突き刺さった銛から魔法が発動され、敵機はバチバチと放電したかと思うと、膨張して内側から爆散した。
そして鎖が巻き取られ、爆炎の中から無傷の銛が飛び出してきてアヴァリスのガントレットに戻る。
「逃げても無駄だ。さて、続きをやろうか。私を楽しませてくれたら命だけは助けてやるよ」
その言葉で腹を括ったらしい敵が武器を構え直し、一斉に襲いかかってくる。
「──なんてな」
紫電一閃。
襲いかかってきた敵機がバラバラに砕け散る。
静かになった戦場を見てエステルは溜息を吐く。
数だけなら中隊が作れるくらいいたが、結局十分足らずで殲滅してしまった。
虚しさと物足りなさと苛立ちは増すばかりだ。
その渇きを一瞬だけ癒してくれる彼の声をエステルは待ちわびる。
次の目標を指示してくるリオンの声を──
だが、聞こえてきたのは別の人物の声だった。
『相変わらず派手な暴れようだね。エステル』
聞き馴染みのあるキザな声。
見上げると、特徴的な衝角を持つ飛行戦艦が近づいてくる。
「──ブラッドか」
『そうだよ。リオンの指示で補給物資を届けに来た。じきにクリスたちも来る。彼らのためにも早めに補給を済ませてくれると助かるよ』
飛行戦艦【アインホルン】からコンテナが降ろされ、整備員たちが手早く荷解きを開始する。
コンテナの側にアヴァリスを寄せ、動力部のハッチを開けると、整備員たちはアヴァリスに乗り移り、消耗した魔石を補充し始めた。
ただでさえアヴァリスの燃費は最悪なのにさっき雑な戦い方をしたせいで魔石の消耗が激しい。
そのことへの苛立ちから気を逸らそうとブラッドに問いかける。
「戦況はどうなっている?」
するとブラッドは「フッフッフ」と勿体ぶってから話し始める。
『順調そのものだよ。全戦域で分散した反乱勢力の各個撃破に成功した。西では憲兵隊が逃亡貴族の集団を捕縛したし、北と東は僕の艦隊を主力に機動戦を展開して各所で敵を包囲した。で、ここ南に逃げてきた連中は近衛軍団と君が片付けた。まさに芸術的と呼ぶに相応しい、美しい勝利だ。中でも僕の艦隊の見事な──』
自慢話を始めたブラッドだが、エステルは上の空だった。
湧き上がっていたのは興奮だった。
リオンはまだ力の底を見せていなかった、やはりあいつは凄い──と、同時にその力が現在の王国にとって脅威に映ることにもエステルは思い至っていた。
リオンは確かに強いし、一流の戦術家でもあることが改めて証明されたが、政治にはやはり疎い。
瀕死のローランド王の頼みのせいか、考えなしに力を発揮しているが、その力を王国の中枢にいる者たちが目にしてどう感じるかには考えが至らないらしい。
ここから先、そう遠からずまた王国は荒れるだろう。
その時リオンはどう考えても茨の道を歩むことになる。
下手をすれば王国に疎まれて、命を狙われるかもしれない。
だが──そうなったらむしろチャンスではなかろうか。
リオンのことだから王国と戦って多くの犠牲を出すよりは、何もかも投げ出して身を潜める道を選ぶ可能性は高い。
婚約者たちのことも「俺と一緒にいたら不幸になる」だの何だの言って突き放そうとするだろう。
そして一人になった彼に、自分が手を差し伸べてファイアブランド領で匿えば──
「──なんて、そう都合よく行くわけはないか」
リオンは何だかんだで婚約者たちのことを愛しているし、婚約者たちもリオンから離れることはないだろう。
──何がどうなろうと彼の側に自分の居場所はない。
興奮が過ぎ去って陰鬱な気分が襲ってくる。
結局私は遅過ぎた負けヒロインなのか──そう思っていると、整備員が補給の完了を伝えてくる。
現実に引き戻されたエステルはリオンに次の指示を求めた。
「補給は完了したぞ。次はどこに向かえばいい?」
だが通信機から聞こえてくるのは雑音だけで、リオンの返事は聞こえてこない。
「おいリオン、聞こえていないのか?次の指示を頼む」
もう一度呼びかけたが、帰ってきたのは怒りの込もった声だった。
『──何だとルクシオン。もう一度言ってみろ』
『お二人とも人質に取られています。首謀者は淑女の森の残党ゾラたちですね。ルトアート、メルセの二人も確認しています』
『ッ!俺が行く!』
次の瞬間、通信機が大勢の怒号で騒がしくなる。
どうやらリオンが総司令官の責務を放棄して囚われた姉と妹を助けに行こうとしているようだ。
だが、周囲はそれを止めている。
──またこれか。
彼らしいと言えばらしいが、周囲の頭を悩ませる彼の悪癖──家族や近しい者たちへの病的なまでの献身がまた表出した。
エステルはリオンのその部分だけは以前から大嫌いだった。
実の父に疎まれ、一度はその身を売られかけた彼女にしてみれば、たとえ家族であっても自分を邪険に扱う者のために尽くすなど考えられないことだった。
そう、以前ならば──
「私が行く!!リオン!場所を教えろ!」
通信機に向けてありったけの声でエステルは叫んでいた。
『エステル──』
「お前が行くより私が飛んだ方が早い!それにお前は今総司令官だ!最高責任者が私情で仕事を放り出すな馬鹿野郎!」
『何だと!?』
「言い争っている暇はない!さっさと場所を教えろ!」
『ッ!──』
リオンはまだ逡巡しているようだ。
その頑固さに苛立ちながらも、エステルは努めて優しい声で諭す。
「私を出したのはこういう予想外のことが起きた時のためだろうが。気持ちは分かるが、頼む。信じてくれ」
『──絶対に誰も死なせるんじゃねぇぞ。ゾラたちは生かしたまま捕らえて俺に引き渡せ。こっちが片付いたらすぐ行くからな』
「任せろ」
ようやく折れたリオンから姉妹の居所を聞いたエステルはすぐにアヴァリスの翼を広げ、その場を離陸した。
(ああくそ。なんであんなこと──勝手にしろってのに)
以前なら彼の悪癖を肩代わりするなんてこと絶対しなかったのに、と自分の言動に戸惑うエステルだった。
◇◇◇
そこは王都の中でも特に古い建物の地下だった。
かつて【淑女の森】という組織を構成していた元貴族の女性たちの集団がアジトにしていたが、クーデターの失敗を悟ってほぼ全員が逃げ出した後だった。
もぬけの殻となったその場所で、ジェナとフィンリーは拘束され、囚われていた。
突然王都のあちこちで火の手が上がり、訳も分からず逃げ惑っていたら、飛び込んだ裏路地でかつての兄ルトアートと遭遇し、捕らえられてしまったのである。
そして連れてこられたこの場所にはかつての父の正妻ゾラとかつての姉メルセがいた。
かつての公国との決戦の際、バルカスに離縁されたゾラ一家はその後まさに泥水を啜って生きてきたらしく、その鬱屈をジェナとフィンリーにぶつけてきた。
そしてメルセに暴力を振るわれたフィンリーを庇ってジェナが満身創痍になるまで痛めつけられた。
フィンリーにはただそれを見ていることしかできなかった。
泣いても叫んでも慈悲はなかった。
祈っても願っても無い力は湧いてこなかった。
唯一頼れる可能性があったリオンも助けには来なかった。
当然だ。
自分たちは馬鹿で無力な小娘でしかなく、そのくせ自分の身に危険が及ぶことなど考えもせずに門限を破って王都を彷徨いていたのだ。
王都中大混乱のこの状況で探しても見つけられるわけがない。
それ以前に助けようともしてくれないだろう。
散々馬鹿にし、金を無心し、我儘ばかりしてきた自分たちにリオンが向ける目は冷たかった。
だから──できたのは怒りと憎悪を込めて彼らを睨みつけることだけだった。
(こいつら──絶対に許さない。この痛みはいつか十倍にして──)
その時、入り口が蹴破られる音がしたかと思うと、聞き覚えのあるハスキーな声が聞こえてきた。
「へぇ、随分派手にやられたな。ジェナ先輩」
舞い上がった埃の向こう側から姿を現したのはリオンに次ぐ英雄として知られ、学園の女子生徒の中で最も恐れられている人物だった。
(嘘──エステル先輩!?)
噂やリオン伝に聞くか、遠目に見たことしかなかった伝説のような人物の登場にフィンリーは瞠目する。
「お、お前は!?」
ルトアートが拳銃を抜いて発砲するが、一発もエステルには当たらない。
すぐに拳銃の弾を撃ち尽くしたルトアートはナイフを手にしてエステルに突進するが、彼女は片手で容易くルトアートの手首を捕まえ、そのまま握力だけで握り潰してしまった。
「いだああああああい!!手が!私の手があああ!」
ナイフを取り落として泣き喚くルトアートをエステルが放り投げると、ルトアートの身体は木の葉のように宙を舞い、ゾラとメルセのいる場所へと落ちた。
そのまま気絶したらしく、ルトアートは静かになる。
「お久しぶりですね。御三方。随分とまあ、みすぼらしい姿になられて──」
エステルが手で口元を隠して震えるゾラとメルセを嘲笑すると、ゾラが喚いた。
「何ですって!どの口が言うのよ!女性でありながら女性を尊重する正しい社会をぶち壊した、裏切り者が!恥を知りなさい!」
「そ、そうよ!今にアンタなんか同志たちが──革命が成功したらアンタなんか処刑して──」
メルセもゾラに加勢するが、エステルは腹を抱えて笑うだけだ。
「アハハ!相変わらず清々しいくらいの屑っぷりだな、托卵婆。私は確かに女だが、それだけで一緒にされるのは心外極まるぜ。それに革命だって?あんなお粗末な暴動がか?笑わせてくれる。とっくにあらかた鎮圧されたぞ。今頃はもう掃討戦も終わっているだろうな」
エステルの言葉にゾラたちは青褪める。
「う、嘘よ」
「私がここにいるのが証拠だよ。ついでに教えてやろうか。鎮圧の指揮を執ったのはリオンだよ」
「なっ!?あ、あの糞ガキ──」
リオンの名を聞いて表情が歪むゾラたち。
「はっ、そうやっていつまでも何もかもあいつのせいにするんだな。ま、そうとでも思わなきゃ、やってられないか」
そう言って、フィンリーの所に辿り着いたエステルの腕に魔法陣が浮かび、フィンリーの手を縛めていた手錠が破壊される。
自由になったフィンリーはすぐにジェナに駆け寄った。
「お、お姉ちゃん!目を開けて!お願い!」
目を覚まさないジェナにフィンリーは青褪めた顔でエステルに縋り付く。
「お願い!お姉ちゃんを助けて!私を庇って何回も棒で殴られて──その前に脚を撃たれて、血が──私のせいで──」
敬語を使うのも忘れて泣きつくフィンリーにエステルは意外そうな顔をする。
「ふーん──あの自己中なジェナ先輩がね」
そしてエステルはジェナの額にそっと触れた。
魔力か何か送り込んだのか、弱々しかったジェナの呼吸が戻ってくる。
「私にできるのはこのくらいだ。でもまあ、あいつが来るまでは保つだろう。さてと──」
エステルはルトアートが取り落としたナイフを拾うと、指先で回して弄びながらゾラたちに近づいていく。
「リオンからはお前らのことは生かしたまま捕えろと言われたんだが──」
くるくる回るナイフの刃先の軌道上に真っ黒な糸のようなものが出現し、弧を描いたままゾラたちに向かって飛んでいき──頭上の壁に綺麗な切り込みが入る。
「正直お前らのアホ面と戯言には怒りも呆れも通り越して心底うんざりしていてな?」
今度はメルセの足元の床に切り込みが入り、メルセは「ひっ!」と悲鳴を上げて後退る。
「そこのルトアート君はともかく、お前ら二人は腐っても女だから、何だかんだ言ってあいつまたヌルいことしそうだし──」
倒れていたルトアートの耳の横から壁際に追い詰められたゾラの首の真横まで綺麗な曲線の切れ込みが走る。
「だから、捕まえる前に一発くらい思いっ切りぶん殴ってやりたいところだが──どうするよ?バルトファルト妹」
問われたフィンリーはハッと我に帰り、次の瞬間獰猛な獣の形相へと変貌した。
「捕まえるのはちょっと待ってくださいエステル先輩。こいつらにはお姉ちゃんを痛めつけた落とし前、つけさせます。私がこの手で!!」
次の瞬間、フィンリーはエステルの返事も待たずに床を蹴ってメルセに襲いかかった。
「ひっ!やめ──ぐふぅぇ!」
鳩尾にフィンリーの跳び膝蹴りをモロに喰らったメルセが腹を抑えて倒れ込むが、フィンリーは容赦なくその髪を引っ掴み、頭を壁に叩きつける。
「さっきは随分と楽しそうだったな!もっともっと楽しめやオラァ!」
「ひぃぃぃ!痛い!痛い!ごめんなさい!ごめんなさいぃぃぃ!」
「あ"ぁ!?ごめんなさいだァ?さっき私がそう言った時テメエはどうしたか思い出してみろよ!」
一際強く叩きつけると、メルセは動かなくなる。
するとフィンリーはメルセを放り捨ててゾラの方へと向かった。
全身メルセの返り血だらけのフィンリーに恐れをなしたゾラが逃げようとするが、その背にフィンリーの跳び蹴りが叩き込まれる。
「一発ぶん殴るくらいで済ませてなんかやるもんか。お姉ちゃんが受けた痛みを味わわせてやる!」
うつ伏せに倒れたゾラをひっくり返し、馬乗りになって殴りつけるフィンリーを見てエステルは呟いた。
「血は争えないってやつだな。──アイツそっくりだ」
リオンが五馬鹿となぜかジェイクとオスカルも連れてやって来たのは全てが終わって静かになってからだった。
ズタボロにされたゾラたちと返り血まみれのフィンリーを見てリオンは一瞬顔を顰めたが、すぐに駆け寄ってきて礼を言った。
「本当に助かった。ありがとな」
「ふん、お前があんなに取り乱すのも珍しいからな。それより、また貸しが増えちまったな」
ニヤニヤしながら言ってくるエステルにリオンは乾いた笑いが出る。
「ああ──そうだな。今度何かお礼するから」
「──忘れるんじゃねーぞ」
そう念押しするエステルの顔がどこか怖かった。
◇◇◇
王都を大混乱に陥れた暴動騒ぎが終息し、鎮圧に加わった者たちの論功行賞も終わった後。
リオンはオリヴィアとノエルに背を押され、お茶会を開いていた。
正直言って気乗りはしなかった。
密室で彼女と二人きり──また襲われるのではないかとの懸念は拭えなかった。
そして──また襲われれば拒み切る自信もなかった。
それとなく、婚約者がいる身で友達とはいえ女子と二人きりというのは不味いのではと言ってみたが、オリヴィアとノエルは「何を今更」と呆れるだけだった。
一年生の後半からはクラリスやディアドリーともお茶会をしていたし、終盤以降はマリエとも時々会って話をしている。共和国に行っていた時はノエルと何度もデートを重ね、あまつさえ同じ屋根の下にいたこともあった。
それでも特に何もなかったことや、元よりエステルがオリヴィアやアンジェリカとも付き合いが長い親友であることから、彼女たちはエステルのことを全く警戒していなかった。
アンジェリカだけは少々不満げにしていたが、明確な反対はしてこなかった。
エステルがリオンを避けている原因はリオンとの
結果、こうしてお茶会を開いてエステルにご馳走する約束を取り付けさせ、後戻りできなくさせてしまった。
そこの扉が開いてエステルが入ってきて、扉を閉めて、それから先どうなるのだろうか──
普通にお茶会して、仲直りして、元の友人に戻る──そんなこと、まずあり得ないと自分だけが知っている。
そしてその危惧を口に出すことはできない。出せば、否、出さずとも感じ取られただけでも──全てが終わる。
なら自分がしっかりしなければ──本当に何もなく終わらせなければ──
がなる鼓動が頭の中にまで響いてくる中で必死でそう言い聞かせていると、扉がノックされる。
必死で平静を装い、扉を開ける。
そこでリオンは息を呑んだ。
普段は雑なウルフヘアのエステルが髪を結っていた。
見慣れない彼女の姿に鼓動が更に跳ね上がる。
「ど、どうぞ」
「──ああ」
声が上ずりつつも席を示すと、エステルは鷹揚に頷いて中に入ってくる。
沸かしておいたお湯をポットに注ぎ、砂時計を返してからお茶請けを出して──余った時間が気まずい。
クーデターの後、エステルとは会えば挨拶を交わすくらいにはなったが、やはりまだぎこちないままだ。
とにかく何か話題を──と焦るリオンはエステルの髪について尋ねてみた。
「な、なぁ、その髪どうしたんだ?」
するとエステルは若干目を逸らして答える。
「お前とお茶会とか久しぶりだしさ──いつも通りってわけにもいかないだろ」
その声にはいつもの太々しさがなく、頬が少し赤くなっていた。
「そ、そうか。──うん。似合っていると思うぞ」
何を言っているんだこれではまるでデートではないかと思いつつも、他に上手い言葉は見当たらなかった。
しかも言葉に出して褒めると余計に意識してしまう。
エステルがおめかししているところを見るのはこれが初めてではないのに、なぜか今までで一番可愛く見えた。
直視していたら不味いと視線を逸らして砂時計の方を見ると、砂が落ち切っていた。
「あ、もうお茶が入ったな。待たせ──」
瞬間、頭が勝手に動き、エステルの顔が正面に来る。
「お、おい、何するんだよ」
「なんで目逸らすんだ?こっち見て話せよ」
「え、いや、それは──」
しどろもどろになっていると、エステルが席を立って距離を詰めてくる。
「ちょ、ちょっとエステル──」
リオンは思わず立ち上がって後退りするが、すぐに壁際に追い詰められてしまった。
所謂壁ドンのような体勢になる。
あの夜──押し倒された時の情景が脳裏に蘇る。
──駄目だ。
またやられる。
──逃げないと。
──振り解かないと。
なのに、蛇に睨まれた蛙のように身体が言うことを聞いてくれない。
そんなリオンを見てエステルは目を細める。
「抵抗──しないんだな」
「え?──これは──なんで──」
「じゃあさ──これでも?」
エステルの唇がリオンの唇に触れる。
あの夜された貪るような激しいキスではなく、そっとついばむような優しいキス。
強張っていた身体から力が抜けていく。
頭がぼぅっとして、何も考えられなくなっていく。
「──い、いや駄目だって!こんなの」
かろうじて、理性が完全に溶けてしまう前に、顔を逸らして唇を離す。
そしてエステルの肩を掴んで引き剥がそうとすると──エステルはあっさりと離れた。
それが意外で思わずエステルの方に向き直ってしまう。
彼女の瞳からはハイライトが消えていた。
その状態で微笑みを浮かべていて、怖いと同時に妖美でもあった。
──惹きつけられて、目が離せなくなる。
「なぁ、お前、リビアたちとはヤッたのか?」
エステルが小首を傾げて問うてくる。
「は、はぁ!?お前何訊いて──」
「分かりやすいな。まだなのか。私とは十回以上シたのにな」
再びエステルが身体を寄せてくる。
オリヴィアやアンジェリカほどではないが、それなりにはある柔らかな胸が押し当てられて、嫌が応にも身体は反応してしまう。
あの夜見たエステルの胸がとても綺麗だったことを思い出す。
「だ、だから!あれでもう終わりに──」
「嫌だ」
即答で断るエステル。
「お前と関わらないようにすれば忘れられるかと思ったけど、無理だった。むしろ辛くなるだけだった。自分でも最低なこと言っているのは分かっているけどさ、私、お前のこと好きになっちまった」
何かが音を立てて崩れていく気配がする。
抗っても無駄なことだとは分かっているが、それでも最後の理性を振り絞って抵抗する。
「だからってそんな──困るよ」
「別にリビアたちと別れろなんて言わないし、四人目にしてくれとも言わないから。二人きりの時私の相手してくれるだけでいい」
「で、でも──」
オリヴィアとアンジェリカ、ノエルの顔が頭を過ぎる。
「リビアたちのことが気がかりなら、リビアたちともすればいいだろ。私で練習してさ」
「練習って──」
「責め所とか、力加減とか、知っとかないとあいつらとする時失敗するかもしれないぞ?痛い思いさせて嫌われるの、嫌だろ?」
エステルがリオンの手を掴んで自分の胸を触らせる。
あの夜、思い切り掴んでしまった瞬間があったのを思い出す。
確かにあれは痛そうだし、あれをオリヴィアやアンジェリカ、ノエルにやってしまったら──考えるだけでも嫌だ。
そしてエステルはリオンの耳元に口を寄せて、決定的な一言を発する。
「それにさ──この前のこと、黙ってて欲しいだろ?」
堰が決壊する。
仕方ない。
仕方ないのだ。
絶対に知られたくない過ちをダシに脅されて仕方なく、彼女の求めに応じざるを得なかった。
その言い訳が免罪符となって更なる過ちに向けて背を押す。
再び唇が重なる。
幸福感が頭の中いっぱいに広がる。
もっと強く、もっと深く、もっと激しく、触れ合いたい。
彼女の中の奥深く、ねっとりとした蜜と熱に満ちたその深淵に、抱かれ、包まれ、吸い込まれたい。
本当は分かっていた。
認めたくなくて、認めるわけにはいかなくて、目を逸らしていただけだ。
ずっと、ずっと、こうしたかったんだ。
エステルの長いスカートが乱暴に捲り上げられ、はち切れそうな丸い美尻と、むっちりとした、しかししなやかな太ももが露わになる。
脂肪の下に隠れた膨大な筋肉により、彼女の下半身は周りの女子と比べても飛び抜けて太い。
普段はロングスカートで身体の線を隠していて、おまけに背が高いので細く見えるのだが、間近で見るとその存在感に圧倒される。
誰も知らないその秘境の絶景が、自分だけに開け放たれている。
掴んで、拡げて、踏み込んでこいと訴えかけている。
燃え上がる情欲の炎が何もかも焼き尽くして、身体を熱く漲らせ、女を愛するための形へと変貌させる。
リオンは素早くズボンを下ろして、今にも爆発しそうなほどに怒漲したものを、エステルの濡れた入り口に当てがった。
「──来て♡」
彼女のその一言を号令に、リオンは身体を深淵に沈めた。
エステルの美尻がビクビクッ!と跳ねて、中が激しく締まり、うねる。
完全に捉えられた。
この快感の淵から抜け出すことはもうできない。
──ああそうか。これが焼け木杭に火がつくってやつか。
嬌声を堪えつつも悦楽に震える彼女に腰を叩きつけながら、ふとそんなことを思った。